4章
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二・アケリアから皆の目的地へ向かうには、イラートの港から出発する必要があった。そのため、一同は一度イラート海停へと向かい海路を利用した。
つい昨日まで旅路を供にした仲間を乗せた船を見送りながら、名無しはその場に残ったアルヴィンの方を見る。
「シャン・ドゥに帰らなくていいの?」
「帰ったところで、待ってる人はいないしな」
「待っててくれてるはずよ、どんな形であれ」
「はは、だといいけどな。…その、まだ一緒にいたらだめか?」
(あぁ、ずるいなぁ…)
アルヴィンの言葉に名無しは困りつつも、恥ずかしげに答える。
「じゃあ、その…、うちの宿、来る?」
「正直疲れたからな、そうだとありがたいわ」
「んー、客室空いてるかなー…」
「ああ」
皆が乗った船が見えなくなったのを確認すると、名無しはアルヴィンと一緒に宿屋へと向かった。
久々に足を踏み入れた宿屋は何も変わりがなかった。まるで昨日も同じような光景を見ていたような、そう思えるほど、その空間は暖かく名無しを迎え入れた。
カウンターを見ると、名無しがいつも用意していたアイリスの花が変わらずに飾られいたのを見つけた。きっと誰かが置き続けてくれているのだろうと思い浮かべ、小さな幸せを感じた。
名無しが入口に立ったままあたりを見渡していると、一人の店員が名無しの姿に気が付き近づいてきた。
「名無し?名無しじゃないか!」
「わっ!びっくりした…、今日はしっかり料理番してるんですね」
「当たり前だろ、お前がいないんだから俺がやるしか…って、いやそうじゃない。で、名無し、今戻ったのか?」
「はい、長いお休みありがたくいただきました!」
「はは、なんてこった!すぐにマスター呼んでくるよ!マスター!マスター!」
「賑やかな奴だな」
「ふふ、そういう人なのよあの人」
料理番の男が慌ただしく店の奥へと行くと、慌しい足音と共に店の奥から店主が姿を現した。
名無しの顔を見るなり、出発するきっかけとなった刺客について色々と聞いてきたが、名無しはもう終わった話だ、と軽く笑い説明を省いた。聞いてきた勢いの割には、名無しの一言をすんなりと店主は受け入れ、どこか安心したような表情を浮かべた。
名無しは店主の目線がアルヴィンに向いたのに気が付くと、あの日、名無しを救援した仲間の一人として簡易的ではあるがアルヴィンの話をした。
「わけのわからない兵士で町は一時大慌てになったかと思えば、お前はどっかに行くし、その後まともな連絡もよこさない。どこになにやってるかと思えば男連れて戻ってきやがって…いったい何時そんな不良娘になった?」
「ご、ごめんなさい!え、えーっと…手紙出してたんだけど、届いてました?」
「はは、届いてたさ、自分の事は全く書かねぇでこっちの心配ばっかり書きやがって、けどまぁ兄ちゃん、うちのが世話になったみてぇだな」
「結構無茶するお嬢ちゃんで大変だったぜ?」
「む、そんな無茶した記憶はないけれど」
「そういって無茶する奴だってのを俺が知らねぇわけないだろ。まったく、本当無事に戻ってきてなによりだ…。」
「マスター、あの…」
「ん?どうした」
「あの、た、ただいま、です」
「ははは、何謙虚に言ってんだ、堂々と言ってもいいんだぞ、ここはお前の帰ってくる場所なんだ、部屋だってあるんだ」
店主の言葉をきっかけとして、名無しはこらえていた涙が溢れてきて店主に抱き付いて泣き出した。
そんな二人の姿を見ながら自分の出番は今はないと思い、適当に椅子に腰かけたアルヴィンに料理番の男が飲み物を差し出した。
「あんた、名無しと一緒にいたんだろ?」
「ん?ああ、まあな」
「初めに宿に来た時に名無しと仲良かっただろ?そんで一緒に行ったからマスターの奴、あんたにひっかけられないかってずっと言ってたんだぜ」
「ひっかけるってそりゃ随分と」
「名無しがここに来る前から俺は働いてるからさ、妹みたいなもんだし、マスターにとっちゃ娘同然だからな」
「んじゃ、無事に届けたぜその宝物」
「ああ、感謝してるよ」
男と話をしていると名無しと話しをしていた店主が、アルヴィンの元に近づき話しかけてきた。
名無しがなにやら店主とアルヴィンが会話をしないようにと必死に制止の行動をとっていたが、店主の手のひらが名無しの頭を大きく掴み、名無しの行動を無駄な足掻きに変えた。
「兄ちゃん傭兵なんだろ?礼と言っちゃなんなんだがな」
「あーあーあーっ!何も言ってない!何も言わせたくないーっ!」
「名無しは黙ってろって、どうせそのつもりなんだろ?」
「そのつもりは無いです!さっきも言いました!そんなことより私はここでっ」
「なあ兄ちゃん、この馬鹿野郎なんだが、色気づいた顔して戻ってきたくせに堂々と働くっていうんだわ」
「働きます!働きますよ!当たり前じゃないですか!」
「名無し、黙ってろって言ったろ!…でな、兄ちゃん。あんたさえその気なら礼にこいつも持ってってくれないか」
「おおー、言うねぇー。マスター」
「ちょっと!アルも悪ノリしないでよ!」
「こいつが働いちゃ新人が育たなくてね、そこも困ってんだ。な?どうだい?」
「良い話だが、当人の意思は無視でいいのか?」
