第二章 期待という名の檻

――午前5時。警視庁特殊災害対策局。

「……死ぬ、今日こそ、死ぬ。」

私は局の洗面台でゾンビのような顔をし、葉を磨いていた。
傍らで緋宮ちゃんが笑いながら歯磨きしてるのが腹立たしい。
奴は後で小突く。

昨夜の戦闘終了は丁度23時を回った頃。そこから諸々の報告書作成。「レター返し」ノルマをこなし、仮眠室の硬いベッドで気絶するように眠ったのが午前3時。
わずか2時間後には、早朝生放送『マジック・モーニング』への出演が待っている。

鏡の中の自分は、「完璧な緑色担当」を演じるにはあまりにも生気が欠けていた。

「美宇ちゃぁん……おはようなのです……。有栖はもう……、もう……限界なのです……」

よろよろと言うオノマトペが聞こえてきそうな足取りで有栖ちゃんがやって来た。
いつも通り、前髪をクリップでとめたジャージ姿。
それでも愛らしいと思ってしまうのが不思議なものだ。
手には以前あったファンイベントで販売された限定アクスタが握られていた。

「…………有栖。……もしかして、それ握ったまま寝たの?」
「……これを見ないと、正気が保てないのです。精神安定剤、サプリメントなのです。あ、美宇ちゃん、今日のスケジュールみましたか?生放送の後、班③の方々と合同パトロールが入ってたのです。」

思わず天を仰いだ。

警視庁特殊災害対策局実行班3班、『森の音楽会㌠』。
総合ランキング1位から5位までを独占する「あっちこっち班」に比べたら彼女らは失礼ながら格下だ。
しかし局側は「上位ランカーによる若手の引き上げ」という名目で、この非合理的な合同任務を組んだらしい。
頭おかしい。

「私たちの貴重な休憩時間を削ってまで、接待パトロール……?ほんとにもう、何……」

吐き捨てた言葉は、乾燥しきった洗面所に虚しく消えた。

――午前9時、多摩川河川敷。

「みなさーん!陽の光に歌を乗せて!森の音楽会、開演です♪」

河川敷に響くキラキラした声。パステルカラーのドレスを纏った『音楽班』の4人が集まったファンに向かってポーズを決めた。

それに対し私、有栖、華恋、実由、水鈴の5人は、堤防の階段に座り込み栄養ドリンクを煽っていた。

「……ねぇ、あの子らなんであんな元気なの?」

私はストローでゼリー飲料を飲みながら呟いた。
「うーん、露出が少ないからじゃないかなぁと有栖は思うのです。朝番組もあまり出てないようですし……。」
有栖はパック飲料にストローを刺しながら言った。
「それに、私たちみたいに特級に毎日ぶつけられてはいないから――体力があるんだよ。」

華恋ちゃんがシャカシャカとプロテインを振りながら言った。
彼女は総合3位。戦闘能力に関しては局内随一だ。
こちらに気がついたのか、小鳥担当である高橋茉依が近づいてきた。

「あら、あっちこっち班の皆様ごきげんよう♪お疲れのようですわね。そんな顔をしていたらファンの皆さまが逃げてしまいますわよ?」

くすくすと、嫌な笑みを浮かべながら彼女は言う。

「そんなに厭なら、私が代わってあげてもよろしくてよ?」
「代わってくれるの……?代わってくれるなら、代わってほしいなぁ。もうお姉さん疲れちゃったんだよねぇ……脱いで、渡すから。ね、お願い。」

本音が大分混じった水鈴先輩の返答に茉依は一瞬怯んだ。
そこへ、唯一上位圏内に食い込んでいるたぬき担当である山本波瑠が無機質な声で割って入った。

「……茉依。やめなよ。この人たちは昨日だけで特級3体も沈めてる。積んでるエンジンが違うんだから。」

――その時。河川敷の空気は一変した。
地面は大きく盛り上がり、どす黒い空気が噴き出す。
出現したのは自然的ヴィラン『日曜大工・挫折の怨念』だ。
巨大な電動ドライバーの腕を捻らせる怪物は、耳を劈くような絶叫と共に木材を射出し始めた。


