1章
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ひんやりとした床の感触に気がつき名無しは目を覚ました。
意識を覚醒させていくうちに、次第に感じる全身に走る痛みが何が起きたのかを名無しに思い出させた。
自分が今どういった状況下にあるのか確かめようと、まず室内を見渡してみる。
室内には一切窓はなく外の様子を確かめることは不可能。時計や机といった備品も見当たらず、名無し以外にはなにも存在していない。
もう少し詳しく調べようと立ち上がると、足元で大きな金属音がしたと同時に、名無しは受け身も取れずに転けた。
「いたた…。なんなのもう、ってこれ鎖?…べたね」
悪態をつきつつ自信を繋いでいる鎖を手に取り弄ぶ。
囚われの身になったことを理解しながらジャラジャラと鎖を鳴らし名無しはため息をついた。状況から見て同じくミラたちがどこかに囚われてるはずなのだ。
なんとかしてここから脱出したいところだが、よく考えればラ・シュガル兵にとらえられたのだ。自分を狙う理由や実験の目的などを聞き出すには絶好のチャンスであるのも間違いない。当然、相手が簡単に名無しの質問に答えてくれる保証はない。
少しいらつきを覚えた名無しは、手にしていた鎖を八つ当たりするかのように床に叩きつけた。
すると、一人の男が室内にはいってきた。その男の顔を確かめ名無しは顔を歪める。
「そんな顔するなよ、折角良い女に育ったんだ。もったいねぇだろ?くくくっ」
男は名無しとは反対に愉快そうに笑った。
「ジランド…参謀副長…」
「名乗った覚えはねぇがな、流石に調べたか?」
「それほどの地位なら調べる以前の問題よ、それなりの人に聞けば直ぐに答えてもらえたわ」
「はっ、シャール家か」
「…それで、私になんの用なんですか、両親の研究データならそっちに丸々残ってるはずでしょ」
「何の用、だ?ははははっ」
質問を復唱し、ジランドは何がおかしいのか愉快そうに笑う。
耳障りな声に名無しはさらに顔を歪めるると、連動するかのようにジランドが名無しの髪を鷲掴みにし再び愉しそうに口を開いた。
「おいおい、良い子ぶんなよ?お前の両親のデータなんざとっくに必要ねぇんだ。必要なのは実験台だよ、お前の頭ん中のな」
「そんなの、私なんか使わないであなた自身か他の人を使えば良いじゃない…っ」
「よく動く口だな」
反論をする名無しが気に食わないジランドは、躊躇なく名無しの側頭部を強く蹴る。しっかりと固定された状態で蹴りを入れられたため、逃げ場のない痛みが頭部を支配した。
「…がぁっ!」
「お前はおとなしく今度は俺の実験台になればいいんだよ。…たく、たかがお前なんか捕らえるのに使えない奴ばかりで腹が立つぜ。こんな戦えもしねぇやつなのによ。出来の悪い甥を持った俺は最高に不幸だな。」
「ぐ…っ…はぁはぁ…っどういう意味…」
「聞かなくてもわかってんだろ?死ななければ手段は選ぶなとは言ったがなぁ。想像以上に時間がかけやがって、本当使えないやつだ」
「……」
「レティシャの奴も悲しむだろうなぁ、手前のために働いてるつていう息子がちゃんと仕事しねぇんだからな!ははははっ!!」
よくわかった、とでも言いたげにジランドは名無しの腹部に蹴りを入れ続ける。その蹴りは名無しに向けられた感情ではなく、明らかに憂さ晴らし、八つ当たりといったものであり、力加減など当然なく何度も何度も容赦なく名無しの腹にあてられた。腹ではあきたらず、ジランドはそのうち名無しの全身を好きなだけ蹴り続ける。一発、また一発と入る度に声にならない叫びが名無しから漏れ、時折彼女の胃の中にあるものをだらしなく床に吐き出させた。
「おっと、死ぬんじゃねぇぞ。お前にはこれから役に立ってもらうんだからな」
こんなに暴行されたかわいそうに、とまるで他人事のようにジランドは吐き捨てると、名無しを繋いでいた鎖を外す。抵抗しなくなった名無しを担ぎ上げると、どこか別室へと連れていった。
新たに連れてこられた部屋には、人1人を収容できる大きなの装置が設置されていた。一つには既に人が入っており、名無しはそのすぐ横に並べられた装置に押し込められた。
一体何の装置なのか、入れられた装置のガラス越しに周囲を観察していると、ジランドが見慣れたピンクと紫のぬいぐるみを手にしているのに名無しは気がついた。
「ティポ…なんで」
ティポにはいつもの勢いがなかった。ティポはただのぬいぐるみの用にされるがまま、ジランドの手によって装置に入れられる。ティポが設置されると、ジランドが装置を操作する。すると名無しの横の装置に入っている人が突如苦しみだし悲鳴をあげる。聞くに耐えられない悲痛な叫びが響くと、装置内の人から光が溢れだし。光が溢れるほど目の前の人はもがき苦しんでいた。
やがて、装置内の人体がぼろぼろと泡の様に溶け出し、装置の中は空となってしまった。マナの強制抽出実験の話をミラから聞いていたためすぐに名無しはこれがそうなのだと気がつく。
