2章
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
名無しが目を覚ますと、そこには昨晩飽きることなく話をしつくしたアルヴィンの姿があった。
一緒にいて何度がみているが、こうして髪を下ろしている姿は髪を上げてる姿よりも 若干あどけない感じがして、名無しは好きだった。
まだ整髪料のついていない髪の毛に触れると、さらさらとした感触が気持ちよかった。
そうして髪の毛を撫でていると自分の手の包帯でイスラから薬を貰ったのを思いだし名無しは薬を取りに行くためアルヴィンを部屋に残し、用意された自分の部屋に戻った。
「わ…殆ど目立たなくなってる」
包帯をほどいて全身の怪我を確認すると、鬱血していた部分がほとんど正常の皮膚と同じ色になっていた。
痛みこそ触るとまだあるが悲鳴をあげるほどの痛みはもうどこにもない。
やはり医者に診てもらわなければ治りは悪いか、とため息をついた。
イスラからもらった薬は、外傷の塗り薬と痛み止の内服薬だった。
内服薬は朝食をとるまで服用することができないので、いまのうちに塗り薬を塗ってしまおうと、とっとと作業をすませる。
難なく薬を塗り終え、服を着ようとしたときだった。
「名無し?!」
「?!!」
前触れもなく部屋のドアが開き、アルヴィンがやってきた。
突然ドアが開いたため驚きで名無しは硬直していたが事態をすぐに理解した。
「あ…悪い…」
「そう思うなら早く閉めて!」
「わ、悪い」
「アルは外!!!!」
事を理解したアルヴィンが急いでドアを閉めようとしたが慌てたのか本人が室内にいる状態で閉めようとする。
当然、それが許されるわけもなく名無しが大きな声を出すとぎこちない動作で部屋の外に出た。
急いで名無しが服を着て、人を招き入れる事のできる状態になる。
ドアの前まで行き、扉を開けると背中を向けて待っていたアルヴィンに声をかけた。
「もう、入って平気だから…っ」
「お、おう」
戸惑いながら名無しに招かれてアルヴィンが室内にはいると、名無しが間髪いれずにアルヴィンに文句をいう。
「信じられない…っ普通ノックするでしょ?!」
「悪かったって!…つーか、そもそも。なんで鍵かけてねーんだよ」
「うっ、だ、だって普通は部屋にはいる前にノックするじゃない!急に入ってくるなんてわからないわよ!」
「だったら着替えてるなんて俺だって知らねぇよ!」
「女性の部屋に無暗に入るのがおかしいっていってるの!」
「部屋で堂々と鍵もかけずに裸なのもおかしいだろ!」
「は!裸じゃないわよ!下着着てたもの!」
「下…っ」
「やだ、ちょっとなに考えて…っ!わすれて!今すぐ忘れて!」
「忘れろったってお前」
「いーいーかーらーわーすーれーてー!」
名無しが涙目でアルヴィンをポカポカと叩いた。若干強めに。というより本気で。
わかったわかった、とアルヴィンが申し訳なく言いながら大きく振られる名無しの手を抑える。
動作を止められて怒りをぶつける方法がなくなった名無しが不貞腐れ、今度はアルヴィンの胸に頭突きを繰り返す。
まるで子供のように起こるその姿に不謹慎ながらも可愛さを感じ、アルヴィンの頬が緩んだ。
次に頭突きが入ってきたタイミングでそのまま名無しを抱き締めて動きを封じる。
名無しが不満で唸っているのを撫でながらアルヴィンが宥めた。
「悪かったって、ほんと、な?」
「むぅ…いいけど…、それで朝から大きな声だして何かあったの?」
「あ、あー…いや、そのことはもういい」
「なんで?すごい慌ててたように見えたけど」
「なんでもねぇよ…ただ、その…」
「?」
アルヴィンが視線を天井に向け気まずそうに言葉をつまらせた。
言葉が続かなかったため、名無しが顔を上げアルヴィンを見る。
一度目が合った後、再び何でもないと思いきり視線を逸らされた。
腑に落ちない名無しが文句を垂れる。
「何でもないのに突然ドアを開けるとは思えないんだけど…」
「う…、その、…あーもーっ!起きたら、お前、いなかったから…、なんつーか…」
出来るだけ名無しの顔を見ないよう辿々しくアルヴィンが言うのを名無しはじっと聞いた。
アルヴィンが最後までいうのをじっとまち、言い終わると同時に名無しがアルヴィンの頬をつねる。
急につねられたためアルヴィンが目を丸くしていると名無しが手を離しアルヴィンの頭を撫でた。
「勝手にどっか行きそうなのはどっちよ、ほんとに。心配しなくても無断でどっかに行かないわ」
「でも、心配して見にきて正解だったけどな」
「?」
「いいもん見れ「忘れてっていったでしょ!!!」
思いきりアルヴィンの頬をはたいて名無しはアルヴィンから離れた。
ひりひりと痛む頬を抑えながらアルヴィンが楽しそうに微笑んだ。
名無しが少し怒りながらも今日の予定をアルヴィンに尋ねると、気を取り直しアルヴィンが順を立てて話し出した。
