開花予報 ~アズールポーチ
見守る星と偲ぶ星
春休みだった。
教え子の卒業式の後、久しぶりに髪を切った天助ポーチ先生は、同僚の女性天使キャクこと「豪華客先生(ごうかきゃくせんせい)」の故郷である大海ゾーンのプライベートビーチに招待されていた。
大海(おーしゃん)ゾーンは、その昔、次界卵を求めて旅をしていた時に訪れたリゾートゾーンに似た常夏の浜辺の他、数多の「海」の生き物を抱く大海原が大半を占め、漁業も盛んなゾーンである。
キャクは前の名を「客船美神(きゃくせんびじん)」といい、この大海ゾーンの海に棲み生態バランスを守る「静恋(せいれーん)」という一族のひとりだった。
海に映える脚線美、波を思わせる青い巻き毛の頭には帽子の様に船を頂いている。
「静恋」は生まれる者のほとんどが女児であることの他、とても珍しいことに、一族を構成するのに天使属と悪魔属に隔たりがなく平和を保っていた。
辺境にあり、当時混沌の脅威を奇跡的に免れた稀有なゾーンにいながら、聖魔の未来を憂いだ客船美神は陸に上がり、ポーチと同じ学校に通い、現在は教師として暮らしている。
その久々の帰省に、なにやら長い事抱えていたしこりを一つ手放したらしい友人の聖守…天助ポーチを誘ってくれたというわけだった。
「きれいよねぇ……」
眩い太陽に揺れる波。ヤシの木を揺らし、肌を滑る心地よい潮風。
かつて旅をしていた頃は行く先々の風土を楽しみもしていたけど、そんな物をゆったりと感じる余裕はあまりなかった気がすると、ビキニ姿のポーチは思い出す。
「ここの陽射しはいつも強い。日焼け止めは塗ったのかの?」
宿の提供者であるキャクの従姉妹であり、現在「静恋」の長を務める悪魔「理吏李・火炎陽(リリー・ファイアサン)」が声をかけた。
何とも言えない艶のある美しい声で、何気ない一言なのにポーチは聞惚れてしまった。さすがにその昔船乗りをその声で惑わした一族の末裔だと感心する。
「あ、ありがとう」
差し出された日焼け止めを受け取ろうとしたポーチの手を取り、リリーはにっこりと笑むと
「塗ってやろう」
そう言ってパラソルの下へ彼女を誘った。
白百合を飾った紅色の長い髪、背中には陽炎のように揺れるオーラが象る翼を持ち、白い砂を音もなく滑る蛇の下半身の乳白色の鱗が波の光を更に七色に反射させるリリーの姿は色々な姿の者と会って来たポーチから見ても幻想的だった。
「きれいじゃのう…」
嫋やかな動きで掌に日焼け止めの乳液を出しながら、パラソルの下に座らせたポーチを眺めリリーは目を細めた。
「色は白いし…」
背中に広く日焼け止めを伸ばすと、つ…と背筋に人差し指を滑らせ、
「肌理も細かい…」
続けて脇腹に掌をかすめた。
「きゃっっははぁ!?」
ぞわわっ!と体の中心を這いあがった不可解な刺激に、ポーチは反射的に飛び上がった。
「ひゃっ!?ひぇっ!?」
一瞬青ざめた顔は困惑から朱色に染まり、パニックを起こして宙を掻きながら二対の羽をばたつかせ、そのまま海にざっばーん✩と突っ込んだ。
「…で?どう??」
こそこそと、興味津々の態で水着姿のキャクがリリーに訊ねる。
「生娘じゃの!あの初々しい反応…♪」
心底面白そうに、リリーはくすくすと微笑んだ。
「大丈夫か?きちんと塗らぬとまだらになるぞー?」
タオルを手に、浜辺に上がってきたポーチを出迎えた。
結婚式当日の逃亡を何度も繰り返しつつ、おそらく以前一度だけ一緒に居るところを見た、あの六枚の黒い皮膜羽の「悪魔様」の事を想っているだろう親友は、いつも饒舌に恋愛を語る割に色方面になると話をはぐらかすので、どんなものかなー?と思ったキャクが色々百戦錬磨な従姉妹に相談してみた結果…であった。
「やっぱり、カワイイのよねぇv」
そう言って携帯を取り出すと、愛助コーラルに報告のメールを一通送信する。
「ポーチの恋を成就させ隊」は生暖かく、時に熱く、天助ポーチを見守っている。
つい先日、無間冥王獄にやってきた魂があった。
しかしそれは、長い間この空間を統べる役を担っている冥王と呼ばれて久しいアズールが、初めて出会うタイプの魂だった。
「エリア角鯛」の眷属で、「大海ゾーン」で観光客の案内を生業としていたという男の名前はエリオット。聖守であり、笑顔の似合う温厚な性格で、アズールには、彼がこの空間に引き寄せられるよう者だとはとても思えなかった。今までここに集まる魂は皆、強い野心や悪意、現世に強い未練を抱いたまま肉体を失った悪魔属の亡者達だったからだ。
欲望の塊とも言える亡者達の多くは理性というものが働いていない。その為、新入りや、まだ生きている魂が迷い込んだ時等、その本能的な欲望は簡単に暴走し、いつもは静か過ぎる無間の地を盛大に揺るがす。
