開花予報 ~アズールポーチ
おまつりのよるに
軽快な祭囃子と共に昼間町中を練り歩いて辺りを清めて来たお神輿と山車に誘われた町の住民だけでなく、近隣の町からも賑やかなこのイベント目当てで天使属悪魔属問わず集った人々の列でうねりが作られる。
日の落ちた神社の境内は、そんな縁日を楽しむ沢山の人達でにぎわっている。
その人ごみの中で、浴衣姿の天助ポーチは子供達に声を掛けられた。
「あ!先生だー。ひとりぃ?」
「逆ナン?ナンパ待ち??」
「こら!先生をからかうんじゃないの☆あんまり遅くまでいちゃ駄目よ!」
思い思いにお面やビニール製のマスコット等、縁日の戦利品を手にした無邪気に生意気な生徒等の言葉に苦笑しつつ、ポーチは手を振って答えながら歩みを進めた。
(ひとり じゃ、ないんだけどね。)
と、心中呟き左隣の虚空に目を向ける。
そこには、浴衣姿のアズールがいる。
たしかに いる。
だけど、周りの人たちには彼が見えていない。それだけではなく、向うから歩いて来た悪魔属の少年がするりとアズールの身体をすりぬけて行った。
どうやら特殊な偏光シールドを展開しているらしく、ポーチ以外の人間には知覚する事も触れる事も出来ないのだった。
もう何度も、死者の国…無限冥王獄から現世…虹天銀河は聖魔和合界のポーチの許へ訪れているが、アズールは、どうも彼女以外の他人の目に触れることを避けている様だった。
普段なら再会してその後の時間を過ごすのはポーチの自室とその敷地内で、外出するようなことはしていない。
だけど、折角こんなイベントの日に会う事が出来たのだから、ポーチはアズールと二人で縁日を歩きたかったのだ。
だって、きっと、アズールは、こんな空気を知らない。
無限冥王獄に行く前も、彼が過ごしたのは殺伐とした時間の方が多かったのではないかと思うから。
空中で消えたと思われるかも?というイミで人目を気にしつつ、アツアツのたこ焼きをアズールに食べさせたり、綿飴を食べさせたり。ポーチは彼の浴衣…元々は彼女の浴衣を即席で着丈に直したモノ…の袖を摘まんで引きながら、西へ東へと縁日の境内を歩いて行く。
金魚掬いとヨーヨー釣りと…輪投げも籤も射的も、端から見たら全部ポーチがひとりでやっているようにしか見えないだろうけど、初めのうちは渋々という風だったアズールの視線が心なしか和んでいるように見えたのでポーチは嬉しくなった。
油物と甘い物で喉が渇いただろうと、ポーチはアズールを残してカキ氷の列に並んだ。
やれやれとため息をついて、はしゃぎ気味の少女の後姿を見ていたアズールの目の端に、ふと、キラキラと煌く輝石で作られたアクセサリーが飛び込んできた。
色とりどりのブレスレットやネックレス、指輪等の他に、妖しげな札やらキャンドルやら骨で作られたオブジェなどもある。それはなんだかいかにも胡散臭い露店だったのだが、店先に並ぶアクセサリーの中にポーチに似合いそうなビーズ細工のブレスレットを見つけたので、アズールは思わずそちらに歩み寄ってしまった。
「あら、…おにいさん、何かお目に留まったものがあって?」
店主と思われる、口元をベールで覆った派手な身なりの妙齢の女が声をかけてきた。
アズールはシールドを解いていない。姿は今も消えている筈だった。
驚いた少年が身構えると、女はくすくすと笑い出した。濃いシャドウの引かれた瞼を縁取る長い睫毛の奥で、印象的な瞳が鋭く光る。
「初めまして。私はアイブローチ。霊視占いを生業としている者よ。今日は占いの他にお呪いグッズも販売しているのだけどね。…貴方、変わったオーラをまとっているのね。」
警戒の必要はないと、女は笑って手招きをする。
「それはさておき、お気に召した物があるなら手にとってごらんなさいな。あそこの彼女に贈るのでしょう?」
アイブローチは目線で、二つ左に斜向かいのカキ氷屋に並んでいるポーチを示した。
アズールは無言で否定も肯定もしなかったが、代わりにほんのり赤くなった。
「……どこまで行ってるの?」
「…何?」
どこか好奇を含んだひそひそ声で呟かれた女の言葉の意図が、アズールにはわからなかった。
「こんなアイテムもあるんだけど、使ってみない?」
女の手には、ビー球の様な透明な赤い球がいくつか入った透明なガラスのビンが握られていた。
「錬金術やお呪いの材料の採取に必要で、私が作った媚・薬v」
「ビ ヤ ク?」
アズールは眉間にしわをよせて、妖しげに囁くアイブローチの言葉の音をたどる。
