Like a Dragon
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あらたまに憧憬
毛布にくるまったままベランダに出ると、白んだ吐息が冴えわたった空気に溶けていく。そろそろ日付も変わろうとしている時刻だというのに、積もった雪のおかげか、あたりは煌々として明るかった。
大晦日。田舎、と呼ぶにふさわしいこの故郷はひと気もなく、ひっそりと一年の幕を下ろそうとしている。息づかいさえも響くようなしじまには懐かしささえ憶える。異人町の喧しい夜にすっかり馴染んでしまっていたものだから、この時間が本来静かなものだということを忘れかけていた。
たまには帰ってきなさい。母から電話でそう告げられたのは二週間ほど前のこと。
そのころ、ぼんやりとだけれど、すでに年末年始の予定は決めていたものだから困った。サバイバーでの年越しパーティーと、わたしの恋人が生まれた大事な日。年の瀬からのスケジュールは、それでぜんぶ埋めるつもりでいたのだ。
たしかに仕事やこっちでできた友人と過ごすのに忙しくて、実家とは疎遠になりつつあったことは否めない。それでも「帰ってきなさい」とむこうからお呼びがかかるのはめずらしいことだったから、わたしははっきりと断れなかった。
「たまにはゆっくりしてこいよ」
家族と恋人とのあいだで板挟みにされ、逡巡していたわたしの胸中を汲みとるように、一番さんはあっけらかんとして言った。俺に気ぃなんか遣うな、あとで祝ってくれりゃあじゅうぶんだから、と。
そんな彼のやさしさに甘えてしまって、わたしは今朝、横浜を出たのだ。しかしいざ実家で過ごしていても、頭をもたげるのは一番さんのこと。いまごろ仲間たちと飲み交わしているのかな、とか、誕生日に傍にいてくれない恋人に嫌気がさしていないだろうか、とか――考えすぎるあまり、さっきなんて母に呼ばれているのにしばらく気がつかなかった。
これじゃあいけない。たまの帰省で親に心配をかけることだけは、絶対に避けたかった。わざわざ寒空の下までやってきたのは、ちゃんと己の気持ちに折り合いをつけるためだ。
ポケットからスマホを取り出して電話帳をひらき、通話履歴のいちばん上に残された縁起のいい名前をタップする。耳に押し当てたコール音は、幾度か流れたところで途切れた。
「なまえ? どうかしたのか」
「一番さん。いま平気ですか?」
「おう。ちょうど、ひとりで呑んで暇してたところだしよ」
ひとり、と、首を傾げる。だって、今夜はさっちゃんやみんなと朝まで呑む予定だったはずだ。……わたしも含めて。
「みんなは?」
「聞いてくれよ。あいつら、そろそろ年も明けるってのに酔いつぶれて寝てやがんだ、ったく」
ため息まじりの声を聞いて、ほとほと肩を落とす彼の姿が目に浮かぶ。おまけにサバイバーで雑魚寝しているみんなのようすも容易に想像できてしまって、わたしの顔は自然とほころぶ。
「それじゃあ、このままいっしょに年越ししますか」
「そいつぁうれしいお誘いだけどよ……いいのか?」
わたしの家族のことを思案したらしい彼は、こちらを気遣うような疑問を投げかける。
いいんです、そんなの。一縷の迷いもなく返すと、一番さんは何か言いたげにひと呼吸置いてから、そっか、と納得した。
「今年は世話んなったな」
「こちらこそ。お世話になりました」
しきたりのようなやりとり。それは当然のようにさらりと交わされたものの、わたしは彼への感謝の念でいっぱいだった。こんな言葉だけでは到底足りないほどに。
一番さんは本当に献身的だ。誰かのためにこんなにも一生懸命になれるひとを、わたしはほかにしらない。
みんなの頼みや悩みを、いやな顔ひとつしないで聞いて。疲れないの、って聞いたら、一番さんは「困っている仲間の力になることこそが俺の原動力なんだ」って笑った。
それはきっと素晴らしいことで、賞賛に値するのだけれど、同時にわたしには見ていられなかった。いつか負担に押し潰されてしまわないかと気が気じゃなかった。だから、そんな彼を受け止めてあげられる、唯一無二の存在になりたい。そう思って一番さんとお付き合いすることを決めたのに、結局はわたしも彼に支えられてばかりで、何かをしてあげられた試しがない。
「一分、切ったな」
「……あっという間ですね」
耳からスマートフォンを遠ざけて、画面のなかでリアルタイムに動く時計を確認する。