エリオットがここに辿り着いた時にも当然のように騒ぎが起きた。それを治めに駆け付けたアズールに、エリオットは助けを求めて来た。
彼には理性があったのだ。
アズールはエリオットを助け、亡者達に剣の一線を放ち鎮めその場を治めたが、どうみても戦いに向かない聖守の彼を他の亡者のように漂わせていては、また同じような騒ぎが起こることは容易に想像できた。放っておくわけにはいかないと判断し、猫魂の一人にエリオットと行動を共にするように頼むことにした。
猫と魚ではあるが、エリア角鯛の眷属の体は金属製であるし、そもそも魂なのでその辺の問題はないだろう。
そして数週間が過ぎたある日、猫魂からエリオットの魂の一部が現世から戻ってこないという報告をアズールは受けた。
命の世界で生きる者がその亡き魂を偲んだ時、冥王獄の亡者達はその想いに引き寄せられ魂の一部を現世に馳せる。通常であれば数時間、数日で、その魂は冥王獄の本体へ戻るのだが、名残惜しさか野心の疼きか、現世に留まり戻って来ない者が時折現れた。
偲ばれる数だけ魂は馳せ、戻って来なければ現世でその存在を濃くし、そこで生きる命に影響を与えるようなモノになる恐れがある。そのために上層の者が定めた期間を過ぎても戻らない魂を連れ戻す事も、冥王獄を治めるアズールに与えられた仕事であった。
エリオットにもやはり、現世に強く名残惜しいものがあったのだろうか。アズールは思いながら現世へと続く次元の口を開いた。
常夏の日差しを受けながら、ポーチ、キャク、リリーの三人は大海ゾーンの観光客向けの商店が立ち並ぶ街へと足を運んでいた。タケルたちはともかくコーラルにはお土産を探したいというポーチの希望だった。
おもしろいデザインの置物か、かわいらしいアクセサリーか、それとも海の幸食品か。コーラルも成人したことだし特産の果実を使ったお酒というのもありかもしれない。…と、あれこれ見ている内に自分も欲しくなってしまったりして、やはりショッピングというのは楽しいとポーチはキャク達と笑った。
何件もお店を回り幾つかの品物に絞ったところで休憩しようという話になり、三人はカフェのオープンテラスのテーブルに腰を据え冷たい飲み物と少し早いランチを頼み、歩き回った疲れを癒していた。
「おまちどおさまでした!」
ドリンクを運んで来たのはシンプルな生成のエプロンを着けた、まだ幼さの目立つエリア角鯛の少女だった。
「ありがとうヒーレ。もう学校は終わったのかの?」
「やだなぁ、リリー様。今は春休みですよ。だから早朝からお昼までのシフトも入れてもらったんです」
リリーのかけた言葉に、明るい声でエリア角鯛の少女・ヒーレは答えた。
「おお。そうであったな。しかし、物入りとはいえ無理はいかんぞ?何かあれば力になる。遠慮なく言うのだそ。それで、エリナの具合はどうなのじゃ?たしかそろそろであろう。」
「再来週が予定日です。もうすぐ家族が増えるんだもん。わたしが父さんの分も頑張るの!それでは、失礼します」
力強くそういうと、ヒーレは空いたトレイを胸に寄せ、ぺこりとお辞儀をしてその場を離れて行った。
「……お父さんの分もって、何かあったの?」
年長の教え子とそう歳の変わらないヒーレの言葉が気になったポーチはピンクグレープフルーツのフレッシュジュースの入ったグラスの氷をストローでかき回しカラカラと音を立てながら、少し遠慮がちにリリーに訊ねた。
「うむ。ひと月ほど前になるかの。ヒーレの父親は観光客のガイドをしておったのじゃが、強盗事件に巻き込まれてしまってのう。客を庇って命を落としてしまったのじゃ……」
少し伏せ目がちにそこまで言って、リリーはモヒートを一口飲んで話を続ける。
「もうすぐ二人目が生まれると、たいそう喜んでおったのに。こういう時の命の儚さはなんとも無情じゃのう。ヒーレは身重の母親を気遣って、少しでも足しになればと働き始めたのじゃ。自分も父親を亡くして辛いじゃろうに。健気なものじゃ……」
三人はランチタイムにさしかかり混み始めた店内を忙しく行き来するヒーレの姿を目で追った。
概ね平和な世界。凶悪魔との戦いが終わって数年。大きな戦はなくとも、小さな事件はそこかしこで起きている。
ヒーレの父親の無念を思った時、ポーチはふと、蒼い髪の悪魔の少年を思い出した。
胸がちくりと痛み、ピンクグレープフルーツの苦みを強くしたように感じた。
「おや、噂をすれば…というやつかの」