「はっはっは!こいつの考えなんか尊重してたら埒が明かない。兄ちゃんの判断で勝手に持っていけ」
「へー。んじゃ、ありがたく持ってくわ」
「ちょっと二人ともっ!」
アルヴィンの返事を聞くと、店主は上機嫌で名無しを無理矢理自室へと放り込んだ。
客室に空きが無い、とかなり強引な理由で、食事が出来るまでの間二人で名無しの部屋にいるように言い残すと、店主は調理場へと向かった。、
半ば無理やり入れられた自室の隅で名無しが納得いかない様子でいると、アルヴィンがすんなりと名無しの部屋の椅子に座ったため、その様子をみた名無しが何か言いたげにアルヴィンを軽く睨む。
アルヴィンが名無しを見ながら手招きをすると、名無しは睨んだままではあったが、大人しくアルヴィンに近づき目の前に立った。
「名無し、いいのか?」
「いいのかって…あんな返事しといてよく言うわ…」
「睨むなよ。そりゃまぁあれはその場の勢いっていうか、本心っつーか」
「だからあっさり言わないでよ。急にこんなことになっても困るんだから…」
「お前にとっちゃ家族に出てけって言われたようなもんだしな、整理つかねぇのは当然か」
「本当はずっと前から言われてたのよ、自分のやりたい事に生きろって。けど、私にとってのそれは、ここで働く事だったから…」
「それは、今も同じか?」
「わからない…けど、なんていうか…」
「…聞くのはおかしいってわかってる、けどなんでそこまで働きたいんだ?」
「宿の仕事のこと心配だし、それに私この仕事好きだし…」
「けど、逆にそう思われてんのが親父さんは重荷になってると思ってんじゃね―の?」
「う、それは、直接言われたわ…けど、その、えっと…」
「どうかしたか?」
「出て行くってなったら、すごくお金かかるでしょ?」
「馬鹿か。そこは男が頑張るとこだろ」
名無しの頭を撫でながらアルヴィンが言うと、名無しが自分の頭を撫でていた手を握って言葉を続けた。
「私も頑張りたいのよ」
「んじゃ、二人でやっていかないか、新しく」
「…あそこまでマスターにやられて行かない、なんてことしたら、勘当されるかしら…?」
「あの親父さんならやりそうだな」
「本当にやる人だなぁ、あの人は。ここにもう来れなくなるのは流石に嫌かな」
「それじゃあ」
「ん、よろしくお願いします」
少しぎこちない動作で名無しがアルヴィンを抱きしめて返事をした。
名無しを自分の膝に乗せる形でアルヴィンが名無しを背中から抱き直す。
しばらくその格好でじっとしたが、アルヴィンの手に動きがあったことに名無しが気が付いた。
「あの、アルフレドさん、少しくすぐったいのですが…」
「ちょっと嬉しくて我慢きかねぇかも」
「…我慢してもらいたいかも」
「無理」
「ちょっふふ、本当にくすぐったい」
「余裕だなお前」
「だって本当にくすぐった…ふぁっ」
「ここはそうでもないみたいだな」
「その触り方やだ…」
「椅子だとキツイな」
馴れた手つきで名無しを持ち上げると目の前にあるベッドに名無しを寝かせた。
そのまま横たわることに抵抗のある名無しが体を起こそうとすると、若干強めの力で体を布団に沈められてしまった。
これ以上抵抗する方が無理があると、名無しは少しだけ決心をしようと思った。
先ほど触れられた感覚の残る胸を今度は服の下に手を潜らせてアルヴィンが触れる。
緊張と怖さのどちらからきているのか解らないが鼓動が早くなっているのが自分でも嫌でもわかった。
「ちょっと、痛いかも…」
「わりぃ、手に余るもんだからちょっとな…服、いいか?」
「…ダメって言ったら?」
「聞けないかもな」
「あ、お風呂…」
「遠いだろ、旅した時に入らなかった日だってあるんだ、気にすんな」
「準備…」
「ある」
「な、なんで持ってるの…っ」
「何かおかしいか?」
「おかしくは、ないと思うけど」
「…嫌か?」
「嫌っていうか…、怖いっていうか…」
「ちゃんと大事にすっから」
「その言葉ずるい…」
名無しの言葉がそこで止まったのを合意の合図として、襟元のボタンが一つ外され、名無しの胸元が露わになった。
まだ日も高く、部屋の中もだいぶ明るいためその形ははっきりとアルヴィンの目に映り彼の喉が鳴ったのを名無しははっきりと聞いた。
ここまでくれば待つという時間は最早無駄でしかなく、谷間の軟らかい部分にアルヴィンの唇が触れ、名無しの体がわずかにはねた。
そして、名無しの下着に手がかかった時の事だった。
***
「名無し、ちょっと入るぞー?」
店主がドアをノックし、名無しを訪ねてきた。
下着の片側に手を掛かったままアルヴィンは表情を引きつらせ、扉のほうを睨んだ。
しかし、アルヴィンはそのまま店主の存在を無視し、行動に移ろうとした。
何を考えているんだ、と名無しは急いでアルヴィンの行動を止めようとするが、当然力で押し負けてしまう。
名無しから返事がないため、店主がどうかしたのかと聞きながらもう一度ノックをし、室内に入る許可を求めてきた。
いつもの癖なのだろうか、返事がないままではあったが、店主が部屋のドアを少し開ける。
名無しは急いでアルヴィンの下から抜け出し、わずかにドアから顔を覗かせ店主に一声かけた。
「ごめんなさい、ちょっと疲れてうたた寝しちゃって!えと、今髪ぼさぼさで…っ」
