1章
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「あー。だめだだめだ、名無し。大量キャンセルだ」
「え?なんでまた急に…」
「なんでもなにも、イル・ファンからの船が全便休航になったんだとよ」
「えー…一体なんで…、いつ復旧するんです?」
「さあな、とにかくキャンセルくらった駆け込み組に備えるしかねーな…頼めるか?」
「はーい、マスター」
リーゼ・マクシアでもっとも霊勢の安定している流通拠点、イラート海停。
船の往来が激しい賑やかな港の宿屋で、急変した予定を新たに組み直している女性の姿がそこにはあった。
彼女は『名無し』。
数年前からこの宿屋に勤めている、よく笑いよく働くと評判の者である。
年齢は20代前半、まだまだ遊び盛りである年齢にも関わらず、今日も名無しは手際よく仕事をこなしていた。
そして勤め先である宿屋は、突如不幸な知らせを受けマスターが顔をしかめていた。
帝都イル・ファンからの船が全便休航となり、予定した客が全て来れなくなってしまったのだった。
先ほども言ったようにここイラート海停は、リーゼ・マクシアの中で最も大きな交流拠点を持つ港。
この場で航海が止まる、ということは国家的経済影響がある可能性が否めないほどである。
世界規模の極悪人でも出ない限り、こんなことは滅多にない。
名無しの働く宿屋はもちろん、金の流れるところすべてにおいて、この突然の事態は驚くべき事態であり行商人にとってはとんでもない悲報であった。
しかし、ここいる名無しは、そんな悲報をあまり大きな事態とは思っていないようだった。
なにも無いよりは仕事がある方が十分に楽しいし、充実した一日になる。毎日単調に仕事をこなしているだけでは毎日がつまらなくなってしまう。
当然名無しはこの仕事が好きで続けているが、年頃の娘である。刺激的な何かがほしいのは当たり前である。
夕刻。
事のごたごたが少し収まったかと思われた頃、名無しの働く宿屋もようやく仕事をこなせるまでにスケジュールがまとまり、ようやっと客を案内するところまでに落ち着いた。
帝都からの最後の便が来るということで、貴重な客を出迎える準備にはいっていた。
名無しは最後の仕上げに、と宿の受付の花を変えようと花瓶を手に取った。
アイリスの花が一輪、カウンターの隅に小さな色を添えた。
うん、綺麗、そう小さく呟き名無しも自身の持ち場に戻ろうとしたその時、食事側の受付から調子の狂う声が聞こえた。
「あっれぇ?おかしいなぁ~…?」
「どうかしました?」
「あ、名無し、いやね、今日の夕方にあった予約に備えてた食材を他の所に分ける手配だったんだけど、どーも何かの手違いでうちにどっかからの食材が届いちまったんだよ」
「え、それって…」
「困ったよなぁ、どっからきたのかわからんし、一時的とはいえこの在庫量はちょっとなー、今からどっかかけあうにしてもイル・ファンに送れないってなると大分な。ハ・ミルに送るようじゃボランティア同然だし、どうしたもんか…」
「ボランティアって、それは流石に…」
「ん?おいおい、そんな顔しないで、冗談冗談…っと、んん?あ、なんだこれ単純にサマンガン行きの間違いじゃないか、なんだなんだ、ってことで名無し、ちょーっと手配で出たいんだけど、受付任せてもいいか?」
頼む、と料理受付番は手を合わせて神頼みの様に名無しに言う。
完全に置いてけぼりの状態で話を進められ呆れる点もあったが、事態は思ったほど複雑なことでなくほんの数分で済むというのはすぐに理解できた。
自分の仕事は大かた片付いてしまっているし(と、言うよりもほとんどがキャンセルと言う形でなくなったしまった)、これからやる事といば酒場の手伝いだけなので、多少受付に時間を取られたところでなんら支障はない。
むしろ仕事になるのだ、手持無沙汰の名無しにとっては断る理由がない。
仕方ないと思う反面、少し喜んでる自分がいるのに気がついた時には受付番に肩を叩かれた後だった。
「よろしく頼むよ!あーそうだそうだ、料理人も船の関係で遅れるみたいだから、もし料理頼まれたら断っていいから!」
「え?!それ、私がいる意味あるんですか?」
「あるあるー!きっとなー!じゃ!」
「ちょ、ちょっと!」
はめられた、荷物の事は当然なのだが、これに事付けてサボるつもりだったのか…後悔先に立たず、仕方なく出口へ駆ける受付番に手を振った。やるならやるしかないか、っと腹をくくりカウンターに目を向けるとすぐ横に客がいたのだと言うことに気がついた。
いけない、お客がいる前で気を抜いてた…。
もう一度店内を見回し、もう仕事なのだと気合を入れ直す。
直ぐに客に目を向け名無しは客の存在を確認した。
男性二人と、今にも倒れそうな露出の高い女性。
怪我でもしたのか、それと船酔いをしたのか、それとも別の理由なのか。
