Story.6 月下の賭け

 その言葉こそがまさに何の躊躇いもなく発せられ、ハールは自身の耳が捉えた事実を信じられない、という風に振り返る。
「お前、何言って……!」
「どうなんですか」
 質問の答え以外の一切を拒絶する響きを孕んだ声。彼は凍りつくにも似た感覚を覚える。
「それ、は……」
「ほら、やっぱり無理じゃないですか」
 ハールの答えを予想していたようで、長い息を吐く。彼を見つめる玄珠の瞳は、その返答を、何処か責めているような色さえあった。そして微かにうつむき、呟くよりも小さな声を絞り出す。
「……どうして、貴男はいつもそうやって……」
 何かを言っている様子だったのだが、余りにも微声だったので、それは誰の耳に届くことも無く、夜風に流されていってしまった。
「だから……何度も『お人好し』が過ぎると……」
 ハールは訊き返そうかと思ったが、相手が言い直す雰囲気を見せないので、それは思うだけに止めておいた。
「……ハール、」
 ベランダにうなだれるようにして掛けていた手を縁に乗せ、うつむいていた顔を上げる。
 夜空のような黒髪が一掴みの月光を映し、淡く照り返した。
 そして――――……。

「――僕も、行きます」

「……っ!?」

 驚いてイズムの顔を見上げると、その漆黒の瞳には、一点の曇りも見受けられなかった。
 ――――どうやら、本気らしい。
「お前、そんなこと……! キヨとか店とかどうすんだよ……!?」
「店は暫く閉めます。それにキヨが一人で生活していく分の金額なら、十分持ち合わせています」
「だからってな……!」
 それが意味するのは、つまりキヨを――――
「あいつがお前に置いて行かれて、本気でやっていけると思ってんのか!?」
「思ってますよ。それに、キヨまで巻き込む訳にはいきません」
 それでもなお、凛とした態度を崩さずに言い放つ。だが、ほんの一瞬だけ、瞳に峻循を映した。
「もしキヨに何かあったら……」
 しかし、それもすぐに掻き消える。
「――だから、キヨには此処に残ってもらいます。……僕は」
 そしてはっきりと、ハールの碧眼と視線を交差させ――
「ついていきます」
 そう、言い切った。
「貴男はリセさんを傷付けるなんて出来ない……でも、止めなかったなら……」
 ――――それは、酷く冷たい声で。
「……だから、その時は……僕が、やります」
 ハールは何の迷いもなく発せられていく言葉に、何を、どう返答していいか分からない。
「……『保険』ですよ。僕は……『もしも』の、時の為の」
「――――っ……」
 そうして黒髪黒眼の少年は、口元に自嘲の笑みを浮かべる。
「どうせ……一人増えたところで、今更何の変わりもありませんから」
「……っんなこと言うなよッ!!」
 そう言った直後眼下から聞こえてきたのは、滅多に声を荒げることのない友人の、怒声だった。
「自分が何言ってんのか解ってんのか!? お前がそんなことする必要ねぇんだよ! 昔も、今も……!」
 何かを通り越して、抑制のきかない怒りに任せた声響く。その何かが何なのかも解らず、自分が怒鳴っているということにも、気付かない。
「お前は来るな!!」
 そんなハールを、イズムは冷めた目付きで一瞥する。
「嫌です」
「…………ッ」
 その断固とした態度に、ハールはイズムを睨み付ける。
 イズムも臆することなど微塵も無く、その視線を跳ね返す。

 そうして、無音の時が過ぎ――――――

「……じゃあ、こうしましょう」
 どのくらいこのままでいたのかが分からなくなり始めた頃、イズムが口を開いた。
「このコインの表が出たら、僕は行きません。裏がでたら……」
 イズムはポケットからコインを取り出すと、ハールに見せた。いくらイズムが二階にいるといえど、今この場で不正をしたらすぐに分かる距離だ。問題は無い。
「……分かった」
 このままでは状況が動かないと判断したのか、ハールは了承し、頷く。
「じゃあ……」
「ちょっと待て」
 彼の制止に、一旦弾こうとしたコインを、もう一度掌に戻す。
「何ですか」
 イズムがそうしたのを確認すると、ハールは目をすがめ、言う。
「お前のことだから、こうなることを見越して、最初からコインを魔法でくっつけて両面裏にしてる可能性だって否定できない」
 その言葉に、ようやくイズムに微笑が戻る。ただし、今は微苦笑だが。
「僕って、そんなに信用ありません?」
「さぁな」
「分かりましたよ……じゃあ、逆にすればいいですね。裏が出たら、僕は行かない」
 小さく溜め息をつくと、改めてそう言い直す。
「……ん」
 ハールは返事し、コインへと目を向けた。
 そして――――――……、
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