「おお、それなら起こして悪かったな、整えたら適当にあの兄ちゃん連れてちょっと来てくれ」
「あ、はい、わかりましたっ」
「そんじゃな」
遠退いていく店主の足音を聞きながら、名無しは早急にドアを閉め、髪の毛を手で整えながら服装を正した。
ドアに寄りかかり、ため息をつきながら床に座り込むと、ベッドに伏せ、うな垂れているアルヴィンの姿を見て再び大きなため息をついた。
「確信犯かあの親父はっ!今のタイミングどう考えてもおかしいだろ!」
「ちょっと大きな声出さないでよ!」
「トリグラフの時といい、今といい…呪われてんのか」
「単純にタイミングが悪いだけだと思うんだけど…」
「あー!…たく、かっこ悪ぃじゃねぇか、ただがっついてるみたいで」
「そんな風には思ってないけど、その、とりあえずマスター呼んでるし、行かない?」
「先行っててくれ、ちょっと落ち着いたら行くわ」
「あはは…、出会い頭にマスターのこと殴られたら困るものね」
名無しはアルヴィンにできるだけ早く来るように告げ服装と髪型を整えて部屋にアルヴィンを残した。
店まで出ると、名無しのことを待っていた従業員達が何やら陽気に騒いでいる。
食事処には、酒と料理が並べられまるで宴会のような状態であるため、何をしているのか名無しは店主を探しだして尋ねた。
「お前が帰ってきたんだ、祝って何がおかしい」
「それは、嬉しいですけどお店は…」
「客には定額で食い放題にさせてるから商売の心配はすんな!」
「けどすごい勢いでお皿空っぽになってますよ?あ、あれも、急いで用意しなきゃ」
「おいおい、主役に働かれたら俺たちの立場がないだろ?」
「お前らとっとと働かねえと名無しに仕事とられちまうぞ!」
「はは、そりゃ大変だわ」
店主が音頭を取ると、手の空いた店員が一斉に空の皿を下げにいった。
目の前でてきぱきと働く従業員たちに目を回していると、名無しは店主に背中を押され、用意された席に座らされた。
名無しが手伝いを出来ないように、一番奥の席に座らされたあたり、今日はなにもしないのが一番平和な手段なんだと名無しは思い、大人しく与えられたポジションを守ることにした。
しかし、目の前に次々と運ばれてくる料理の量は明らかに多いことに、名無しは店の食材の在庫が大丈夫か少し不安になった。
料理番の男が名無しのところに二人分の料理を運んできて、不思議そうにもう一人はどうしたのか、と聞いてきた。
「あの兄ちゃんどうしたんだい?」
「ちょっと休んでから来るんですって」
「お前の部屋で?」
「そう、だけど?」
「へー、ふーん、いいのかぁ?」
「何ですか、その言い方…」
「いやほら、普通に考えてっていやまて…そうだよな、お前そういう奴だもんな…兄ちゃんも生殺し食らってそうだな…」
「いまいち意味が…」
「いやいや、この場を捨てて休むなんざ男じゃねーなと思ってな!叩き起こすか!」
「そりゃご親切にどーも、この騒ぎのおかげで寝る気にもならなかったわ」
「アル、もういいの?」
「まぁな、腹減ってたし」
「そんじゃ、じゃんじゃん持ってきてやるから二人とも食いまくれよ!…ああ、そうだ兄ちゃん」
そういって料理番がアルヴィンになにかを耳打ちした後、えらくご機嫌で去っていった。
対して、アルヴィンは何を言われたのか、料理番の背中を見て苦笑いを浮かべた。
名無しがどうかしたのかと聞くと、たいしたことではないとアルヴィンは適当に流した。
運ばれてきた料理を食べながら、名無しは旅であった話を皆にして、その間宿であった出来事をたくさん聞いた。
エレンピオス兵に強襲を受けた来た時もあったとの事だが、精霊術の使えないけが人ばかりであったらしく、店主はその者達に一部の部屋を無料で貸し出したりしていた事があった。
話を聞きながら宴を見渡すと、騒いでいる客の中に何人かエレンピオス兵の格好をした者が居ることに気がつく。
「こんな風に、エレンピオスとリーゼ・マクシアが繋がっていくといいな…」
「確かに目の前で仲良くやってんだ、直ぐには無理でも繋がってくだろ」
「そうね。うん、んー…」
「どうかしたか?」
「よし、決めた!」
何かを決心した名無しが飛びきり明るい表情を作った為アルヴィンがどうしたのかを聞く。
すると、名無しは目を輝かせ、自分の中ではっきりとしていなかった「やりたい事」が決まったと意気揚々と答えた。
「突っ走るなお前…」
「じっとしてるなんて無理よ、ジュード君がこれから世界を救うために頑張るんだもの、それにアルだってやること見付けるんだから私だって」
「で、何すんだ?」
「植物研究、本格的に進めてみようと思うの。今まで独学でしかやってなかったし、ジュード君に色々聞いてちゃんと勉強してみようと思うの。、元々エレンピオスの環境でも群生できそうなものを調べてたから」
「おい、それでまさかイル・ファンに住むとか言うんじゃ」
「ううん、それは大丈夫。シャン・ドゥはカン・バルクから近いでしょ?カン・バルクは城下だし、どちらを選ぶにしても収入を得る仕事も見つかると思うの。そうやって収入を得ながら研究していければって思うんだけど…。あ、そうだバランさんってアルの従兄なのよね?研究員の方だっていうし向こうの状況とエレンピオスの状況を共有してお互いに…っ」
