2章
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「おはようございます、レティシャさん」
「あらおはようございます、アルフレド、アルフレド?先生がいらしたわよ?」
「大丈夫ですよ、恥ずかしいんでしょうね」
「折角レッスンに来てくださったのに、ごめんなさいね」
「構いませんよ、レティシャさんとお話しできれば楽しいですから」
「あらあら、ありがとうございます」
レティシャと今ではない会話をするようになってから一週間、始めこそ苦戦したが話していると全て昔にあった出来事がレティシャの中でランダムに引き出されているということがわかった。
それがわかってから、名無しはレティシャの世話をするたびにアルヴィンの過去に触れることができたため、それが嬉しくもありレティシャの世話に苦痛を感じることはなかった。
勝手に人の過去を、と思われるかもしれないがレティシャの容態を一番わかっているのはアルヴィンである。
こういったことも承知で名無しに押し付けたのだろうと時折感じる罪悪感をそういった気持ちで圧し殺した。
薬を用意しレティシャに差し出すと、昔から体の弱かったらしく、彼女の中で薬を飲む習慣ができているようでなんの抵抗もなくそれを飲む。
レティシャが薬をのみ終えるのを確認し名無しは片付けをする。
「よし、始めようかな、レティシャさん、お掃除するんであちらで休みましょうね」
「そうだわ、アルフレドから手紙が来てたのよ、あの子ね學校であったこと沢山書いてくれるの、お返事書かなきゃ寂しくて泣き出してしまうわ」
「手紙?」
「たしか…どこだったかしら、枕元においたと思うのだけれど、バラン悪いけどとってもらっても良いかしら?」
「持ってきますから、待っててくださいね」
言われた通りに枕元の引き出しを探すと、そこにはたくさんの手紙が入っていた。
レティシャの様子からは信じられないほど返事を書いたものとそうでないものが綺麗に保管されていた。
中を見ないよう、その手紙の山から返事を書いてないと思われるものを何枚か持ちレティシャに渡すと、レティシャは嬉しそうに微笑んだ。
レティシャを横に名無しは掃除をするために窓を開けると同時にいつしかの白い鳥が部屋に入ってきた。
見覚えのある鳥をまさかと思いみると、足にはやはり手紙が巻いてあった。
それを外しレティシャに渡すと、レティシャの表情がとても晴れやかになった。
鳥を撫でながらレティシャがまっててね、と鳥に話しかけると言葉を理解したのは鳥は大人しくレティシャの前で落ち着きだした。
不思議な光景を見ながら名無しは掃除をする手を進めた。
布団を干そうと思い布団を持ち上げるとレティシャに話しかけられた。
「ねぇ、あなた。アルフレドがね、お手伝いさんにってお手紙だしてくれてるわ、受け取ってちょうだい」
「私宛にですか?ありがとうございます」
「手を止めて返事を書くといいわ」
「あっとっ…じゃあこれ干したら」
レティシャにすすめられ急いで布団を干し、手紙を受け取った。
通常に会話できているように思えるが、決してそうではなく名無しが彼女のペースに合わせているだけである。
彼女は彼女の時間で生きており、その流れを乱すことは決してやってはいけない事だった。
まだ掃除は終わっていないのだが、これが相当な対応なのである。
手紙を受け取った名無しはレティシャとは別の場所で手紙を読むことにした。
中を見ると、レティシャの様子を尋ねる内容とイル・ファンに関する情報はなにもないということだった。
そしてジュードの父親に関する事が最後に書いてあった。
なぜこのような内容を書く必要があるのだろうと疑問を抱きながら読み進めていくとジュードの父親の名前を読み見覚えのある名前だと名無しは気がついた。
「ディラック・マティス…」
名無しはその名前をはっきりと覚えていた。
アルクノアの集落にいた時に、何かあれば面倒を見てもらっていた医師の名前である。
ジュードの名前を聞いた時に、ファミリーネームまでは聞いていなかったためこの事実に名無しは驚いた。
しかし、なぜアルヴィンがその事をわざわざ知らせてきたのか。
レティシャの様子を見せるためなのかそれとも…。
「どこでどうやって調べたのかしら…父様達以外は私と当人しかしらないのに…」
「マリーさん?お手紙出そうと思うのだけれど」
「あ、すみません、すぐに準備します」
マリーさんというのは過去に実際にレティシャの世話をしていたメイドのことらしく、時々名無しはこのマリーさんにならなければならない。
マリーという人物がどういう人なのかわらないが、このマリーになることで事がスムーズに運ぶのは事実であった。
レティシャに催促され、名無しは急いで手紙の返事を書いた。
直ぐに思いついたことだけを簡単に書いて小さく折り鳥の足に結わいた。
レティシャの分も結わくよう頼まれたので名無しはそちらが先に読まれるように自分の手紙の上に結んだ。
お願いね、とレティシャの一言を合図に、鳥は届け先の人物に向かって元気よく飛んで行った。
段々と小さくなる白い一点を見つめ、名無しは掃除を再開した。
今日レティシャを寝かしつけるまでの事を終え名無しはイスラの家に戻った。
いつも通り、イスラは名無しより先に帰ってきておりほんのりと香る夕飯の匂いが名無しの帰りを先に歓迎した。