どうやら、昨日名無しがイスラの診察を受けているときに宿とは別に使えそうな部屋を探してくれていたらしい。
一般的な宿ではアルクノアの目が届く場所に当たるので、そうでない場所を確保したかったようだ。
アルヴィンが無言でその場所の住所を書いた紙を名無しに渡す。
なにもいわず名無しがそれを受けとり、紙面に目を通し何か考えた後に口を開いた。
「で、何時行くの?」
「お見通しか…、今日の夜には行くよ」
「そう、それじゃあそれまでは私の予定に付き合ってもらおうかな」
「なにするんだ?」
「昨日の人、ラ・シュガルが怪しいっていってたでしょ?だからその件についてちょっとね…今日で最後よ、そしたら後はアルにお願いするから」
「ほんと、自分勝手だなお前…それじゃ、飯くったらだな。ここ一泊しか取ってないから荷物まとめとけよ」
「りょーかい」
「じゃあ、準備終わったら受付でな」
「うん」
話を終えると、アルヴィンは部屋を後にした。
話した通り、今日の予定をこなすために名無しは荷物をまとめだした。
すべてまとめ終わった後に鞄の中身と部屋の中を見回して忘れ物がないか確認をする。
特に忘れ物がないのを確認して部屋から出て、ルームキーを忘れたのに気がつき急いで戻る。
鍵を持ったのを確認して二階の踊り場から下を覗くと先に準備をすませたアルヴィンが名無しに気がつき手をあげた。
その姿を確認して、名無しも早足で下におり合流して外に出ると名無しが行き先を確認した。
すると、アルヴィンが街の中央を流れている河の先を指差した。
指の先を見ると、そこにはまるで宙に浮いているように作られた不思議な建物があった。
「あそこが闘技大会の会場だ」
「うわあ…まためちゃくちゃな所に作られてるね…まるごと落っこちないのかな、それであそこがどうかしたの?」
「で、そんな大層な事やるぐらいのとこだから当然観光名所なわけで、そのなかに街全体を見れる飯屋があるってわけ」
「つまりそこで朝食、ってわけですか…また豪勢なこと…」
「そうでもないぜ、賞金目的の奴等でも簡単に入れるとこだからな」
「へー、じゃあ期待していきますか」
目的地もわかったので名無しがアルヴィンの腕を引っ張り催促をした。
やれやれと言いたげにアルヴィンが首を降り名無しに引かれるまま一緒に目的地に向かった。
目的地に向かうには船で渡る必要があるようで、まず船着き場に向かい闘技場へとたどり着いた。
闘技大会前ということもあり、開催前にも関わらずそこはたくさんの観光客で賑わっていた。
その賑わいにつられて名無しも気持ちが浮わつきだしたのか、目を輝かせながら辺りを見渡す。
アルヴィンに小突かれて注意をされながら目的の場所につくと、適当に注文をして料理が来るのを待つ。
ふと窓の外を見ると、シャン・ドゥの街並みが一望できたので名無しが一層目を輝かせた。
「わ…高っ…ほんとにおっこちない?」
「試しにそこで跳ねてみたらどうだ?」
「な、子供じゃないんだからそんなことしないわよ!」
「くくく、冗談だよ…っと、ちょっと席はずすわ」
「どうしたの?」
「生理現象」
「もう…座る前に行ってよ、いってらっしゃい」
返事の代わりに手をひらひらとさせてアルヴィンが席をたった。
一人残された名無しがぼんやりと外を眺める。
さっきまで自分がいた場所が小さく見えていることに違和感と感動を覚えながら景色を楽しんだ。
リーゼ・マクシアの建物は精霊術を駆使してつくられているのがタイハンデおそらくこの建物もその一つだろう。
建物がこの様に奇妙な位置で安定しているのも恐らく精霊術が働いているからなのだろうと名無しは考えに耽った。
色々考えているうちに、アルヴィンが戻ってくると同時に料理が運ばれそのまま二人は朝食にありついた。
「アルって、ずっとこういうとこでご飯食べてるの?」
「なんだよ急に、まあそんなとこだよ」
「ちょっと意外、一応傭兵やってるんだったら作る機会とか多いんじゃない?」
「自分で食う分にはな、人に出せるような大したもんじゃねえよ」
「ふーん、そか」
「どうかしたか?」
「ん?んーん、なんでもない」
「そうには聞こえないけどな」
「ほんとに何でもないって、ほら食べよ」
名無しの反応に不満を残しながらアルヴィンが食事を進めた。
食事をすませ、店を後にした二人は賑やかな商業区に戻ってきた。
「んし!聴き込みだー!」
「で、どこから回るんだ?」
「とりあえず、商業区で行商人しらみつぶし!」
「あんましそればっかやってると、行商人で噂になるんじゃないか?」
「あー…うん、限度は考えるわ、それじゃいきますか」
「んじゃ、二手に別れようぜ。その方が早いだろ」
「ん、じゃあ私はあっちにいくから、えーっと…」
名無しが口もとに手を当てて考え込むとアルヴィンが察して答えた。
「昼の鐘でおんなじ場所に集合、いいか?」
「遅れないでよ?」
「お前こそ迷子になんなよ」
