第七章 幸福な悪夢の中で。


 有栖は、眠れていなかった。
 目を閉じても、警報音が耳に残る。

 焼けた匂い。
 悲鳴。
 瓦礫の崩れる音。

 それが頭の奥に張り付いて、離れない。
 だから最近は、目を閉じるのが怖かった。

 ◇

「有栖ちゃん、大丈夫?」

 避難所の簡易通路で、美宇が声をかける。
 有栖は反射的に笑った。

「うん、平気」

 嘘だった。
 でも、誰も平気じゃない。
 だから言わない。 言えるわけがない。

 茉依が死んでから、美宇は壊れかけていた。
 今にも泣き出しそうな顔で、それでも前に立っている。

 だから有栖は、これ以上負担をかけたくなかった。

「……少し休んでていいよ」
「大丈夫だって」

 そう言った瞬間。
 照明が、ちらついた。
 ぶつっ、と音を立てて、避難所の電気が落ちる。

「……え?」

 暗闇。 ざわめき。子供の泣き声。

『非常電源へ切り替え――』

 アナウンスが途切れる。
 嫌な気配がした。

「下がって!」

 有栖が叫ぶ。
 その瞬間。
 通路の奥で、“何か”が笑った。

 ◇

 幻像型ヴィラン。
 後にそう呼ばれることになる個体だった。
 そいつは、直接襲ってこない。

 ただ、 “見せる”。
 一番欲しかったものを。

 ◇

 気付けば、有栖は知らない部屋に立っていた。

「……あれ」

 暖かい。 柔らかい光。
 静かな空気。
 戦場じゃない。
 血の匂いもしない。
 そこは、昔の家のリビングだった。

「……なんで」

 机。
 カーテン。
 壁時計。

 全部覚えてる。
 忘れたことなんて、一度もない。

「有栖」

 声がした。
 有栖の呼吸が止まる。
 振り返ると、そこにいたのは。

「……お母、様」

 母親だった。
 優しく笑っている。
 その隣には父親もいた。

 昔と同じ顔。
 昔と同じ声。

「えらいね」

 母親が言う。

「本当によく頑張ったわ」

 有栖の喉が震えた。

「……ぁ」

 頭が真っ白になった。
 だって。
 ずっと、言われたかった。
 その言葉を。

「いっぱい頑張ったね」

 父親も笑う。

「有栖はすごい子だ」

 涙が溢れた。
 駄目だと分かってる。

 違う。
 これは幻覚だ。

 ヴィランだ。
 分かってる。なのに。

「ちょっとくらい、休んでもいいんだよ」

 母親が抱き締める。
 暖かかった。
 あまりにも。

「ほら、お母様が守ってあげる」

 有栖の体から力が抜けた。
 もう、ずっと疲れていた。

 戦って。
 笑って。
 支えて。

 でも、本当は。
 誰かに「頑張ったね」って言ってほしかった。

「……ぅ」

 声にならない嗚咽が漏れる。
 母親が髪を撫でる。
 昔みたいに。

「おやすみ」

 優しい声だった。
 世界で一番、安心する声だった。
 有栖の視界が、ゆっくり暗くなる。

 ◇

 現実。

「有栖ちゃん!!」

 美宇の絶叫が響く。
 有栖は、暗闇の中で立ち尽くしていた。
 その背後。
 巨大なヴィランが口を開いている。
 真っ黒な口内。
 無数の目。
 そこへ、有栖の体がゆっくり引きずられていく。

「動いて!!」
「有栖!!」

 でも、有栖は抵抗しない。
 うっとりした顔で、虚空を見つめている。

「やめろぉぉぉッ!!」

 美宇が飛び込む。
 魔法を叩き込む。
 でも遅い。
 ヴィランが、有栖を“飲み込んだ”。

 ぐしゃり。

 嫌な音。

「――ぁ」

 美宇の声が止まる。
 ヴィランの腹部が、ゆっくり脈動する。
 まるで。
 幸せな夢でも見ているみたいに。
 その瞬間、通信が割れた。

『有栖ちゃん!?』
『応答して!!』
『返事して!!』

 返事は、ない。
 ただ、ヴィランの奥から、かすかに笑い声が聞こえた気がした。

 ――安心しきった、子供みたいな声だった。


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