「素晴らしい、これが第三世代の威力か…これならば…」
「なんてことを…!ジランドさん、こんな残酷な事をしてでも帰りたいって言うの!」
叫ぶ名無しを無視しながらジランドは実験を次の段階に移行するため名無しの入っている装置を操作しだす。どうすることもできない名無しは必死にジランドと自らを隔てるガラスを叩いた。
「うるせぇぞ、てめぇは殺さねぇよ。まあ、死んじまったら事故だがな」
笑うことなく、ただ厳しい口調でジランドが言った。先ほどのように憎たらししい笑みを浮かべ悪態をつかれると思っていた名無しはその反応にさらなる恐怖を覚えた。
ふと、名無しの装置の横にはもうひとつ、小さいガラスケースのような装置があることに気が付いた。
ケースの真ん中には、黒匣のエネルギー源である精霊の化石が入っている。
「それは…」
「お前の両親は、こいつのマナを霊力野から僅かに搾取することで黒匣の威力と耐久を向上を考えた。その考えには驚いたぜ。」
「…けれど、あれは化石を霊力野の機関として無理矢理脳に埋め込んで、化石のマナを放出するものよ。擬似的な霊力野を作り出す結果になり、人体にかかる負担も尋常じゃない…」
「だがお前はその実験で生き残っている。そしてなぜその実験の成果として霊力野がなりたったのか、お前の両親はそこまでたどり着かなかった」
「…なにが言いたいの?」
「……」
名無しの言葉に無言を返すとジランドは機械に触れる。脳に直接走る痛みが名無しを襲った。あの時と同じー両親の実験の時ー先日精霊術を練習した時と同じ痛みが、いや、その何倍もの痛みが名無しを襲う。
「あああああああっっ!」
痛み、痛み、痛み。
ただそれだけが名無しの頭にしかなかった。痛みと感じる余裕さえもなかっただろう。蹴り続けられ動くことすら苦痛を強いられる体は痛みに耐えきれず激しく痙攣し暴れてた。
自分でもどう体が跳ねているのか理解できなかった。どこを打ち付けているのかもわからなった。
どこが痛いとか、そういう次元の話ではなかった。
どれぐらいの時間、痛みに襲われていたのかわからないが、気がつくと装置は止まっていた。
意識が飛ぶ寸前に、どうやらジランドが装置を止めたようだった。朦朧とした意識の中で名無しはジランドらしい人物の顔をみると、彼の表情は不気味なほど笑顔だった。
顔の筋肉すら動かせない名無しが、虚ろな表情のままに涙を流れた。
視界からジランドが消えると、再び、名無しの横で誰かの悲鳴が聞こえてきた。きっとまた、先程のように誰かがマナを搾取されているのだろう。あのように惨く人が消える姿は見たくない、名無しはそう思い定まらない焦点のまま目の前を見つめ続けた。
やがて、隣から悲鳴が聞こえてこなくなり静かになる。死んだのかと名無しは呆然と思った。いっそのこと、自分も同じように殺されてしまいたい。そうすればどれほど楽だろう、そんなことを考えいると頭上で装置の動く音がし、またあの痛みが来るのかと名無しは覚悟をした。
だが、痛みではなく逆に暖かいものが名無しの装置に流れ込んでくる。まるで全身を癒してれるように。痛みが引いていくことに気がつきはっとする。
「どうしてっ…!」
「……」
名無しの問いかけにジランドが答えることはなかった。
殺さない、つまりは貴重なサンプル品なのだろう、このまま死なれてはという予防線なのだろうか。
何も答えないジランドの姿が名無しには恐怖だった。
「どうやら、実験はうまくいっているようだな」
突如、今まで空間になかった声が聞こえ名無しは驚く。
声の主を見るなり、ジランドの口調が穏やかになった。この者に対してはこういったキャラ付けで通っているのだろう。ならば、先程名無しの問いに答えなかったのはこの男がやってくるのを察したためなのだろう、と名無しは思った。食えない奴である。
装置の死角でその姿を確認することは出来なかったが僅かに聞こえる会話から、もう一人はナハティガル王だということがわかった。ジランドの突然の腰の低い態度に納得がいった。
ナハティガルに言われ、ジランドが再びマナの搾取の実験を始めた時だった。
「ナハティガル!!!!!」
突如、室内にミラの力強い声が響き名無しは思わず体を起こした。勢い余って、ガラスに額をぶつけたが、全身の痛みに比べればなんてことはなかった。ミラに気が付いてもらえるよう、まだ力の入らない拳を使い、必死の思いでケースを叩く。そのことに気がついたジランドは、名無しを装置から引きずり出すと、雑に担いだままナハティガルの後ろに回った。
ミラは直ぐにナハティガルに斬りかかり、時を同じくしてジュード達もその場に現れた。
「ミラ!」
若い青年の声がした方をジランドが見やる。名無しも知った声がしそちらを向くと、ジュードが階段から飛び降りミラに駆け寄ろうとしていた。