デザートのジェラートから店内へ視線を移して、リリーが微笑みながらつぶやいた。 ポーチとキャクもそちらに目を向けると、金属の銀色の鱗を持つエリア角鯛の女性がゆっくりと小さな尾鰭の幅で進んでいる姿が見えた。ゆったりとしたワンピースをまとう女性のお腹辺りは膨らんで見える。彼女がヒーレの母親のエリナだろうと二人は察した。
下げた食器をトレイに載せたヒーレも母親に気付き、営業ではない笑顔になり、小さな鰭幅で小走りになる。
店内を見回したエリナがテラスにヒーレの姿を認め手を振ろうとあげかけた時、不意に、それまで食事をしていた客の一人が立ち上がりエリナを捕らえた。
「ひっ!?」
「動くな!大海ゾーンの警察に要求だ。先月投獄された『剛頭ヘル(ごうとうへる)』アニキを開放しろ!」
背に一対の被膜羽を持つ悪魔属の男は大声で叫ぶとエリナの喉元に鋭いナイフを突きつける。
「!!」
「ママ!!」
穏やかな時間は突然破られた。
カフェの建物内もテラス席も、小さく悲鳴を上げる者、腰を浮かす者、身を固くする者と様々だった。店員も客も、居合わせた物は皆状況把握に時間を要しタイミングを逸したのか、逃げ出す者はいなかった。
ポーチも反射的に立ち上がり、魔法の杖を出し身構えるのが精いっぱいだった。
「無体な事をする……」
座したまま眉根を寄せ、リリーが小さく言った。
「そこに『静恋』の長がいるなぁ!もう一度言う。剛頭ヘルを開放しろ!」
リリーに向かって叫ぶ男の背後に、虻ほどに小さなトビウオが浮かんでいる事に、気付いている生者はいなかった。
無間冥王獄から冥王アズールの開いた「道」は、今まさに修羅場の大海ゾーンのカフェ店内、レジの前の屑籠の影に口を開いた。
「大海ゾーンの警察に要求する!先月投獄された剛頭ヘルアニキを開放しろ!」
来るなり響いた男の声、女の悲鳴。これまでに何度も亡者の魂を回収しに現世を訪れているアズールだったが、遭った事のないシチュエーションにどうしたものかと思案を巡らせる。とりあえず偏光シールドで姿を消し身を潜める事にした。
位置としては男の左斜め後ろにアズールは居た。人質のエリア角鯛の女の姿も見える。
一瞬でも考えてしまった為に、アズールは「助ける」タイミングを逃してしまった事に舌打ちをして、そして苦笑した。以前の自分なら、きっと放っておくだろう。第一自分の立場としては、文字通り命のやり取りに関わる事の方が禁忌であった。無視を決め込んでもよいはずなのだが、誰の影響か、助けない選択肢は頭から除かれていた。と、そこに響いた懐かしい声に、少年は自分の耳を疑った。
「ちょっと、あんた!その人は身重なのよ。お腹に赤ちゃんがいるの!人質には私がなるから放してあげて!」
開け放された両開きのドアの向こう、テラス席の客の中に、天助ポーチの姿があった。
(なんで……っ!?)
アズールは息を飲んだ。
数年前に自らの彼女へ想いの深さを思い知り、勝手で逢いに行く事をやめた聖守の少女がいる。金糸の髪はあの頃より短くなっているが、先端に翡翠の球体のある一対の触覚、二対の翼、今は厳しい光を放つ青緑の瞳は確かに彼女に他ならない。
無間の世界に在っても忘れた事などない少女が、すぐそばに居る……。
思いがけない再会(はしていない)。ポーチに釘付けになったアズールの鼓動は否応なく早鐘を打ち、思考は今にも焼き切れそうに混乱した。
「人質を代わるだと?!そんなのはその手の物を捨ててから言え!」
ポーチの手に握られたステッキを顎で示し男は言った。ポーチは厳しい視線を返すにとどまっている。
双方の様子を窺っていたアズールは、男の背後にホバリングしている羽虫を認めた。自然の命と異なる独特のオーラが彼には見える。今回の目的……標的であるエリオットの魂の一部が具現化した物だろう。それは男の背中を睨んでいるようにアズールには見えた。否、殺気をもって対峙しているのだと理解する。
(エ……リナ……!)
「!」
トビウオに重なるように、黒い瘴気がエリオットを象っていく。その表情は激しい怒りに歪んでいた。
現世の者に偲ばれた時、無間冥王獄の亡者は魂の一部を現世に馳せる。今ここに、エリオットを偲ぶ者が、想いで、心で、彼を呼ぶ者が居るのだ。『身重の女』……エリナの、その強い音のない呼び声に引き寄せられて、あの穏やかなエリオットが鬼の形相をして現世に現れた。存在が、急速に「濃く」なっているのをアズールは感じた。
危険だ。明確な殺意……悪意によって、エリオットが男に危害を加えるような事になれば、アズールは彼の役目として、エリオットを粛清しなくてはならない。それは魂その物を消滅させる事を意味する。アズールは、無間冥王獄に似つかわしいとは思わない彼を斬る事は避けたかった。
(やめろ。お前は手を出すな!)