「待った、待った!止まれってストップ」
興奮気味に話す名無しをアルヴィンが止め、一度落ち着かる。
しかし、一度スイッチの入った名無しの理想は止まることが無く、浮かんだ内容を直ぐにでも全てアルヴィンに話したくてたまらない様子だった。
少し呆れたアルヴィンが落ち着けと名無しの両頬を引っ張ると、名無しはやっと話を聞く姿勢をとった。
「やりたいこと見つけんのもいいけどよ、その、なんつーんだ」
「どうしたの?」
「…置いてくなよ」
「あ、ごめん…。もちろん、アルも一緒につれていくつもりよ。やりたい事じゃなかったら、申し訳ないけれど」
「協力できるならやらせてくれ。俺も、なんか見つかるかもしれないしな」
「その助けになれれば、私は嬉しいかな。でも本当、嫌なら直ぐ言ってね?」
「嫌がるかよ、格好つかねぇなぁ、ホント。そういうのは男の役目って言ったばっかだってのに」
「もう、そうやって凹まないの。そうやって考えて貰えるだけでも、私は嬉しいんだから」
「…そうかよ」
そういってそっぽを向いたアルヴィンを見て、名無しは頬を緩めながらアルヴィンの頭を思い切り撫でた。
人目がある事を気にして、アルヴィンがその手を軽く退けると、名無しは何を思ったのか今度はアルヴィンの頭を、先ほどより強い力で犬を撫で回すように愛でた。
満足したのか名無しは頭から手を離すと、完全に乱れたアルヴィンの髪型を見て笑いだす。
「あはははっ、へ、変なのっ」
「お前がやったんだろ!ったく、何ハイになってんだよ、酒か?」
「ん?それはないわね、私強いもの。ただ本当に嬉しかったのと、ミラの言葉思い出しただけ」
「ミラの言葉…、なんかあったか?」
「赤子をあやす有効手段」
「お、まえなぁ…。後で覚えてろよ」
「ふふ、念頭に置いておくわ」
そして、奥で店主が呼んでいるのに気がつき、名無しは機嫌よく呼ばれた方向へ向かった。
直後、アルヴィンも周りの店員にからまれ、鬱陶しそうにしつつも楽しそうに会話を始めた。
宴は店の食料がある程度底を尽き、店主がはしゃぎ過ぎだと参加者を恫喝するまで続いた。
殆どの者は、片付けなど到底できる状態ではなく、店主に投げ込まれるように自室へと消えていってしまった。
すっかり静かになった空間を見つめ、名無しは「よしっ」と腕まくりをして、食い尽くされた食卓の片づけを始めた。
空になった大量の皿を運ぶのはいつぶりだろうか、誰かが散らかした机を綺麗にするのはこんなにも懐かしいものだっただろうかと、いろんな事を思いながら名無しは店をきれいにし終える。
満足気に店内を見渡し、さっきまで座っていた席につくと奥から店主が静かに話しかけてきた。
「やっぱり働くんだな」
「ここにいると、動きたくなるから」
「縛っちまってるな、ほんとに」
「ううん、私マスターのおかげでここにいるのが楽しいんですから」
「けど、旅に出て他にもやりたい事が山ほどできたろ?」
「う…それは…っ」
「言った通りだ、お前に頼ってちゃこの店は駄目だ、名無しがいない間によくわかったよ、ははは」
「でも私、皆にここに遊びに来てっていっちゃったんですけど」
「そりゃ大歓迎だ、そんときは連絡くれよ?名無しの実家だと思っていつでも遊びにこい。ああ、あと…」
「あと?」
「あの兄ちゃんになんかされたらいつでもこい」
「ここまで言われたら、言ってきます、って事しか言っちゃいけないですね」
「はは、よくわかってるじゃないか」
そうして、部屋はそのままにしていいから行ってこいと店主に肩を叩かれ、名無しは部屋に戻った。
部屋に戻ると、名無しはアルヴィンの顔を見るなり、明日には発つと言い、最低限の荷物をそそくさとまとめだした。
後々必要になった物は向こうで揃えばいい、と言って名無しはてきぱきと作業を進めていった。
まだ数日ここで休んでも良いのではとアルヴィンが提案したが、名無しは善は急げといいその話を聞くつもりは無いようだった。
出て行くのが寂しくなる前に、そんな風に名無しが振舞っているように思え、アルヴィンも一緒に荷造りを済ませる。
「荷物、それだけでいいのか?」
「うん、戻ってきていい、ってマスター言ってくれたし、これぐらい残したほうが戻ってくるきっかけになると思うから」
「違いねぇ、お前集中すると目の前のこと以外忘れるからな」
「む、失礼ね…。」
「今さっきやってた行動がまさにそうだろ。」
「けど出発は明日にしたわ」
「そういう問題じゃないってーの、ったく。出発に日程について、俺の意見は聞かないわけ?」
「そういうわけじゃないけど…」
「けど?」
「…来てくれるんでしょ?」
「当然」
「ふふ、ありがとう、あ、そうだ。日記書かないと…」
今日までのこと、今日決めたこと、これからのことの全てを、思いつくがままに名無しは改めて日記に書き連ねた。
最後のページまで、思ったことを全て書いて。
名無しはジュード達との不思議な旅に、自分自身で一つの終わりをしっかりと作った。
翌朝、二人はまとまった荷物を持って受付けに立っていた。
受付には、いつもの店主と料理番、そして名無しが摘んだアイリスの花。
変わっていない大切な景色を、名無しはじっと見つめた。
そして、勢いよく部屋の鍵を店主に預けて笑顔でいう。
「それじゃあ、行ってきます!」