そして二人の男性とはどんな関係なのか。
どういったお客なのかと一人で想像を膨らませて楽しんでいると、そのうちの一人が名無しの元に近づいて声を掛けてきた。
「って、ことでとりあえず料理頼んでいいかい?お嬢さん」
一行の中で背の高い茶髪の男性が、同行者の女性を指差して料理を求めた。
どうやら女性は空腹で限界の様子であった。
しかし、現在料理人は到着していないため、この男性の爽やかな笑顔には簡単に答えるわけにはいかなかった。
「すみません、今料理人がいなくて…」
「だ、そうで…ってダメだこりゃ…」
茶髪の男性の視線の先にいた女性は、名無しの言葉を聞く前にさらに力なくその場に倒れこんでしまった。。
支えていた黒髪の少年が、女性を茶髪の男性に預け、名無しに遠慮がちに話しかけた。
***
「あの、厨房って貸してもらえませんか?」
「え?厨房?」
なるほど、料理人がいないのならば自らで調理するというのか。
女性の雰囲気をみる限り今すぐにでも貸してあげたいのは山々なのだが、ここは名無しの店というわけではな。善意だけで返事をしてはいけないのが当然である。
答えに渋っていると名無しは、受付の奥にいた男性と目があった。
すると隅で話を聞いていた男性は笑顔をみせ、名無しに話しかける。
「まぁ、名無し、お前も行けば問題ないんじゃないか?」
「そういう問題でしょうか?」
「部外者っていい方は失礼だが、そいつだけ入れると色々と問題だろうけど、関係者がみてるんならいいだろう。『客を餓死させた宿屋』なんて異名がついたらたまったもんじゃないからな、はっはっはっ!」
「マスター簡単に言いますねー…。けど、そっちの方が助かります。放っておけないですしね。」
「ありがとうございます、アルヴィン、ミラと適当に座って待ってて」
「ん?おぉ、はいよ、期待してるぜージュード君、…と名無しさん?か」
「はい、すぐ作ってきますから。当店自慢の料理お持ちしますね」
名無しはひらひらと軽く手を振り、茶髪さんと腹ペコさんを視界の端に送りながら黒髪少年の手を引いて調理場へと消えていった。
調理時間の間、名無しは黒髪少年とお互いについて話をすることにした。
彼の名はジュード・マティス。イル・ファンで医学生をしているらしく、先ほどのイル・ファンの最終便でこちらに来たとのことだった。
女性の名前はミラ、茶髪の人はアルヴィンという名前だという。二人とは、成り行きで知り合ったばかりで、友人や旅仲間ではないのだという。
初めて会う人との会話はあっという間で、互いの自己紹介だけで時間が過ぎてしまう。
料理を作る時間ではその時間はあまりにも短すぎるが、料理を作るという目的には十分すぎる時間だった。
出来上がった料理を名無しが器用に持ち席に運ぼうとすると、それを気遣いジュードがいくつか持とうとしたが、大丈夫、と名無しは一言笑顔で言いそのままミラ達へ食事を運んだ。
その後をフォークとスプーンを抱えたジュードが慌ててついて行った。
「はい、お待たせしましたお客様」
名無しは店員として食事を並べた。
後ろをついてきたジュードを素早く客として案内し椅子につかせ、どうぞお召し上がりください、と一礼した後に名無しも椅子に着いた。どうやらジュードと料理をしている間に担当の者たちが宿に着いたようで、料理を運ぶ際、店主がその事を名無しに伝え、ついでに今日の仕事はもう終いだと言われたのであった。
折角の機会だ、このまま食事をとりながらもう少し彼らと話していようと、名無しは同席で食事を取ることにした。
料理が並ぶなり、美味しそうな香りにミラが起き上がり食事にがっつきだした。
見ていてとても気持ちの良い食べっぷりは、名無しやジュード達の空腹を刺激した。
「見事な食べっぷりで…」
「僕達も食べようか?」
「んじゃあいただくか…、お、美味い」
「あ、美味しい、ジュード君料理上手なんですね」
「僕はそんなんじゃ…」
「なに?おたくらもう仲良しなわけ?」
調理の時間の間にいつの間にか名前を呼び合う仲になった二人をみて、アルヴィンが二人を茶化し始めた。少し頬を染め否定するジュードに対し、名無しはくすくすと笑いながらそれを受け流し淡々と調理場での出来事を話しだした。
「さっき、料理してる時に色々聞かせてもらっただけよ。貴方がアルヴィンさんで、貴女がミラさん、ですよね。私、名無しです。よろしくね」
「んむ、よくわからんが、よろしく頼む名無し。」
握手を求めて名無しが手を出すとすぐさまミラがスプーンを置き名無しの手を握った。
間に挟まれたアルヴィンが握られた二人の手に自分の手を添えてよろしく、と軽く言うと、よろしく、と名無しも再度アルヴィンにむけて言った。
手を離すとミラはまた食事を続けた。
彼女がまるで子供のように食事に夢中になっているため、名無しはその姿に目を丸くした。
そんなに空腹だったのだろうか?