「程よい催淫効果がある上に相手は覚えてないの。みんな夢の中の出来事になっちゃうのよv」
「サイ・インコーカ??」
ウキウキと楽しげに語っていた女だったが、単語そのものに戸惑っている様子のアズールの反応を見て呆れたようなため息をひとつ漏らした。
「あーん、わかんないなら良いわ★今のは冗談!これは只の喉飴よ。アミュレットのアクセサリー買ってくれたお客様にオマケで差し上げてるの。」
サービスするから何か買ってってよvというアイブローチの不思議な雰囲気に流されて、アズールは初めに目を付けた天然のローズクォーツとビーズで作られたブレスレットを一つ買わされてしまった。
さっきの飴が入った小さな白い紙袋もオマケに添えられて。
ご武運を~vというアイブローチの声を聞いたと思った瞬間、背後から袖をつんと摘ままれた。
(良かった!はぐれたかと思っちゃった)
「え…?」
極々小声で呼びかけられて振り向くとカキ氷を持ったポーチがそこにいて、目の前にあったアイブローチの露店は掻き消えて代わりに亀掬いの露店があった。
アズールは狐にでもつままれたような気持ちになったが、懐には先程買った包みが確かにあって。
(はい☆アズール何味が好きか訊くの忘れちゃったから、五色掛けにしちゃったv)
差し出された透明な容器に入ったカキ氷は、底の方がかつてのカオスを思わせる色をしていた。アズールの腑に落ちない気持ちは、その衝撃的な色と愛らしいポーチのはしゃぐ様子に流されてしまった。
カキ氷もなくなる頃、先程から小さな咳をしていたポーチが、けほりと大きな咳をした。
「風邪か?」
「違うと思う。さっき並んでいた時、すっごい煙草が煙くって。いがいががとれないの。」
ほんっとメイワクよね!こんな人ごみで。と頬を膨らませて文句を言いながらもポーチは再びけほりと咳こんだ。
「これ、さっき露店でもらったんだが。」
思い出して、人目を避けて露店の影に入ったアズールは懐から先程の紙包みを出す。
ポーチはそれを見て、うっかり声を潜めるのも忘れて ぶっ と噴き出してしまった。
「何、これー!!」
「喉飴だと言っていたが?」
処方薬局の封筒を思わせる白い紙包みには、赤い大きなハートマークに重なるように黒の太い筆文字で大きく「媚薬」と書かれていた。
何でシールドを解いたのだろうと思いはしたが、それよりも差し出された品物があんまり可笑しかったので、ぷくくと笑いを堪えながらポーチはそれには触れる事無くその包みを受け取った。
バレンタインか、ホワイトデーの受け狙い商品の売れ残りだろうと思ったポーチは、くすくすと笑いながら包みを開ける。すると中にはビー球のように光に透ける透明な赤い飴玉が二つと、効能書きが一枚入っていた。芸の細かさにポーチは感心する。
「サイイン効果がどうのって言っていたが、オマエ、判るか?」
アズールの問いに、効能書きに目を通していたポーチは一瞬固まる。少年が大真面目で言っている事は少女にも良く判るのだが。
「え…と、サイ…は、催すってコトで、イン…は…。…家に戻ったら辞書貸したげるから、自分で調べてちょうだい。」
「うん?」
「ありがと。頂くわね」
ポーチはどこか恥ずかしそうにしつつ、赤い飴玉をひとつ口に入れて、包みはアズールに返した。
「美味し…薔薇の香りがするv」
口の中で喉飴を転がしながらポーチは、アズールの浴衣の袖をつまんで再び境内を歩きだした。
闇の中にぼんやりと浮かぶ提灯と色鮮やかな電飾の灯りが連なり不思議な空間を作り出している。
いつのまにかアズールの方がポーチより前に出て歩いていた。いや、ポーチの歩みが、少しずつ遅くなっているのだ。
(?なんだか、頭がぼーっとする…??)
口の中の飴玉が小さくなるにつれ、ポーチはなんだか目の焦点が合わないような気がしてきた。賑やかなお囃子の音も遠ざかっていくように、耳に届かなくなっている。
指の力が抜けて、アズールの浴衣の袖を離してしまったポーチは、人の波に押し戻されてしまう。
ふいに脚がもつれて膝をついてしまった自分にに差し出された手に、少女は縋って立ち上がった。
「はぐれた!?」
右の袖からかすかな重みが消えた事にアズールが気付いた時には既に、傍らからポーチの姿は消え失せていた。
慌てて四方に目を凝らしてみても、まだかなりの量の人ごみの中に少女の姿は見当たらない。
嫌な胸騒ぎがして、六枚の漆黒の皮膜羽根を大きく広げるとアズールは空へ舞い上がった。
(アズールの、手。こんなに大きくてごつっとぶにってしてたかしら?)