「そしたら、叫ぶから問題ないわ」
「そうならないのを祈ってるよ」
こうして、二人は待ち合わせの時間までそれぞれ聴き込みをすることにし別れた。
昼の鐘がシャン・ドゥ全体に響き渡った頃。
約束した待ち合わせの場所に名無しは座っていた。
その場所にどれだけ待っても、名無しの隣に座る人物は現れなかった。
「自分勝手なのはどっちよ…」
待ち人の小さく名前を呟いても、その声は鐘の音にかき消されどこにも届かなかった。
***
それから数時間、空気がすっかり冷たくなった時間になり名無しはゆっくりと立ち上がった。
ここで待っていても無駄だといい加減諦め、次の行動に移ることにした。
アルヴィンから渡されたメモを片手に、それが示す場所に名無しは向かった。
慣れない街並みを人伝に進むと、一件の家にたどり着く。
既に日がくれており、家からは明かりがこぼれていたため人がいるのがわかった。
どこか、淡い期待が名無しの中に生まれたが、ドアをノックしようとしたときにその期待は呆気ないものになった。
「よかった会えて、なかなか来ないから迎えにいったとこだったわ」
「イスラさん?」
予想外の人物を目の前にし、名無しは驚いた。
イスラの言葉から察するに名無しが来ると言うことをイスラは知っていたようだった。
イスラに言われるがまま室内に案内され戸惑いながらも席についた。
手際よくイスラがお茶の準備をし名無しに差し出す。
「ありがとうございます」
「構わないわよ、それでさっきの様子だとあまり事情を把握してないみたいね」
「ええ…」
「あなたも利用されてるだけなのよ、アルクノアに、私と一緒でね…」
「どういうことでしょう?」
意味を含んだ言い方に名無しが顔をしかめた。
イスラから説明を受けると内容はこうだった。
イスラは有ることを理由にアルクノアに利用され、アルヴィンの母の治療を行う闇医者を強要されているという。
昨日、イスラのもとに現れたアルヴィンが名無しの治療と今後居住を強要してきたというのだ。
今後の居住の代わりの条件として、レティシャに処方する薬を名無しに教え名無しにその役割を引き継がせること。
そうすれば、アルクノアと今後関わらない手引きをしてくれるということだった。
「貴女には悪いけれど、私はもう裏家業は嫌なの。だからお願い、人助けだと思って頂戴」
「そう、ですか…そうなん、だ…」
利用された、その言葉が耳に入ってからあまり他の言葉は名無しの耳には届いてなかったが、拾える単語を拾おうと精一杯集中して事を理解しようと努めた。
呆然と考え込んでる名無しにイスラが晩御飯をすすめた。
まだ夕飯をすませていなかった名無しは、イスラの行為に素直にあまえることにした。
出された食事を口にするも、空腹のわりにはあまり手が進まずイスラに詫びをいれる。
イスラが使用していいと部屋に名無しを案内し、風呂は自由に使って良いと言い名無しに今日は早く休むといいと言う。
そして、なにかを思いだしイスラが一度居間に行き名無し宛に手紙を預かっていると言ってそれを渡した。
名無しが手紙を受け取りイスラに例を言うと、笑顔を返しただけでイスラは部屋を去っていった。
今日から自分が生活する部屋を見渡し、静かな空間の中名無しは俯いた。
そして、受け取った手紙を開ける。
「っ…これ」
手紙の中には、アルヴィンからの手紙と以前カラハ・シャールで見掛けたのと似た形をしたアンクレットが入っていた。
白いアイリスに似た形をした花が小さく輝くそれをみて、名無しは手紙に目を向けた。
手紙にはただ一言だけ添えてあった。
"行ってくる"とだけ書かれた紙を名無しが思いきり握りしめた。
「どうしろっていうのよ…こんなの…」
手紙とアンクレットの意味を察することは容易だったが、その意味を名無しは素直に受け入れたくなかった。
しばらく、その2つを握りしめ名無しはイスラに言われたことが信実ならば、自分はどうすれば良いのか考えた。
自分がどうしたいのか、その答えは名無しの中で既にあった。
置かれた状況の中でそれを実行するには、名無しが気持ちの整理をする意外に必要なものはなかった。
どこにも行けない感情を抱えたまま名無しは目を伏せそのまま眠りについた。
翌朝、日が昇るよりも早く名無しは目をさました。
朝独特のまだ温まっていない空気がどことなく懐かしさを感じさせた。
薄暗い街並みを窓から眺めていると、イラートを旅だったときを思い出された。
名無しは外に出かける準備をすると、出来るだけ東の方角にある高台を探した。
まだ早朝ともあり人が少なく、どこにそういった場所があるのかが聞くことができなかったが、闘技場の近くまで行き辺りを見渡していると名無しの様子を見て一人の女性が話しかけてきた。
「どうかしたの?こんな時間にめずらしいわね」
「どうも、ちょっと高台を探したくて」
