Story.7 星宿の地図
「旦那さん、は……」
「あの歳だし、珍しいことじゃないけどな」
ぼかしているものの、言いたいことは容易に知れる。一般的に考えて恐らく最も可能性が高いと思われる理由だ。
「または、もともと結婚してなかったとか」
フレイアが別の意見を出す。各々見解を口に出したものの、これ以上詮索にも似た行為したくはないゆえ、何となく黙り込む。
「……明日のこと考えるか」
場の空気を流すようにハールが地図を取り出そうとした――――
その時だった。
「……――ハールッ!」
「イズム君……!?」
リセはたった今イズムと老婆が出て行ったドアを振り返る。しかし彼女が戸に手をかける前に、それを勢いよく開け放った者がいた。
「お前らは此処に居ろ!」
「ハール君!? でもッ、」
「いいから! ヤバかったら呼ぶ!」
フレイアに言い含めると開けた扉はそのままに、彼の声がしたであろう方へ走る。屋内でも届いたということからしてかなり近くのはずだと思いながら、家の角を曲がる。
目に飛び込んできたのは――――蒼。
そして右手では蒼い魔力の帯で一頭の魔物――この辺りに多く生息する狼型――の前脚を縛し、左手で同色の光の壁を創り、老女に飛び掛かってきたもう一頭を抑えている友人の姿だった。
「……ッ」
舌打ち。ハールは携帯水晶から引き出した赤い光を、顕現した勢いでそのまま左方向の魔物に向かって薙ぐ。耳障りな聲。剣が完全に現れた時には、その刀身に赤が絡まっていた。そして速さを殺さずそのまま縛られた一頭の両前脚を斬り捨てる。
――二頭の他にも後ろに数頭控えている。群れだ。
「早く家の中へ!」
地面に崩れるように座り込んでいた老婆の身体がイズムの声にびくりと跳ねる。しかしその細い脚は震えて立ち上がろうとはしない。恐怖で逃げるということすら頭にないようだった。
見かねたハールが腕を引っぱり上げ、大きくふらつきながらも半ば強引に立たせる。彼女ははっとした目でハールを見上げると、がくがくと揺れているのか頷いているのか判別がつかない動作をしてから身を翻し自分の足で走って行った。
魔物が彼女を追いかけて行かないこと、そして家の扉が閉まる音を確認する。
「女性なんですからもう少し優しく立たせて差し上げるべきじゃないですか?」
「言ってる場合かよ」
「お二人は?」
「待機させた」
「……縄張り争いに負けて下りてきた、という感じでしょうか」
「だろうな」
よく見ると浅深の度合いは様々だが、群れは各々傷を負っていた。そしてそれらは魔法や武器によるものではなく、牙や爪によるものだと見て取れた。先刻老婆の話のなかで魔物が増え始めたという部分があったが、恐らく個体数が増えたがゆえに群れの数も増え、縄張り争いに敗北し行き場をなくした群れが人里まで下りてきた、というところだろう。群れの頭であろう個体は、逆立った毛皮に包まれた胴に血を滲ませていた。
「手負い相手にするってのも何だかな……」
「でもあちらさんやる気みたいですよ」
地を這うような唸り声を牙の隙間から漏らす。目の前で仲間が屍となったにも拘らず、怯む様子は見られない。またその眸から殺気が消える気配もなかった。
何にせよ、去るつもりがないのであれば、それ相応の対応をするだけである。
「呼びつけてすみませんね。僕だけだったらよかったんですけど、女将さんもいたものですから」
「そうだな、お前だけなら間違いなく放っておいた」
「酷いですね……とりあえず、来たついでに手伝ってもらえませんか?」
イズムは右手に魔力を再び灯しながら言う。リセが瞳に狂気を躍らせていたときの白い輝きとは異なる、夜が間近に迫る空に似た、深く光る蒼。
「はいはい」
そしてあの白ともう一つの違いは、隣で、何度も見たことがあるということ。
「でも、やりやすいでしょう?」
ハールは刃の切先を、幾つもの殺意に染まった眸へ向ける。
「守るものがないですから」
そして、無数の影が跳躍した。
「――そうだな」
その言葉は魔物の咆哮に掻き消え、相手に届いているかは分からなかった。