己の手を引き歩く少年の像が揺らいで見える。なんだか身長も肩幅も随分大きいみたいな気がする。
(なんだか、ドキドキしちゃうな…。アズールから手を繋いでくれるなんて。)
ささやかな喜びに実際鼓動は早まっている中、そんな事を考えているポーチは、周りからどんどん人気がなくなっている事に気付いていない。
いつのまにか、人目に触れない林の奥にやって来てしまった。
「嬉しいな。今日は大人しく付き合ってくれてv」
ポーチには、掛けられた言葉の意味がわからない。
ふいに押されてよろめいたポーチは、大きな杉の木に寄りかかる格好となった。指から抜け落ちた水風船のヨーヨーが地面に転がるとがった枝先に触れてぱしゃりと音を立て弾け散る。
「今日は一人なんだよね?どんなお話しようか。」
伸ばされた太い手が、ポーチの肩に掛けられた時。
「微塵にされても構わないのなら、そのまま話を続けるんだな。」
「ぎゃーっ!!やっぱり連れが居たーーー!!」
唐突に闇から己の首根っこに突きつけられた冷ややかな声と剣の感触に、悪魔属の「とっつぁんです」は凍りつき、脱兎の如く悲鳴を上げて逃げ去った。
「おい!大丈夫か?どうしたんだ、いつもならあんな奴自分でシバキ倒してるだろ!?」
「あー。やっぱり、アズールだ…。」
逃げる悪魔属の男を一瞥し、地面にへたり込んだポーチを覗き込むアズールに、笑いかける少女の言動は何かがかみ合っていない。
何か、様子がおかしい。
肩で息をする少女の頬は上気して桃色に染まっている。
「ほら、行くぞ。立てるか?…!?」
ポーチの手を掴んで立たせようとしたアズールは、彼女のその手の熱さに驚く。
少年の掌に、早まる少女の鼓動が克明に伝わってきた。
どうにか立ち上がりはしたものの、少女は身体をふるふると震わせている。
「ダメ…。歩けない…。熱…い。」
「お、おい…?」
ただ事でない様子に、アズールが固唾を飲んだ瞬間、
「衣擦れが…、いやぁっ!!」
ポーチがいきなり自らの浴衣の襟元を掴み、それを脱ごうと胸元を肌蹴させた。
「うわっ!!止せ!!」
驚き慌てたアズールが咄嗟に襟元を合わせて閉じさせようとすると、偶然ポーチの胸元に手首が当ってしまった。
「ひゃあああん!!」
「うわああああっ!!!」
刺激に悲鳴を上げて胸元を庇うように座り込むポーチより更に大きな声を上げたアズールが飛びのいた。
不可抗力ながらも触れてしまった柔らかな感触に驚いてドクドクと高鳴る心臓を抑えつつ、アズールはもしかして、と懐から例の包みを取り出し効能書きを読む。
~~~v特製媚薬効能書きv~~~
本品は天然成分と魅惑的な成分を抽出し凝縮したスペシャルテイストな妙薬です。
女性も男性もフェロモン全開、熱ぅい営みを展開出来ること間違いナシv
但し、最中の記憶は一切残りませんので既成事実工作には向かないかもしれません♪
「…なんとなく、わかった…。」
アズールは、怒りを通り越して一気に脱力していった。
~~~
服用に際しての諸注意
効果には個人差がございますが、本品1錠につき現れる催淫作用は服用した方が満足されるまで、30分から最大5時間持続します。
(ご、5時間!?こんな状態がそんなに続くかもしれないのか?!)
たまったもんじゃない!とポーチの体力と自分の理性の持久力に不安が過ぎる。
~~~
服用すると一種の幻覚状態になります。
パートナーが同時に服用するのはなるべくお止め下さい。
そして幻覚状態になると、その時一番に想いを向けている、心に秘めている人物を思い描き夢に見て目の前の相手をその人物だと錯覚します。
呼ばれた名前が自分と違っていても、落ち込まないで下さい☆
(あ、頭痛い…。なんつー物寄越しやがった、あの占い師…!!)
アズールが、そんな物をポーチに与えてしまったことを激しく後悔していると…
「アズール…ぅ」
息も絶え絶えのポーチが彼の名を呼ぶ。
ギクリとしたアズールは効能書きの一文に今一度目を走らせる。そしてドキドキと、恐る恐る少女に目を向けた時。
「熱い…の…。たすけ…てぇ…!」
肌蹴た胸元にはゆたかな谷間が覗いている。少女の潤んだ瞳からは涙がはらはらと溢れ出て、真っ直ぐに自分を見上げて紡がれた言葉にアズールは心中で絶叫する。
(助けてくれえぇぇえ!!!)
汗をだらだら流しながら、アズールは身動き取れずに只、ポーチの様子を見守るより術がない。
「あぁーーっ!!」
ボロボロと涙を流し、身体を焦がし巡る熱の逃がし方の判らないポーチは火照る自身を抱き締め蹲る。それを見たアズールはオロオロわたわたとするばかりである。
「アズール…わたしのこと…きらい…?」
嗚咽を漏らしながらの問いかけに、アズールは答える事が出来ない。
「う…!」
(嫌いなんかじゃない…。俺は…)
「どうして、答えてくれないの…?」
(俺は…)
「わたし…わたしは、あなたのことが…!」
「すまん…!!」
媚薬の紙包みを捨てたアズールがポーチの言葉を遮るように、その身体をあらん限りの力で強く抱き締める。
「あ……」
「覚えていようがいまいが、成してしまえば事実は残るんだ。だから…今は…!!」
言う、アズール自身もまた切ない気持ちを抱えている。
出来るものなら今すぐにでも、このまま少女を浚って行きたい。それがアズールの本心だった。
自分が在る場所…無限冥王獄は、命の営みを放棄したモノが集う場所でもある。時として夜闇とは全く異なる冷酷な暗闇に覆われる、報われない魂の逝きつく最果ての世界…。
アズールは現世に訪れる度、ポーチの生活をこっそり覗き見ていた。
教師になるという目標を現実に叶え、光の中で生き生きと芽吹く命等を育む少女の笑顔の輝きはとても眩しくて、いとおしく感じる。
その姿を大切だと思う程に己と少女の世界の隔たりを痛感していた。
アズールが差し出せば、ポーチはその手を取ってくれるだろう。しかしそれは彼にとって、少女を光の世界から闇の世界へ堕とす事に他ならなかった。
(まだ…オマエを連れて行けない…!)