飛び降りたジュードに続いて、ローエン、アルヴィンが室内にやって来る。ジランドとアルヴィンの目が一瞬合い、アルヴィンが目を丸くしたがジランドは何喰わく顔で過ごしている。
「アル…ッむぐ……っ」
目の前に現れた幼馴染みの名前を呼ぼうとしたがジランドによってそれは阻まれた。
ジランド自身が巻き込まれないよう、ナハティガルより離れた後方へと移動する。
ミラがナハティガルによって突き飛ばされると、ナハティガルはミラの容姿を嘲笑い倒れこんだ彼女へと剣を投げた。
このままでは、と誰もが思ったとき一閃の刃が剣の軌道を変えた。
***
刃の軌道を辿ると、ローエンの凛々しい姿が宙にあった。
ローエンの助けに、ナハティガルが口を開く。
「イルベルト、貴様か…」
イルベルトという名前に、この場にいる者たちに動揺が走る。ローエン・J・イルベルト。通称「指揮者」。彼の登場に対しジランドが煽るも、ローエンは言葉を流し仕えるべきドロッセルへと深く頭を下げ彼女の身の安全を確認した。
ナハティガルは、ローエンの執事としての姿を見やると、落ちぶれたと嘆く。このタイミングが好機と思ったのかジランドがナハティガルに退却を提案し、両名はその場から立ち去った。
「いや!離して…っ!いや…っ!」
このままでは、名無しは必死にジランドの拘束から逃れようともがいた。道中、手をかけられそうな所に手を伸ばすも力が足りずすり抜けてしまう。壁のわずかな隙間を見つけ爪を引っ掻けてみるも強引に引き剥がされ、ただ無意味に爪が剥がれたいった。要塞の出口付近に差し掛かったところで、ミラがナハティガル達に追い付き斬りかかる。
その時。
ミラの足についていた枷と要塞の術式が反応し爆発を起こした。
ミラの足が、確実に爆ぜたのを名無しは目の前でみた。
「…っ!ミラ!!!!ミラっ!!…っはなし、て、よぉおぉお!!!」
名無しが思い切り力を入れときだった。何か大きな力が名無しの中で生まれ術式が発動しジランドへ小さな爆発が命中する。
同時に名無し自身も爆風で吹き飛ばされ、運よくジランドの拘束から逃れることができた。しかし、自力で立ち上がれず身もがいているうちに、態勢を立て直したジランドに髪を掴まれてしまった。遠くにミラの名を呼ぶジュードの姿がみえ、皆が次々と出てミラに集まる。
名無しがアルヴィンの姿を確認したところで彼の名を叫んだ。
「アル!!」
「っ!名無し…っ!」
「撃って!早く!!お願い!!!」
「この小娘が…っ」
「ぅあっ」
叫ぶ名無しの髪を強引に引っ張りジランドは連れていこうとする。それでも連れて行かれまいと、抵抗しながら名無しはアルヴィンに自分を撃つよう叫んだ。
「アル!」
「…ちぃっはずしても知らねぇぞ!!!」
アルヴィンが銃を撃つと、銃弾は掴まれていた名無しの髪にあたり、名無しの髪が千切れがくんと体が落る。名無しは今度こそ逃れようと必死にジュード達のところに掛けようとするも、やはり足がもつれうまく進むことができなかった。ジランドがアルヴィンを見ると軽く舌打ちを、次に名無しに視線を睨みつける。
また捕まるのか、と思ったがジランドはナハティガルを追うように、その場から立ち去った。
その一方で、ジュードは早くミラを治療するようエリーゼ訴えかけていた。当のミラは、気を失っているのかまるで反応がない。
なかなか治癒の傾向の見えないミラの足を見てジュードが嘆く。
「どうしてこんなことに…っ!」
ジュードの叫びに答えるように、アルヴィンが何か呟いたがその声はどこにも届いていなかった。
名無しも、倒れている場合ではないと力を振り絞り這って仲間の元へ向かう。名無しに気がついたローエンが駆け寄り体を支えてくれた。
要塞内に脱走者の通達が走ると、セキュリティのためゴーレムが動き出す。今あれと戦うわけにはいかないため、皆は用意していた脱走用の馬車に急ぎ乗り込み要塞から脱出した。
馬車の中でも、ジュードはミラの治癒をし続ける。ローエンが事の終始見ていたであろう名無しに、なぜこのようなことが起きたのか、遠慮がちに尋ねる。
「ミラが迷わず呪帯に、それで足枷が爆発しただけです…ナハティガルはなにもしてなかった…ただそれだけ…」
「それだけって!」
名無しの報告にジュードが強い口調で反応した。言われても仕方がないという気持ちと、あの場でどうすればよかったのかという気持ちから名無しは何も返せず黙ってしまう。力の入らない手を気持ちを押し殺すように握る名無しの手から血が滴っていた。
その様子に気が付いたローエンが名無しの手を握り首を振る。そしてエリーゼに指の治癒をするよう頼んだ。
「名無しの指もぐちゃぐちゃー…っ」
「エリーゼ、私は大丈夫だから、こんなの見なくて良いのよ」
「大丈夫、私治しますから!」
「ぐちゃぐちゃなのは嫌だけど、痛いのも嫌だよー」
「…ん、ありがとう」
お礼にエリーゼを撫でたかったが、今の手ではできない。無力が形になったような自分の手を名無し見つめることしかできなかった。
もうすぐ、カラハ・シャールにつく。