アズールは心で叫び、エリオットを制しようとした。
その時だった。テラス側から観音開きのドアに隠れるようにじりじりと二人に近付いていたヒーレが飛び出した。逆立ちの勢いをのせた尾鰭で男の手を激しく叩きつけナイフを落とさせ、そのままの遠心力で体当たりをする。その衝撃で男は吹き飛ばされ捕まえていたエリナを離した。
「えいっ!」
好機を逃さず、ポーチはマジカルシュートを落とす。見た目よりも密度のある金ダライはよろめいた男の頭に炸裂し銅鑼の様な重く激しい音を上げた。
男はあっけなく気絶した。
居合わせた者達が安堵の息を吐く中、ポーチ達一行は素早く動く。キャクとリリーは警察の手配など周囲に指示を出しつつ、のびた男を拘束しにかかる。ポーチは座り込むエリナと彼女を支えるヒーレに駆け寄った。
「二人とも怪我はないですか?でも、あなたはなんて無茶な事をするの!うまくいかなかったら、二人ともどうなっていたかしれないわよ。」
教師という職業柄からか、子供に対する強い心配のせいでポーチはヒーレを叱った。
「……ごめんなさい。お母さんが心配で、お父さんだけじゃなく、お母さんにまで何かあったらって……。お父さんの代わりに、私がお母さんを守らなきゃって思って……!」
「ヒーレ……!」
ヒーレの大きな丸い目はみるみる涙に覆われて、溢れた涙は雫となってポロポロと零れ落ちた。使命感と緊張から解放されて、少女はへたりと座り込み、支えていたはずの母に抱きしめられた。
「……。そうね。頑張ったのよね」
そう言って、無事を喜び涙する二人の背を、ポーチは優しくさすった。愛する者を失った悲しみ。失うかもしれない恐怖。近しい感情が揺れ、ポーチの胸をきゅ、と締め付けた。
騒ぎの中、その場の命の誰にも気付かれていない黒い瘴気だったモノは、今は色を失っていたが泣いているように見えた。
(エリナ……。ヒーレ……)
気付いている唯一人のアズールは、エリオットが無間冥王獄に至った理由を理解した。それは遺した家族への心残り、愛情ゆえの無念が極度に強いせいであったのだろう、と。
ゆらめく像は泣いていた。しかし、笑っているようにも見えた。今伝わってくるのはざわざわざらつく憎悪ではなく、温かく穏やかな喜びだった。
極小のトビウオは、像の中心に静かに浮かんでいる。今なら、彼の使命を果たしてもエリオットの全てが消滅する事はないだろう。アズールは静かに剣を抜き、魂の欠片を一閃した。
極小のトビウオが冥王の剣に斬られ更に細かい粒子になり霧散すると、色の無いゆらめきもまたそこからかき消えた。それを見届けたアズールの赤と緑の瞳は自然とポーチの姿を捉えていた。いつかの春頃程に短く切りそろえられた金色の髪、厳しい表情だが、最後にあったあの日と変わらず愛らしい顔。他人を労わる仕草。逆光が彼女が命である事を際立たせているように思えた。口角を僅かにあげて、アズールは静かに常夏の空へ消えて行った。
いつの間にか現れた小麦色の肌のミニ鳩ポリス率いる警察官数名が、キャク達に代わり事件の収拾に当り始めていた。既に縛られている、まだのびている犯人に手錠をかけ、居合わせた客達に事情聴取を始めていた。こちらの手配より先に誰かが通報していたらしい。ふと、ポーチは何かの気配を感じた。はじめはヒーレ親子の背後に。次に、二人から離れ気配のした方へ振り返る。そこにはカフェのレジカウンターがあったが、店員も騒ぎの応対をしているため、そこには誰もいなかった。なのに、ポーチはそこに懐かしい気配を感じたのだ。不要なレシートが捨てられた屑籠を持ち上げてみたが、あるのは床の木目だけだった。
「アズール……?」
小さく呼んだ名前。しかし返事はない。
背の二対の羽を広げ、誘われるようにテラスへ……囲いに手をかけ空を見上げる。常夏の昼の太陽と青い空のまぶしさがポーチの湖の青緑を刺す。
いつも、別れるのは夜明けと決まっていたが、現れる時は神の様に突然な彼だった。だから、もしかしたらと思ったのだが……。
今度は胸がちくりと痛んだ。
どうしてアズールは現れなくなったのだろう?
常は考えないでいようとしていたそれが、今は溢れてきた。
「ポーチ?ミニ鳩ポリスさんがお話ききたいそうよ~」
「え?うん」
キャクに呼ばれ、ポーチは振り返る。その足元の影は短く、色濃く、周囲の彩りを際立たせているとポーチは思った。
背の高いヤシの木が風に葉を揺らし、陽の光と踊っていた。
おわり
20210401
☆見守る星と偲ぶ星・あとがき☆
けっこう長くかかってしまいました…。
こちらはサイト書き下ろし。「開花シリーズ」を描いている時に浮かんだネタでございました。
時間や余裕があれば漫画にしたかったのですが、ENDまでいい加減待たせすぎだなぁと思ったので省いた次第です。
当時無間冥王獄を「地獄」の様な物とも捉えていたのですが、いわゆる現世にあまり良くない執着というか強い未練を持って死んだ者も引き寄せられるみたいな思い込み設定がありまして、
こんなケースがあるかもしれないな…という。
あの後エリオットは冥王獄から解放されるのですが、うまく本文に入れられませんでした。うん残念。
無間冥王獄と霊精層を「地獄と天国」の様な対の存在と思っていたのですが、どうも違うようなので。
…死んだ善良な魂はどこに行くのかなぁ。冥王獄なのかなぁ??
2000の世界に輪廻転生があるのかなぁ?
死ぬとすぐに肉体が消滅してしまい遺体というモノが残らないとなると、どうやって死亡を知るんだろう?という疑問があります。目撃者がいなければ行方不明扱いなんでしょうかね??