嫌いだったなら、こんな苦しみは知らずに済んだろう。
抱き締める少女の温かさを感じ、切なさに胸が締め付けられる少年はきゅ…と唇をかみ締めた。
アズールの腕の中で静かに目を閉じたポーチの瞳から、新しい涙が一筋流れ出た。 強張っていた少女の体からすうっと力が抜けていき、震えもうその様に納まっていく。
覗き込むと、ポーチは静かな寝息を立てている。アズールはポーチを抱いたまま、一気に緊張の糸が切れてその場にへたり込んだ。
「やっぱり、ダメだったわねぇ。」
その様子を、離れた所から水晶玉に映して覗き見ていたアイブローチが呟く。その手には、先程アズールが投げ捨てた媚薬の紙包みが現れる。
「猫?あんたの王様、不甲斐無さ過ぎるわ。あんなにお膳立てしてあげたのに。」
彼女の背後では呑気な猫魂が顔を洗っている。
「んにゃ~。そこが魅力でもあると思うのにゃけどね☆」
「まあ、ある意味では強いとも思うけど。それよりも…。」
ため息を一つ漏らしたアイブローチは再び水晶玉に目を移す。
「今時、あんな抱擁一発で『満足』しちゃうお姫様の方も珍しいわよねぇ。逆に言ったら相当我慢してるんじゃないの?可哀想に…。やっぱり不甲斐無いわよ、あの坊や。」
深く光を通す球の奥に映る、たどたどしく少女を介抱する少年の姿を指で小突き、アイブローチはぼやいた。「そこも魅力」と思っているのか、主に対する暴言にはかまわずに、顔を洗うのをやめた猫魂は興味津々の姿勢で、しかしあまり身は乗り出さず、背後から親友の纏う衣の端をひっぱる。
「ねぇねぇ、アイ。姫、どんな感じにゃ?可愛い?綺麗?かっこいい??」
「覗いてみれば?大体猫、あんた半分幽体なんだから、自分でこっそり見てくればイイじゃないの。」
水晶玉を指差すアイブローチの言葉に猫魂は首を横にふるふるし、
「ううんにゃ!アズール様から紹介してもらうまで、我慢するって決めたのにゃ!だから早く連れてきて欲しいのにゃ~~!!」
と言った。
つまり、今回の騒動の元凶はこの猫と言うことである。
格闘好きの霊体が集って出来た複合霊である猫魂は冥王獄を力で統べたアズールに心酔しており、こうして彼の恋路を独断で応援しているのだった。
アイブローチは、やれやれと苦笑を漏らして水晶玉を布に包んだ。
縁日のフィナーレ。打ち上げ花火の大きな音が響き始めると、アズールの膝の上でポーチが静かに目を覚ました。
「…あれ?わたし…。」
「貧血起こして倒れたんだ。人に酔ったんだろ。」
もしもこの時ポーチが通常の状態であったならば、アズールの挙動が少々おかしいことに気付けたに違いないのだが、声音はいつもの調子で端的に言うアズールの言葉に、身を起こしたポーチはそうだったかな?と首をひねる。確かになんだか頭がくらくらする気がするけれど。
「ごめんね。花火…、縁日終わっちゃうね。」
「別に構わん。それより、立てるか?」
「ん…。」
言われてポーチは立とうとするが、よろめいてしりもちをついてしまう。
「あれ。」
ダメみたい、と困った表情を浮かべて己を見上げたポーチの下駄を脱がして持たせると、アズールは少女を無言で横抱きに抱え上げる。
「戻るぞ。」
「あ…うん…。」
ポーチが頬を染めて答えると、アズールはふわりと夜空に舞い上がる。
ふいに、えへへ とポーチは小さく笑った。
「…どうした?」
「天霊山での事思い出しちゃった。こういうの、あの時以来よね。」
凶悪魔との決戦の直前にアズールと再会した時ポーチは、ジェット皇星に失恋した自分を励まそうと、折角声をかけてくれた彼の前から逃げ出した。
初めてジェットと出会った時彼の姿に重なって見えた蒼い影が、今、自分の腕を掴みまっすぐに見つめて問い掛けてきたアズールだったのだと気付き、激しく動揺したからだ。
無我夢中で飛んで、巨大な時の糸の柱にぶつかり弾かれて落ちるポーチを、あの時もアズールはしっかりと受け止めてくれた。
「…あのね、わたし、さっきなんだか夢見てたの。」
その言葉に、アズールはギクリとする。
「…夢…?」
「うん。夢。なんだかスッゴク熱くって、苦しくて、切ないような不安なような悲しい気持ちだったんだけど、急にすーって、あったかくなったの。幸せっていうのかな…。それがね…。」
一度言葉を切ったポーチが、ふと遠くを見ていた瞳を閉じてアズールの胸に擦り寄る。
「今、そんな気持ち…。」
「…ふーん。」
内心心臓はバクバク言っているアズールは努めてそっけない返事をする。
「わかんない?幸せなの!しあわせなのよーっ!!」
「暴れるな!落とすぞ!!(まだ薬残ってるんじゃないか?;;)」
空の家路を急ぐ二人の後ろで、炎の花がぱあっと咲いた。
その光に照らされて、ポーチの手首で薄い桜色の石が連なるブレスレットがキラリと静かに輝いた。
終わり。
☆★☆★☆
あとがきみたいなもの☆
こちらは2005年の秋、東京でのオンリーイベントにて無料配布したペーパーに載せたSSのサイト用アレンジ版です。本当は漫画化予定のネームだったものをSS状に直した物…だったりもします。こちらに載せるにあたり、アズールの心情等細かい所を沢山書き足しました☆
ペーパー版とどちらがよろしいでしょうかね?