大きく手を振って名無しはドアを開けた。
あの時と同じ場所で、別のスタートを名無しは始めた。
つい昨日まで旅路を供にした仲間を乗せた船を見送りながら、名無しはその場に残ったアルヴィンの方を見る。
「シャン・ドゥに帰らなくていいの?」
「帰ったところで、待ってる人はいないしな」
「待っててくれてるはずよ、どんな形であれ」
「はは、だといいけどな。…その、まだ一緒にいたらだめか?」
(あぁ、ずるいなぁ…)
アルヴィンの言葉に名無しは困りつつも、恥ずかしげに答える。
「じゃあ、その…、うちの宿、来る?」
「正直疲れたからな、そうだとありがたいわ」
「んー、客室空いてるかなー…」
「ああ」
皆が乗った船が見えなくなったのを確認すると、名無しはアルヴィンと一緒に宿屋へと向かった。
久々に足を踏み入れた宿屋は何も変わりがなかった。まるで昨日も同じような光景を見ていたような、そう思えるほど、その空間は暖かく名無しを迎え入れた。
カウンターを見ると、名無しがいつも用意していたアイリスの花が変わらずに飾られいたのを見つけた。きっと誰かが置き続けてくれているのだろうと思い浮かべ、小さな幸せを感じた。
名無しが入口に立ったままあたりを見渡していると、一人の店員が名無しの姿に気が付き近づいてきた。
「名無し?名無しじゃないか!」
「わっ!びっくりした…、今日はしっかり料理番してるんですね」
「当たり前だろ、お前がいないんだから俺がやるしか…って、いやそうじゃない。で、名無し、今戻ったのか?」
「はい、長いお休みありがたくいただきました!」
「はは、なんてこった!すぐにマスター呼んでくるよ!マスター!マスター!」
「賑やかな奴だな」
「ふふ、そういう人なのよあの人」
料理番の男が慌ただしく店の奥へと行くと、慌しい足音と共に店の奥から店主が姿を現した。
名無しの顔を見るなり、出発するきっかけとなった刺客について色々と聞いてきたが、名無しはもう終わった話だ、と軽く笑い説明を省いた。聞いてきた勢いの割には、名無しの一言をすんなりと店主は受け入れ、どこか安心したような表情を浮かべた。
名無しは店主の目線がアルヴィンに向いたのに気が付くと、あの日、名無しを救援した仲間の一人として簡易的ではあるがアルヴィンの話をした。
「わけのわからない兵士で町は一時大慌てになったかと思えば、お前はどっかに行くし、その後まともな連絡もよこさない。どこになにやってるかと思えば男連れて戻ってきやがって…いったい何時そんな不良娘になった?」
「ご、ごめんなさい!え、えーっと…手紙出してたんだけど、届いてました?」
「はは、届いてたさ、自分の事は全く書かねぇでこっちの心配ばっかり書きやがって、けどまぁ兄ちゃん、うちのが世話になったみてぇだな」
「結構無茶するお嬢ちゃんで大変だったぜ?」
「む、そんな無茶した記憶はないけれど」
「そういって無茶する奴だってのを俺が知らねぇわけないだろ。まったく、本当無事に戻ってきてなによりだ…。」
「マスター、あの…」
「ん?どうした」
「あの、た、ただいま、です」
「ははは、何謙虚に言ってんだ、堂々と言ってもいいんだぞ、ここはお前の帰ってくる場所なんだ、部屋だってあるんだ」
店主の言葉をきっかけとして、名無しはこらえていた涙が溢れてきて店主に抱き付いて泣き出した。
そんな二人の姿を見ながら自分の出番は今はないと思い、適当に椅子に腰かけたアルヴィンに料理番の男が飲み物を差し出した。
「あんた、名無しと一緒にいたんだろ?」
「ん?ああ、まあな」
「初めに宿に来た時に名無しと仲良かっただろ?そんで一緒に行ったからマスターの奴、あんたにひっかけられないかってずっと言ってたんだぜ」
「ひっかけるってそりゃ随分と」
「名無しがここに来る前から俺は働いてるからさ、妹みたいなもんだし、マスターにとっちゃ娘同然だからな」
「んじゃ、無事に届けたぜその宝物」
「ああ、感謝してるよ」
男と話をしていると名無しと話しをしていた店主が、アルヴィンの元に近づき話しかけてきた。
名無しがなにやら店主とアルヴィンが会話をしないようにと必死に制止の行動をとっていたが、店主の手のひらが名無しの頭を大きく掴み、名無しの行動を無駄な足掻きに変えた。
「兄ちゃん傭兵なんだろ?礼と言っちゃなんなんだがな」
「あーあーあーっ!何も言ってない!何も言わせたくないーっ!」
「名無しは黙ってろって、どうせそのつもりなんだろ?」
「そのつもりは無いです!さっきも言いました!そんなことより私はここでっ」
「なあ兄ちゃん、この馬鹿野郎なんだが、色気づいた顔して戻ってきたくせに堂々と働くっていうんだわ」
「働きます!働きますよ!当たり前じゃないですか!」
「名無し、黙ってろって言ったろ!…でな、兄ちゃん。あんたさえその気なら礼にこいつも持ってってくれないか」
「おおー、言うねぇー。マスター」
「ちょっと!アルも悪ノリしないでよ!」
「こいつが働いちゃ新人が育たなくてね、そこも困ってんだ。な?どうだい?」
「良い話だが、当人の意思は無視でいいのか?」
「はっはっは!こいつの考えなんか尊重してたら埒が明かない。兄ちゃんの判断で勝手に持っていけ」
「へー。んじゃ、ありがたく持ってくわ」
「ちょっと二人ともっ!」