「高台?この町の形状だから岩壁より高いのを探すのは難しいと思うけれど、何かあるのかしら」
「日の出を見たくて」
「ラコルムから来たのならあそこの霊勢じゃ朝日はみれないものねー、恋しくなるのはわかるわ!でも大丈夫、この中央の河の向こう、ここはあそこから日が登るのよ、あそこの中央を繋ぐ橋からみれるわ」
「本当ですか!ありがとうございます!」
「珍しいわねー、この時期に闘技大会以外で聞かれるのは」
「そうなんですか?」
「ええ、それじゃあ良い一日になるといいわね」
「ありがとうございます」
女性に礼をいい、名無しは橋のほうへと向かった。
闘技場の真下から昇ってくるということなので、橋にもたれて日が登るのを待っていると遠くの水面がうっすらと輝きを帯びてきたのがわかり、段々と町全体を照らし出した。
「綺麗…」
一時間程だろうか、その様子をずっと眺めてから名無しはイスラの家へと戻った。
家に戻ると、イスラが起きていた。
何処へ行っていたのか尋ねられ、朝日を見に行っていたのを伝えた。
イスラはこれから朝食の準備をするということなので、名無しが代わりにやると言い出す。
「いいわよ、私やるから」
「いえ、お世話になるんですしやらせてください」
「…変な人ね、これから私に利用されるっていうのに」
「それでも、それがイスラさんを助けることに繋がるんですよね」
「本気でいってるの?」
「はい」
「貴女、偽善者ねきっと」
「お節介やきだとは時々言われます」
「そう…、それじゃあお願いしようかしら」
憎まれ口を叩いたつもりで言ったのだろうが、言葉とは反対にイスラの表情は優しかった。
冷蔵庫のものは好きつかって良いとのことで、あるもので名無しは二人分の食事を用意した。
食事をすませると、イスラが何枚かの書類を取り出し名無しに説明する。
レティシャの病状を記述した書類だという。
内一枚はレティシャへの対応や生活に関する書類、もう一枚には薬の調合法が書いてあった。
「薬に関してはアルクノアから定期的に支給されているから、それを調合してくれれば構わないわ。あとは紙に書いてある通り、さっそく今日から頼むわね、私は普通の…ただの医者の仕事があるから」
「はい、それじゃあ行ってきます」
「ああ、ごめんなさい。これ、部屋の鍵ね、預けるわ」
「ありがとうございます」
イスラに見送られ、名無しはレティシャの家へと向かった。
始めにノックをするも、返事がなかったため、申し訳ないと思いながらも鍵をあけ室内にはいる。
先日訪れたときにはレティシャは眠っていたが、今日は起きているらしく彼女の姿は台所にあった。
「おばさま、朝食ですか?」
「あら、どちら様?」
「えっと、名無しです」
「名無しさん?…名無しちゃんなの?」
「わかるん、ですか?」
「大きくなったのね、何年ぶりかしら…10年以上になるわね」
「は、はい!お元気でしたか?」
「そうね、ああごめんなさいね、アルフレドお仕事で出てるのよ」
「聞いてます、忙しそう、ですね」
「無理してないと良いんだけど…、そうそう、良かったらご飯食べていかない?」
「いえ、私はもういただいたので」
「そう?それじゃあお喋りにだけ付き合ってもらおうかしら」
「はい」
先日訪ねたときとは違い、レティシャは名無しを名無しだと判断していた。
それだけではなく、アルヴィンが仕事に出ていることもしっかりとわかっている。
イスラから預かった書類を取りだしもう一度目を通すと、どうやら時々正気に戻っていることがあるのだという。
今が、その時なのだろう。
ゆっくりながら食事の準備を進めるレティシャの後ろ姿を眺めながら、この場にアルヴィンがいたらと名無しは思った。
レティシャの作業を見守っていると、ふいに彼女の動作が止まったのがわかった。
辺りを見渡し自分の手元を見たり、名無しの顔をみたい落ち着かない様子だった。
そして名無しに歩みよりレティシャは言葉を発した。
「あなたどちら様?メイドかしら?」
「…名無しです、名無し。」
「名無しさん…ああ、エドワードさんの妹様ね、ごめんなさい忘れっぽくて、それであなたはどちら様?」
「名無しですよ、レティシャさん」
先程まで容易く行われた会話はあっという間に終わりを告げた。
再び、再開したときのように繰り返し昔の記憶で生活をするレティシャがそこにはいた。
本当にわずかな時間しか、あのような時は訪れないのだろう。
名無しはアルヴィンを信じたかった。
例え利用でも、都合の良い考えでもよく彼が自分に頼ってくれたのだと、必ず戻ってきてくれるのだと。
「レティシャさん、ご飯食べましたか?」
「どうだったかしら…」
「いま準備しますね」
「そうだわ、アルフレドはねピーチパイが好きなの作ってあげないと」
「ふふ、そうなんですね作り方教えてください、私作っておきますから」
そうしてまた、あなたは誰なのかという会話を何度もレティシャと繰り返し、その日はレティシャの家をあとにした。