「ただいま戻りましたー」
「おかえりなさい、名無し」
名無しの帰りをイスラが笑顔で迎えた。
普通に考えれば、名無しは厄介者であり追い出したい人物なのは間違いないのだろう。
もしかしたら逃げられるかもしれない、そういった気持ちからイスラは自然と名無しに優しく接するようになっていた。
名無しもそういうことだろうという事はなんとなく想像できていた。
しかし名無しとしてはレティシャの世話をする事に苦痛は無いため、逃げようという気持ちは一切なかった。
どちらかというと、どうすればその気持ちが伝わるだろうという事に思考を働かせている。
だが、イスラ自身も根幹からの気持ちでもなく一週間自分を解放してくれているという感謝はしている。
「お疲れ様、このままあなたがずっとやってくれるって信じてるわ」
「…アルクノアのやり方は私も嫌いですから、それに関わる人が少しでも楽になるなら嬉しいですよ」
「お願い、お願いだから突然いなくならないで頂戴ね」
「あの、どうしてそこまで…、アルクノアの味方をするわけじゃないですれど」
「理由が無いと続けられないって事かしら」
「いえ、ただ…」
「いいのよ、そうね、頼むんだものそれぐらい話すわ…その前に、お風呂済ませてきちゃいなさい」
「あ、はい、ありがとうございます」
言われるままに風呂を済ませ、名無しは食卓につく。
食事をしながら、イスラは自分の事を少しずつ話しだした。
初めに、あることをアルクノアに握られているというのを確認され名無しがうなずく。
そのあることと言うのは話してもらえなかったが、表だって胸を張れる事でないのは念を押されたので十分伝わった。
イスラはそれを婚約者にバレてしまうことを恐れているということだった。
アルクノアと繋がっている事もばれてしまえば必然的にその事を知られてしまうため、この仕事から早く手を引きたいそうだった。
食事をする手をとめずに、名無しはその話を聞きイスラが答えを待っているのをわかっていながら名無しは沈黙を守った。
夕飯をたいらげると、名無しはイスラの話について答えた。
「大丈夫、だと私は思います」
「え?」
「恋する乙女は片手で竜をも殺す、って言葉しってますか?」
「いえ、初めて聞いたけれど…それが?」
「イスラさんは、自分の幸せのために結婚したいんですか?」
「そんなの決まって…!」
「じゃあ、イスラさんの婚約者さんの幸せってなんでしょう」
「え…それは…」
「イスラさんを幸せにすることなんじゃないかな、って。勝手な想像ですけど。こういう今の悩みもきっとその人は相談してくれるの待ってると思います」
「それでも、私は嫌なのよ…話したくないのよ」
私の気持ちなんかわからないくせに、そう言い放つとイスラは机を思い切り叩いた。
衝撃で食器が落ち甲高い音を立てて割れた。
当たり前のように名無しが直ぐに食器の欠片を集め出す。
イスラはそれをきつく睨んだが、名無しはひるむ事は無く平然を装ってるのか作業を続けた。
「はい、だから私に押し付けて逃げたいんですよね」
「それの何が悪いの!」
「悪くないです、さっきの言葉、恋する乙女は幸せを得るためならなんでもできる、愛する人のためなら、なんでもっていう意味です」
「…」
「イスラさんもそう、大切な人のために、幸せになるために目の前の手段をとっただけ」
「随分と、都合のいい言い訳があるものね…」
「私も、そうですから…、アルに利用されてたとしても都合のいいように自己解釈してるから…」
「…そうなのね、…ごめんなさい興奮しちゃって。手怪我してない?片付けるわ」
「いえ、イスラさんと話せてちょっと嬉しかったです」
「貴女、損するわねきっと」
「損した時に考え直しますから」
2人で食器の片付けをしながら、お互いに笑いあった。
イスラの言う通り、都合のいい言葉を名無しは使っている。
イスラの言う通り、名無しは損をしているだろう、自分が望まない方向に気がついていても黙って目を伏せて転がっていっているかもしれないだろう。
どこか、名無し自身そういった不安はずっとあった。
イラートを旅立ってから、いやもっと前からその気持ちは抱えていた。
しかしだからと言って名無しは立ち止りたくなかった。
進んだ先が例え崖だったとしたら、そこにまず落ちてみて新しい道を探す手段を選ぼうと決めていたからだ。
落ちた事が正解かもしれない、どうせ戻ることはできないのだから。
***
~一週間後
イスラに仕事を任されてから今日で二週間ほどになる。
シャン・ドゥでの生活もだいぶ板についてきて、街並みもそれなりに把握できてきた。
買い物をしてるうちに、いくつかの商店の人と仲良くなる事も出来それなりに充実した日を過ごす事ができていた。
レティシャの家に行く前に、なにか買い物をしておこうと思い商店区によると普段よりもぐっと人の数が多い事に気がついた。
果物を売っている店のおじさんに名無しは話しかける。
「よう、名無しちゃん、もうここは慣れたかい?」
「はい、お陰さまで!それにしても…この二三日ですごい人が増えましたね、いつもはこうなんですか?」
「いやいや!もうあと数日で待ちに待った闘技大会の日だよ!」
「あぁ…もう、そんな経ったんだ…」
「俺たちにとっては稼ぎ時だよ、帰り人につぶされるなよ」