アルヴィンの返事を聞くと、店主は上機嫌で名無しを無理矢理自室へと放り込んだ。
客室に空きが無い、とかなり強引な理由で、食事が出来るまでの間二人で名無しの部屋にいるように言い残すと、店主は調理場へと向かった。、
半ば無理やり入れられた自室の隅で名無しが納得いかない様子でいると、アルヴィンがすんなりと名無しの部屋の椅子に座ったため、その様子をみた名無しが何か言いたげにアルヴィンを軽く睨む。
アルヴィンが名無しを見ながら手招きをすると、名無しは睨んだままではあったが、大人しくアルヴィンに近づき目の前に立った。
「名無し、いいのか?」
「いいのかって…あんな返事しといてよく言うわ…」
「睨むなよ。そりゃまぁあれはその場の勢いっていうか、本心っつーか」
「だからあっさり言わないでよ。急にこんなことになっても困るんだから…」
「お前にとっちゃ家族に出てけって言われたようなもんだしな、整理つかねぇのは当然か」
「本当はずっと前から言われてたのよ、自分のやりたい事に生きろって。けど、私にとってのそれは、ここで働く事だったから…」
「それは、今も同じか?」
「わからない…けど、なんていうか…」
「…聞くのはおかしいってわかってる、けどなんでそこまで働きたいんだ?」
「宿の仕事のこと心配だし、それに私この仕事好きだし…」
「けど、逆にそう思われてんのが親父さんは重荷になってると思ってんじゃね―の?」
「う、それは、直接言われたわ…けど、その、えっと…」
「どうかしたか?」
「出て行くってなったら、すごくお金かかるでしょ?」
「馬鹿か。そこは男が頑張るとこだろ」
名無しの頭を撫でながらアルヴィンが言うと、名無しが自分の頭を撫でていた手を握って言葉を続けた。
「私も頑張りたいのよ」
「んじゃ、二人でやっていかないか、新しく」
「…あそこまでマスターにやられて行かない、なんてことしたら、勘当されるかしら…?」
「あの親父さんならやりそうだな」
「本当にやる人だなぁ、あの人は。ここにもう来れなくなるのは流石に嫌かな」
「それじゃあ」
「ん、よろしくお願いします」
少しぎこちない動作で名無しがアルヴィンを抱きしめて返事をした。
名無しを自分の膝に乗せる形でアルヴィンが名無しを背中から抱き直す。
しばらくその格好でじっとしたが、アルヴィンの手に動きがあったことに名無しが気が付いた。
「あの、アルフレドさん、少しくすぐったいのですが…」
「ちょっと嬉しくて我慢きかねぇかも」
「…我慢してもらいたいかも」
「無理」
「ちょっふふ、本当にくすぐったい」
「余裕だなお前」
「だって本当にくすぐった…ふぁっ」
「ここはそうでもないみたいだな」
「その触り方やだ…」
「椅子だとキツイな」
馴れた手つきで名無しを持ち上げると目の前にあるベッドに名無しを寝かせた。
そのまま横たわることに抵抗のある名無しが体を起こそうとすると、若干強めの力で体を布団に沈められてしまった。
これ以上抵抗する方が無理があると、名無しは少しだけ決心をしようと思った。
先ほど触れられた感覚の残る胸を今度は服の下に手を潜らせてアルヴィンが触れる。
緊張と怖さのどちらからきているのか解らないが鼓動が早くなっているのが自分でも嫌でもわかった。
「ちょっと、痛いかも…」
「わりぃ、手に余るもんだからちょっとな…服、いいか?」
「…ダメって言ったら?」
「聞けないかもな」
「あ、お風呂…」
「遠いだろ、旅した時に入らなかった日だってあるんだ、気にすんな」
「準備…」
「ある」
「な、なんで持ってるの…っ」
「何かおかしいか?」
「おかしくは、ないと思うけど」
「…嫌か?」
「嫌っていうか…、怖いっていうか…」
「ちゃんと大事にすっから」
「その言葉ずるい…」
名無しの言葉がそこで止まったのを合意の合図として、襟元のボタンが一つ外され、名無しの胸元が露わになった。
まだ日も高く、部屋の中もだいぶ明るいためその形ははっきりとアルヴィンの目に映り彼の喉が鳴ったのを名無しははっきりと聞いた。
ここまでくれば待つという時間は最早無駄でしかなく、谷間の軟らかい部分にアルヴィンの唇が触れ、名無しの体がわずかにはねた。
そして、名無しの下着に手がかかった時の事だった。
***
「名無し、ちょっと入るぞー?」
店主がドアをノックし、名無しを訪ねてきた。
下着の片側に手を掛かったままアルヴィンは表情を引きつらせ、扉のほうを睨んだ。
しかし、アルヴィンはそのまま店主の存在を無視し、行動に移ろうとした。
何を考えているんだ、と名無しは急いでアルヴィンの行動を止めようとするが、当然力で押し負けてしまう。
名無しから返事がないため、店主がどうかしたのかと聞きながらもう一度ノックをし、室内に入る許可を求めてきた。
いつもの癖なのだろうか、返事がないままではあったが、店主が部屋のドアを少し開ける。
名無しは急いでアルヴィンの下から抜け出し、わずかにドアから顔を覗かせ店主に一声かけた。
「ごめんなさい、ちょっと疲れてうたた寝しちゃって!えと、今髪ぼさぼさで…っ」
「おお、それなら起こして悪かったな、整えたら適当にあの兄ちゃん連れてちょっと来てくれ」
「あ、はい、わかりましたっ」
「そんじゃな」
遠退いていく店主の足音を聞きながら、名無しは早急にドアを閉め、髪の毛を手で整えながら服装を正した。