それから一週間、似た会話と同じような毎日を名無しはレティシャと過ごした。
一緒にいて何度がみているが、こうして髪を下ろしている姿は髪を上げてる姿よりも 若干あどけない感じがして、名無しは好きだった。
まだ整髪料のついていない髪の毛に触れると、さらさらとした感触が気持ちよかった。
そうして髪の毛を撫でていると自分の手の包帯でイスラから薬を貰ったのを思いだし名無しは薬を取りに行くためアルヴィンを部屋に残し、用意された自分の部屋に戻った。
「わ…殆ど目立たなくなってる」
包帯をほどいて全身の怪我を確認すると、鬱血していた部分がほとんど正常の皮膚と同じ色になっていた。
痛みこそ触るとまだあるが悲鳴をあげるほどの痛みはもうどこにもない。
やはり医者に診てもらわなければ治りは悪いか、とため息をついた。
イスラからもらった薬は、外傷の塗り薬と痛み止の内服薬だった。
内服薬は朝食をとるまで服用することができないので、いまのうちに塗り薬を塗ってしまおうと、とっとと作業をすませる。
難なく薬を塗り終え、服を着ようとしたときだった。
「名無し?!」
「?!!」
前触れもなく部屋のドアが開き、アルヴィンがやってきた。
突然ドアが開いたため驚きで名無しは硬直していたが事態をすぐに理解した。
「あ…悪い…」
「そう思うなら早く閉めて!」
「わ、悪い」
「アルは外!!!!」
事を理解したアルヴィンが急いでドアを閉めようとしたが慌てたのか本人が室内にいる状態で閉めようとする。
当然、それが許されるわけもなく名無しが大きな声を出すとぎこちない動作で部屋の外に出た。
急いで名無しが服を着て、人を招き入れる事のできる状態になる。
ドアの前まで行き、扉を開けると背中を向けて待っていたアルヴィンに声をかけた。
「もう、入って平気だから…っ」
「お、おう」
戸惑いながら名無しに招かれてアルヴィンが室内にはいると、名無しが間髪いれずにアルヴィンに文句をいう。
「信じられない…っ普通ノックするでしょ?!」
「悪かったって!…つーか、そもそも。なんで鍵かけてねーんだよ」
「うっ、だ、だって普通は部屋にはいる前にノックするじゃない!急に入ってくるなんてわからないわよ!」
「だったら着替えてるなんて俺だって知らねぇよ!」
「女性の部屋に無暗に入るのがおかしいっていってるの!」
「部屋で堂々と鍵もかけずに裸なのもおかしいだろ!」
「は!裸じゃないわよ!下着着てたもの!」
「下…っ」
「やだ、ちょっとなに考えて…っ!わすれて!今すぐ忘れて!」
「忘れろったってお前」
「いーいーかーらーわーすーれーてー!」
名無しが涙目でアルヴィンをポカポカと叩いた。若干強めに。というより本気で。
わかったわかった、とアルヴィンが申し訳なく言いながら大きく振られる名無しの手を抑える。
動作を止められて怒りをぶつける方法がなくなった名無しが不貞腐れ、今度はアルヴィンの胸に頭突きを繰り返す。
まるで子供のように起こるその姿に不謹慎ながらも可愛さを感じ、アルヴィンの頬が緩んだ。
次に頭突きが入ってきたタイミングでそのまま名無しを抱き締めて動きを封じる。
名無しが不満で唸っているのを撫でながらアルヴィンが宥めた。
「悪かったって、ほんと、な?」
「むぅ…いいけど…、それで朝から大きな声だして何かあったの?」
「あ、あー…いや、そのことはもういい」
「なんで?すごい慌ててたように見えたけど」
「なんでもねぇよ…ただ、その…」
「?」
アルヴィンが視線を天井に向け気まずそうに言葉をつまらせた。
言葉が続かなかったため、名無しが顔を上げアルヴィンを見る。
一度目が合った後、再び何でもないと思いきり視線を逸らされた。
腑に落ちない名無しが文句を垂れる。
「何でもないのに突然ドアを開けるとは思えないんだけど…」
「う…、その、…あーもーっ!起きたら、お前、いなかったから…、なんつーか…」
出来るだけ名無しの顔を見ないよう辿々しくアルヴィンが言うのを名無しはじっと聞いた。
アルヴィンが最後までいうのをじっとまち、言い終わると同時に名無しがアルヴィンの頬をつねる。
急につねられたためアルヴィンが目を丸くしていると名無しが手を離しアルヴィンの頭を撫でた。
「勝手にどっか行きそうなのはどっちよ、ほんとに。心配しなくても無断でどっかに行かないわ」
「でも、心配して見にきて正解だったけどな」
「?」
「いいもん見れ「忘れてっていったでしょ!!!」
思いきりアルヴィンの頬をはたいて名無しはアルヴィンから離れた。
ひりひりと痛む頬を抑えながらアルヴィンが楽しそうに微笑んだ。
名無しが少し怒りながらも今日の予定をアルヴィンに尋ねると、気を取り直しアルヴィンが順を立てて話し出した。
どうやら、昨日名無しがイスラの診察を受けているときに宿とは別に使えそうな部屋を探してくれていたらしい。