もう言った者勝ちでいいんじゃない?と思います(爆)。
と、そんなわけで(どんなわけだ)シリーズ中の時間経過としては、「開花情報」直後の春休み、翌年度ポーチは教職十年目の計算なので、
アズールがポーチに会わなくなってから4,5年経っています。
このエピソードを機に、アズールは時々ポーチの様子を遠くから見守るようになったらしいです☆
読んで頂いて、どうもありがとうございました☆
2021年4月2日
海王寺千愛
春休みだった。
教え子の卒業式の後、久しぶりに髪を切った天助ポーチ先生は、同僚の女性天使キャクこと「豪華客先生(ごうかきゃくせんせい)」の故郷である大海ゾーンのプライベートビーチに招待されていた。
大海(おーしゃん)ゾーンは、その昔、次界卵を求めて旅をしていた時に訪れたリゾートゾーンに似た常夏の浜辺の他、数多の「海」の生き物を抱く大海原が大半を占め、漁業も盛んなゾーンである。
キャクは前の名を「客船美神(きゃくせんびじん)」といい、この大海ゾーンの海に棲み生態バランスを守る「静恋(せいれーん)」という一族のひとりだった。
海に映える脚線美、波を思わせる青い巻き毛の頭には帽子の様に船を頂いている。
「静恋」は生まれる者のほとんどが女児であることの他、とても珍しいことに、一族を構成するのに天使属と悪魔属に隔たりがなく平和を保っていた。
辺境にあり、当時混沌の脅威を奇跡的に免れた稀有なゾーンにいながら、聖魔の未来を憂いだ客船美神は陸に上がり、ポーチと同じ学校に通い、現在は教師として暮らしている。
その久々の帰省に、なにやら長い事抱えていたしこりを一つ手放したらしい友人の聖守…天助ポーチを誘ってくれたというわけだった。
「きれいよねぇ……」
眩い太陽に揺れる波。ヤシの木を揺らし、肌を滑る心地よい潮風。
かつて旅をしていた頃は行く先々の風土を楽しみもしていたけど、そんな物をゆったりと感じる余裕はあまりなかった気がすると、ビキニ姿のポーチは思い出す。
「ここの陽射しはいつも強い。日焼け止めは塗ったのかの?」
宿の提供者であるキャクの従姉妹であり、現在「静恋」の長を務める悪魔「理吏李・火炎陽(リリー・ファイアサン)」が声をかけた。
何とも言えない艶のある美しい声で、何気ない一言なのにポーチは聞惚れてしまった。さすがにその昔船乗りをその声で惑わした一族の末裔だと感心する。
「あ、ありがとう」
差し出された日焼け止めを受け取ろうとしたポーチの手を取り、リリーはにっこりと笑むと
「塗ってやろう」
そう言ってパラソルの下へ彼女を誘った。
白百合を飾った紅色の長い髪、背中には陽炎のように揺れるオーラが象る翼を持ち、白い砂を音もなく滑る蛇の下半身の乳白色の鱗が波の光を更に七色に反射させるリリーの姿は色々な姿の者と会って来たポーチから見ても幻想的だった。
「きれいじゃのう…」
嫋やかな動きで掌に日焼け止めの乳液を出しながら、パラソルの下に座らせたポーチを眺めリリーは目を細めた。
「色は白いし…」
背中に広く日焼け止めを伸ばすと、つ…と背筋に人差し指を滑らせ、
「肌理も細かい…」
続けて脇腹に掌をかすめた。
「きゃっっははぁ!?」
ぞわわっ!と体の中心を這いあがった不可解な刺激に、ポーチは反射的に飛び上がった。
「ひゃっ!?ひぇっ!?」
一瞬青ざめた顔は困惑から朱色に染まり、パニックを起こして宙を掻きながら二対の羽をばたつかせ、そのまま海にざっばーん✩と突っ込んだ。
「…で?どう??」
こそこそと、興味津々の態で水着姿のキャクがリリーに訊ねる。
「生娘じゃの!あの初々しい反応…♪」
心底面白そうに、リリーはくすくすと微笑んだ。
「大丈夫か?きちんと塗らぬとまだらになるぞー?」
タオルを手に、浜辺に上がってきたポーチを出迎えた。
結婚式当日の逃亡を何度も繰り返しつつ、おそらく以前一度だけ一緒に居るところを見た、あの六枚の黒い皮膜羽の「悪魔様」の事を想っているだろう親友は、いつも饒舌に恋愛を語る割に色方面になると話をはぐらかすので、どんなものかなー?と思ったキャクが色々百戦錬磨な従姉妹に相談してみた結果…であった。
「やっぱり、カワイイのよねぇv」
そう言って携帯を取り出すと、愛助コーラルに報告のメールを一通送信する。
「ポーチの恋を成就させ隊」は生暖かく、時に熱く、天助ポーチを見守っている。
つい先日、無間冥王獄にやってきた魂があった。
しかしそれは、長い間この空間を統べる役を担っている冥王と呼ばれて久しいアズールが、初めて出会うタイプの魂だった。
「エリア角鯛」の眷属で、「大海ゾーン」で観光客の案内を生業としていたという男の名前はエリオット。聖守であり、笑顔の似合う温厚な性格で、アズールには、彼がこの空間に引き寄せられるよう者だとはとても思えなかった。今までここに集まる魂は皆、強い野心や悪意、現世に強い未練を抱いたまま肉体を失った悪魔属の亡者達だったからだ。