「気をつけます!それじゃあ頑張ってくださいね」
果物屋のおじさんに別れを告げ、人混みを分けて名無しはレティシャの家へと向かった。
闘技大会本番となると、もうすぐワイバーンを貸してもらえる時期になる。
あの時はそんなに待つのかと落胆したが、実際過ごしてみると大した時間ではなかったものだと名無しは笑う。
もしワイバーンを貸してもらえるのだとしたら自分はこれからどうなるのだろう。
アルヴィンと話した限りでは、今後の名無しの行動はアルヴィンに任せる事になっている。
このままレティシャの世話をするのも悪くない、そんな考えが名無しに浮かんだがやはり自分で動きたい気持ちの方がまだ勝っていた。
しかし同時に、自分が此処を離れればレティシャはどうなってしまうのだろうという不安も同時に生まれた。
アルヴィンが戻ってくるまで、この話はきっと解決しないだろう。
ため息を小さくついて、レティシャの家に今日も名無しは訪れた。
部屋に入るなり窓を開け、外の様子が見えるようにしレティシャに話しかけた。
「賑やかですねーレティシャさん、闘技大会なんですって」
「こんにちわ、今日は賑やかね、トリグラフのお祭りは今日だったかしら」
「今日みたいですよ、あとでアルフレド君と一緒に御出掛しますか?」
「そうね、あの子きっと喜ぶわ…」
変わらず虚空の時間をすごくレティシャとの会話を名無しは交わした。
炊事、洗濯、清掃、そしてレティシャとの会話。
一日の決まったローテーションをこなしていると、一週間前に出たきりの鳥がレティシャの膝に止まった。
その来訪にレティシャは喜び名無しをマリーと呼び手紙を取らせる。
急かされて名無しがレティシャに手紙と返信用の便箋を渡した。
今回は名無し宛に手紙が無いようで、少し寂しかったがしかたがないと諦める。
レティシャが手紙を読みながら、楽しそうに名無しに内容を伝えた。
相槌を打ちながら、名無しはお茶を入れる。
とても穏やかな時間が流れていたその時だった。
大きな音、と表現するにはあまりにも表現しきれないほどの音が突如外から聞こえた。
急いで窓から身を乗り出し外をみると、入口付近で大きな崖崩れが起きいた。
岩の直ぐ近くにはたくさんの人が居るのが見えた。
その群衆の中に、見覚えのあるような姿が見え名無しが目を凝らしている時、名無しの背後からレティシャの悲鳴が聞こえた。
「ああああああ!」
「!!レティシャさん?!」
「あぁ!あなた!どうして!お願いあの人を助けて!お願い!」
「レティシャさん?どうしたんですか?!」
「何してるのよ!あぁ!貴女のせいよ!あの人があの人が!!どうして助けてくれなかったの!」
大声を上げながらレティシャが名無しを罵倒しだした。
先ほどの音をきっかけにパニックを起こしているようで大分レティシャは錯乱していた。
この二週間、そういったことなど一度も起きなかったため名無しはどう対処していいのか慌てる。
一体何の事を言っているのだろう、まずはそこから理解しなければならないのだが理解する前にレティシャの次の言葉が飛び込んでくるためどうしていいのかわからなくなる。
誰を助けなければならないのか、あの人とは一体。
痩せ切った細い体のどこからそんな力がでてくるのだろうと、思うほどレティシャは名無しの腕をきつく掴んでいた。
人殺し、悪魔め、そんな言葉をずっと浴びせられながら名無しは必死に考えた。
「大丈夫です!誰も、誰も亡くなってないですから、だから!」
「あの人はどこなの!嘘言わないで!!」
言葉と共に名無しの体が思い切り跳ね飛ばされた。
視界が動くのを認識する間もなく、体が床に打ち付けられると同時に名無しの視界を木材が支配した。
あまりに突然だったため受け身を取ることができず、胸部から腹部にかけて強打したようだった。
一度胸部が強く圧迫されたため、呼吸が乱れたが深く呼吸をし落ちつこうとする。
何度かせき込むと、打ち付けた時に口内を噛み切ってしまったようで口の中に血の味が混ざった。
「レティシャさん…けほっ」
体を無理やり起こしレティシャの名前を呼ぶ。
もう一度罵声が飛んでくると思い名無しは顔をあげた。
すると、目の前には先ほどまで錯乱していたレティシャの姿は無く、床に這う名無しを心配するレティシャの姿があった。
どうしたのか、何があったのか、貴女は誰なのか、医者をよぶのか
優しい言葉ばかりが、名無しに降ってきた。
元に戻った安心感と、どうしようもできない自分への嫌悪感、そしてレティシャへの恐怖が混ざり、大丈夫と言おうとしても言葉が出てこなかった。
名無しの様子をみて、レティシャがそこにいない息子に助けを求めて声を上げ出した。
呼んでも彼はこない、名無しの中で誰かがそう言った。
バタバタと忙しいレティシャの足音だけが部屋に響きやけに耳触りに感じた。
立ち上がる気力もなく、壁にもたれて目を伏せていると玄関から音がした。
レティシャが外に飛び出したのだろうか、焦りを感じ反射的に立ち上がろうとすると痛みが走り前に倒れそうになったがそれを支えるものがそこにはあった。
「名無し?どうした?!」
聞き覚えのある、成人男性の声だった。
顔を確認するまでも無く、名無しは声の主に返事をした。
「それよりも、おばさま…今どこにいるの…」