一般的な宿ではアルクノアの目が届く場所に当たるので、そうでない場所を確保したかったようだ。
アルヴィンが無言でその場所の住所を書いた紙を名無しに渡す。
なにもいわず名無しがそれを受けとり、紙面に目を通し何か考えた後に口を開いた。
「で、何時行くの?」
「お見通しか…、今日の夜には行くよ」
「そう、それじゃあそれまでは私の予定に付き合ってもらおうかな」
「なにするんだ?」
「昨日の人、ラ・シュガルが怪しいっていってたでしょ?だからその件についてちょっとね…今日で最後よ、そしたら後はアルにお願いするから」
「ほんと、自分勝手だなお前…それじゃ、飯くったらだな。ここ一泊しか取ってないから荷物まとめとけよ」
「りょーかい」
「じゃあ、準備終わったら受付でな」
「うん」
話を終えると、アルヴィンは部屋を後にした。
話した通り、今日の予定をこなすために名無しは荷物をまとめだした。
すべてまとめ終わった後に鞄の中身と部屋の中を見回して忘れ物がないか確認をする。
特に忘れ物がないのを確認して部屋から出て、ルームキーを忘れたのに気がつき急いで戻る。
鍵を持ったのを確認して二階の踊り場から下を覗くと先に準備をすませたアルヴィンが名無しに気がつき手をあげた。
その姿を確認して、名無しも早足で下におり合流して外に出ると名無しが行き先を確認した。
すると、アルヴィンが街の中央を流れている河の先を指差した。
指の先を見ると、そこにはまるで宙に浮いているように作られた不思議な建物があった。
「あそこが闘技大会の会場だ」
「うわあ…まためちゃくちゃな所に作られてるね…まるごと落っこちないのかな、それであそこがどうかしたの?」
「で、そんな大層な事やるぐらいのとこだから当然観光名所なわけで、そのなかに街全体を見れる飯屋があるってわけ」
「つまりそこで朝食、ってわけですか…また豪勢なこと…」
「そうでもないぜ、賞金目的の奴等でも簡単に入れるとこだからな」
「へー、じゃあ期待していきますか」
目的地もわかったので名無しがアルヴィンの腕を引っ張り催促をした。
やれやれと言いたげにアルヴィンが首を降り名無しに引かれるまま一緒に目的地に向かった。
目的地に向かうには船で渡る必要があるようで、まず船着き場に向かい闘技場へとたどり着いた。
闘技大会前ということもあり、開催前にも関わらずそこはたくさんの観光客で賑わっていた。
その賑わいにつられて名無しも気持ちが浮わつきだしたのか、目を輝かせながら辺りを見渡す。
アルヴィンに小突かれて注意をされながら目的の場所につくと、適当に注文をして料理が来るのを待つ。
ふと窓の外を見ると、シャン・ドゥの街並みが一望できたので名無しが一層目を輝かせた。
「わ…高っ…ほんとにおっこちない?」
「試しにそこで跳ねてみたらどうだ?」
「な、子供じゃないんだからそんなことしないわよ!」
「くくく、冗談だよ…っと、ちょっと席はずすわ」
「どうしたの?」
「生理現象」
「もう…座る前に行ってよ、いってらっしゃい」
返事の代わりに手をひらひらとさせてアルヴィンが席をたった。
一人残された名無しがぼんやりと外を眺める。
さっきまで自分がいた場所が小さく見えていることに違和感と感動を覚えながら景色を楽しんだ。
リーゼ・マクシアの建物は精霊術を駆使してつくられているのがタイハンデおそらくこの建物もその一つだろう。
建物がこの様に奇妙な位置で安定しているのも恐らく精霊術が働いているからなのだろうと名無しは考えに耽った。
色々考えているうちに、アルヴィンが戻ってくると同時に料理が運ばれそのまま二人は朝食にありついた。
「アルって、ずっとこういうとこでご飯食べてるの?」
「なんだよ急に、まあそんなとこだよ」
「ちょっと意外、一応傭兵やってるんだったら作る機会とか多いんじゃない?」
「自分で食う分にはな、人に出せるような大したもんじゃねえよ」
「ふーん、そか」
「どうかしたか?」
「ん?んーん、なんでもない」
「そうには聞こえないけどな」
「ほんとに何でもないって、ほら食べよ」
名無しの反応に不満を残しながらアルヴィンが食事を進めた。
食事をすませ、店を後にした二人は賑やかな商業区に戻ってきた。
「んし!聴き込みだー!」
「で、どこから回るんだ?」
「とりあえず、商業区で行商人しらみつぶし!」
「あんましそればっかやってると、行商人で噂になるんじゃないか?」
「あー…うん、限度は考えるわ、それじゃいきますか」
「んじゃ、二手に別れようぜ。その方が早いだろ」
「ん、じゃあ私はあっちにいくから、えーっと…」
名無しが口もとに手を当てて考え込むとアルヴィンが察して答えた。
「昼の鐘でおんなじ場所に集合、いいか?」
「遅れないでよ?」
「お前こそ迷子になんなよ」
「そしたら、叫ぶから問題ないわ」
「そうならないのを祈ってるよ」