欲望の塊とも言える亡者達の多くは理性というものが働いていない。その為、新入りや、まだ生きている魂が迷い込んだ時等、その本能的な欲望は簡単に暴走し、いつもは静か過ぎる無間の地を盛大に揺るがす。
エリオットがここに辿り着いた時にも当然のように騒ぎが起きた。それを治めに駆け付けたアズールに、エリオットは助けを求めて来た。
彼には理性があったのだ。
アズールはエリオットを助け、亡者達に剣の一線を放ち鎮めその場を治めたが、どうみても戦いに向かない聖守の彼を他の亡者のように漂わせていては、また同じような騒ぎが起こることは容易に想像できた。放っておくわけにはいかないと判断し、猫魂の一人にエリオットと行動を共にするように頼むことにした。
猫と魚ではあるが、エリア角鯛の眷属の体は金属製であるし、そもそも魂なのでその辺の問題はないだろう。
そして数週間が過ぎたある日、猫魂からエリオットの魂の一部が現世から戻ってこないという報告をアズールは受けた。
命の世界で生きる者がその亡き魂を偲んだ時、冥王獄の亡者達はその想いに引き寄せられ魂の一部を現世に馳せる。通常であれば数時間、数日で、その魂は冥王獄の本体へ戻るのだが、名残惜しさか野心の疼きか、現世に留まり戻って来ない者が時折現れた。
偲ばれる数だけ魂は馳せ、戻って来なければ現世でその存在を濃くし、そこで生きる命に影響を与えるようなモノになる恐れがある。そのために上層の者が定めた期間を過ぎても戻らない魂を連れ戻す事も、冥王獄を治めるアズールに与えられた仕事であった。
エリオットにもやはり、現世に強く名残惜しいものがあったのだろうか。アズールは思いながら現世へと続く次元の口を開いた。
常夏の日差しを受けながら、ポーチ、キャク、リリーの三人は大海ゾーンの観光客向けの商店が立ち並ぶ街へと足を運んでいた。タケルたちはともかくコーラルにはお土産を探したいというポーチの希望だった。
おもしろいデザインの置物か、かわいらしいアクセサリーか、それとも海の幸食品か。コーラルも成人したことだし特産の果実を使ったお酒というのもありかもしれない。…と、あれこれ見ている内に自分も欲しくなってしまったりして、やはりショッピングというのは楽しいとポーチはキャク達と笑った。
何件もお店を回り幾つかの品物に絞ったところで休憩しようという話になり、三人はカフェのオープンテラスのテーブルに腰を据え冷たい飲み物と少し早いランチを頼み、歩き回った疲れを癒していた。
「おまちどおさまでした!」
ドリンクを運んで来たのはシンプルな生成のエプロンを着けた、まだ幼さの目立つエリア角鯛の少女だった。
「ありがとうヒーレ。もう学校は終わったのかの?」
「やだなぁ、リリー様。今は春休みですよ。だから早朝からお昼までのシフトも入れてもらったんです」
リリーのかけた言葉に、明るい声でエリア角鯛の少女・ヒーレは答えた。
「おお。そうであったな。しかし、物入りとはいえ無理はいかんぞ?何かあれば力になる。遠慮なく言うのだそ。それで、エリナの具合はどうなのじゃ?たしかそろそろであろう。」
「再来週が予定日です。もうすぐ家族が増えるんだもん。わたしが父さんの分も頑張るの!それでは、失礼します」
力強くそういうと、ヒーレは空いたトレイを胸に寄せ、ぺこりとお辞儀をしてその場を離れて行った。
「……お父さんの分もって、何かあったの?」
年長の教え子とそう歳の変わらないヒーレの言葉が気になったポーチはピンクグレープフルーツのフレッシュジュースの入ったグラスの氷をストローでかき回しカラカラと音を立てながら、少し遠慮がちにリリーに訊ねた。
「うむ。ひと月ほど前になるかの。ヒーレの父親は観光客のガイドをしておったのじゃが、強盗事件に巻き込まれてしまってのう。客を庇って命を落としてしまったのじゃ……」
少し伏せ目がちにそこまで言って、リリーはモヒートを一口飲んで話を続ける。
「もうすぐ二人目が生まれると、たいそう喜んでおったのに。こういう時の命の儚さはなんとも無情じゃのう。ヒーレは身重の母親を気遣って、少しでも足しになればと働き始めたのじゃ。自分も父親を亡くして辛いじゃろうに。健気なものじゃ……」
三人はランチタイムにさしかかり混み始めた店内を忙しく行き来するヒーレの姿を目で追った。
概ね平和な世界。凶悪魔との戦いが終わって数年。大きな戦はなくとも、小さな事件はそこかしこで起きている。
ヒーレの父親の無念を思った時、ポーチはふと、蒼い髪の悪魔の少年を思い出した。
胸がちくりと痛み、ピンクグレープフルーツの苦みを強くしたように感じた。
「おや、噂をすれば…というやつかの」