ドアに寄りかかり、ため息をつきながら床に座り込むと、ベッドに伏せ、うな垂れているアルヴィンの姿を見て再び大きなため息をついた。
「確信犯かあの親父はっ!今のタイミングどう考えてもおかしいだろ!」
「ちょっと大きな声出さないでよ!」
「トリグラフの時といい、今といい…呪われてんのか」
「単純にタイミングが悪いだけだと思うんだけど…」
「あー!…たく、かっこ悪ぃじゃねぇか、ただがっついてるみたいで」
「そんな風には思ってないけど、その、とりあえずマスター呼んでるし、行かない?」
「先行っててくれ、ちょっと落ち着いたら行くわ」
「あはは…、出会い頭にマスターのこと殴られたら困るものね」
名無しはアルヴィンにできるだけ早く来るように告げ服装と髪型を整えて部屋にアルヴィンを残した。
店まで出ると、名無しのことを待っていた従業員達が何やら陽気に騒いでいる。
食事処には、酒と料理が並べられまるで宴会のような状態であるため、何をしているのか名無しは店主を探しだして尋ねた。
「お前が帰ってきたんだ、祝って何がおかしい」
「それは、嬉しいですけどお店は…」
「客には定額で食い放題にさせてるから商売の心配はすんな!」
「けどすごい勢いでお皿空っぽになってますよ?あ、あれも、急いで用意しなきゃ」
「おいおい、主役に働かれたら俺たちの立場がないだろ?」
「お前らとっとと働かねえと名無しに仕事とられちまうぞ!」
「はは、そりゃ大変だわ」
店主が音頭を取ると、手の空いた店員が一斉に空の皿を下げにいった。
目の前でてきぱきと働く従業員たちに目を回していると、名無しは店主に背中を押され、用意された席に座らされた。
名無しが手伝いを出来ないように、一番奥の席に座らされたあたり、今日はなにもしないのが一番平和な手段なんだと名無しは思い、大人しく与えられたポジションを守ることにした。
しかし、目の前に次々と運ばれてくる料理の量は明らかに多いことに、名無しは店の食材の在庫が大丈夫か少し不安になった。
料理番の男が名無しのところに二人分の料理を運んできて、不思議そうにもう一人はどうしたのか、と聞いてきた。
「あの兄ちゃんどうしたんだい?」
「ちょっと休んでから来るんですって」
「お前の部屋で?」
「そう、だけど?」
「へー、ふーん、いいのかぁ?」
「何ですか、その言い方…」
「いやほら、普通に考えてっていやまて…そうだよな、お前そういう奴だもんな…兄ちゃんも生殺し食らってそうだな…」
「いまいち意味が…」
「いやいや、この場を捨てて休むなんざ男じゃねーなと思ってな!叩き起こすか!」
「そりゃご親切にどーも、この騒ぎのおかげで寝る気にもならなかったわ」
「アル、もういいの?」
「まぁな、腹減ってたし」
「そんじゃ、じゃんじゃん持ってきてやるから二人とも食いまくれよ!…ああ、そうだ兄ちゃん」
そういって料理番がアルヴィンになにかを耳打ちした後、えらくご機嫌で去っていった。
対して、アルヴィンは何を言われたのか、料理番の背中を見て苦笑いを浮かべた。
名無しがどうかしたのかと聞くと、たいしたことではないとアルヴィンは適当に流した。
運ばれてきた料理を食べながら、名無しは旅であった話を皆にして、その間宿であった出来事をたくさん聞いた。
エレンピオス兵に強襲を受けた来た時もあったとの事だが、精霊術の使えないけが人ばかりであったらしく、店主はその者達に一部の部屋を無料で貸し出したりしていた事があった。
話を聞きながら宴を見渡すと、騒いでいる客の中に何人かエレンピオス兵の格好をした者が居ることに気がつく。
「こんな風に、エレンピオスとリーゼ・マクシアが繋がっていくといいな…」
「確かに目の前で仲良くやってんだ、直ぐには無理でも繋がってくだろ」
「そうね。うん、んー…」
「どうかしたか?」
「よし、決めた!」
何かを決心した名無しが飛びきり明るい表情を作った為アルヴィンがどうしたのかを聞く。
すると、名無しは目を輝かせ、自分の中ではっきりとしていなかった「やりたい事」が決まったと意気揚々と答えた。
「突っ走るなお前…」
「じっとしてるなんて無理よ、ジュード君がこれから世界を救うために頑張るんだもの、それにアルだってやること見付けるんだから私だって」
「で、何すんだ?」
「植物研究、本格的に進めてみようと思うの。今まで独学でしかやってなかったし、ジュード君に色々聞いてちゃんと勉強してみようと思うの。、元々エレンピオスの環境でも群生できそうなものを調べてたから」
「おい、それでまさかイル・ファンに住むとか言うんじゃ」
「ううん、それは大丈夫。シャン・ドゥはカン・バルクから近いでしょ?カン・バルクは城下だし、どちらを選ぶにしても収入を得る仕事も見つかると思うの。そうやって収入を得ながら研究していければって思うんだけど…。あ、そうだバランさんってアルの従兄なのよね?研究員の方だっていうし向こうの状況とエレンピオスの状況を共有してお互いに…っ」
「待った、待った!止まれってストップ」
興奮気味に話す名無しをアルヴィンが止め、一度落ち着かる。
しかし、一度スイッチの入った名無しの理想は止まることが無く、浮かんだ内容を直ぐにでも全てアルヴィンに話したくてたまらない様子だった。