「出番ですわ!音楽班、行きますわよ!」
茉依たちは勇ましく飛び出し、歌を武器に障壁を展開する。
……が、怪物の圧倒的なパワーの前では彼女たちの盾は無力だった。
怪物は腕を振り上げ、彼女たちの盾めがけ振り下ろした。
ぺき、と嫌な音を立てて彼女らの盾に罅が入った。

ちっ、と舌打ちを立てて華恋は言った。
「………だから嫌なんだよ。温室育ちとの共同戦闘は、」

一方で、彼女らは混乱しているようだった。

「きゃああっ!何よこの出力、報告と違うじゃない!」
「……当たり前じゃない。昨夜のヴィランの残渣が残ってるんだから。」

くぁ、と実由ちゃんは小さく欠伸を漏らした。

「でも、目の前で天使化されるのは嫌なのです!なので、勝手ながらお助けするのです。」
「さすが、有栖。」

「スランパー・シールド」
有栖ちゃんが指を鳴らす。
音楽班が苦戦していた攻撃が、有栖ちゃんが展開した水色の膜に触れた瞬間嘘のように勢いを失って霧散した。

「……眠い。一撃でいい?」
追い打ちをかけるように実由が、気だるげに魔導書を開いた。
「あっちこっち・ディストーション」

空間そのものが歪み、ヴィランの動きが完全に静止した。
音楽班の面々が呆然と立ち尽くすなか、私は軽やかに宙を舞った。
身体は鉛のように重いのに、跳躍した瞬間に視界がクリアになる。
恐怖なんてとっくに麻痺していた。
毎晩のように地獄を潜り抜けてきた私たちと、安全圏で歌っていた彼女たちとでは、世界の見え方が違いすぎる。
可哀想だけど、これが私たちの「日常」だ。

「――私の"かわいい"とみんなの"にこにこ"をお届け!……あー、しんど」

決めゼリフに「本音」を混ぜながら、私は最大出力の浄化魔法を放った。
――エターナル・リフレッシュメント。
特級クラスも容易く浄化する光が河川敷を包み込んだ。

――午前11時。

「……結局全部私たちが片付けちゃったね。」
局に戻る車内、メイク落としシートで顔をガシガシ拭いていると実由ちゃんは言った。

「音楽班の子たち、泣いていたのです……。ちょっと、可哀想だったのです。」
有栖が申し訳なさそうに言う。
「いいじゃん、あの子らが最初に喧嘩吹っかけてきたんだし。それに――最後までSNSばかり頭にない様子だったしね。プロなら仕事しろよなー」
と華恋はからからと笑った。

そこへ、リーダーの水鈴が震える手でカシオレの缶を開けながら言った。

「お疲れ様ぁ……。広報部から連絡。今日の討伐、美宇ちゃんの単独手柄としてリリース出すって。音楽班は”サポート”扱い。あの子達の事務所からクレーム来てるけど、局長が『数字が全てだ』って突っぱねたらしいよ」
「………。数字、ね。」

美宇はSNSのタイムラインを見た。

『やっぱり美宇ちゃんは別格……だれも敵わねぇ>ω<』
『音楽班いる?w』
『あっちこっち班、最強すぎるww』

称賛の声が溢れている。
だが、その声が大きければ大きいほど、心は消耗していく。
「最強」でなければ、この過酷なシフトの正当性が失われてしまう。
強すぎるが故に、休むことが許されない。

スマホの画面から放たれる光が、やけに目に刺さる。
みんな、無責任に「最強」を消費していく。
もし私たちが負けたら、この手のひらを返したような絶賛は一瞬で叩き落とす言葉に変わるのだろう。
期待という名の檻に閉じ込められているような息苦しさに、胸が詰まりそうになる。

「ねぇ、華恋。私死ぬときに”天使になる”って書かれるの、嫌すぎるんだけど。」
「……なら生き残れ。定年までな。そしたら、退職金で美宇の好きなもの買ってやる」

華恋が無骨な手で私の頭を乱雑に撫でた。
乱暴だけど、温かい手。

「………ぁ、明日の召集、朝4時だって。だる。」
実由の無慈悲な告知に、車内は静まり返る。

「よし、死ぬわ。私、死ぬ。」
「だめなのです!美宇ちゃんは私が守るのです!」

最強の魔法少女たちは、死んだ魚のような目で、次の戦場へ向かっていくのだった。

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