某場面はギリギリセーフライン(だと思うのですけど)のお色気描写…を目指して書いてみました。
色っぽいポーチと慌てふためくアズールが書きたかったんですが、いかがでしたでしょうか☆
本編には書かなかったけれど、ポーチのはだけた浴衣を直さなければならなかったアズールの苦労はどれほどのものだったろうか…とか。書いた本人もわかりません(爆死)
ああ、それにしても、これ、大方は昨年の内に出来ていたのにねぇ。アップするまでにこんなに時間がかかろうとは;「めぶき」も止まったまんまの2006年7月27日
読んで下さって、ありがとうございました。
軽快な祭囃子と共に昼間町中を練り歩いて辺りを清めて来たお神輿と山車に誘われた町の住民だけでなく、近隣の町からも賑やかなこのイベント目当てで天使属悪魔属問わず集った人々の列でうねりが作られる。
日の落ちた神社の境内は、そんな縁日を楽しむ沢山の人達でにぎわっている。
その人ごみの中で、浴衣姿の天助ポーチは子供達に声を掛けられた。
「あ!先生だー。ひとりぃ?」
「逆ナン?ナンパ待ち??」
「こら!先生をからかうんじゃないの☆あんまり遅くまでいちゃ駄目よ!」
思い思いにお面やビニール製のマスコット等、縁日の戦利品を手にした無邪気に生意気な生徒等の言葉に苦笑しつつ、ポーチは手を振って答えながら歩みを進めた。
(ひとり じゃ、ないんだけどね。)
と、心中呟き左隣の虚空に目を向ける。
そこには、浴衣姿のアズールがいる。
たしかに いる。
だけど、周りの人たちには彼が見えていない。それだけではなく、向うから歩いて来た悪魔属の少年がするりとアズールの身体をすりぬけて行った。
どうやら特殊な偏光シールドを展開しているらしく、ポーチ以外の人間には知覚する事も触れる事も出来ないのだった。
もう何度も、死者の国…無限冥王獄から現世…虹天銀河は聖魔和合界のポーチの許へ訪れているが、アズールは、どうも彼女以外の他人の目に触れることを避けている様だった。
普段なら再会してその後の時間を過ごすのはポーチの自室とその敷地内で、外出するようなことはしていない。
だけど、折角こんなイベントの日に会う事が出来たのだから、ポーチはアズールと二人で縁日を歩きたかったのだ。
だって、きっと、アズールは、こんな空気を知らない。
無限冥王獄に行く前も、彼が過ごしたのは殺伐とした時間の方が多かったのではないかと思うから。
空中で消えたと思われるかも?というイミで人目を気にしつつ、アツアツのたこ焼きをアズールに食べさせたり、綿飴を食べさせたり。ポーチは彼の浴衣…元々は彼女の浴衣を即席で着丈に直したモノ…の袖を摘まんで引きながら、西へ東へと縁日の境内を歩いて行く。
金魚掬いとヨーヨー釣りと…輪投げも籤も射的も、端から見たら全部ポーチがひとりでやっているようにしか見えないだろうけど、初めのうちは渋々という風だったアズールの視線が心なしか和んでいるように見えたのでポーチは嬉しくなった。
油物と甘い物で喉が渇いただろうと、ポーチはアズールを残してカキ氷の列に並んだ。
やれやれとため息をついて、はしゃぎ気味の少女の後姿を見ていたアズールの目の端に、ふと、キラキラと煌く輝石で作られたアクセサリーが飛び込んできた。
色とりどりのブレスレットやネックレス、指輪等の他に、妖しげな札やらキャンドルやら骨で作られたオブジェなどもある。それはなんだかいかにも胡散臭い露店だったのだが、店先に並ぶアクセサリーの中にポーチに似合いそうなビーズ細工のブレスレットを見つけたので、アズールは思わずそちらに歩み寄ってしまった。
「あら、…おにいさん、何かお目に留まったものがあって?」
店主と思われる、口元をベールで覆った派手な身なりの妙齢の女が声をかけてきた。
アズールはシールドを解いていない。姿は今も消えている筈だった。
驚いた少年が身構えると、女はくすくすと笑い出した。濃いシャドウの引かれた瞼を縁取る長い睫毛の奥で、印象的な瞳が鋭く光る。
「初めまして。私はアイブローチ。霊視占いを生業としている者よ。今日は占いの他にお呪いグッズも販売しているのだけどね。…貴方、変わったオーラをまとっているのね。」
警戒の必要はないと、女は笑って手招きをする。
「それはさておき、お気に召した物があるなら手にとってごらんなさいな。あそこの彼女に贈るのでしょう?」
アイブローチは目線で、二つ左に斜向かいのカキ氷屋に並んでいるポーチを示した。
アズールは無言で否定も肯定もしなかったが、代わりにほんのり赤くなった。
「……どこまで行ってるの?」
「…何?」
どこか好奇を含んだひそひそ声で呟かれた女の言葉の意図が、アズールにはわからなかった。
「こんなアイテムもあるんだけど、使ってみない?」