カラハ・シャールにつけば、ミラもきっとよくなるだろう。
悲願にも似た思い乗せたまま、馬車はカラハ・シャールへと向かうのだった。
***
屋敷に入るなり、一行を迎えたのは医者ではなくクレインの訃報だった。男性陣は現場に立ち会っていたため驚くことはなかったが、名無しとエリーゼはあまりの報せに動揺が隠せない。ドロッセルの反応は、皆が思っているよりも静かなものでその反応が逆に物悲しさを呼んだ。
クレインの件ももちろんだが、今はミラの容態を優先しなくてはならない。ドロッセルのことはローエンに任せ、急いで医者を呼びジュードと医者が治療のためミラを寝かせた部屋に入っていった。
名無しもその場で別の医者に怪我を診てもらう。名無しの場合は爪が剥がれただけのことなので直ぐに治療が済んだ。医者がその場を去ると、先程からチラチラと見ていたエリーゼが名無しに話しかける。
「名無し、あの、手出してください」
「ん?どうしたのエリーゼ」
「手、あの、怖くない、ですから、名無しの手、私が…っ」
「いいのよ、エリーゼのお陰で血は止まってるし。さっき先生にもやってもらったから。爪なんて直ぐ生えてくるから、ね?」
「よくねぇだろ、痛みはまだ引いてないんだろ?だったらエリーゼにやってもらえよ。あと、じいさんに頼んで理髪師にも来てもらわないとな」
「あ、そっか…髪…」
部分的に短くなった自分の髪の毛のことを思い出す。手探りでその部分をさがすと、感覚的にはそこまで短くなったようには思えなかった。
「んー…巻き込んじゃえば大丈夫だと思うけど」
「そういうわけにもいきません。直ぐに手配いたします。」
「っ!ローエンさん!」
先程までドロッセルの側にいたローエンが戻ってくるなり、理髪師の手配をする。手配をすますとローエンはドロッセルの様子を三人に伝えた、流石にあのようなことがあったため彼女はもう休むとのことだった。
ローエンが話終えると、ジュードと医者がミラの様子を伝えに来る。今夜が峠だろうということだった。医者が皆に休むことを勧めたがジュードがミラの様子を見ると言うのでローエンが彼に任せようと医者を客室へと案内した。
「ミラ君…死んじゃうんだね…」
ティポの発言にジュードの表情が強張るもすぐに大丈夫と発した。ジュードが皆に休むことを勧めると、エリーゼもミラの看病を手伝うといった。
アルヴィンは治癒術の心得がないため、休むということにした。
名無しも何か手伝えないか、そう尋ねようとした時アルヴィンが名無しを制止する。
「お前もこっちだろ。まずは髪の毛。」
「え…でも、私、ちょっとアルっ」
「アルヴィン、名無しのことよろしくね」
「ミラ様は任せたぜ、優等生」
名無しの訴えを無視し、アルヴィンはそのまま外へと出ていった。つままれたまま、アルヴィン引っ張られ歩きづらくてたまらなかった名無しが彼の手を振り払うと、今度は抱きかかえようとされる。
「歩けるからそういうの大丈夫だって!」
「だからするんでしょうが」
「に、逃げたりしないわよ」
「そんな手になるまで足掻いた形跡があるお転婆を信用しろって…?」
「うぐ…、せめて自分で歩かせて」
名無しが観念したのをみて、アルヴィンがやれやれといった様子で降ろした。理髪師は宿屋にくるよう手配してあるらしくそちらに向かうことにした。二人は会話をすることなく途中まで歩いていたが、沈黙に我慢が出来なかった名無しがアルヴィンに話しかける。
「…気にしてるの?」
「なにを」
「私の髪」
「……」
「ほんとに、大丈夫だから」
「お前なっ」
「撃ってくれたこと感謝してるから。あそこで撃ってくれなかったら今ここにいれなかっただろうし」
「自分に当たってたかもしれないのによく言うな」
「それでも、良かったかも。あのまま実験台にされ続けるよりましよ。」
それでは、どちらにしろこの場にいれなかった可能性があったのにかわりはないではないか、とアルヴィンが深いため息をつく。その様子を見て何故か名無しはくすくすと笑いだした。
「なにがおかしいの、おたく」
「ありがとう、心配してくれてたんでしょ?」
「…!」
「私、…強くなるから。今度はちゃんと、私があなたのこと守れるぐらい。」
「お前なにいって…」
「そのまんま」
そういうと、名無しはアルヴィンよりも数歩前に出た。
出た、というよりアルヴィンが突如歩くのを止めたため自然と出てしまった。視界の後ろに消えていくアルヴィンに気がつき名無しが振り返る。どうしたの、と言いたげに名無しは首をかしげると手を差し出して言う。
「いこ、アルヴィン」
喉元まででかかった言葉をすべて圧し殺し、アルヴィンはその手を握る代わりに軽いタッチをし応えた。
ーー神様、神様
あなたが存在するというのなら
どうか願いを聞いてください
ーー神様、神様
どうか僅かに残った星屑を
どうか僕の前からすべて消してください
僕がそれを
望まないように
僕がそれを
掴まないようにーーー
.