こうして、二人は待ち合わせの時間までそれぞれ聴き込みをすることにし別れた。
昼の鐘がシャン・ドゥ全体に響き渡った頃。
約束した待ち合わせの場所に名無しは座っていた。
その場所にどれだけ待っても、名無しの隣に座る人物は現れなかった。
「自分勝手なのはどっちよ…」
待ち人の小さく名前を呟いても、その声は鐘の音にかき消されどこにも届かなかった。
***
それから数時間、空気がすっかり冷たくなった時間になり名無しはゆっくりと立ち上がった。
ここで待っていても無駄だといい加減諦め、次の行動に移ることにした。
アルヴィンから渡されたメモを片手に、それが示す場所に名無しは向かった。
慣れない街並みを人伝に進むと、一件の家にたどり着く。
既に日がくれており、家からは明かりがこぼれていたため人がいるのがわかった。
どこか、淡い期待が名無しの中に生まれたが、ドアをノックしようとしたときにその期待は呆気ないものになった。
「よかった会えて、なかなか来ないから迎えにいったとこだったわ」
「イスラさん?」
予想外の人物を目の前にし、名無しは驚いた。
イスラの言葉から察するに名無しが来ると言うことをイスラは知っていたようだった。
イスラに言われるがまま室内に案内され戸惑いながらも席についた。
手際よくイスラがお茶の準備をし名無しに差し出す。
「ありがとうございます」
「構わないわよ、それでさっきの様子だとあまり事情を把握してないみたいね」
「ええ…」
「あなたも利用されてるだけなのよ、アルクノアに、私と一緒でね…」
「どういうことでしょう?」
意味を含んだ言い方に名無しが顔をしかめた。
イスラから説明を受けると内容はこうだった。
イスラは有ることを理由にアルクノアに利用され、アルヴィンの母の治療を行う闇医者を強要されているという。
昨日、イスラのもとに現れたアルヴィンが名無しの治療と今後居住を強要してきたというのだ。
今後の居住の代わりの条件として、レティシャに処方する薬を名無しに教え名無しにその役割を引き継がせること。
そうすれば、アルクノアと今後関わらない手引きをしてくれるということだった。
「貴女には悪いけれど、私はもう裏家業は嫌なの。だからお願い、人助けだと思って頂戴」
「そう、ですか…そうなん、だ…」
利用された、その言葉が耳に入ってからあまり他の言葉は名無しの耳には届いてなかったが、拾える単語を拾おうと精一杯集中して事を理解しようと努めた。
呆然と考え込んでる名無しにイスラが晩御飯をすすめた。
まだ夕飯をすませていなかった名無しは、イスラの行為に素直にあまえることにした。
出された食事を口にするも、空腹のわりにはあまり手が進まずイスラに詫びをいれる。
イスラが使用していいと部屋に名無しを案内し、風呂は自由に使って良いと言い名無しに今日は早く休むといいと言う。
そして、なにかを思いだしイスラが一度居間に行き名無し宛に手紙を預かっていると言ってそれを渡した。
名無しが手紙を受け取りイスラに例を言うと、笑顔を返しただけでイスラは部屋を去っていった。
今日から自分が生活する部屋を見渡し、静かな空間の中名無しは俯いた。
そして、受け取った手紙を開ける。
「っ…これ」
手紙の中には、アルヴィンからの手紙と以前カラハ・シャールで見掛けたのと似た形をしたアンクレットが入っていた。
白いアイリスに似た形をした花が小さく輝くそれをみて、名無しは手紙に目を向けた。
手紙にはただ一言だけ添えてあった。
"行ってくる"とだけ書かれた紙を名無しが思いきり握りしめた。
「どうしろっていうのよ…こんなの…」
手紙とアンクレットの意味を察することは容易だったが、その意味を名無しは素直に受け入れたくなかった。
しばらく、その2つを握りしめ名無しはイスラに言われたことが信実ならば、自分はどうすれば良いのか考えた。
自分がどうしたいのか、その答えは名無しの中で既にあった。
置かれた状況の中でそれを実行するには、名無しが気持ちの整理をする意外に必要なものはなかった。
どこにも行けない感情を抱えたまま名無しは目を伏せそのまま眠りについた。
翌朝、日が昇るよりも早く名無しは目をさました。
朝独特のまだ温まっていない空気がどことなく懐かしさを感じさせた。
薄暗い街並みを窓から眺めていると、イラートを旅だったときを思い出された。
名無しは外に出かける準備をすると、出来るだけ東の方角にある高台を探した。
まだ早朝ともあり人が少なく、どこにそういった場所があるのかが聞くことができなかったが、闘技場の近くまで行き辺りを見渡していると名無しの様子を見て一人の女性が話しかけてきた。
「どうかしたの?こんな時間にめずらしいわね」
「どうも、ちょっと高台を探したくて」
「高台?この町の形状だから岩壁より高いのを探すのは難しいと思うけれど、何かあるのかしら」
「日の出を見たくて」