女の手には、ビー球の様な透明な赤い球がいくつか入った透明なガラスのビンが握られていた。
「錬金術やお呪いの材料の採取に必要で、私が作った媚・薬v」
「ビ ヤ ク?」
アズールは眉間にしわをよせて、妖しげに囁くアイブローチの言葉の音をたどる。
「程よい催淫効果がある上に相手は覚えてないの。みんな夢の中の出来事になっちゃうのよv」
「サイ・インコーカ??」
ウキウキと楽しげに語っていた女だったが、単語そのものに戸惑っている様子のアズールの反応を見て呆れたようなため息をひとつ漏らした。
「あーん、わかんないなら良いわ★今のは冗談!これは只の喉飴よ。アミュレットのアクセサリー買ってくれたお客様にオマケで差し上げてるの。」
サービスするから何か買ってってよvというアイブローチの不思議な雰囲気に流されて、アズールは初めに目を付けた天然のローズクォーツとビーズで作られたブレスレットを一つ買わされてしまった。
さっきの飴が入った小さな白い紙袋もオマケに添えられて。
ご武運を~vというアイブローチの声を聞いたと思った瞬間、背後から袖をつんと摘ままれた。
(良かった!はぐれたかと思っちゃった)
「え…?」
極々小声で呼びかけられて振り向くとカキ氷を持ったポーチがそこにいて、目の前にあったアイブローチの露店は掻き消えて代わりに亀掬いの露店があった。
アズールは狐にでもつままれたような気持ちになったが、懐には先程買った包みが確かにあって。
(はい☆アズール何味が好きか訊くの忘れちゃったから、五色掛けにしちゃったv)
差し出された透明な容器に入ったカキ氷は、底の方がかつてのカオスを思わせる色をしていた。アズールの腑に落ちない気持ちは、その衝撃的な色と愛らしいポーチのはしゃぐ様子に流されてしまった。
カキ氷もなくなる頃、先程から小さな咳をしていたポーチが、けほりと大きな咳をした。
「風邪か?」
「違うと思う。さっき並んでいた時、すっごい煙草が煙くって。いがいががとれないの。」
ほんっとメイワクよね!こんな人ごみで。と頬を膨らませて文句を言いながらもポーチは再びけほりと咳こんだ。
「これ、さっき露店でもらったんだが。」
思い出して、人目を避けて露店の影に入ったアズールは懐から先程の紙包みを出す。
ポーチはそれを見て、うっかり声を潜めるのも忘れて ぶっ と噴き出してしまった。
「何、これー!!」
「喉飴だと言っていたが?」
処方薬局の封筒を思わせる白い紙包みには、赤い大きなハートマークに重なるように黒の太い筆文字で大きく「媚薬」と書かれていた。
何でシールドを解いたのだろうと思いはしたが、それよりも差し出された品物があんまり可笑しかったので、ぷくくと笑いを堪えながらポーチはそれには触れる事無くその包みを受け取った。
バレンタインか、ホワイトデーの受け狙い商品の売れ残りだろうと思ったポーチは、くすくすと笑いながら包みを開ける。すると中にはビー球のように光に透ける透明な赤い飴玉が二つと、効能書きが一枚入っていた。芸の細かさにポーチは感心する。
「サイイン効果がどうのって言っていたが、オマエ、判るか?」
アズールの問いに、効能書きに目を通していたポーチは一瞬固まる。少年が大真面目で言っている事は少女にも良く判るのだが。
「え…と、サイ…は、催すってコトで、イン…は…。…家に戻ったら辞書貸したげるから、自分で調べてちょうだい。」
「うん?」
「ありがと。頂くわね」
ポーチはどこか恥ずかしそうにしつつ、赤い飴玉をひとつ口に入れて、包みはアズールに返した。
「美味し…薔薇の香りがするv」
口の中で喉飴を転がしながらポーチは、アズールの浴衣の袖をつまんで再び境内を歩きだした。
闇の中にぼんやりと浮かぶ提灯と色鮮やかな電飾の灯りが連なり不思議な空間を作り出している。
いつのまにかアズールの方がポーチより前に出て歩いていた。いや、ポーチの歩みが、少しずつ遅くなっているのだ。
(?なんだか、頭がぼーっとする…??)
口の中の飴玉が小さくなるにつれ、ポーチはなんだか目の焦点が合わないような気がしてきた。賑やかなお囃子の音も遠ざかっていくように、耳に届かなくなっている。
指の力が抜けて、アズールの浴衣の袖を離してしまったポーチは、人の波に押し戻されてしまう。
ふいに脚がもつれて膝をついてしまった自分にに差し出された手に、少女は縋って立ち上がった。
「はぐれた!?」
右の袖からかすかな重みが消えた事にアズールが気付いた時には既に、傍らからポーチの姿は消え失せていた。
慌てて四方に目を凝らしてみても、まだかなりの量の人ごみの中に少女の姿は見当たらない。
嫌な胸騒ぎがして、六枚の漆黒の皮膜羽根を大きく広げるとアズールは空へ舞い上がった。
(アズールの、手。こんなに大きくてごつっとぶにってしてたかしら?)