意識を覚醒させていくうちに、次第に感じる全身に走る痛みが何が起きたのかを名無しに思い出させた。
自分が今どういった状況下にあるのか確かめようと、まず室内を見渡してみる。
室内には一切窓はなく外の様子を確かめることは不可能。時計や机といった備品も見当たらず、名無し以外にはなにも存在していない。
もう少し詳しく調べようと立ち上がると、足元で大きな金属音がしたと同時に、名無しは受け身も取れずに転けた。
「いたた…。なんなのもう、ってこれ鎖?…べたね」
悪態をつきつつ自信を繋いでいる鎖を手に取り弄ぶ。
囚われの身になったことを理解しながらジャラジャラと鎖を鳴らし名無しはため息をついた。状況から見て同じくミラたちがどこかに囚われてるはずなのだ。
なんとかしてここから脱出したいところだが、よく考えればラ・シュガル兵にとらえられたのだ。自分を狙う理由や実験の目的などを聞き出すには絶好のチャンスであるのも間違いない。当然、相手が簡単に名無しの質問に答えてくれる保証はない。
少しいらつきを覚えた名無しは、手にしていた鎖を八つ当たりするかのように床に叩きつけた。
すると、一人の男が室内にはいってきた。その男の顔を確かめ名無しは顔を歪める。
「そんな顔するなよ、折角良い女に育ったんだ。もったいねぇだろ?くくくっ」
男は名無しとは反対に愉快そうに笑った。
「ジランド…参謀副長…」
「名乗った覚えはねぇがな、流石に調べたか?」
「それほどの地位なら調べる以前の問題よ、それなりの人に聞けば直ぐに答えてもらえたわ」
「はっ、シャール家か」
「…それで、私になんの用なんですか、両親の研究データならそっちに丸々残ってるはずでしょ」
「何の用、だ?ははははっ」
質問を復唱し、ジランドは何がおかしいのか愉快そうに笑う。
耳障りな声に名無しはさらに顔を歪めるると、連動するかのようにジランドが名無しの髪を鷲掴みにし再び愉しそうに口を開いた。
「おいおい、良い子ぶんなよ?お前の両親のデータなんざとっくに必要ねぇんだ。必要なのは実験台だよ、お前の頭ん中のな」
「そんなの、私なんか使わないであなた自身か他の人を使えば良いじゃない…っ」
「よく動く口だな」
反論をする名無しが気に食わないジランドは、躊躇なく名無しの側頭部を強く蹴る。しっかりと固定された状態で蹴りを入れられたため、逃げ場のない痛みが頭部を支配した。
「…がぁっ!」
「お前はおとなしく今度は俺の実験台になればいいんだよ。…たく、たかがお前なんか捕らえるのに使えない奴ばかりで腹が立つぜ。こんな戦えもしねぇやつなのによ。出来の悪い甥を持った俺は最高に不幸だな。」
「ぐ…っ…はぁはぁ…っどういう意味…」
「聞かなくてもわかってんだろ?死ななければ手段は選ぶなとは言ったがなぁ。想像以上に時間がかけやがって、本当使えないやつだ」
「……」
「レティシャの奴も悲しむだろうなぁ、手前のために働いてるつていう息子がちゃんと仕事しねぇんだからな!ははははっ!!」
よくわかった、とでも言いたげにジランドは名無しの腹部に蹴りを入れ続ける。その蹴りは名無しに向けられた感情ではなく、明らかに憂さ晴らし、八つ当たりといったものであり、力加減など当然なく何度も何度も容赦なく名無しの腹にあてられた。腹ではあきたらず、ジランドはそのうち名無しの全身を好きなだけ蹴り続ける。一発、また一発と入る度に声にならない叫びが名無しから漏れ、時折彼女の胃の中にあるものをだらしなく床に吐き出させた。
「おっと、死ぬんじゃねぇぞ。お前にはこれから役に立ってもらうんだからな」
こんなに暴行されたかわいそうに、とまるで他人事のようにジランドは吐き捨てると、名無しを繋いでいた鎖を外す。抵抗しなくなった名無しを担ぎ上げると、どこか別室へと連れていった。
新たに連れてこられた部屋には、人1人を収容できる大きなの装置が設置されていた。一つには既に人が入っており、名無しはそのすぐ横に並べられた装置に押し込められた。
一体何の装置なのか、入れられた装置のガラス越しに周囲を観察していると、ジランドが見慣れたピンクと紫のぬいぐるみを手にしているのに名無しは気がついた。
「ティポ…なんで」
ティポにはいつもの勢いがなかった。ティポはただのぬいぐるみの用にされるがまま、ジランドの手によって装置に入れられる。ティポが設置されると、ジランドが装置を操作する。すると名無しの横の装置に入っている人が突如苦しみだし悲鳴をあげる。聞くに耐えられない悲痛な叫びが響くと、装置内の人から光が溢れだし。光が溢れるほど目の前の人はもがき苦しんでいた。
やがて、装置内の人体がぼろぼろと泡の様に溶け出し、装置の中は空となってしまった。マナの強制抽出実験の話をミラから聞いていたためすぐに名無しはこれがそうなのだと気がつく。
「素晴らしい、これが第三世代の威力か…これならば…」
「なんてことを…!ジランドさん、こんな残酷な事をしてでも帰りたいって言うの!」
