第三章 私の嫌いな先輩の話

――私は、藍川美宇が嫌いだった。

あの作り物みたいな笑顔も。
やけに完璧なファンサービスも。
どれだけ連勤しても崩れない声色も。

全部。
全部、嫌いだった。

「みんな〜っ! 本日も『不思議の国であっちこっち㌠』の配信、始まるよ〜!」

控室のモニター越しに響く、甲高い営業声。
私は書類をめくりながら、心底うんざりした顔をした。

「うわ、出た」
「実由ちゃんまたそんな顔してぇ〜」

有栖先輩はしばらくモニターの藍川を眺めて、そしてこちらに向き直った。

「藍川ちゃん、今日もかわいいじゃん」
「そういうとこが無理」
「辛辣〜」

有栖はけらけら笑う。
こいつは空気が読めるくせに、読まない。
モニターの中の藍川美宇は、今日も完璧だった。

緑色のリボン。
癖一つない笑顔。
子供向け番組みたいな明るい声。
コメント欄は高速で流れていく。

《みうちゃん今日もかわいい!》
《癒やし〜!》
《生きる理由》
《案件終わりの現場ほんと偉い》

彼らは、自分たちの言葉がどれくらいの重りになっているのか、知っているのだろうか。

「……何がそんなに嫌なの?」

有栖がスプーンをくわえたまま聞いた。
私は視線をモニターから外さない。

「信用してないだけ」
「藍川ちゃんを?」
「違う」

ぺら、とページを捲った。
紙の擦れる音だけがやけに響いた。

「“藍川美宇”ってシステムを」

有栖がむっと頬を膨らませた。

「またそれ言う〜」
「事実でしょ」
「藍川ちゃんは、藍川ちゃんだもん。」

私は小さく舌打ちした。
みんな、あいつを"普通の女子高生”として扱いたがる。
魔法少女という異常に組み込まれてしまった以上、もうとっくに普通なんかじゃないのに。

そもそもの話。
普通の人間は三徹で笑顔に配信なんかできない。
避難誘導しながらスポンサー案件のコメント返しなんかしない。
同僚が倒れても『大丈夫だよ〜』なんて笑わない。

「………壊れてるよ、あいつ。」

私がそう言うと、有栖はぴたりと動きを止めた。
数秒。
それから、はっきりと嫌そうな顔をした。

「やだ」
「はぁ?」
「そういうの、やだ。」

有栖はスプーンを机の上に置いた。
かちゃん、と音が響いた。
珍しく、笑っていなかった。

「藍川ちゃんは壊れないよ」

断定的な言い方だった。
どこか、祈りのようなものも感じた。

「壊れないように頑張ってるし、ちゃんと寝てるし、ご飯だって食べてるし。」
「栄養ドリンクで、硬いベッドで――それで、ほんとに壊れないって本気で言ってるの?」
「……っ、」

