あまい ものは だいじ ~アズールポーチ

 台所の一角に、材料、器具は全て揃えてある。
なのに、作らなかった。
 二月十四日は、女のコにとって一世一代「愛の告白」のきっかけと勇気と理由(いいわけ)を与えてくれる、ありがたい記念日だ。学校でも、街でも、テレビのニュースでも、虹天銀河の恋人達や、そうなる予定のカップル予備軍が、贈りあう品も心も甘々な風景を(そして一部のほろ苦すっぱい風景も)天助ポーチは実際目の当たりにしていた。それは、帰宅する前、ドアの向こうの世界で繰り広げられていた風景。
 そう、今日が二月十四日、バレンタインデーの当日だった。
 チョコを作るための材料、足りなかった器具、包装材等を一式揃えてみたものの、やはり「告白」と考えてしまうと、不安ばかりが頭も胸も占拠して、ほろ苦すっぱいコトになったらどうしよう!?と、「バレンタインの勇気」はちっとも背中を押してはくれず、
「どーせ作っても、あいつが来なけりゃ渡せないんだし。作るだけムダムダ!うん。作らない!!」
と、自分に対して必要以上に説得(いいわけ)をして、そう言う事にオチつけて。割チョコをちょっと削った所で作業をやめて、眠ってしまったのが昨日の夜。
 それなのに、
「…よぉ。」
 時計の針が後三時間程で翌日を示す頃、六枚の黒い皮膜羽根を背中に持ち、大きなスクリーングラスで顔の大半を覆う蒼い髪の少年は、いつものようにいきなり、ポーチの前に現れた。
「死者の国」無限冥王獄(むげんフィールド)は、回廊の次元を夾んで虹天銀河(こうてんぎんが)と重なるように存在している。そこは生前、邪心と欲望と無念を抱えて死んでいった者、或いは肉体を失った者達の魂が、自身のままの復活を望み、転生する事も叶わず蠢いているゾーンだ。
 蒼い髪の少年・アズールは、自身の魂の一部である「心産みの神」の素養を含む「ブライトソウル・暗黒太陽」を、かつて自分を師匠と慕ってくれた幻次界の王子・虹天使ダーツに託した。その為に、流れゆく時の中で限りある生を全うする「命」の枠から外れ、属性を失い、無限冥王獄に属する事となった。
 元々が強力な力を持つ悪魔属、暗黒剣の使い手として恐れられていた少年は、負の感情を抱え込む事で力を蓄えている亡者達を力でねじ伏せ「冥王」と呼ばれる様になっていた。
 そんな少年が、いわゆる現世に出没するのには一応の理由があった。
 負の感情、邪な欲望の塊とも言える亡者達にも、彼らを偲び、想う者達が現世に存在する。その者達の思いが冥王獄に届いた時、亡者はその魂の一部を現世に馳せる事がある。大抵が、ほんのつかの間の里帰りの様なもので、魂はすぐに冥王獄に待つ大元の魂と融合し、ひとつの存在に戻るのだが、時々、現世への未練から戻らない者が出る。
そのまま放置しておけば、やがて積み重なり、「存在」を濃くした亡者が、現世に悪い災厄をもたらす事に繋がる可能性があると判断した「上の者」が、アズールに不法滞在の魂の回収を命じたのだった。
 その任を全うする為に、彼に一度に許される時間は現世での日の出から日の出までの丸一日。回収作業が済んだ後の時間は、勝手に自由時間としているらしく、どういう訳か、ポーチのもとへ訪れるのだった。
 アズールは、追跡する魂の波長に一番近い、回廊次元のほころびを利用し、二つの世界を行き来していた。均一ではない二つの世界の境にあるそのほころびは絶えず移動している様で、毎回違う場所と繋がっていた。今回は1LDKのポーチの部屋の、台所と居間の境の影からのご訪問である。(ちなみに前回はお風呂場出現パートⅡで、幸か不幸か後ろ向きに、泡だらけのポーチの足元から現れた。)その際、頭突きをかまして倒したゴミ箱の中身を律義に戻しつつ、アズールは、自身を迎える少女の様子が、いつもと少し違う事に気がついた。
「…熱でもあるのか?」
「えっ?!」
 ポーチの顔は真っ赤になっていた。瞳も、なんだか潤んでしまっている。言われて気付いたが、心臓もかなりのイキオイでバクバクしていた。
『だ、だって、だって、今日に来るなんて、会えるなんて、思ってなかったんだもん!どーせ会えないからって諦めたのに、会えちゃったら欲が出ちゃうじゃない!でも今からチョコ溶かして渡すなんて、あからさまにハート型のチョコ渡すなんて恥っずかしいマネ出来ないしっ!!ていうか、もともと告る予定じゃなくてっ!?
どうしよぉ~~~~~!!?』
 アズールに会えた喜びと、チョコを用意していなかった自分に対する激しい後悔と、チョコがないが為に告白せずに済む事実に対する微妙な安堵とがぐちゃぐちゃになって、ポーチはにわかにパニックに陥っていた。
 そして、ひきつる様な心臓に、湧いては消える衝動が引き起こすらしい軽い目眩を覚えながら、寝室からひとつクッションを持ち出し、とりあえず座るようにとアズールを促した。
 アズールは己の為に用意された薄い青色のクッションを受け取ると、居間の東側、何度か訪れる内に定位置となったその場へそれを置いた。そして腰を下ろしながら、テーブルの上にひとつの白い布袋を置いた。ガラガラと、袋の中身が乾いた音を立てている。
「なあに?それ。」
 こたつ兼用のテーブルを挟んでアズールの正面に、彼に渡した物とお揃い色違いな薄い桜色のクッションに座りながらポーチが訊ねると、アズールは簡単に、今日あった出来事を説明した。
 いつもの様に、ある程度の時間が過ぎても戻らない亡者の、魂のかけらを迎えに行った先は秋の実りに恵まれたゾーンだった。
 そこで、木の枝に引っかかり身動きがとれなくなっている魔守の娘を見つけ、気紛れに助けたのだと言う。
「助けた礼にと押しつけられた。いらないと言ったんだが…。」
 アズールはさして興味もない様子で持て余す様に袋をつついた。中身がガラリと転がる音がした。
「中は見たの?」
「いや。」
「見てもいい?」
「ああ。」
 好奇心が目眩に勝り、ポーチはわくわくとその袋の結び目を解いた。
「わあ、すごい!」
 袋の中には秋の実り、大小さまざまな数種類の木の実が沢山入っていた。
「良い物もらったじゃない!これ全部食べられるのよ。栗に、銀杏にどんぐり…あ、椎の実の事ね。それから……。」
 袋の中から木の実をひとつひとつ取り出して、名前を挙げていくポーチの手が止まった。楽しげな笑顔から一転して真剣な、何かに思いを巡らせているかの様な表情を見せたかと思うと、まっすぐに自分を見返す、ぱあっという花の開く音が聞こえるのではないかと思う様な、可憐で、それでいて一寸いたずらっぽい笑顔に、アズールは一瞬どきりとした。
「どうした?」
「これ、五つ位もらっても良い?」
 ポーチは袋の中からひとつの実を取り出した。薄い茶色の殻は固そうで、表面が少しでこぼこしている。直径4㎝程の球形の実をつまんで自身の顔の位置まで上げると、少女はちょっと上目遣いで小首を傾げ、アズールを見つめた。
 小さな実の後ろからのぞく可愛らしい仕草に、アズールは再度どきりとしたが、スクリーングラスの奥の瞳はそれを悟られぬ様にと閉じられ、すこぶる平静を装った声音で了承の返事をした。
 するとポーチはすっと立ち上がり、アズールにその実を五つ手渡した。
「ありがとう!今からこの実を使ったケーキ、焼いてあげるね!!」
 いそいそと下ろしていた長い髪をまとめ、台所へ向かいエプロンを着けている少女に、アズールはあっけにとられた。
「…こんな時間に、甘いもの…?」
「良いの!今作りたいの。食べてほしいの!!だからアズール、手伝ってね。殻を割って、中の実を出してちょうだい。」
 言いながらポーチはてきぱきと器具を取り出し、材料の計量を始めている。卵とバターと小麦粉と、お砂糖とココアとベーキングパウダー…。そしていつもあるとは限らないメイン食材も、今は全部揃っているのだから。
「…叩き割るのでも良いのか?」
 面倒くさそうにアズールは言った。
「あんまり細かくなっちゃうと美味しくできないわよ!殻に継ぎ目みたいな所があるでしょ?そこに硬い物を差し込んでひねればカンタンに割れるから…。そこの棚のどこかに道具あったと思うんだけど。」
「メンドーだ。切る。ところでこの実は何て言うんだ?」
「くるみって言うの。そのまま食べても美味しいんだけどね☆」
 アズールの問いににこにこと、ボウルに入れたバターを泡立て器で練りながらポーチは答えた。
「…なら、わざわざカロリー増やさなくても良いんじゃないか?」
「い―――い・の!!甘い物は大・事!!」
 さっくり痛いコトを言うアズールに、ポーチはぷっぷくぷうっと、唇をとがらせて反論した。
 