叫ぶ名無しを無視しながらジランドは実験を次の段階に移行するため名無しの入っている装置を操作しだす。どうすることもできない名無しは必死にジランドと自らを隔てるガラスを叩いた。
「うるせぇぞ、てめぇは殺さねぇよ。まあ、死んじまったら事故だがな」
笑うことなく、ただ厳しい口調でジランドが言った。先ほどのように憎たらししい笑みを浮かべ悪態をつかれると思っていた名無しはその反応にさらなる恐怖を覚えた。
ふと、名無しの装置の横にはもうひとつ、小さいガラスケースのような装置があることに気が付いた。
ケースの真ん中には、黒匣のエネルギー源である精霊の化石が入っている。
「それは…」
「お前の両親は、こいつのマナを霊力野から僅かに搾取することで黒匣の威力と耐久を向上を考えた。その考えには驚いたぜ。」
「…けれど、あれは化石を霊力野の機関として無理矢理脳に埋め込んで、化石のマナを放出するものよ。擬似的な霊力野を作り出す結果になり、人体にかかる負担も尋常じゃない…」
「だがお前はその実験で生き残っている。そしてなぜその実験の成果として霊力野がなりたったのか、お前の両親はそこまでたどり着かなかった」
「…なにが言いたいの?」
「……」
名無しの言葉に無言を返すとジランドは機械に触れる。脳に直接走る痛みが名無しを襲った。あの時と同じー両親の実験の時ー先日精霊術を練習した時と同じ痛みが、いや、その何倍もの痛みが名無しを襲う。
「あああああああっっ!」
痛み、痛み、痛み。
ただそれだけが名無しの頭にしかなかった。痛みと感じる余裕さえもなかっただろう。蹴り続けられ動くことすら苦痛を強いられる体は痛みに耐えきれず激しく痙攣し暴れてた。
自分でもどう体が跳ねているのか理解できなかった。どこを打ち付けているのかもわからなった。
どこが痛いとか、そういう次元の話ではなかった。
どれぐらいの時間、痛みに襲われていたのかわからないが、気がつくと装置は止まっていた。
意識が飛ぶ寸前に、どうやらジランドが装置を止めたようだった。朦朧とした意識の中で名無しはジランドらしい人物の顔をみると、彼の表情は不気味なほど笑顔だった。
顔の筋肉すら動かせない名無しが、虚ろな表情のままに涙を流れた。
視界からジランドが消えると、再び、名無しの横で誰かの悲鳴が聞こえてきた。きっとまた、先程のように誰かがマナを搾取されているのだろう。あのように惨く人が消える姿は見たくない、名無しはそう思い定まらない焦点のまま目の前を見つめ続けた。
やがて、隣から悲鳴が聞こえてこなくなり静かになる。死んだのかと名無しは呆然と思った。いっそのこと、自分も同じように殺されてしまいたい。そうすればどれほど楽だろう、そんなことを考えいると頭上で装置の動く音がし、またあの痛みが来るのかと名無しは覚悟をした。
だが、痛みではなく逆に暖かいものが名無しの装置に流れ込んでくる。まるで全身を癒してれるように。痛みが引いていくことに気がつきはっとする。
「どうしてっ…!」
「……」
名無しの問いかけにジランドが答えることはなかった。
殺さない、つまりは貴重なサンプル品なのだろう、このまま死なれてはという予防線なのだろうか。
何も答えないジランドの姿が名無しには恐怖だった。
「どうやら、実験はうまくいっているようだな」
突如、今まで空間になかった声が聞こえ名無しは驚く。
声の主を見るなり、ジランドの口調が穏やかになった。この者に対してはこういったキャラ付けで通っているのだろう。ならば、先程名無しの問いに答えなかったのはこの男がやってくるのを察したためなのだろう、と名無しは思った。食えない奴である。
装置の死角でその姿を確認することは出来なかったが僅かに聞こえる会話から、もう一人はナハティガル王だということがわかった。ジランドの突然の腰の低い態度に納得がいった。
ナハティガルに言われ、ジランドが再びマナの搾取の実験を始めた時だった。
「ナハティガル!!!!!」
突如、室内にミラの力強い声が響き名無しは思わず体を起こした。勢い余って、ガラスに額をぶつけたが、全身の痛みに比べればなんてことはなかった。ミラに気が付いてもらえるよう、まだ力の入らない拳を使い、必死の思いでケースを叩く。そのことに気がついたジランドは、名無しを装置から引きずり出すと、雑に担いだままナハティガルの後ろに回った。
ミラは直ぐにナハティガルに斬りかかり、時を同じくしてジュード達もその場に現れた。
「ミラ!」
若い青年の声がした方をジランドが見やる。名無しも知った声がしそちらを向くと、ジュードが階段から飛び降りミラに駆け寄ろうとしていた。
飛び降りたジュードに続いて、ローエン、アルヴィンが室内にやって来る。ジランドとアルヴィンの目が一瞬合い、アルヴィンが目を丸くしたがジランドは何喰わく顔で過ごしている。
「アル…ッむぐ……っ」
