Story.9.5 狭間の蒼


「ごめんね、起こすつもりじゃなかったんだけど……」
 焚火番がリセの時間だったようで、残りの二人は眠っていた。彼らを起こさぬよう焚火の傍に静かに腰を下ろす。イズムは傍らに準備した薬等手当する為の物のなかから包帯を手に取ると、慣れた様子でリセの右手に宛がった。
「いえ、叩き起こしてくれても良かったんですよ?」
「……起こしたく、なかったから」
 言葉の間に彼が顔を上げると、リセの瞳にイズムは映っていなかった。彼への答えではあるものの、視線の先には別の人間――こちらとは反対を向いて寝ている。その毛布の膨らみから覗くのは金髪。普段二つに結い上げているそれは、今は解かれ敷かれた布の上に流れていた。
「……ああ」
 彼女に見せたくなかったから、焚火番のときにしようと考えたのか。
「リセさんは優しいですね」
 緩く首を横に振るリセ。包帯を巻いてやるため再び下を向けば、温度の低い笑みが漏れた。
「でも」
 イズムはリセが今まで巻いていた包帯に目を向ける。草上に解き置かれた白は、赤黒い血に染められていた。
「度が過ぎないようにしてくださいね」
 ――どうにも、“彼”と被る。自分より他人を優先する、あの身勝手なお人好しと。
「それで自分が傷ついたら」
 脳裏を過ぎるのは月下の賭け。自分が危険だと解っていながら、どんなに警告しても譲らない。彼に届かない言葉は自身に跳ね返り、虚しさと無力感になって身体中に響く。
「……悲しむ人がいることを、忘れないで」

 そもそも、こんなことになった原因は――……

 薄く巻いた後、イズムは横に置かれた物のなかからナイフを取り上げる。刃先を包帯の余って長く伸びた部分に滑らせ、軽く押す。ふつり、と柔らかい布が切れる音。端と端を結びナイフを置くと、今度は小さな瓶を持ち彼女の手を見遣る。
「このままだと膿みそうで怖いですね」
 ――瞬間、リセの右手に刺すような痛み。
「……――ッ!」
 薄く巻かれた包帯の上に瓶のなかの液体を落とす。雫が染みた白は半透明に透け、その下の赤を淡く浮かび上がらせた。傷を負ったときに感じた熱い痛みではなく、冷たいそれにリセは息を詰まらせる。
「薬です。少しだけ我慢してくださいね」
 傷口が冷たく脈打つ。
「……化膿したら、大変ですから」
 水薬を含んだ部分だけに夜風を感じた。僅かな空気の動きすら痛みに繋がり、思わず強く目を瞑る。
 そうして暫く耐えていると痛みの鼓動はゆっくりと引いていった。長く感じたが、実際は体感していたよりずっと短かい時間だったに違いない。イズムは彼女の様子からもう痛まないことを悟ったようで、再び包帯を巻いていった。薬を染み込ませた箇所を更に覆い、緩くもなく締め付け過ぎない程度で結ぶ。その手つきは優しく、それ以降痛みを覚えることは一度も無かった。
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