「直ぐ目の前、帰ってくるなり助けてくれって、何があった?」
「貴女、大丈夫?お医者さまきてくださったのよ、しっかりして」
「レティシャさん、もう大丈夫ですから。あとは俺が…」
「お願いします、お大事にね」
「ありがとう、ございます」
名無しが礼を言うと、レティシャは部屋の奥に消えていった。
きっと、こっちに戻ってくる時は今起きた事は忘れているだろう。
喜ぶべきことではないのだが、名無しは今その事実にありがたみを感じた。
覚えてくれてない方が、彼女を恨まずに済むからであった。
そして、名無しは突如帰ってきた人物に言葉をかける。
「おかえり、アル」
「今はそんなことより座っとけ」
「あぁー…うん、ありがと」
「何があった?」
「それはこっちの台詞よ」
「どういう意味だ?」
「崖崩れ、あれしょっちゅう起きてるの…?」
「さあな、仕事で滅多にこっちには帰ってこない」
「そう…」
「で、おたくの話しがまだなんだけど」
「崖崩れの音で、おばさまが突然混乱しだして…落ち着かせようと思ったら」
「怪我は?」
「口の中ちょっと切っただけ、後は問題ないわ」
「そうか」
そういうと、アルヴィンは名無しの手を強く握った。
たった二週間しか離れていなかったというのに、やけのその感触が懐かしく思えた。
感触だけではない、顔、声、香りに至るまで、なにもかもがそう思えた。
自分は今とことん弱いと、名無しは自分自身を卑下にした。
こんなにも彼が傍にいるのが安心するものなのだと思い、名無しは目の前の存在を抱きしめた。
「なんで黙って行ったのよ…」
「手紙、イスラから貰ってないのか?」
「もらった、もらったけど…そう、これ、どうしろっていうのよ」
名無しがポケットからアルヴィンの手紙に同封されていたアンクレットを取りだして突き出した。
「どうしろって、そりゃお前…」
「察しろって言いたいのはわかるけど、これは、言ってもらいたいな」
「…やるよ、その、カラハ・シャールで見てたのと似てるだろ、同じもんじゃねーけど」
「うん、大切にする、それと…」
「?」
名無しが右手を振って平手をアルヴィンの頬に当てた。
比較的良い音が鳴ったが、音の割には痛みは無く名無し自身ももっとちゃんと当てたつもりだったようだったがそれは大した平手打ちにはならなかった。
しまりが悪いことに、どう言葉を出そうか名無しが考え顔を見られない様アルヴィンの胸に顔を埋めて悔しそうに言った。
「今度はこれより強いから…」
「そうならないよう気をつけるよ、名無し、ただいま」
「ん、おかえり」
アルヴィンの手が名無しの顔に触れ近づく。
あと少しで唇が触れるだろうところで、名無しが思い出したように立ち上がりアルヴィンが変な動きをとった。
名無しが何をしているのかと不思議そうな顔で尋ねたが、なんでもないとふてくされ流す。
アルヴィンの返事を聞いたあと、名無しは窓の外をもう一度見た。
すると、先ほど落下してきた岩を住民達が川に落としている姿が見えた。
先ほど、ミラとジュードの姿がそこにあった気がしたのだが気のせいだったのだろうか。
周辺を見渡してもそれらしい人物が見当たらず名無しは落胆した。
あの怪我だ、むしろ居る方がおかしいというものだ。
ミラに会えないのは寂しいが、仕方が無い。
名無しはレティシャの様子を見に行こうと部屋の奥に行こうとしたがアルヴィンに止められる。
「アル?」
「行くぞ」
「え、行くってどこ…」
「いいから…っと、レティシャさん、この人病院連れて行きますね」
「あら?どなた?お客様かしら?」
「工事の者です、作業終わったので失礼します」
「あらあら、お疲れさまでした」
話を作り、レティシャに一礼するとアルヴィンが名無しをひっぱって外にでた。
そのまま説明をする事もなく、アルヴィンは進んで行った。
事情もわからず、名無しはとりあえずついていく。
アルヴィンについていくと、向かった先は二週間前にも訪れたワイバーンの檻の前だった。
檻の前には、以前話をした男と他に数人。
金髪の長髪の女性、黒髪の少年、不思議な人形を持った女の子と白髪を結った老人、そして見た事の無い女の子。
その集団にアルヴィンが躊躇なく話しかけ歩み寄る。
アルヴィンに気が付き、皆がその方向をみると、全員の顔をしっかりと確認することができた。
「ミラ…?」
「名無し、なぜここに居る!」
「俺が見つけてきたの、感謝してくれよ?」
「どこに行ったのかと思ったけど、アルヴィン、名無し探してくれてたんだ」
「名無しー!会いたかったよー!」
「名無しっ元気でした、か」
「わわっちょっとティポそんな顔に擦り寄られたらっ」
「お元気そうでなによりです、名無しさん」
「ローエンさん、はい、ローエンさんも元気で」
それぞれが順を待たずに再開の挨拶を交わしのでその場は賑やかなものになったが少し収集がつかなくなり、部族の人達が話を進めてもいいか言ってきた。
そのうちの一人とは名無しは面識があったため、ワイバーンについての説明を受けた。
どうやらミラ達もこのワイバーンを求めてきたようで、代行で部族の代表として出てくれればワイバーンを貸してくれるという話になったということだった。
大会の日取りと、時間を改めて詳しく説明しではまたと言って部族の人たちはどこかへ行ってしまった。