今年もあと数秒で終わり。べつに緊張することなんかなんにもないはずなのに、わたしと一番さんはふたりして口を閉ざし、ただそのときをじっと待った。
やがて三つの針が頂点で重なりあう。とおくで響む、除夜の鐘。あたらしい一年の幕開けだ。
「あけましておめでとうございます」
「おう、おめでとさん」
それから――。つめたい空気を深く吸いこんで、何より伝えたかった言葉の準備をする。
「お誕生日おめでとう、一番さん」
「……おう。ありがとよ」
やわらかな声が電話越しに触れたとたん、どうにもやるせない思いになった。彼の、一年でたった一度しか訪れない、いちばん大切な日をとなりで迎えられないことが。
「一番さん、わたし、わたしね。こっちに帰ってきたこと、ちょっとだけ後悔してる。やっぱり一番さんのとなりで新年を迎えるべきだったなあ、って」
年明け早々、ぐずぐず泣きそうになっている自分が情けない。こんな泣きごとを言っても一番さんを困らせるだけだってわかってるのに。
「俺はいつでもここにいるぜ」
「……え?」
「あんたが帰ってくんのを、いつでもここで待ってる。けど家族そろって過ごせる時間ってのは、いつまでも続くもんじゃねえだろ」
そんなの、両親を亡くしている彼が言うと説得力がありすぎる。わたしはぐうの音も出せず、ひやりとした手すりに突っ伏した。まるで先生に説き伏せられた駄々っ子だ。
「なまえ。月、見えるかい?」
唐突に浮上した話題に頭を上げる。のろのろと手すりから身を乗り出して、彼の言うそれを空から探した。
「きれいなもんだなあ」
一番さんの感嘆の声とともに、わたしもはっと息を呑む。月は夜空に貼り付けたシールみたいに、その輪郭をくっきりと映している。青白く、存在感のある、うつくしい三日月だった。
本当だ、すごくきれい。うっとりと零すと、同じものが見えている事実が相当うれしかったのか、一番さんはころころ笑った。その声だけで、彼に逢いたい気持ちは何倍にも膨れ上がる。
すぐさまあの月を飛び越えて、一番さんのところに行けたらいいのに。明かりを浴びて、きれいだな、って笑う横顔は、やっぱりとなりで見たい。
うつつを抜かすわたしを現実へ引き戻すみたいに、背後の窓ガラスが、こん、こん、とノックされた。振りむいた先で、カーテンのわずかな隙間から母が顔を覗かせている。
「ごめんなさい。お母さんが、ちょっと……」
まだ戻れない。否、戻りたくないと、母に向かってかぶりを左右に振ってみせた。母はただうなずいて、何も聞かずに部屋の奥へと戻っていく。
「行ってやれ」
「でも」
「なまえ」
呼ばれて、押し黙る。一番さんに諭されてしまっては、素直に従うほかに選択肢があるとは思えない。わたしは、はい、としぶしぶ飲み下した。
「じゃあ、よ。親御さんにもよろしく言っといてくれや」
「はい、もちろん」
「頼んだぜ。そんじゃ、おやすみ」
お別れの言葉を告げあっても、通話はすぐには終わらない。一番さんと電話をしたらわたしから切るのがふたりのきまりごとだ。うしろ髪を引かれる思いで受話器の描かれた赤いボタンをタップしかけたとき、ふと、考えが浮かんで指を止めた。
「あの、一番さん」
ふたたびその名前を呼びかけると、まだちゃんと耳を傾けてくれていた彼が「どうした」と応えた。
ガラスのむこうでは家族がそろって食卓に着き、テレビの特番を観ながら談笑している。そこには決まってわたしが座る席と、ふだん使わない椅子がひとつ余分に置かれている。
「来年は一緒にこっちに来ませんか」
年が明けて、ものの数分だっていうのに。もう来年の話をするだなんて、きっと気がはやいって笑われるにちがいない。
吐露してしまった逸る気持ちを、やっぱりなんでもないです、と帳消しにしようとした。けれど手遅れだった。いや、先を越された、と言うべきか。
「……いいのか?」
呆気にとられたような、それでいて上擦った声色。彼がこんなふうに食いついてくるだなんて予想だにしなかったものだから、こちらもついつい唖然としてしまった。
たぶんいま、お互いそっくりな顔をしているんだろうな。そう思ったらじわじわとこみ上げてくるものがあって、たまらず吹き出してしまった。
来年のいまごろはあの場所で、ふたりで肩を並べている。ほとんど確信に似た予感がしていた。どうしてかは、わからないけれど。
2023.01.01