少し呆れたアルヴィンが落ち着けと名無しの両頬を引っ張ると、名無しはやっと話を聞く姿勢をとった。
「やりたいこと見つけんのもいいけどよ、その、なんつーんだ」
「どうしたの?」
「…置いてくなよ」
「あ、ごめん…。もちろん、アルも一緒につれていくつもりよ。やりたい事じゃなかったら、申し訳ないけれど」
「協力できるならやらせてくれ。俺も、なんか見つかるかもしれないしな」
「その助けになれれば、私は嬉しいかな。でも本当、嫌なら直ぐ言ってね?」
「嫌がるかよ、格好つかねぇなぁ、ホント。そういうのは男の役目って言ったばっかだってのに」
「もう、そうやって凹まないの。そうやって考えて貰えるだけでも、私は嬉しいんだから」
「…そうかよ」
そういってそっぽを向いたアルヴィンを見て、名無しは頬を緩めながらアルヴィンの頭を思い切り撫でた。
人目がある事を気にして、アルヴィンがその手を軽く退けると、名無しは何を思ったのか今度はアルヴィンの頭を、先ほどより強い力で犬を撫で回すように愛でた。
満足したのか名無しは頭から手を離すと、完全に乱れたアルヴィンの髪型を見て笑いだす。
「あはははっ、へ、変なのっ」
「お前がやったんだろ!ったく、何ハイになってんだよ、酒か?」
「ん?それはないわね、私強いもの。ただ本当に嬉しかったのと、ミラの言葉思い出しただけ」
「ミラの言葉…、なんかあったか?」
「赤子をあやす有効手段」
「お、まえなぁ…。後で覚えてろよ」
「ふふ、念頭に置いておくわ」
そして、奥で店主が呼んでいるのに気がつき、名無しは機嫌よく呼ばれた方向へ向かった。
直後、アルヴィンも周りの店員にからまれ、鬱陶しそうにしつつも楽しそうに会話を始めた。
宴は店の食料がある程度底を尽き、店主がはしゃぎ過ぎだと参加者を恫喝するまで続いた。
殆どの者は、片付けなど到底できる状態ではなく、店主に投げ込まれるように自室へと消えていってしまった。
すっかり静かになった空間を見つめ、名無しは「よしっ」と腕まくりをして、食い尽くされた食卓の片づけを始めた。
空になった大量の皿を運ぶのはいつぶりだろうか、誰かが散らかした机を綺麗にするのはこんなにも懐かしいものだっただろうかと、いろんな事を思いながら名無しは店をきれいにし終える。
満足気に店内を見渡し、さっきまで座っていた席につくと奥から店主が静かに話しかけてきた。
「やっぱり働くんだな」
「ここにいると、動きたくなるから」
「縛っちまってるな、ほんとに」
「ううん、私マスターのおかげでここにいるのが楽しいんですから」
「けど、旅に出て他にもやりたい事が山ほどできたろ?」
「う…それは…っ」
「言った通りだ、お前に頼ってちゃこの店は駄目だ、名無しがいない間によくわかったよ、ははは」
「でも私、皆にここに遊びに来てっていっちゃったんですけど」
「そりゃ大歓迎だ、そんときは連絡くれよ?名無しの実家だと思っていつでも遊びにこい。ああ、あと…」
「あと?」
「あの兄ちゃんになんかされたらいつでもこい」
「ここまで言われたら、言ってきます、って事しか言っちゃいけないですね」
「はは、よくわかってるじゃないか」
そうして、部屋はそのままにしていいから行ってこいと店主に肩を叩かれ、名無しは部屋に戻った。
部屋に戻ると、名無しはアルヴィンの顔を見るなり、明日には発つと言い、最低限の荷物をそそくさとまとめだした。
後々必要になった物は向こうで揃えばいい、と言って名無しはてきぱきと作業を進めていった。
まだ数日ここで休んでも良いのではとアルヴィンが提案したが、名無しは善は急げといいその話を聞くつもりは無いようだった。
出て行くのが寂しくなる前に、そんな風に名無しが振舞っているように思え、アルヴィンも一緒に荷造りを済ませる。
「荷物、それだけでいいのか?」
「うん、戻ってきていい、ってマスター言ってくれたし、これぐらい残したほうが戻ってくるきっかけになると思うから」
「違いねぇ、お前集中すると目の前のこと以外忘れるからな」
「む、失礼ね…。」
「今さっきやってた行動がまさにそうだろ。」
「けど出発は明日にしたわ」
「そういう問題じゃないってーの、ったく。出発に日程について、俺の意見は聞かないわけ?」
「そういうわけじゃないけど…」
「けど?」
「…来てくれるんでしょ?」
「当然」
「ふふ、ありがとう、あ、そうだ。日記書かないと…」
今日までのこと、今日決めたこと、これからのことの全てを、思いつくがままに名無しは改めて日記に書き連ねた。
最後のページまで、思ったことを全て書いて。
名無しはジュード達との不思議な旅に、自分自身で一つの終わりをしっかりと作った。
翌朝、二人はまとまった荷物を持って受付けに立っていた。
受付には、いつもの店主と料理番、そして名無しが摘んだアイリスの花。
変わっていない大切な景色を、名無しはじっと見つめた。
そして、勢いよく部屋の鍵を店主に預けて笑顔でいう。
「それじゃあ、行ってきます!」
大きく手を振って名無しはドアを開けた。
あの時と同じ場所で、別のスタートを名無しは始めた。
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