デザートのジェラートから店内へ視線を移して、リリーが微笑みながらつぶやいた。 ポーチとキャクもそちらに目を向けると、金属の銀色の鱗を持つエリア角鯛の女性がゆっくりと小さな尾鰭の幅で進んでいる姿が見えた。ゆったりとしたワンピースをまとう女性のお腹辺りは膨らんで見える。彼女がヒーレの母親のエリナだろうと二人は察した。
下げた食器をトレイに載せたヒーレも母親に気付き、営業ではない笑顔になり、小さな鰭幅で小走りになる。
店内を見回したエリナがテラスにヒーレの姿を認め手を振ろうとあげかけた時、不意に、それまで食事をしていた客の一人が立ち上がりエリナを捕らえた。
「ひっ!?」
「動くな!大海ゾーンの警察に要求だ。先月投獄された『剛頭ヘル(ごうとうへる)』アニキを開放しろ!」
背に一対の被膜羽を持つ悪魔属の男は大声で叫ぶとエリナの喉元に鋭いナイフを突きつける。
「!!」
「ママ!!」
穏やかな時間は突然破られた。
カフェの建物内もテラス席も、小さく悲鳴を上げる者、腰を浮かす者、身を固くする者と様々だった。店員も客も、居合わせた物は皆状況把握に時間を要しタイミングを逸したのか、逃げ出す者はいなかった。
ポーチも反射的に立ち上がり、魔法の杖を出し身構えるのが精いっぱいだった。
「無体な事をする……」
座したまま眉根を寄せ、リリーが小さく言った。
「そこに『静恋』の長がいるなぁ!もう一度言う。剛頭ヘルを開放しろ!」
リリーに向かって叫ぶ男の背後に、虻ほどに小さなトビウオが浮かんでいる事に、気付いている生者はいなかった。
無間冥王獄から冥王アズールの開いた「道」は、今まさに修羅場の大海ゾーンのカフェ店内、レジの前の屑籠の影に口を開いた。
「大海ゾーンの警察に要求する!先月投獄された剛頭ヘルアニキを開放しろ!」
来るなり響いた男の声、女の悲鳴。これまでに何度も亡者の魂を回収しに現世を訪れているアズールだったが、遭った事のないシチュエーションにどうしたものかと思案を巡らせる。とりあえず偏光シールドで姿を消し身を潜める事にした。
位置としては男の左斜め後ろにアズールは居た。人質のエリア角鯛の女の姿も見える。
一瞬でも考えてしまった為に、アズールは「助ける」タイミングを逃してしまった事に舌打ちをして、そして苦笑した。以前の自分なら、きっと放っておくだろう。第一自分の立場としては、文字通り命のやり取りに関わる事の方が禁忌であった。無視を決め込んでもよいはずなのだが、誰の影響か、助けない選択肢は頭から除かれていた。と、そこに響いた懐かしい声に、少年は自分の耳を疑った。
「ちょっと、あんた!その人は身重なのよ。お腹に赤ちゃんがいるの!人質には私がなるから放してあげて!」
開け放された両開きのドアの向こう、テラス席の客の中に、天助ポーチの姿があった。
(なんで……っ!?)
アズールは息を飲んだ。
数年前に自らの彼女へ想いの深さを思い知り、勝手で逢いに行く事をやめた聖守の少女がいる。金糸の髪はあの頃より短くなっているが、先端に翡翠の球体のある一対の触覚、二対の翼、今は厳しい光を放つ青緑の瞳は確かに彼女に他ならない。
無間の世界に在っても忘れた事などない少女が、すぐそばに居る……。
思いがけない再会(はしていない)。ポーチに釘付けになったアズールの鼓動は否応なく早鐘を打ち、思考は今にも焼き切れそうに混乱した。
「人質を代わるだと?!そんなのはその手の物を捨ててから言え!」
ポーチの手に握られたステッキを顎で示し男は言った。ポーチは厳しい視線を返すにとどまっている。
双方の様子を窺っていたアズールは、男の背後にホバリングしている羽虫を認めた。自然の命と異なる独特のオーラが彼には見える。今回の目的……標的であるエリオットの魂の一部が具現化した物だろう。それは男の背中を睨んでいるようにアズールには見えた。否、殺気をもって対峙しているのだと理解する。
(エ……リナ……!)
「!」
トビウオに重なるように、黒い瘴気がエリオットを象っていく。その表情は激しい怒りに歪んでいた。
現世の者に偲ばれた時、無間冥王獄の亡者は魂の一部を現世に馳せる。今ここに、エリオットを偲ぶ者が、想いで、心で、彼を呼ぶ者が居るのだ。『身重の女』……エリナの、その強い音のない呼び声に引き寄せられて、あの穏やかなエリオットが鬼の形相をして現世に現れた。存在が、急速に「濃く」なっているのをアズールは感じた。
危険だ。明確な殺意……悪意によって、エリオットが男に危害を加えるような事になれば、アズールは彼の役目として、エリオットを粛清しなくてはならない。それは魂その物を消滅させる事を意味する。アズールは、無間冥王獄に似つかわしいとは思わない彼を斬る事は避けたかった。
(やめろ。お前は手を出すな!)