己の手を引き歩く少年の像が揺らいで見える。なんだか身長も肩幅も随分大きいみたいな気がする。
(なんだか、ドキドキしちゃうな…。アズールから手を繋いでくれるなんて。)
ささやかな喜びに実際鼓動は早まっている中、そんな事を考えているポーチは、周りからどんどん人気がなくなっている事に気付いていない。
いつのまにか、人目に触れない林の奥にやって来てしまった。
「嬉しいな。今日は大人しく付き合ってくれてv」
ポーチには、掛けられた言葉の意味がわからない。
ふいに押されてよろめいたポーチは、大きな杉の木に寄りかかる格好となった。指から抜け落ちた水風船のヨーヨーが地面に転がるとがった枝先に触れてぱしゃりと音を立て弾け散る。
「今日は一人なんだよね?どんなお話しようか。」
伸ばされた太い手が、ポーチの肩に掛けられた時。
「微塵にされても構わないのなら、そのまま話を続けるんだな。」
「ぎゃーっ!!やっぱり連れが居たーーー!!」
唐突に闇から己の首根っこに突きつけられた冷ややかな声と剣の感触に、悪魔属の「とっつぁんです」は凍りつき、脱兎の如く悲鳴を上げて逃げ去った。
「おい!大丈夫か?どうしたんだ、いつもならあんな奴自分でシバキ倒してるだろ!?」
「あー。やっぱり、アズールだ…。」
逃げる悪魔属の男を一瞥し、地面にへたり込んだポーチを覗き込むアズールに、笑いかける少女の言動は何かがかみ合っていない。
何か、様子がおかしい。
肩で息をする少女の頬は上気して桃色に染まっている。
「ほら、行くぞ。立てるか?…!?」
ポーチの手を掴んで立たせようとしたアズールは、彼女のその手の熱さに驚く。
少年の掌に、早まる少女の鼓動が克明に伝わってきた。
どうにか立ち上がりはしたものの、少女は身体をふるふると震わせている。
「ダメ…。歩けない…。熱…い。」
「お、おい…?」
ただ事でない様子に、アズールが固唾を飲んだ瞬間、
「衣擦れが…、いやぁっ!!」
ポーチがいきなり自らの浴衣の襟元を掴み、それを脱ごうと胸元を肌蹴させた。
「うわっ!!止せ!!」
驚き慌てたアズールが咄嗟に襟元を合わせて閉じさせようとすると、偶然ポーチの胸元に手首が当ってしまった。
「ひゃあああん!!」
「うわああああっ!!!」
刺激に悲鳴を上げて胸元を庇うように座り込むポーチより更に大きな声を上げたアズールが飛びのいた。
不可抗力ながらも触れてしまった柔らかな感触に驚いてドクドクと高鳴る心臓を抑えつつ、アズールはもしかして、と懐から例の包みを取り出し効能書きを読む。
~~~v特製媚薬効能書きv~~~
本品は天然成分と魅惑的な成分を抽出し凝縮したスペシャルテイストな妙薬です。
女性も男性もフェロモン全開、熱ぅい営みを展開出来ること間違いナシv
但し、最中の記憶は一切残りませんので既成事実工作には向かないかもしれません♪
「…なんとなく、わかった…。」
アズールは、怒りを通り越して一気に脱力していった。
~~~
服用に際しての諸注意
効果には個人差がございますが、本品1錠につき現れる催淫作用は服用した方が満足されるまで、30分から最大5時間持続します。
(ご、5時間!?こんな状態がそんなに続くかもしれないのか?!)
たまったもんじゃない!とポーチの体力と自分の理性の持久力に不安が過ぎる。
~~~
服用すると一種の幻覚状態になります。
パートナーが同時に服用するのはなるべくお止め下さい。
そして幻覚状態になると、その時一番に想いを向けている、心に秘めている人物を思い描き夢に見て目の前の相手をその人物だと錯覚します。
呼ばれた名前が自分と違っていても、落ち込まないで下さい☆
(あ、頭痛い…。なんつー物寄越しやがった、あの占い師…!!)
アズールが、そんな物をポーチに与えてしまったことを激しく後悔していると…
「アズール…ぅ」
息も絶え絶えのポーチが彼の名を呼ぶ。
ギクリとしたアズールは効能書きの一文に今一度目を走らせる。そしてドキドキと、恐る恐る少女に目を向けた時。
「熱い…の…。たすけ…てぇ…!」
肌蹴た胸元にはゆたかな谷間が覗いている。少女の潤んだ瞳からは涙がはらはらと溢れ出て、真っ直ぐに自分を見上げて紡がれた言葉にアズールは心中で絶叫する。
(助けてくれえぇぇえ!!!)
汗をだらだら流しながら、アズールは身動き取れずに只、ポーチの様子を見守るより術がない。
「あぁーーっ!!」
ボロボロと涙を流し、身体を焦がし巡る熱の逃がし方の判らないポーチは火照る自身を抱き締め蹲る。それを見たアズールはオロオロわたわたとするばかりである。
「アズール…わたしのこと…きらい…?」
嗚咽を漏らしながらの問いかけに、アズールは答える事が出来ない。
「う…!」
(嫌いなんかじゃない…。俺は…)
「どうして、答えてくれないの…?」
(俺は…)
「わたし…わたしは、あなたのことが…!」
「すまん…!!」
媚薬の紙包みを捨てたアズールがポーチの言葉を遮るように、その身体をあらん限りの力で強く抱き締める。
「あ……」
「覚えていようがいまいが、成してしまえば事実は残るんだ。だから…今は…!!」
言う、アズール自身もまた切ない気持ちを抱えている。
出来るものなら今すぐにでも、このまま少女を浚って行きたい。それがアズールの本心だった。
自分が在る場所…無限冥王獄は、命の営みを放棄したモノが集う場所でもある。時として夜闇とは全く異なる冷酷な暗闇に覆われる、報われない魂の逝きつく最果ての世界…。
アズールは現世に訪れる度、ポーチの生活をこっそり覗き見ていた。
教師になるという目標を現実に叶え、光の中で生き生きと芽吹く命等を育む少女の笑顔の輝きはとても眩しくて、いとおしく感じる。
その姿を大切だと思う程に己と少女の世界の隔たりを痛感していた。
アズールが差し出せば、ポーチはその手を取ってくれるだろう。しかしそれは彼にとって、少女を光の世界から闇の世界へ堕とす事に他ならなかった。
(まだ…オマエを連れて行けない…!)