会っていなかった数日の話と、後ろでそわそわしている茶髪の女の子と挨拶をするために一行は場所を変えることにした。
「あらおはようございます、アルフレド、アルフレド?先生がいらしたわよ?」
「大丈夫ですよ、恥ずかしいんでしょうね」
「折角レッスンに来てくださったのに、ごめんなさいね」
「構いませんよ、レティシャさんとお話しできれば楽しいですから」
「あらあら、ありがとうございます」
レティシャと今ではない会話をするようになってから一週間、始めこそ苦戦したが話していると全て昔にあった出来事がレティシャの中でランダムに引き出されているということがわかった。
それがわかってから、名無しはレティシャの世話をするたびにアルヴィンの過去に触れることができたため、それが嬉しくもありレティシャの世話に苦痛を感じることはなかった。
勝手に人の過去を、と思われるかもしれないがレティシャの容態を一番わかっているのはアルヴィンである。
こういったことも承知で名無しに押し付けたのだろうと時折感じる罪悪感をそういった気持ちで圧し殺した。
薬を用意しレティシャに差し出すと、昔から体の弱かったらしく、彼女の中で薬を飲む習慣ができているようでなんの抵抗もなくそれを飲む。
レティシャが薬をのみ終えるのを確認し名無しは片付けをする。
「よし、始めようかな、レティシャさん、お掃除するんであちらで休みましょうね」
「そうだわ、アルフレドから手紙が来てたのよ、あの子ね學校であったこと沢山書いてくれるの、お返事書かなきゃ寂しくて泣き出してしまうわ」
「手紙?」
「たしか…どこだったかしら、枕元においたと思うのだけれど、バラン悪いけどとってもらっても良いかしら?」
「持ってきますから、待っててくださいね」
言われた通りに枕元の引き出しを探すと、そこにはたくさんの手紙が入っていた。
レティシャの様子からは信じられないほど返事を書いたものとそうでないものが綺麗に保管されていた。
中を見ないよう、その手紙の山から返事を書いてないと思われるものを何枚か持ちレティシャに渡すと、レティシャは嬉しそうに微笑んだ。
レティシャを横に名無しは掃除をするために窓を開けると同時にいつしかの白い鳥が部屋に入ってきた。
見覚えのある鳥をまさかと思いみると、足にはやはり手紙が巻いてあった。
それを外しレティシャに渡すと、レティシャの表情がとても晴れやかになった。
鳥を撫でながらレティシャがまっててね、と鳥に話しかけると言葉を理解したのは鳥は大人しくレティシャの前で落ち着きだした。
不思議な光景を見ながら名無しは掃除をする手を進めた。
布団を干そうと思い布団を持ち上げるとレティシャに話しかけられた。
「ねぇ、あなた。アルフレドがね、お手伝いさんにってお手紙だしてくれてるわ、受け取ってちょうだい」
「私宛にですか?ありがとうございます」
「手を止めて返事を書くといいわ」
「あっとっ…じゃあこれ干したら」
レティシャにすすめられ急いで布団を干し、手紙を受け取った。
通常に会話できているように思えるが、決してそうではなく名無しが彼女のペースに合わせているだけである。
彼女は彼女の時間で生きており、その流れを乱すことは決してやってはいけない事だった。
まだ掃除は終わっていないのだが、これが相当な対応なのである。
手紙を受け取った名無しはレティシャとは別の場所で手紙を読むことにした。
中を見ると、レティシャの様子を尋ねる内容とイル・ファンに関する情報はなにもないということだった。
そしてジュードの父親に関する事が最後に書いてあった。
なぜこのような内容を書く必要があるのだろうと疑問を抱きながら読み進めていくとジュードの父親の名前を読み見覚えのある名前だと名無しは気がついた。
「ディラック・マティス…」
名無しはその名前をはっきりと覚えていた。
アルクノアの集落にいた時に、何かあれば面倒を見てもらっていた医師の名前である。
ジュードの名前を聞いた時に、ファミリーネームまでは聞いていなかったためこの事実に名無しは驚いた。
しかし、なぜアルヴィンがその事をわざわざ知らせてきたのか。
レティシャの様子を見せるためなのかそれとも…。
「どこでどうやって調べたのかしら…父様達以外は私と当人しかしらないのに…」
「マリーさん?お手紙出そうと思うのだけれど」
「あ、すみません、すぐに準備します」
マリーさんというのは過去に実際にレティシャの世話をしていたメイドのことらしく、時々名無しはこのマリーさんにならなければならない。
マリーという人物がどういう人なのかわらないが、このマリーになることで事がスムーズに運ぶのは事実であった。
レティシャに催促され、名無しは急いで手紙の返事を書いた。
直ぐに思いついたことだけを簡単に書いて小さく折り鳥の足に結わいた。
レティシャの分も結わくよう頼まれたので名無しはそちらが先に読まれるように自分の手紙の上に結んだ。
お願いね、とレティシャの一言を合図に、鳥は届け先の人物に向かって元気よく飛んで行った。
段々と小さくなる白い一点を見つめ、名無しは掃除を再開した。
今日レティシャを寝かしつけるまでの事を終え名無しはイスラの家に戻った。
いつも通り、イスラは名無しより先に帰ってきておりほんのりと香る夕飯の匂いが名無しの帰りを先に歓迎した。
「ただいま戻りましたー」