目の前に現れた幼馴染みの名前を呼ぼうとしたがジランドによってそれは阻まれた。
ジランド自身が巻き込まれないよう、ナハティガルより離れた後方へと移動する。
ミラがナハティガルによって突き飛ばされると、ナハティガルはミラの容姿を嘲笑い倒れこんだ彼女へと剣を投げた。
このままでは、と誰もが思ったとき一閃の刃が剣の軌道を変えた。
***
刃の軌道を辿ると、ローエンの凛々しい姿が宙にあった。
ローエンの助けに、ナハティガルが口を開く。
「イルベルト、貴様か…」
イルベルトという名前に、この場にいる者たちに動揺が走る。ローエン・J・イルベルト。通称「指揮者」。彼の登場に対しジランドが煽るも、ローエンは言葉を流し仕えるべきドロッセルへと深く頭を下げ彼女の身の安全を確認した。
ナハティガルは、ローエンの執事としての姿を見やると、落ちぶれたと嘆く。このタイミングが好機と思ったのかジランドがナハティガルに退却を提案し、両名はその場から立ち去った。
「いや!離して…っ!いや…っ!」
このままでは、名無しは必死にジランドの拘束から逃れようともがいた。道中、手をかけられそうな所に手を伸ばすも力が足りずすり抜けてしまう。壁のわずかな隙間を見つけ爪を引っ掻けてみるも強引に引き剥がされ、ただ無意味に爪が剥がれたいった。要塞の出口付近に差し掛かったところで、ミラがナハティガル達に追い付き斬りかかる。
その時。
ミラの足についていた枷と要塞の術式が反応し爆発を起こした。
ミラの足が、確実に爆ぜたのを名無しは目の前でみた。
「…っ!ミラ!!!!ミラっ!!…っはなし、て、よぉおぉお!!!」
名無しが思い切り力を入れときだった。何か大きな力が名無しの中で生まれ術式が発動しジランドへ小さな爆発が命中する。
同時に名無し自身も爆風で吹き飛ばされ、運よくジランドの拘束から逃れることができた。しかし、自力で立ち上がれず身もがいているうちに、態勢を立て直したジランドに髪を掴まれてしまった。遠くにミラの名を呼ぶジュードの姿がみえ、皆が次々と出てミラに集まる。
名無しがアルヴィンの姿を確認したところで彼の名を叫んだ。
「アル!!」
「っ!名無し…っ!」
「撃って!早く!!お願い!!!」
「この小娘が…っ」
「ぅあっ」
叫ぶ名無しの髪を強引に引っ張りジランドは連れていこうとする。それでも連れて行かれまいと、抵抗しながら名無しはアルヴィンに自分を撃つよう叫んだ。
「アル!」
「…ちぃっはずしても知らねぇぞ!!!」
アルヴィンが銃を撃つと、銃弾は掴まれていた名無しの髪にあたり、名無しの髪が千切れがくんと体が落る。名無しは今度こそ逃れようと必死にジュード達のところに掛けようとするも、やはり足がもつれうまく進むことができなかった。ジランドがアルヴィンを見ると軽く舌打ちを、次に名無しに視線を睨みつける。
また捕まるのか、と思ったがジランドはナハティガルを追うように、その場から立ち去った。
その一方で、ジュードは早くミラを治療するようエリーゼ訴えかけていた。当のミラは、気を失っているのかまるで反応がない。
なかなか治癒の傾向の見えないミラの足を見てジュードが嘆く。
「どうしてこんなことに…っ!」
ジュードの叫びに答えるように、アルヴィンが何か呟いたがその声はどこにも届いていなかった。
名無しも、倒れている場合ではないと力を振り絞り這って仲間の元へ向かう。名無しに気がついたローエンが駆け寄り体を支えてくれた。
要塞内に脱走者の通達が走ると、セキュリティのためゴーレムが動き出す。今あれと戦うわけにはいかないため、皆は用意していた脱走用の馬車に急ぎ乗り込み要塞から脱出した。
馬車の中でも、ジュードはミラの治癒をし続ける。ローエンが事の終始見ていたであろう名無しに、なぜこのようなことが起きたのか、遠慮がちに尋ねる。
「ミラが迷わず呪帯に、それで足枷が爆発しただけです…ナハティガルはなにもしてなかった…ただそれだけ…」
「それだけって!」
名無しの報告にジュードが強い口調で反応した。言われても仕方がないという気持ちと、あの場でどうすればよかったのかという気持ちから名無しは何も返せず黙ってしまう。力の入らない手を気持ちを押し殺すように握る名無しの手から血が滴っていた。
その様子に気が付いたローエンが名無しの手を握り首を振る。そしてエリーゼに指の治癒をするよう頼んだ。
「名無しの指もぐちゃぐちゃー…っ」
「エリーゼ、私は大丈夫だから、こんなの見なくて良いのよ」
「大丈夫、私治しますから!」
「ぐちゃぐちゃなのは嫌だけど、痛いのも嫌だよー」
「…ん、ありがとう」
お礼にエリーゼを撫でたかったが、今の手ではできない。無力が形になったような自分の手を名無し見つめることしかできなかった。
もうすぐ、カラハ・シャールにつく。
カラハ・シャールにつけば、ミラもきっとよくなるだろう。
悲願にも似た思い乗せたまま、馬車はカラハ・シャールへと向かうのだった。
