Story.7 星宿の地図
「まず、この地図の上は東西南北のうち、どの方角だか分かりますか?」
イズムの言葉にリセは地図の上にそれを示すものがないか視線を走らせる。
「えと……」
目に留まったのは、薄く描かれた国。確かこの国は――
「グレムアラウドが上にあるってことは、北?」
「正解です。地図は上から右回りに、北、東、南、西です。今リセさんは国の位置を見たようですが、右下に放射状のものがありますよね。ここを見ると便利ですよ」
イズムは地図の右下に描かれた方角記号を指し示す。
「で、次は地図上の距離と実際にかかる時間ですが――――」
説明しながら、彼は横目で隣の少女を窺う。彼女は真剣な瞳で地図を見つめていた。そこまで気合いを入れなくても、と、思わず言いたくなってしまう表情である。
(俄かには信じ難いですね……)
魔物を虐殺し、あまつさえ人間にまでその狂気を向けるような危険人物には到底見えないのだが。しかしハールが嘘を吐くとも思えない。それがもし本当だとすれば、考えられるのは二重人格。そうと仮定するなら、その人格は不定期に現れるのか。魔物との戦闘中に豹変したとハールは言っていたが、それが条件?
いや、豹変以降もそういった場面はあったものの、彼女に異変はなかったと聞いた。魔物でも、戦闘でもない。しかし事が起こった状況からはそれしか推測ができない。これらが関係ないとしたら、一体何が引き金だ?
(……条件が見えない)
「イズム……君?」
数度名前を呼ばれていたことに気づき、ふと我に返る。
「え、あぁ、すみません。少しぼーっとしてしまいました」
「ごめんね、眠い?」
心配そうに覗き込んでくるリセ。
――相手の命を命とも思わず魔物を惨殺し、恩人でさえ同じ目に合わせようとした人間が、相手が眠いかどうかを心配とは。あまりに不似合で、微かに苦い笑みが漏れた。
「そんなことないですよ。ええと、どこまでやりましたっけ……」
「イズム君……」
誤魔化すように地図をなぞる。しかし、その指先を止める声がかかった。
「――私、避けられてる?」
思わず、息を呑んだ。
「何で、そう思ったんですか?」
動揺しているのを悟られぬよう、できるだけ落ち着いた声を紡ぐ。
「話しかけても、イズム君優しいんだけど、何となく……そんな気がして。……夕飯の後片付けのときも」
「そんなこと、ないですよ」
普通に振舞うよう努めていたのだが、無意識のうちに言動に表れてしまったのだろうか。――――かなり、気を付けていたのだが。
「だよね。私、何かしたかと思っちゃった。でも勘違いだったみたいで良かった……もし本当にそうだったら、きっとイズム君、私が教えてって言っても上手く断ってた気がするもん」
(……案外、鋭いですね)
「変なコト訊いてごめんね」
そうだ、確かに彼女は『した』。彼女の気付かぬところで、あと一歩で取り返しがつかなったであろうことをしたのだ。
自分が彼女たちに――否、彼に同行するようになった理由からして、彼女には深く関わらない方がいいと思っていた。適度に友人をし、『その時』が来たとき障害にならない程度の距離を保つ。そんな風に取り繕うのは簡単なことだと思っていた。しかし想定外だったのは、彼女は自分が思っていたような人物ではなかったということ。あまりに――――普通の少女であったということ。いや、同じ年頃の少女を鑑みれば純真すぎるくらいだ。それをここ数日で実感した。調子が狂うとでも言うべきか、予想と結果の差から生じる戸惑いで余計に避けるようになってしまったのかもしれない。
(……いつからこんなに甘くなったんでしょう)
一体リセに、どう接したらいいのか。