「おかえりなさい、名無し」
名無しの帰りをイスラが笑顔で迎えた。
普通に考えれば、名無しは厄介者であり追い出したい人物なのは間違いないのだろう。
もしかしたら逃げられるかもしれない、そういった気持ちからイスラは自然と名無しに優しく接するようになっていた。
名無しもそういうことだろうという事はなんとなく想像できていた。
しかし名無しとしてはレティシャの世話をする事に苦痛は無いため、逃げようという気持ちは一切なかった。
どちらかというと、どうすればその気持ちが伝わるだろうという事に思考を働かせている。
だが、イスラ自身も根幹からの気持ちでもなく一週間自分を解放してくれているという感謝はしている。
「お疲れ様、このままあなたがずっとやってくれるって信じてるわ」
「…アルクノアのやり方は私も嫌いですから、それに関わる人が少しでも楽になるなら嬉しいですよ」
「お願い、お願いだから突然いなくならないで頂戴ね」
「あの、どうしてそこまで…、アルクノアの味方をするわけじゃないですれど」
「理由が無いと続けられないって事かしら」
「いえ、ただ…」
「いいのよ、そうね、頼むんだものそれぐらい話すわ…その前に、お風呂済ませてきちゃいなさい」
「あ、はい、ありがとうございます」
言われるままに風呂を済ませ、名無しは食卓につく。
食事をしながら、イスラは自分の事を少しずつ話しだした。
初めに、あることをアルクノアに握られているというのを確認され名無しがうなずく。
そのあることと言うのは話してもらえなかったが、表だって胸を張れる事でないのは念を押されたので十分伝わった。
イスラはそれを婚約者にバレてしまうことを恐れているということだった。
アルクノアと繋がっている事もばれてしまえば必然的にその事を知られてしまうため、この仕事から早く手を引きたいそうだった。
食事をする手をとめずに、名無しはその話を聞きイスラが答えを待っているのをわかっていながら名無しは沈黙を守った。
夕飯をたいらげると、名無しはイスラの話について答えた。
「大丈夫、だと私は思います」
「え?」
「恋する乙女は片手で竜をも殺す、って言葉しってますか?」
「いえ、初めて聞いたけれど…それが?」
「イスラさんは、自分の幸せのために結婚したいんですか?」
「そんなの決まって…!」
「じゃあ、イスラさんの婚約者さんの幸せってなんでしょう」
「え…それは…」
「イスラさんを幸せにすることなんじゃないかな、って。勝手な想像ですけど。こういう今の悩みもきっとその人は相談してくれるの待ってると思います」
「それでも、私は嫌なのよ…話したくないのよ」
私の気持ちなんかわからないくせに、そう言い放つとイスラは机を思い切り叩いた。
衝撃で食器が落ち甲高い音を立てて割れた。
当たり前のように名無しが直ぐに食器の欠片を集め出す。
イスラはそれをきつく睨んだが、名無しはひるむ事は無く平然を装ってるのか作業を続けた。
「はい、だから私に押し付けて逃げたいんですよね」
「それの何が悪いの!」
「悪くないです、さっきの言葉、恋する乙女は幸せを得るためならなんでもできる、愛する人のためなら、なんでもっていう意味です」
「…」
「イスラさんもそう、大切な人のために、幸せになるために目の前の手段をとっただけ」
「随分と、都合のいい言い訳があるものね…」
「私も、そうですから…、アルに利用されてたとしても都合のいいように自己解釈してるから…」
「…そうなのね、…ごめんなさい興奮しちゃって。手怪我してない?片付けるわ」
「いえ、イスラさんと話せてちょっと嬉しかったです」
「貴女、損するわねきっと」
「損した時に考え直しますから」
2人で食器の片付けをしながら、お互いに笑いあった。
イスラの言う通り、都合のいい言葉を名無しは使っている。
イスラの言う通り、名無しは損をしているだろう、自分が望まない方向に気がついていても黙って目を伏せて転がっていっているかもしれないだろう。
どこか、名無し自身そういった不安はずっとあった。
イラートを旅立ってから、いやもっと前からその気持ちは抱えていた。
しかしだからと言って名無しは立ち止りたくなかった。
進んだ先が例え崖だったとしたら、そこにまず落ちてみて新しい道を探す手段を選ぼうと決めていたからだ。
落ちた事が正解かもしれない、どうせ戻ることはできないのだから。
***
~一週間後
イスラに仕事を任されてから今日で二週間ほどになる。
シャン・ドゥでの生活もだいぶ板についてきて、街並みもそれなりに把握できてきた。
買い物をしてるうちに、いくつかの商店の人と仲良くなる事も出来それなりに充実した日を過ごす事ができていた。
レティシャの家に行く前に、なにか買い物をしておこうと思い商店区によると普段よりもぐっと人の数が多い事に気がついた。
果物を売っている店のおじさんに名無しは話しかける。
「よう、名無しちゃん、もうここは慣れたかい?」
「はい、お陰さまで!それにしても…この二三日ですごい人が増えましたね、いつもはこうなんですか?」
「いやいや!もうあと数日で待ちに待った闘技大会の日だよ!」
「あぁ…もう、そんな経ったんだ…」
「俺たちにとっては稼ぎ時だよ、帰り人につぶされるなよ」
「気をつけます!それじゃあ頑張ってくださいね」