嫌いだったなら、こんな苦しみは知らずに済んだろう。
抱き締める少女の温かさを感じ、切なさに胸が締め付けられる少年はきゅ…と唇をかみ締めた。
アズールの腕の中で静かに目を閉じたポーチの瞳から、新しい涙が一筋流れ出た。 強張っていた少女の体からすうっと力が抜けていき、震えもうその様に納まっていく。
覗き込むと、ポーチは静かな寝息を立てている。アズールはポーチを抱いたまま、一気に緊張の糸が切れてその場にへたり込んだ。
「やっぱり、ダメだったわねぇ。」
その様子を、離れた所から水晶玉に映して覗き見ていたアイブローチが呟く。その手には、先程アズールが投げ捨てた媚薬の紙包みが現れる。
「猫?あんたの王様、不甲斐無さ過ぎるわ。あんなにお膳立てしてあげたのに。」
彼女の背後では呑気な猫魂が顔を洗っている。
「んにゃ~。そこが魅力でもあると思うのにゃけどね☆」
「まあ、ある意味では強いとも思うけど。それよりも…。」
ため息を一つ漏らしたアイブローチは再び水晶玉に目を移す。
「今時、あんな抱擁一発で『満足』しちゃうお姫様の方も珍しいわよねぇ。逆に言ったら相当我慢してるんじゃないの?可哀想に…。やっぱり不甲斐無いわよ、あの坊や。」
深く光を通す球の奥に映る、たどたどしく少女を介抱する少年の姿を指で小突き、アイブローチはぼやいた。「そこも魅力」と思っているのか、主に対する暴言にはかまわずに、顔を洗うのをやめた猫魂は興味津々の姿勢で、しかしあまり身は乗り出さず、背後から親友の纏う衣の端をひっぱる。
「ねぇねぇ、アイ。姫、どんな感じにゃ?可愛い?綺麗?かっこいい??」
「覗いてみれば?大体猫、あんた半分幽体なんだから、自分でこっそり見てくればイイじゃないの。」
水晶玉を指差すアイブローチの言葉に猫魂は首を横にふるふるし、
「ううんにゃ!アズール様から紹介してもらうまで、我慢するって決めたのにゃ!だから早く連れてきて欲しいのにゃ~~!!」
と言った。
つまり、今回の騒動の元凶はこの猫と言うことである。
格闘好きの霊体が集って出来た複合霊である猫魂は冥王獄を力で統べたアズールに心酔しており、こうして彼の恋路を独断で応援しているのだった。
アイブローチは、やれやれと苦笑を漏らして水晶玉を布に包んだ。
縁日のフィナーレ。打ち上げ花火の大きな音が響き始めると、アズールの膝の上でポーチが静かに目を覚ました。
「…あれ?わたし…。」
「貧血起こして倒れたんだ。人に酔ったんだろ。」
もしもこの時ポーチが通常の状態であったならば、アズールの挙動が少々おかしいことに気付けたに違いないのだが、声音はいつもの調子で端的に言うアズールの言葉に、身を起こしたポーチはそうだったかな?と首をひねる。確かになんだか頭がくらくらする気がするけれど。
「ごめんね。花火…、縁日終わっちゃうね。」
「別に構わん。それより、立てるか?」
「ん…。」
言われてポーチは立とうとするが、よろめいてしりもちをついてしまう。
「あれ。」
ダメみたい、と困った表情を浮かべて己を見上げたポーチの下駄を脱がして持たせると、アズールは少女を無言で横抱きに抱え上げる。
「戻るぞ。」
「あ…うん…。」
ポーチが頬を染めて答えると、アズールはふわりと夜空に舞い上がる。
ふいに、えへへ とポーチは小さく笑った。
「…どうした?」
「天霊山での事思い出しちゃった。こういうの、あの時以来よね。」
凶悪魔との決戦の直前にアズールと再会した時ポーチは、ジェット皇星に失恋した自分を励まそうと、折角声をかけてくれた彼の前から逃げ出した。
初めてジェットと出会った時彼の姿に重なって見えた蒼い影が、今、自分の腕を掴みまっすぐに見つめて問い掛けてきたアズールだったのだと気付き、激しく動揺したからだ。
無我夢中で飛んで、巨大な時の糸の柱にぶつかり弾かれて落ちるポーチを、あの時もアズールはしっかりと受け止めてくれた。
「…あのね、わたし、さっきなんだか夢見てたの。」
その言葉に、アズールはギクリとする。
「…夢…?」
「うん。夢。なんだかスッゴク熱くって、苦しくて、切ないような不安なような悲しい気持ちだったんだけど、急にすーって、あったかくなったの。幸せっていうのかな…。それがね…。」
一度言葉を切ったポーチが、ふと遠くを見ていた瞳を閉じてアズールの胸に擦り寄る。
「今、そんな気持ち…。」
「…ふーん。」
内心心臓はバクバク言っているアズールは努めてそっけない返事をする。
「わかんない?幸せなの!しあわせなのよーっ!!」
「暴れるな!落とすぞ!!(まだ薬残ってるんじゃないか?;;)」
空の家路を急ぐ二人の後ろで、炎の花がぱあっと咲いた。
その光に照らされて、ポーチの手首で薄い桜色の石が連なるブレスレットがキラリと静かに輝いた。
終わり。
☆★☆★☆
あとがきみたいなもの☆
こちらは2005年の秋、東京でのオンリーイベントにて無料配布したペーパーに載せたSSのサイト用アレンジ版です。本当は漫画化予定のネームだったものをSS状に直した物…だったりもします。こちらに載せるにあたり、アズールの心情等細かい所を沢山書き足しました☆
ペーパー版とどちらがよろしいでしょうかね?
某場面はギリギリセーフライン(だと思うのですけど)のお色気描写…を目指して書いてみました。
色っぽいポーチと慌てふためくアズールが書きたかったんですが、いかがでしたでしょうか☆
本編には書かなかったけれど、ポーチのはだけた浴衣を直さなければならなかったアズールの苦労はどれほどのものだったろうか…とか。書いた本人もわかりません(爆死)
ああ、それにしても、これ、大方は昨年の内に出来ていたのにねぇ。アップするまでにこんなに時間がかかろうとは;「めぶき」も止まったまんまの2006年7月27日
読んで下さって、ありがとうございました。