一瞬、言葉に詰まった。
図星だったらしい。
私はため息をついた。

「有栖先輩、現実見たほう良いですよ。」
「見てるもんっ!」
「見えていないでしょう」

有栖先輩は立ち上がった。

「実由ちゃんって何でも悪く言う。」
「悪いとは言ってない。客観的に言ったまで」
「同じ!」

控え室に、有栖先輩の声が少し響いた。
モニターの向こうでは藍川が笑っていた。

『みんなのお手紙、ほんとに嬉しいなぁ〜っ!』

有栖はその画面を見た。
眩しいものを見るみたいな目だった。

「……藍川ちゃん、すごい頑張ってるんだよ」
「知ってる」
「じゃあそんな言い方しないでよ……」

その声だけは、少し弱かった。
私は答えなかった。
知っている。
頑張ってることくらい。
たぶん誰よりも。
だから嫌なんだ。

頑張れば頑張るほど、
周りが“もっとできる”って思い始める。

それがこの組織だ。

そのときだった。

配信終了の音が控室に鳴る。

モニターの中で、藍川が深々と頭を下げた。

『それじゃあみんな、おやすみなさ〜いっ!』

暗転。

数秒後。

配信が切れたと思った瞬間、
画面の端で藍川の身体がぐらりと揺れた。

ほんの一瞬。本当に、一瞬だけ。
でも私は見た。
有栖も見た。
沈黙。

「……ほら」

私が呟く。
有栖は、何も言わなかった。

ただ、机の上の栄養ドリンクを見つめていた。
その時、控室のドアが開いた。

「おまたせ〜!」

当の本人だった。
藍川美宇。

いつも通りの笑顔。
いつも通りの声。

でも近くで見ると、ファンデーションでも隠しきれない隈があった。

「次の現場、一緒だって!」

藍川はそう言って笑う。
有栖は慌てて立ち上がった。

「あ、藍川ちゃん! あのね、ちょっと休んだ方が――」
「だいじょーぶだよぉ」

被せるみたいに笑う。
軽かった。
軽すぎて、逆にぞっとするくらい。

「ほら、私つよいから!」

その言葉に、有栖は黙る。
私は舌打ちした。

「……そういうとこ」
「え?」

藍川がきょとんとする。

「嫌い」

空気が少し止まった。
有栖が「実由ちゃん!」と焦った声を出す。
でも藍川は怒らなかった。
少しだけ困ったように笑って、
それから静かに言った。

「また嫌われちゃった」
「別に」
「でも実由ちゃん、ちゃんと見てくれるから好きだよ」

心臓が止まりかけた。
なんなんだこいつは。
なんで、そういうことを、そんな普通の顔で言えるんだ。

藍川は気づいている。
自分が壊れかけていることも。
私がそれに気づいていることも。

全部。

全部分かって、笑ってる。

「――警報、警報。新宿区第三エリアにてヴィラン反応を確認」

天井スピーカーが無機質に鳴る。

「危険等級B−。魔法少女係は至急出動してください」

控室の空気が一瞬で変わった。

有栖が息を飲む音が聞こえた。
藍川は反射みたいに笑顔を作った。

「よーし、お仕事だぁ」

その瞬間。

ぐら、と。
藍川の身体が小さく揺れた。

今度は、誰の目にも分かるくらい。

「藍川ちゃん!?」

有栖が駆け寄る。
藍川は慌てて笑った。

「ち、違う違う! ちょっと立ちくらみっ」
「休め」

思わず強く言っていた。
藍川が目を丸くする。

「……実由ちゃん?」
「その状態で現場出る気?」
「でも人手足りないし」
「知らない」
「スポンサーの生配信も入ってるし」
「もっと知らない」
「市民、不安になるから」