果物屋のおじさんに別れを告げ、人混みを分けて名無しはレティシャの家へと向かった。
闘技大会本番となると、もうすぐワイバーンを貸してもらえる時期になる。
あの時はそんなに待つのかと落胆したが、実際過ごしてみると大した時間ではなかったものだと名無しは笑う。
もしワイバーンを貸してもらえるのだとしたら自分はこれからどうなるのだろう。
アルヴィンと話した限りでは、今後の名無しの行動はアルヴィンに任せる事になっている。
このままレティシャの世話をするのも悪くない、そんな考えが名無しに浮かんだがやはり自分で動きたい気持ちの方がまだ勝っていた。
しかし同時に、自分が此処を離れればレティシャはどうなってしまうのだろうという不安も同時に生まれた。
アルヴィンが戻ってくるまで、この話はきっと解決しないだろう。
ため息を小さくついて、レティシャの家に今日も名無しは訪れた。
部屋に入るなり窓を開け、外の様子が見えるようにしレティシャに話しかけた。
「賑やかですねーレティシャさん、闘技大会なんですって」
「こんにちわ、今日は賑やかね、トリグラフのお祭りは今日だったかしら」
「今日みたいですよ、あとでアルフレド君と一緒に御出掛しますか?」
「そうね、あの子きっと喜ぶわ…」
変わらず虚空の時間をすごくレティシャとの会話を名無しは交わした。
炊事、洗濯、清掃、そしてレティシャとの会話。
一日の決まったローテーションをこなしていると、一週間前に出たきりの鳥がレティシャの膝に止まった。
その来訪にレティシャは喜び名無しをマリーと呼び手紙を取らせる。
急かされて名無しがレティシャに手紙と返信用の便箋を渡した。
今回は名無し宛に手紙が無いようで、少し寂しかったがしかたがないと諦める。
レティシャが手紙を読みながら、楽しそうに名無しに内容を伝えた。
相槌を打ちながら、名無しはお茶を入れる。
とても穏やかな時間が流れていたその時だった。
大きな音、と表現するにはあまりにも表現しきれないほどの音が突如外から聞こえた。
急いで窓から身を乗り出し外をみると、入口付近で大きな崖崩れが起きいた。
岩の直ぐ近くにはたくさんの人が居るのが見えた。
その群衆の中に、見覚えのあるような姿が見え名無しが目を凝らしている時、名無しの背後からレティシャの悲鳴が聞こえた。
「ああああああ!」
「!!レティシャさん?!」
「あぁ!あなた!どうして!お願いあの人を助けて!お願い!」
「レティシャさん?どうしたんですか?!」
「何してるのよ!あぁ!貴女のせいよ!あの人があの人が!!どうして助けてくれなかったの!」
大声を上げながらレティシャが名無しを罵倒しだした。
先ほどの音をきっかけにパニックを起こしているようで大分レティシャは錯乱していた。
この二週間、そういったことなど一度も起きなかったため名無しはどう対処していいのか慌てる。
一体何の事を言っているのだろう、まずはそこから理解しなければならないのだが理解する前にレティシャの次の言葉が飛び込んでくるためどうしていいのかわからなくなる。
誰を助けなければならないのか、あの人とは一体。
痩せ切った細い体のどこからそんな力がでてくるのだろうと、思うほどレティシャは名無しの腕をきつく掴んでいた。
人殺し、悪魔め、そんな言葉をずっと浴びせられながら名無しは必死に考えた。
「大丈夫です!誰も、誰も亡くなってないですから、だから!」
「あの人はどこなの!嘘言わないで!!」
言葉と共に名無しの体が思い切り跳ね飛ばされた。
視界が動くのを認識する間もなく、体が床に打ち付けられると同時に名無しの視界を木材が支配した。
あまりに突然だったため受け身を取ることができず、胸部から腹部にかけて強打したようだった。
一度胸部が強く圧迫されたため、呼吸が乱れたが深く呼吸をし落ちつこうとする。
何度かせき込むと、打ち付けた時に口内を噛み切ってしまったようで口の中に血の味が混ざった。
「レティシャさん…けほっ」
体を無理やり起こしレティシャの名前を呼ぶ。
もう一度罵声が飛んでくると思い名無しは顔をあげた。
すると、目の前には先ほどまで錯乱していたレティシャの姿は無く、床に這う名無しを心配するレティシャの姿があった。
どうしたのか、何があったのか、貴女は誰なのか、医者をよぶのか
優しい言葉ばかりが、名無しに降ってきた。
元に戻った安心感と、どうしようもできない自分への嫌悪感、そしてレティシャへの恐怖が混ざり、大丈夫と言おうとしても言葉が出てこなかった。
名無しの様子をみて、レティシャがそこにいない息子に助けを求めて声を上げ出した。
呼んでも彼はこない、名無しの中で誰かがそう言った。
バタバタと忙しいレティシャの足音だけが部屋に響きやけに耳触りに感じた。
立ち上がる気力もなく、壁にもたれて目を伏せていると玄関から音がした。
レティシャが外に飛び出したのだろうか、焦りを感じ反射的に立ち上がろうとすると痛みが走り前に倒れそうになったがそれを支えるものがそこにはあった。
「名無し?どうした?!」
聞き覚えのある、成人男性の声だった。
顔を確認するまでも無く、名無しは声の主に返事をした。
「それよりも、おばさま…今どこにいるの…」
「直ぐ目の前、帰ってくるなり助けてくれって、何があった?」
「貴女、大丈夫?お医者さまきてくださったのよ、しっかりして」