驚きを隠せずアルヴィンとジュードをみやると二人も同様にミラの姿をみて少なからず驚ろいているようだった。
なんとなく成る程と思い安心感を覚え、名無しは席を立った。
「お水持ってきますね」
「あ、だったら僕が…」
「ふふ、慣れてるから気にしないで」
自宅の冷蔵庫に飲料を取りに行くように名無しは食事の席を離れた。
名無しが水を持って戻ってきた頃には、ミラが机に額をくっつけ幸せそうに眠っている姿と、ミラをみてどうしたものかといた表情をしているジュードとアルヴィンの姿があった。
必要だったのは水ではなく、部屋の準備だったか。
席に戻る前に名無しは受付に行き部屋、ミラ達を指差して店主に部屋の準備を催促する。すると店主が名無しの口角が上がっていることを指摘してくる。
「名無しどっちかに惚れたか?」
「もう、またそれですか?無いって知ってるでしょ。もう。おもしろい人たちだなーって思って」
「またそのおもしろい人、か。年の近い友達もいないお前は、なんでも面白いってーのか?」
「なっ!ひどい!そんなんじゃないですってば!」
「ははは、けど今日はお前はもう上がりだ。鍵は渡すが、部屋は用意してやるなよ?」
「わかってますって、私はただおせっかいしたいだけですから」
「ははは!違いねぇな」
ほらよ、と店主が名無しの手の中に鍵を放り投げると、名無しは嬉しそうにそれを受け取る。
鍵の音を鳴らして三人のいる席へ浮いた足取りで向かう。アルヴィンが既にミラを背負っているのが遠目から見えていたので、あまり近寄らず向こうも名無しに気がついたのかお互い中間地点になるであろう場所まで進んだ。
名無しが鍵は受けとったが、部屋の準備ができてない為直ぐに整えるというと、アルヴィンが名無しのおせっかいを断った。
「大体は綺麗に整ってるんだろ?だったらそれでいいよ、俺も、早くこの大きいお姫さん寝かせて寝たいし、正直くったくただし。なによりあんた上がりなんだろ?世話にはなれねぇよ」
「え、でも、いいんですか?」
「いいっていいって、女の子の手を煩わすなんて男として最低だろ?」
「私の場合、仕事で慣れてる事ですから気にしなくても大丈夫ですよ?」
「職業病ってやつかい?それとも、そこの少年と似た病気か?」
「へ?それってどういう意味…」
「なんでもないよ、鍵と飯、さんきゅな」
「名無しさん、今日はありがとう、すごく助かりました」
「おーい、ジュード君ー、手伝ってくれよ」
「うん、わかったよアルヴィン、今行く!っと、それじゃあ、また」
「はい、お休みなさいませ、お客様」
部屋の奥へと消える三人をみて、名無しも今日を終わらせる準備に入った。
名無し自室。
一日を終えるため、日課である日記を名無しはつけている。
なにかが動いた日、今日はそんな予感がなんとなく名無しの胸の中にあった。
バタバタしたせいか素敵な一日だった気がする、わくわくした気持ちを手帳に書き連ねると、気持ちが高揚してたまらなかった。この気持ちはなんだろう。
とても、気持ちがよかった。
この気持ちを忘れないうちに、寝てしまおう、そしたらきっと素敵な夢が見れるはず。
そう思い名無しは布団に潜った。
「そういえば、あの人…オレンジのスカーフしてたな…、只のお洒落かな…、気にしすぎかしら…」
もう一度三人を思い浮かべ、昔の記憶に引っ掛かったものを一瞬重ねたが、今までその記憶と照らし合わせたところで的中したことなどなかったのを思い出し、なんということはないと思い、再度布団に深く潜った。
こうして、名無しのこれからを始めさせてくれる一日が終わった。
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