「あの歳だし、珍しいことじゃないけどな」
ぼかしているものの、言いたいことは容易に知れる。一般的に考えて恐らく最も可能性が高いと思われる理由だ。
「または、もともと結婚してなかったとか」
フレイアが別の意見を出す。各々見解を口に出したものの、これ以上詮索にも似た行為したくはないゆえ、何となく黙り込む。
「……明日のこと考えるか」
場の空気を流すようにハールが地図を取り出そうとした――――
その時だった。
「……――ハールッ!」
「イズム君……!?」
リセはたった今イズムと老婆が出て行ったドアを振り返る。しかし彼女が戸に手をかける前に、それを勢いよく開け放った者がいた。
「お前らは此処に居ろ!」
「ハール君!? でもッ、」
「いいから! ヤバかったら呼ぶ!」
フレイアに言い含めると開けた扉はそのままに、彼の声がしたであろう方へ走る。屋内でも届いたということからしてかなり近くのはずだと思いながら、家の角を曲がる。
目に飛び込んできたのは――――蒼。
そして右手では蒼い魔力の帯で一頭の魔物――この辺りに多く生息する狼型――の前脚を縛し、左手で同色の光の壁を創り、老女に飛び掛かってきたもう一頭を抑えている友人の姿だった。
「……ッ」
舌打ち。ハールは携帯水晶から引き出した赤い光を、顕現した勢いでそのまま左方向の魔物に向かって薙ぐ。耳障りな聲。剣が完全に現れた時には、その刀身に赤が絡まっていた。そして速さを殺さずそのまま縛られた一頭の両前脚を斬り捨てる。
――二頭の他にも後ろに数頭控えている。群れだ。
「早く家の中へ!」
地面に崩れるように座り込んでいた老婆の身体がイズムの声にびくりと跳ねる。しかしその細い脚は震えて立ち上がろうとはしない。恐怖で逃げるということすら頭にないようだった。
見かねたハールが腕を引っぱり上げ、大きくふらつきながらも半ば強引に立たせる。彼女ははっとした目でハールを見上げると、がくがくと揺れているのか頷いているのか判別がつかない動作をしてから身を翻し自分の足で走って行った。
魔物が彼女を追いかけて行かないこと、そして家の扉が閉まる音を確認する。
「女性なんですからもう少し優しく立たせて差し上げるべきじゃないですか?」
「言ってる場合かよ」
「お二人は?」
「待機させた」
「……縄張り争いに負けて下りてきた、という感じでしょうか」
「だろうな」
よく見ると浅深の度合いは様々だが、群れは各々傷を負っていた。そしてそれらは魔法や武器によるものではなく、牙や爪によるものだと見て取れた。先刻老婆の話のなかで魔物が増え始めたという部分があったが、恐らく個体数が増えたがゆえに群れの数も増え、縄張り争いに敗北し行き場をなくした群れが人里まで下りてきた、というところだろう。群れの頭であろう個体は、逆立った毛皮に包まれた胴に血を滲ませていた。
「手負い相手にするってのも何だかな……」
「でもあちらさんやる気みたいですよ」
地を這うような唸り声を牙の隙間から漏らす。目の前で仲間が屍となったにも拘らず、怯む様子は見られない。またその眸から殺気が消える気配もなかった。
何にせよ、去るつもりがないのであれば、それ相応の対応をするだけである。
「呼びつけてすみませんね。僕だけだったらよかったんですけど、女将さんもいたものですから」
「そうだな、お前だけなら間違いなく放っておいた」
「酷いですね……とりあえず、来たついでに手伝ってもらえませんか?」
イズムは右手に魔力を再び灯しながら言う。リセが瞳に狂気を躍らせていたときの白い輝きとは異なる、夜が間近に迫る空に似た、深く光る蒼。
「はいはい」
そしてあの白ともう一つの違いは、隣で、何度も見たことがあるということ。
「でも、やりやすいでしょう?」
ハールは刃の切先を、幾つもの殺意に染まった眸へ向ける。
「守るものがないですから」
そして、無数の影が跳躍した。
「――そうだな」
その言葉は魔物の咆哮に掻き消え、相手に届いているかは分からなかった。