「レティシャさん、もう大丈夫ですから。あとは俺が…」
「お願いします、お大事にね」
「ありがとう、ございます」
名無しが礼を言うと、レティシャは部屋の奥に消えていった。
きっと、こっちに戻ってくる時は今起きた事は忘れているだろう。
喜ぶべきことではないのだが、名無しは今その事実にありがたみを感じた。
覚えてくれてない方が、彼女を恨まずに済むからであった。
そして、名無しは突如帰ってきた人物に言葉をかける。
「おかえり、アル」
「今はそんなことより座っとけ」
「あぁー…うん、ありがと」
「何があった?」
「それはこっちの台詞よ」
「どういう意味だ?」
「崖崩れ、あれしょっちゅう起きてるの…?」
「さあな、仕事で滅多にこっちには帰ってこない」
「そう…」
「で、おたくの話しがまだなんだけど」
「崖崩れの音で、おばさまが突然混乱しだして…落ち着かせようと思ったら」
「怪我は?」
「口の中ちょっと切っただけ、後は問題ないわ」
「そうか」
そういうと、アルヴィンは名無しの手を強く握った。
たった二週間しか離れていなかったというのに、やけのその感触が懐かしく思えた。
感触だけではない、顔、声、香りに至るまで、なにもかもがそう思えた。
自分は今とことん弱いと、名無しは自分自身を卑下にした。
こんなにも彼が傍にいるのが安心するものなのだと思い、名無しは目の前の存在を抱きしめた。
「なんで黙って行ったのよ…」
「手紙、イスラから貰ってないのか?」
「もらった、もらったけど…そう、これ、どうしろっていうのよ」
名無しがポケットからアルヴィンの手紙に同封されていたアンクレットを取りだして突き出した。
「どうしろって、そりゃお前…」
「察しろって言いたいのはわかるけど、これは、言ってもらいたいな」
「…やるよ、その、カラハ・シャールで見てたのと似てるだろ、同じもんじゃねーけど」
「うん、大切にする、それと…」
「?」
名無しが右手を振って平手をアルヴィンの頬に当てた。
比較的良い音が鳴ったが、音の割には痛みは無く名無し自身ももっとちゃんと当てたつもりだったようだったがそれは大した平手打ちにはならなかった。
しまりが悪いことに、どう言葉を出そうか名無しが考え顔を見られない様アルヴィンの胸に顔を埋めて悔しそうに言った。
「今度はこれより強いから…」
「そうならないよう気をつけるよ、名無し、ただいま」
「ん、おかえり」
アルヴィンの手が名無しの顔に触れ近づく。
あと少しで唇が触れるだろうところで、名無しが思い出したように立ち上がりアルヴィンが変な動きをとった。
名無しが何をしているのかと不思議そうな顔で尋ねたが、なんでもないとふてくされ流す。
アルヴィンの返事を聞いたあと、名無しは窓の外をもう一度見た。
すると、先ほど落下してきた岩を住民達が川に落としている姿が見えた。
先ほど、ミラとジュードの姿がそこにあった気がしたのだが気のせいだったのだろうか。
周辺を見渡してもそれらしい人物が見当たらず名無しは落胆した。
あの怪我だ、むしろ居る方がおかしいというものだ。
ミラに会えないのは寂しいが、仕方が無い。
名無しはレティシャの様子を見に行こうと部屋の奥に行こうとしたがアルヴィンに止められる。
「アル?」
「行くぞ」
「え、行くってどこ…」
「いいから…っと、レティシャさん、この人病院連れて行きますね」
「あら?どなた?お客様かしら?」
「工事の者です、作業終わったので失礼します」
「あらあら、お疲れさまでした」
話を作り、レティシャに一礼するとアルヴィンが名無しをひっぱって外にでた。
そのまま説明をする事もなく、アルヴィンは進んで行った。
事情もわからず、名無しはとりあえずついていく。
アルヴィンについていくと、向かった先は二週間前にも訪れたワイバーンの檻の前だった。
檻の前には、以前話をした男と他に数人。
金髪の長髪の女性、黒髪の少年、不思議な人形を持った女の子と白髪を結った老人、そして見た事の無い女の子。
その集団にアルヴィンが躊躇なく話しかけ歩み寄る。
アルヴィンに気が付き、皆がその方向をみると、全員の顔をしっかりと確認することができた。
「ミラ…?」
「名無し、なぜここに居る!」
「俺が見つけてきたの、感謝してくれよ?」
「どこに行ったのかと思ったけど、アルヴィン、名無し探してくれてたんだ」
「名無しー!会いたかったよー!」
「名無しっ元気でした、か」
「わわっちょっとティポそんな顔に擦り寄られたらっ」
「お元気そうでなによりです、名無しさん」
「ローエンさん、はい、ローエンさんも元気で」
それぞれが順を待たずに再開の挨拶を交わしのでその場は賑やかなものになったが少し収集がつかなくなり、部族の人達が話を進めてもいいか言ってきた。
そのうちの一人とは名無しは面識があったため、ワイバーンについての説明を受けた。
どうやらミラ達もこのワイバーンを求めてきたようで、代行で部族の代表として出てくれればワイバーンを貸してくれるという話になったということだった。
大会の日取りと、時間を改めて詳しく説明しではまたと言って部族の人たちはどこかへ行ってしまった。
会っていなかった数日の話と、後ろでそわそわしている茶髪の女の子と挨拶をするために一行は場所を変えることにした。