彼女そのものに絆されているわけではない。それを言うのならば、恐らく友人と実の娘のように思っている仕え魔に、だ。その二人と出逢った後の自分で、出逢ってしまったのだ。そして何より彼女が少し後者に似ているというのが響いているのだろうと思う。明確にどこがと言うと、難しいのだが。
(……随分とあのお人好しに感化されましたね)
「それと、ちょっと質問があるんだけど……さっきの距離の計算の仕方だと今日地図を見たところからアリエタまで六日ってハールは言ってたけど、休憩を入れるにしてもちょっと長くないかなって……」
「あー……」
思考を中断し、イズムは机に肘をついていた手で口元を覆い視線を斜め下に落とす。
「それ、僕が言っていいんですかね……」
少し悩む仕草を見せる。ややあって、彼は再び口を開いた。
「……ハール、リセさんに合わせてるんですよ」
金の目が見開かれ、止まる呼吸。
「ハールだけなら、恐らくもっと早く着くでしょうね」
「ハール、そんなこと一言も――……!」
衝動的に溢れた言葉は、すぐに喉の奥へ消えた。理由は、考えるまでもない。
「……言うような性格じゃない、よね」
イズムはその絞り出すような声に僅かに安堵する。言葉の続きの如何によっては、彼女への評価を変えなくてはならないところだった。――その方が、関係性としては良かったのだろうけれど。
「そっかぁ……私、また迷惑かけちゃってたな」
言うと、細い指で顔の横に垂れる髪に訳もなく触れた。行き場のないそれをしばらく銀の糸に絡めては解くを繰り返す。柔らかく、痛々しい笑み。彼女の優しさは、いつもこうして彼女自身を刺すのだろう。性格からして、その表情は自分が加わるよりも前から度々見せていたものだろうとイズムは思う。
「なら……尚更だ」
ぽつりと、小さな呟き。そして彼女は何かを振りきるように手を下ろすと、今さっきの表情や声色が嘘だったかのような明るさで笑みを向けてきた。
「地図、大体分かったよ、ありがとう! イズム君教えるの上手だねー」
彼の内心など知る由もなく嬉々とした様子で見上げてくるリセに、微笑を返すことしかできない。
「そうでしょうか? そういえば、昔キヨにも文字の読み書きとか料理とか、色々教えましたね」
言うとイズムは椅子から立ち上がり地図を丸める。
「じゃあ、これはハールに返しておきますね」
就寝の挨拶をして彼女に背を向けようとした――――瞬間、袖を引っ張られる感覚。
「イ、イズム君っ!」
イズムの言葉にリセは地図の上にそれを示すものがないか視線を走らせる。
「えと……」
目に留まったのは、薄く描かれた国。確かこの国は――
「グレムアラウドが上にあるってことは、北?」
「正解です。地図は上から右回りに、北、東、南、西です。今リセさんは国の位置を見たようですが、右下に放射状のものがありますよね。ここを見ると便利ですよ」
イズムは地図の右下に描かれた方角記号を指し示す。
「で、次は地図上の距離と実際にかかる時間ですが――――」
説明しながら、彼は横目で隣の少女を窺う。彼女は真剣な瞳で地図を見つめていた。そこまで気合いを入れなくても、と、思わず言いたくなってしまう表情である。
(俄かには信じ難いですね……)
魔物を虐殺し、あまつさえ人間にまでその狂気を向けるような危険人物には到底見えないのだが。しかしハールが嘘を吐くとも思えない。それがもし本当だとすれば、考えられるのは二重人格。そうと仮定するなら、その人格は不定期に現れるのか。魔物との戦闘中に豹変したとハールは言っていたが、それが条件?
いや、豹変以降もそういった場面はあったものの、彼女に異変はなかったと聞いた。魔物でも、戦闘でもない。しかし事が起こった状況からはそれしか推測ができない。これらが関係ないとしたら、一体何が引き金だ?