***
屋敷に入るなり、一行を迎えたのは医者ではなくクレインの訃報だった。男性陣は現場に立ち会っていたため驚くことはなかったが、名無しとエリーゼはあまりの報せに動揺が隠せない。ドロッセルの反応は、皆が思っているよりも静かなものでその反応が逆に物悲しさを呼んだ。
クレインの件ももちろんだが、今はミラの容態を優先しなくてはならない。ドロッセルのことはローエンに任せ、急いで医者を呼びジュードと医者が治療のためミラを寝かせた部屋に入っていった。
名無しもその場で別の医者に怪我を診てもらう。名無しの場合は爪が剥がれただけのことなので直ぐに治療が済んだ。医者がその場を去ると、先程からチラチラと見ていたエリーゼが名無しに話しかける。
「名無し、あの、手出してください」
「ん?どうしたのエリーゼ」
「手、あの、怖くない、ですから、名無しの手、私が…っ」
「いいのよ、エリーゼのお陰で血は止まってるし。さっき先生にもやってもらったから。爪なんて直ぐ生えてくるから、ね?」
「よくねぇだろ、痛みはまだ引いてないんだろ?だったらエリーゼにやってもらえよ。あと、じいさんに頼んで理髪師にも来てもらわないとな」
「あ、そっか…髪…」
部分的に短くなった自分の髪の毛のことを思い出す。手探りでその部分をさがすと、感覚的にはそこまで短くなったようには思えなかった。
「んー…巻き込んじゃえば大丈夫だと思うけど」
「そういうわけにもいきません。直ぐに手配いたします。」
「っ!ローエンさん!」
先程までドロッセルの側にいたローエンが戻ってくるなり、理髪師の手配をする。手配をすますとローエンはドロッセルの様子を三人に伝えた、流石にあのようなことがあったため彼女はもう休むとのことだった。
ローエンが話終えると、ジュードと医者がミラの様子を伝えに来る。今夜が峠だろうということだった。医者が皆に休むことを勧めたがジュードがミラの様子を見ると言うのでローエンが彼に任せようと医者を客室へと案内した。
「ミラ君…死んじゃうんだね…」
ティポの発言にジュードの表情が強張るもすぐに大丈夫と発した。ジュードが皆に休むことを勧めると、エリーゼもミラの看病を手伝うといった。
アルヴィンは治癒術の心得がないため、休むということにした。
名無しも何か手伝えないか、そう尋ねようとした時アルヴィンが名無しを制止する。
「お前もこっちだろ。まずは髪の毛。」
「え…でも、私、ちょっとアルっ」
「アルヴィン、名無しのことよろしくね」
「ミラ様は任せたぜ、優等生」
名無しの訴えを無視し、アルヴィンはそのまま外へと出ていった。つままれたまま、アルヴィン引っ張られ歩きづらくてたまらなかった名無しが彼の手を振り払うと、今度は抱きかかえようとされる。
「歩けるからそういうの大丈夫だって!」
「だからするんでしょうが」
「に、逃げたりしないわよ」
「そんな手になるまで足掻いた形跡があるお転婆を信用しろって…?」
「うぐ…、せめて自分で歩かせて」
名無しが観念したのをみて、アルヴィンがやれやれといった様子で降ろした。理髪師は宿屋にくるよう手配してあるらしくそちらに向かうことにした。二人は会話をすることなく途中まで歩いていたが、沈黙に我慢が出来なかった名無しがアルヴィンに話しかける。
「…気にしてるの?」
「なにを」
「私の髪」
「……」
「ほんとに、大丈夫だから」
「お前なっ」
「撃ってくれたこと感謝してるから。あそこで撃ってくれなかったら今ここにいれなかっただろうし」
「自分に当たってたかもしれないのによく言うな」
「それでも、良かったかも。あのまま実験台にされ続けるよりましよ。」
それでは、どちらにしろこの場にいれなかった可能性があったのにかわりはないではないか、とアルヴィンが深いため息をつく。その様子を見て何故か名無しはくすくすと笑いだした。
「なにがおかしいの、おたく」
「ありがとう、心配してくれてたんでしょ?」
「…!」
「私、…強くなるから。今度はちゃんと、私があなたのこと守れるぐらい。」
「お前なにいって…」
「そのまんま」
そういうと、名無しはアルヴィンよりも数歩前に出た。
出た、というよりアルヴィンが突如歩くのを止めたため自然と出てしまった。視界の後ろに消えていくアルヴィンに気がつき名無しが振り返る。どうしたの、と言いたげに名無しは首をかしげると手を差し出して言う。
「いこ、アルヴィン」
喉元まででかかった言葉をすべて圧し殺し、アルヴィンはその手を握る代わりに軽いタッチをし応えた。
ーー神様、神様
あなたが存在するというのなら
どうか願いを聞いてください
ーー神様、神様
どうか僅かに残った星屑を
どうか僕の前からすべて消してください
僕がそれを
望まないように
僕がそれを
掴まないようにーーー
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