そうして部屋は、温かで甘い香りで満たされた。

告白など、この際なくても構わない。

焼きたてのケーキ…ちょっと甘さをひかえたブラウニーと、とっておきの紅茶で二人だけの時間を過ごしたい。
 世間に溢れる「甘い二人達」に、及ばなくても負けない位。
 
 あまい ものは だいじ。
 あまい じかんが だいじ。

 二月十四日(きょう)が終わる前に…。


おしまい

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あとがき的トーク。
 お楽しみいただけたでしょうか?
 オフで漫画として発表しているアズvポーチ本「開花シリーズ」の1エピソードです。
設定としては、アニメのその後としておりますが、無限冥王獄とアズールについては「特に」海王寺の捏造です。公式はおそらく違いますので、その辺はその違いを楽しんで戴ければと(苦笑)。
 04年クリスマス前に他ジャンル某作家さんのバレンタイン作品を読んでいて描きたくなって、一晩で書き上げた物です。文章ネーム切ってるつもりだったのですが、微妙に小説ちっくだったので小説としました。
 いくつもあるエピソードの内、どれの間につっこむか判断しかねたので、このカップリングの普及目的で05年発行のペーパーと一緒に無料配布してます。これはそれに少し加筆したアレンジ版です。
☆次の新刊にカラーイラストと他エピソード込みのオマケ小冊子として新作カラーイラスト付きでお楽しみ戴く予定です☆

読んでいただき、ありがとうございましたv
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