(……条件が見えない)
「イズム……君?」
数度名前を呼ばれていたことに気づき、ふと我に返る。
「え、あぁ、すみません。少しぼーっとしてしまいました」
「ごめんね、眠い?」
心配そうに覗き込んでくるリセ。
――相手の命を命とも思わず魔物を惨殺し、恩人でさえ同じ目に合わせようとした人間が、相手が眠いかどうかを心配とは。あまりに不似合で、微かに苦い笑みが漏れた。
「そんなことないですよ。ええと、どこまでやりましたっけ……」
「イズム君……」
誤魔化すように地図をなぞる。しかし、その指先を止める声がかかった。
「――私、避けられてる?」
思わず、息を呑んだ。
「何で、そう思ったんですか?」
動揺しているのを悟られぬよう、できるだけ落ち着いた声を紡ぐ。
「話しかけても、イズム君優しいんだけど、何となく……そんな気がして。……夕飯の後片付けのときも」
「そんなこと、ないですよ」
普通に振舞うよう努めていたのだが、無意識のうちに言動に表れてしまったのだろうか。――――かなり、気を付けていたのだが。
「だよね。私、何かしたかと思っちゃった。でも勘違いだったみたいで良かった……もし本当にそうだったら、きっとイズム君、私が教えてって言っても上手く断ってた気がするもん」
(……案外、鋭いですね)
「変なコト訊いてごめんね」
そうだ、確かに彼女は『した』。彼女の気付かぬところで、あと一歩で取り返しがつかなったであろうことをしたのだ。
自分が彼女たちに――否、彼に同行するようになった理由からして、彼女には深く関わらない方がいいと思っていた。適度に友人をし、『その時』が来たとき障害にならない程度の距離を保つ。そんな風に取り繕うのは簡単なことだと思っていた。しかし想定外だったのは、彼女は自分が思っていたような人物ではなかったということ。あまりに――――普通の少女であったということ。いや、同じ年頃の少女を鑑みれば純真すぎるくらいだ。それをここ数日で実感した。調子が狂うとでも言うべきか、予想と結果の差から生じる戸惑いで余計に避けるようになってしまったのかもしれない。
(……いつからこんなに甘くなったんでしょう)
一体リセに、どう接したらいいのか。
彼女そのものに絆されているわけではない。それを言うのならば、恐らく友人と実の娘のように思っている仕え魔に、だ。その二人と出逢った後の自分で、出逢ってしまったのだ。そして何より彼女が少し後者に似ているというのが響いているのだろうと思う。明確にどこがと言うと、難しいのだが。
(……随分とあのお人好しに感化されましたね)
「それと、ちょっと質問があるんだけど……さっきの距離の計算の仕方だと今日地図を見たところからアリエタまで六日ってハールは言ってたけど、休憩を入れるにしてもちょっと長くないかなって……」
「あー……」
思考を中断し、イズムは机に肘をついていた手で口元を覆い視線を斜め下に落とす。
「それ、僕が言っていいんですかね……」
少し悩む仕草を見せる。ややあって、彼は再び口を開いた。
「……ハール、リセさんに合わせてるんですよ」
金の目が見開かれ、止まる呼吸。
「ハールだけなら、恐らくもっと早く着くでしょうね」
「ハール、そんなこと一言も――……!」
衝動的に溢れた言葉は、すぐに喉の奥へ消えた。理由は、考えるまでもない。
「……言うような性格じゃない、よね」
イズムはその絞り出すような声に僅かに安堵する。言葉の続きの如何によっては、彼女への評価を変えなくてはならないところだった。――その方が、関係性としては良かったのだろうけれど。
「そっかぁ……私、また迷惑かけちゃってたな」
言うと、細い指で顔の横に垂れる髪に訳もなく触れた。行き場のないそれをしばらく銀の糸に絡めては解くを繰り返す。柔らかく、痛々しい笑み。彼女の優しさは、いつもこうして彼女自身を刺すのだろう。性格からして、その表情は自分が加わるよりも前から度々見せていたものだろうとイズムは思う。
「なら……尚更だ」
ぽつりと、小さな呟き。そして彼女は何かを振りきるように手を下ろすと、今さっきの表情や声色が嘘だったかのような明るさで笑みを向けてきた。
「地図、大体分かったよ、ありがとう! イズム君教えるの上手だねー」
彼の内心など知る由もなく嬉々とした様子で見上げてくるリセに、微笑を返すことしかできない。
「そうでしょうか? そういえば、昔キヨにも文字の読み書きとか料理とか、色々教えましたね」
言うとイズムは椅子から立ち上がり地図を丸める。
「じゃあ、これはハールに返しておきますね」
就寝の挨拶をして彼女に背を向けようとした――――瞬間、袖を引っ張られる感覚。
「イ、イズム君っ!」