アズールは心で叫び、エリオットを制しようとした。
その時だった。テラス側から観音開きのドアに隠れるようにじりじりと二人に近付いていたヒーレが飛び出した。逆立ちの勢いをのせた尾鰭で男の手を激しく叩きつけナイフを落とさせ、そのままの遠心力で体当たりをする。その衝撃で男は吹き飛ばされ捕まえていたエリナを離した。
「えいっ!」
好機を逃さず、ポーチはマジカルシュートを落とす。見た目よりも密度のある金ダライはよろめいた男の頭に炸裂し銅鑼の様な重く激しい音を上げた。
男はあっけなく気絶した。
居合わせた者達が安堵の息を吐く中、ポーチ達一行は素早く動く。キャクとリリーは警察の手配など周囲に指示を出しつつ、のびた男を拘束しにかかる。ポーチは座り込むエリナと彼女を支えるヒーレに駆け寄った。
「二人とも怪我はないですか?でも、あなたはなんて無茶な事をするの!うまくいかなかったら、二人ともどうなっていたかしれないわよ。」
教師という職業柄からか、子供に対する強い心配のせいでポーチはヒーレを叱った。
「……ごめんなさい。お母さんが心配で、お父さんだけじゃなく、お母さんにまで何かあったらって……。お父さんの代わりに、私がお母さんを守らなきゃって思って……!」
「ヒーレ……!」
ヒーレの大きな丸い目はみるみる涙に覆われて、溢れた涙は雫となってポロポロと零れ落ちた。使命感と緊張から解放されて、少女はへたりと座り込み、支えていたはずの母に抱きしめられた。
「……。そうね。頑張ったのよね」
そう言って、無事を喜び涙する二人の背を、ポーチは優しくさすった。愛する者を失った悲しみ。失うかもしれない恐怖。近しい感情が揺れ、ポーチの胸をきゅ、と締め付けた。
騒ぎの中、その場の命の誰にも気付かれていない黒い瘴気だったモノは、今は色を失っていたが泣いているように見えた。
(エリナ……。ヒーレ……)
気付いている唯一人のアズールは、エリオットが無間冥王獄に至った理由を理解した。それは遺した家族への心残り、愛情ゆえの無念が極度に強いせいであったのだろう、と。
ゆらめく像は泣いていた。しかし、笑っているようにも見えた。今伝わってくるのはざわざわざらつく憎悪ではなく、温かく穏やかな喜びだった。
極小のトビウオは、像の中心に静かに浮かんでいる。今なら、彼の使命を果たしてもエリオットの全てが消滅する事はないだろう。アズールは静かに剣を抜き、魂の欠片を一閃した。
極小のトビウオが冥王の剣に斬られ更に細かい粒子になり霧散すると、色の無いゆらめきもまたそこからかき消えた。それを見届けたアズールの赤と緑の瞳は自然とポーチの姿を捉えていた。いつかの春頃程に短く切りそろえられた金色の髪、厳しい表情だが、最後にあったあの日と変わらず愛らしい顔。他人を労わる仕草。逆光が彼女が命である事を際立たせているように思えた。口角を僅かにあげて、アズールは静かに常夏の空へ消えて行った。
いつの間にか現れた小麦色の肌のミニ鳩ポリス率いる警察官数名が、キャク達に代わり事件の収拾に当り始めていた。既に縛られている、まだのびている犯人に手錠をかけ、居合わせた客達に事情聴取を始めていた。こちらの手配より先に誰かが通報していたらしい。ふと、ポーチは何かの気配を感じた。はじめはヒーレ親子の背後に。次に、二人から離れ気配のした方へ振り返る。そこにはカフェのレジカウンターがあったが、店員も騒ぎの応対をしているため、そこには誰もいなかった。なのに、ポーチはそこに懐かしい気配を感じたのだ。不要なレシートが捨てられた屑籠を持ち上げてみたが、あるのは床の木目だけだった。
「アズール……?」
小さく呼んだ名前。しかし返事はない。
背の二対の羽を広げ、誘われるようにテラスへ……囲いに手をかけ空を見上げる。常夏の昼の太陽と青い空のまぶしさがポーチの湖の青緑を刺す。
いつも、別れるのは夜明けと決まっていたが、現れる時は神の様に突然な彼だった。だから、もしかしたらと思ったのだが……。
今度は胸がちくりと痛んだ。
どうしてアズールは現れなくなったのだろう?
常は考えないでいようとしていたそれが、今は溢れてきた。
「ポーチ?ミニ鳩ポリスさんがお話ききたいそうよ~」
「え?うん」
キャクに呼ばれ、ポーチは振り返る。その足元の影は短く、色濃く、周囲の彩りを際立たせているとポーチは思った。
背の高いヤシの木が風に葉を揺らし、陽の光と踊っていた。
おわり
20210401
☆見守る星と偲ぶ星・あとがき☆
けっこう長くかかってしまいました…。
こちらはサイト書き下ろし。「開花シリーズ」を描いている時に浮かんだネタでございました。
時間や余裕があれば漫画にしたかったのですが、ENDまでいい加減待たせすぎだなぁと思ったので省いた次第です。
当時無間冥王獄を「地獄」の様な物とも捉えていたのですが、いわゆる現世にあまり良くない執着というか強い未練を持って死んだ者も引き寄せられるみたいな思い込み設定がありまして、
こんなケースがあるかもしれないな…という。
あの後エリオットは冥王獄から解放されるのですが、うまく本文に入れられませんでした。うん残念。
無間冥王獄と霊精層を「地獄と天国」の様な対の存在と思っていたのですが、どうも違うようなので。
…死んだ善良な魂はどこに行くのかなぁ。冥王獄なのかなぁ??
2000の世界に輪廻転生があるのかなぁ?
死ぬとすぐに肉体が消滅してしまい遺体というモノが残らないとなると、どうやって死亡を知るんだろう?という疑問があります。目撃者がいなければ行方不明扱いなんでしょうかね??
もう言った者勝ちでいいんじゃない?と思います(爆)。
と、そんなわけで(どんなわけだ)シリーズ中の時間経過としては、「開花情報」直後の春休み、翌年度ポーチは教職十年目の計算なので、
アズールがポーチに会わなくなってから4,5年経っています。
このエピソードを機に、アズールは時々ポーチの様子を遠くから見守るようになったらしいです☆
読んで頂いて、どうもありがとうございました☆
2021年4月2日
海王寺千愛
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