Story.8 古の殺戮者


     †

「ハール君」
「……」
「ハール君?」
「…………」
「……ハールくんっ!」
「え、……あ、悪い、何?」
 ハールはフレイアの三度目の呼び掛けに、ようやく反応した。彼女は少し不満そうに頬を膨らませる。
「おいしーねーって、言ったの!」
「あ、そう……だな」
 少々考え事をしていたせいで、耳に声が届いていなかった。埋め合わせをするように、こちらから話題を持ちかける。
「あいつって、料理だけじゃなくて家事全般得意なんだよな」
「そーなんだ? スゴイなぁ……アタシ、あんまそーゆーの得意じゃないんだよね」
 フレイアはそう言ってまた一口齧った。具材をパンに挟むだけなのに、おそらく自分ではこうはいかない。一体何が違うのか。そんなことを思いながら飲み込むと、ゆっくりと口を開く。
「今朝さ、ハール君止めるかと思った」
 一瞬の間。彼女の言葉が何を指しているのかを考えていたのか、それとも別の理由か。
「リセがあんなに自分から強く主張したの初めてだったし……頑張ろうとしてるのは分かるから」
「すっかり保護者だねぇ」
「やれるだけやってみろって言ったのオレだしさ。……オレにとってもいい機会かもしれない」
「いい機会? ……ああ、誰かを庇いながらだと異常に戦えなくなるってやつね。そんなものだと思うけどなぁ。…………大切なものがあると弱くなるのは、おかしいことじゃないよ」
 その言葉に、一瞬ハールの食べる手が止まる。
「……とりあえず、放っておけるわけねぇだろ。あんなの」
「そうだね、放っておいたらきっと死んじゃうね」
 歯に衣着せぬ物言いに、思わず彼女の方を向く。普段から遠慮した言い回しをする人間ではないと思っていたが、今の台詞にはどこか引っかかった。それが何故なのかは分からなかったが、内容が直接過ぎるという単純なものではないような気がした。
「まぁ、見つけたのがハール君でよかったよ。ほんとっ」
「お前でも大丈夫だっただろ」
 彼の表情に何かを感じたのか、彼女は途端に溌剌としたいつもの笑顔を見せる。しかし、ハールのなかの違和感が消えることはなかった。

     †

「ちょっと休みましょうか」
「でも……」
「休みましょう」
「……はい」
 有無を言わせぬいつもより少し真面目な声色に、素直に頷くリセ。彼は微笑むとその場に腰を下ろす。リセも倣って隣に座ると、そのまま後ろへと背を倒した。
 緑の上に寝転ぶと、背中にちくちくとくすぐったいような草の感触。一つ息をつき、片腕を目の上に被せた。
「……本当に」
 できるのかな、という言葉を飲み込む。あれから何度か試したものの、結果が変わることはなかった。
「大丈夫ですよ、気負うからできないんです。それじゃできるものもできませんって」
「そうかな。でも、教えてほしいって言ったのも、行きたいって言ったのも、私だから」
「それが気負ってるって言うんです。もしリセさんが居なくても、あのまま三人で行ってましたし」
「……私が居なかったら、そもそもみんなここ来てなかったよ」
「バレましたか」
 軽く笑う。どうやら誤魔化しは利かないようだ。抜けているようで、案外生真面目である。
「まぁ、はっきりとした生息域も分かりませんし、出遭ってしまったらって前提ですから」
 逆に考えれば、生真面目過ぎるがゆえにそう見えるのかもしれないが。
 リセが微かに身じろぐ。草の上を流れる銀髪に陽光が躍った。
「……わがままだな」
「そうですね」
 リセの呟きを、あっさりと肯定する。大事な部分の誤魔化しは、彼女には利かないようだから。
「人間それぞれ自分勝手に生きているものですよ」
 責めるわけでもなく、諭しているような威圧感もない、穏やかな声。
「その想いが思わぬ方向に向かって予期せぬ事態を生んだり、ぶつかり合うこともありますけど……その時は、その時です。誰にだって譲れないものはあるでしょう」
 リセが腕をどけると、枝葉の重なりの隙間から漏れる青空を背景に、優しげな瞳が見下ろしていた。
「……イズム君も?」
「そうですね……譲れないはずなのに、どうにも困ったことになったりもしますけど」
 ――――今がいい例です、という言葉は、喉の奥で掻き消して。
「やっぱり、最後は守りたいと、思ってます」
 隣で寝転び、見上げてくる少女にいつもの笑みを浮かべた。
「誰かを傷つけても」
 風が森を抜ける。微かに冷たさを帯びたそれは、二つの色が跳ねる彼女の髪を揺らした。
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