Story.7 星宿の地図

「……あたしに他人様の歩みを阻む権利なんてないから、今までは止めなかったけどね。もしあたしが強引にでも引き止めていれば、狩人たちも命を落とさずに済んだんじゃないかと……そう、思ってしまうんだよ」
 そう言い、彼女は、目を伏せる。
「そう、あたしが止めてさえすれば、『あの人』も……」
 ――それは、追憶。いつしかの過ぎ去った過去を悔やむ、灰色の瞳。
「なぁ、もうあたしも後悔したくないんだ。だからあんた達だけは……行かないでおくれ」
 今彼女が、もう戻らない、過去の『誰か』の幻影と、一行を重ねて見ているのは明白だった。
 イズムは早朝の会話を思い返す。恐らく彼女が思い描いているのは、昔の知り合いだろう。武器のことばかり考えているような男だと言っていた。そして――魔物を狩りに行ったまま戻らなかったとも。
「まだ若いんだから、賞金なら他の魔物でも――」
「お金じゃなくて……!」
 リセの強い声が響く。彼女自身その大きさに驚いたようで一瞬目を見開いたがすぐに視線を落とし、次の言葉を探す。
「お金じゃなくて……その……」
 しかし答えが、その唇から紡がれることはなかった。老婆の溜め息が漏れる。呆れを滲ませた緩慢な動きで首を小さく振った。 
「別の魔物だっていいじゃないか。何もそこまで……」
「でも…………」

 ――――自らに、期限を課したい。

 魔法の習得は容易ではない。それは昨夜で痛いほどに感じた。
(だからこそ追い込まなくちゃ、きっとできない)
 この好機を逃したら、いつ求めたチカラが手に入るのか分からない。無力な時間が長ければ長いほど、また後ろに隠れる時間も増えていくのだ。
 それだけは嫌だ。守られ続けたくない。いつかは守りたい。

 感謝?

 恩?

 罪悪感?

 綯い交ぜのこの想いすら我儘なのかもしれない。この感情が正しいのかも解らない、

 けれど。

「行きたいんです……!」

 抱えたまま蹲るくらいなら、背負ったまま歩きたい。

 ――――しかし、老婆の首が縦に振られることはなかった。
「たった一晩泊めただけで何を言うかと思うだろうがね、あんたたちは、死んでほしくないと思うんだ」
 俯きがちな顔が、リセへゆっくりと向けられる。
「……人が生きることを願うのは、他人であっても我儘なのかね」
 リセを映すその瞳は、年月を重ね様々な感情が混ざり合い、そして一滴の憐憫が染め上げる灰色だった。
「――――……」
 その何処か哀しい色に、彼女は何も、言えなかった。
「……もう、死を知るのは自分の最期の時だけにさせておくれ」
 互いの願いは、同時に叶えられる。すべてが上手くいきさえすればいいだけ。それだけだ。
 それだけ――――なのに、その二つの想いは、ぶつかり、弾かれ、上手く交差しない。
 自分の想いも、消したくない。けど、彼女の想いも、消したくない。
「それ……は……」
 何が大切で、何が願いで、何が我儘なのか。
 ただ『無事に魔物を倒せばいい』という答えは出ているのに、根本にあるはずのそれらが解らず、その場に立ち尽くす。
「……逃げますから」
 その時、硬直した主張の交差地点を逸らす声が響いた。
「いざとなったら逃げます。命、惜しいですから」
 他愛のない会話でもするような場にそぐわぬ口調で――――
「逃げます」
 その声の主、イズムは笑みを浮かべた。
「情けない宣言だね」
「そうですね」
 彼にどこか冷めた視線を投げる老婆。イズムは灰色のそれに怯むことなく微笑を返す。
 先に瞳を逸らしたのは――――
「……けど、守れない約束より、ずっといい。守れない約束なんて、ただの嘘だよ。あの時、もしあの人があんたみたいにしてくれていたなら、こんな辺鄙な処で、一人で宿なんてやっていなかったろうにね」
 ――老婆だった。
「わかったよ。若いもんには敵わないね……年寄りの戯言だと思って忘れてくれ」
「戯言なんかじゃないですよ」
 彼女は微かに驚いた様子を見せたが、寂しげに目元の皺を深めて笑むと、諦めにも似た優しげな声で言った。
「あたしはセシル。……あんた達の名前も教えてくれるかね。別れ際に名乗るなんておかしいけどさ」
「次お会いしたときに困りますし、いいんじゃないでしょうか」
「……ありがとう」
 各々が名乗る。それらに聞き入るように静かに目を伏せ、次に瞼を開けた時には、あの灰色に冷たさはなかった。
「……いいかい、あんた達が最優先するべきは生きることだよ。逃げても何でもいいから……生きな」
 そして、再度リセに目を向ける。
「命あってのことだと忘れるんじゃないよ。……ただ」
 その鋭い眼差しに、リセは緊張した面持ちで何を言われるのかと身構えた。
「…………ああいうの、あたしゃ別に嫌いじゃないよ」
 驚きと、そして、喜びで息を呑む。
 返事の代わりに、彼女は強い意志を灯した瞳で微笑んだ。


To the next story……

originalUP:2008.08.27
remakeUP:2012.12.25
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