「ラコルムから来たのならあそこの霊勢じゃ朝日はみれないものねー、恋しくなるのはわかるわ!でも大丈夫、この中央の河の向こう、ここはあそこから日が登るのよ、あそこの中央を繋ぐ橋からみれるわ」
「本当ですか!ありがとうございます!」
「珍しいわねー、この時期に闘技大会以外で聞かれるのは」
「そうなんですか?」
「ええ、それじゃあ良い一日になるといいわね」
「ありがとうございます」
女性に礼をいい、名無しは橋のほうへと向かった。
闘技場の真下から昇ってくるということなので、橋にもたれて日が登るのを待っていると遠くの水面がうっすらと輝きを帯びてきたのがわかり、段々と町全体を照らし出した。
「綺麗…」
一時間程だろうか、その様子をずっと眺めてから名無しはイスラの家へと戻った。
家に戻ると、イスラが起きていた。
何処へ行っていたのか尋ねられ、朝日を見に行っていたのを伝えた。
イスラはこれから朝食の準備をするということなので、名無しが代わりにやると言い出す。
「いいわよ、私やるから」
「いえ、お世話になるんですしやらせてください」
「…変な人ね、これから私に利用されるっていうのに」
「それでも、それがイスラさんを助けることに繋がるんですよね」
「本気でいってるの?」
「はい」
「貴女、偽善者ねきっと」
「お節介やきだとは時々言われます」
「そう…、それじゃあお願いしようかしら」
憎まれ口を叩いたつもりで言ったのだろうが、言葉とは反対にイスラの表情は優しかった。
冷蔵庫のものは好きつかって良いとのことで、あるもので名無しは二人分の食事を用意した。
食事をすませると、イスラが何枚かの書類を取り出し名無しに説明する。
レティシャの病状を記述した書類だという。
内一枚はレティシャへの対応や生活に関する書類、もう一枚には薬の調合法が書いてあった。
「薬に関してはアルクノアから定期的に支給されているから、それを調合してくれれば構わないわ。あとは紙に書いてある通り、さっそく今日から頼むわね、私は普通の…ただの医者の仕事があるから」
「はい、それじゃあ行ってきます」
「ああ、ごめんなさい。これ、部屋の鍵ね、預けるわ」
「ありがとうございます」
イスラに見送られ、名無しはレティシャの家へと向かった。
始めにノックをするも、返事がなかったため、申し訳ないと思いながらも鍵をあけ室内にはいる。
先日訪れたときにはレティシャは眠っていたが、今日は起きているらしく彼女の姿は台所にあった。
「おばさま、朝食ですか?」
「あら、どちら様?」
「えっと、名無しです」
「名無しさん?…名無しちゃんなの?」
「わかるん、ですか?」
「大きくなったのね、何年ぶりかしら…10年以上になるわね」
「は、はい!お元気でしたか?」
「そうね、ああごめんなさいね、アルフレドお仕事で出てるのよ」
「聞いてます、忙しそう、ですね」
「無理してないと良いんだけど…、そうそう、良かったらご飯食べていかない?」
「いえ、私はもういただいたので」
「そう?それじゃあお喋りにだけ付き合ってもらおうかしら」
「はい」
先日訪ねたときとは違い、レティシャは名無しを名無しだと判断していた。
それだけではなく、アルヴィンが仕事に出ていることもしっかりとわかっている。
イスラから預かった書類を取りだしもう一度目を通すと、どうやら時々正気に戻っていることがあるのだという。
今が、その時なのだろう。
ゆっくりながら食事の準備を進めるレティシャの後ろ姿を眺めながら、この場にアルヴィンがいたらと名無しは思った。
レティシャの作業を見守っていると、ふいに彼女の動作が止まったのがわかった。
辺りを見渡し自分の手元を見たり、名無しの顔をみたい落ち着かない様子だった。
そして名無しに歩みよりレティシャは言葉を発した。
「あなたどちら様?メイドかしら?」
「…名無しです、名無し。」
「名無しさん…ああ、エドワードさんの妹様ね、ごめんなさい忘れっぽくて、それであなたはどちら様?」
「名無しですよ、レティシャさん」
先程まで容易く行われた会話はあっという間に終わりを告げた。
再び、再開したときのように繰り返し昔の記憶で生活をするレティシャがそこにはいた。
本当にわずかな時間しか、あのような時は訪れないのだろう。
名無しはアルヴィンを信じたかった。
例え利用でも、都合の良い考えでもよく彼が自分に頼ってくれたのだと、必ず戻ってきてくれるのだと。
「レティシャさん、ご飯食べましたか?」
「どうだったかしら…」
「いま準備しますね」
「そうだわ、アルフレドはねピーチパイが好きなの作ってあげないと」
「ふふ、そうなんですね作り方教えてください、私作っておきますから」
そうしてまた、あなたは誰なのかという会話を何度もレティシャと繰り返し、その日はレティシャの家をあとにした。
それから一週間、似た会話と同じような毎日を名無しはレティシャと過ごした。