私は机を叩いた。乾いた音が響く。

「だからそういうとこが嫌いなんだよ!!」

控え室が静まり返った。
有栖がびくっと肩を震わせる。

藍川だけが、静かに私を見ていた。
怒っていなかった。
責めてもいなかった。

ただ少しだけ、悲しそうに笑った。

「……ごめんね」

違う。
謝れって意味じゃない。
そうじゃない。

そうやって、全部自分で飲み込んで、勝手に壊れていくところが嫌なんだ。

警報音が鳴り続ける。
まるで急かすみたいに。
藍川はふらつきながら変身端末を握った。

その横顔を見ながら、私は最悪の予感を覚えていた。

たぶん、このままだと。
こいつはいつか、笑ったまま死ぬ。

そんな気がした。
警報音が鳴り続ける。
赤色灯が控室の天井をぐるぐると染めていた。

「危険等級B−。対象ヴィランは現在移動中。付近住民は速やかに――」

無機質なアナウンス。
現場の人間を、人間として扱わない声。
藍川は壁に手をついたまま、小さく息を吐いた。
それでも笑う。

「……行かなきゃ」
「休めって言ってんだろ」

私は苛立ちを隠さなかった。
藍川は困ったみたいに笑う。

「でも、人足りないし」
「だからって倒れかけの人間出すな」
「実由ちゃん、怒りすぎだよぉ」

「怒らせてんのはそっち」
有栖が不安そうに藍川を見る。

「ほんとに大丈夫……?」
「うん!」

即答。
反射みたいな返事だった。
たぶん本人も考えてない。
もう“藍川美宇”として答える癖がついている。
怖いのは、本人にその自覚が薄いことだ。

「――第一出動班、至急現場へ」

再度警報。
藍川は変身端末を握りしめた。

「ごめん、先行くね!」
「あっ、藍川ちゃん!」

有栖が追う。
私は盛大に舌打ちした。

「クソが」

結局こうなる。
止まらない。
誰も止められない。

だってみんな、
藍川美宇に“助けてもらう側”だから。

        ◇

現場は地獄だった。
ショッピングモール前広場。
黒煙。
ガラス片。
逃げ惑う人々。
ヴィランは巨大なノイズの塊みたいだった。

耳障りな音を撒き散らしながら、
周囲の電子機器を狂わせている。

「音響干渉型か……!」

華恋が舌打ちする。

「めんどくさいタイプ来たな!」

藍川は息を切らしながら変身した。
緑色の光。
いつもの笑顔。
いつもの決めポーズ。

「みんな、大丈夫だよっ!」

周囲の歓声。

《藍川ちゃんだ!!》
《助かった!!》

……ほら始まった。
私は奥歯を噛む。
ヴィランが咆哮する。

空気が震えた。

次の瞬間。

藍川の身体がふらつく。

変身維持が一瞬乱れた。

「藍川!?」

華恋が叫ぶ。
藍川は笑った。

「へ、平気っ……!」

平気なわけがない。
魔力出力が明らかに落ちてる。

しかも最悪なことに、市民がそれに気づいてない。
笑顔が完璧すぎるから。

「実由ちゃん、右お願い!」
「チッ……!」

私は前に出る。
ヴィランの衝撃波。
鼓膜が焼けそうになる。
まずい。

このまま押し切られる……!
そう思った、その時だった。


腹に響くレベルの重低音が聞こえた。
ヴィランのノイズが一瞬乱れる。

「……は?」

空を見上げる。
遠くのビル屋上。巨大スピーカー。
そして。

「はぁい皆様〜〜っ!|特別公演《スペシャルショー》のお時間ですわよ〜♪」

聞き覚えのある、軽い声が聞こえた。

「3班、到着」

騒がしい音楽と共に、派手なエフェクトが夜空を走る。
有栖が目を瞬かせた。

「森の音楽隊㌠……!?」

ノイズ型ヴィランで苦戦していた私たちにとっては、思ってもいなかった援軍だった。
――なぜなら、彼女らが得意とするのはノイズ型ヴィランの制圧なのだから。

「ちょっと耳障りかな、そのノイズ。」
「ええ!私たちの歌声が聞こえなくなりますわ!」

「耳の穴かっぽじってよく聞いてね、私と里花の声」
「一緒に歌おう?」
《Let's Sing♪》

彼女たちのステッキから光が溢れ、ヴィランを包みこんだ。
夜のはずなのに、真昼かと錯覚するほどの明るさだった。

「うっわぁ……」
と緋宮先輩が引いたような声を上げた。

「火力バカ」
「あら、褒め言葉と受け取りますわね♪」

さらにヴィランに追い打ちをかけるように茉依が攻撃をした。
刹那。

カッ、と光が最高潮に達しヴィランは光に締め付けられ弾け飛んだ。

「ひっ」
「グロ……」

後ろから三者三様の、同じ意味合いの反応が聞こえた。
藍川は呆然と見ていた。

その横顔は少しだけ安心しているようだった。

「藍川さん!休んでくださいませ!」
「………んで、」

絞り出したような声が聞こえた。
茉依は怒ったような、悲しいような表情をし、言った。

「当たり前でしょ!?仲間なのですから!それに――先日作った貸しを返せていませんでしたから、お返しです♫」

藍川はなにか言おうとした。
が、その前にぐらりと体が傾いた。
私は反射的に腕を掴んだ。

「……、………!」

彼女は、想像よりも軽くて。
触れてしまったら硝子細工のように、壊れてしまいそうだった。

「……だから言ったでしょ。」

藍川は苦笑した。
「怒ってる?」
「当たり前。」
「えへへ……」

笑うな、その状態で。と言おうと思ったが、やめた。
特に得るものも無さそうだった。

藍川は私にもたれかかったまま小さく呟いた。

「……でも、助かったぁ……。」

その声は、今まで聞いたどの"藍川美宇"よりも、ずっと年頃の女の子のようだった。

戦場の向こうでは音楽班の|特別講演《爆音戦闘》が続いている。
避難誘導のアナウンスさえ聞こえない。
最悪の治安。

でも不思議と、さっきの現場よりも空気は明るかった。


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