Story.6 月下の賭け

「あー、久しぶりだなー……」
「あー、アタシ来たの結構前かもー」
「私、来たことあるのかな……」
 ――以上、三者三様の意見。一行は数日かけて着いた町、『リディアス』の入り口にいた。
 この町は、リィースメィル一の港町、『アリエタ』に近いというだけあって、道行く人が多いというのが特徴である。これからアリエタを目指す者、アリエタから帰る者、様々な人間がこの町を訪れ滞在していくので、店も繁盛しやすく町全体の景気も良い。治安も安定していて住むには都合が良いというだけあって、日暮れどきになっても町の活気が衰えることはない様子だった。
 陽は既に傾き、辺りは落ち着いた橙色に染まっている。ここ数日歩き通しな上に野宿が続いていた為、やっと町に着いた、という喜びもひとしおだ。
「ハール君、もう夕方だし、今日はこの町に泊まるんでしょ?」
「そのつもり」
「やっとベッドで寝れるーっ」
 リセはそう言って、うーん、と背伸びをする。固い地面で寝起きをしていたので、首が痛くなってしまったらしい。連日の野宿でフレイアも多少疲れているようで、適当な宿探そっか、と提案した。
「あ、この町にオレの知り合いがいるからさ。そいつに泊めてもらおうと思ってるんだけど――」
「ハールの、知り合い……?」
「オレにだって知り合いくらいいるからな? 」
 碧眼に軽く睨まれ、慌ててリセは手を横に降って、あははと笑う。
「あ、いやいや、そーゆーワケじゃないよ?」
 そう弁解し、心中でふと呟く。
 (ただ、“知り合いがいる”ってことが、まだよく分からない……) 
 過去の記憶が全く無い彼女は、『自分のことを知っている者がいる』という状況の感覚に、まだ慣れていないのだった。
 彼女にとって、ハールとフレイア、先日世話になった姉妹や、シリスで出会った人々以外に知り合いがいるとすれば、それは、『自分でも知らない自分のことを知っている人物』、ということになる。それがとても不思議に感じて、自分以外で『自分を知っている者』がいるというのが、他人にとっては当たり前だと分かってはいても、やはり奇妙な感じがするのだった。『自分以外』と言っても、その自分ですら、自分をよく分かっていないのが現状なのだが。
「第一、ココとレイだって知り合いだっただろーが」
「だから違うってー」
 と、リセが言ったその時。ぽたりと、彼女の頬に雫が落ちてきた。
「ふお?」
 突然感じた冷たさに驚き、それを指で拭った、次の瞬間。
 頭上で巨大な水桶がひっくり返った。
「ふおー!?」

 ――――違った。

 突如辺りに響き渡る、水滴が地面に叩きつけられる音。
 何の前触れもなく降り出した大粒の雨に、彼女達だけでなく、周囲の通行人からも悲鳴が上がる。皆この大雨から逃れようと、屋根のある場所を目指して走り、互いに押し合って、辺りは軽い混乱状態に陥った。冷たい雫が道に弾け、細かい霧状になって足元に白い靄(もや)を巻く。
「あいつの家、このすぐ近くだからッ……走るぞ!」
「う、うんっ!」
 騒めく人々を押し退け、ハールは急いで目的の家へと走り出す。リセとフレイアも慌ててその後に続く。が――
「きゃ!? え、ちょっと待っ……!」
 一人、すれ違った通行人に押され、別の方向へと流されていく少女。手を伸ばすが、声は雑踏に掻き消されて、小さくなっていく背中には届かなかった。

      †     

 ばしゃばしゃと水溜まりを跳ね、人々の合間を縫って駆けていく。
「ハール、後どのくらい!?」
 まるで立てかけた板に砂利を勢いよく流しているかのようなその雨音は、すぐ後ろを走っているはずの彼女の声さえも掻き消していく程に大きい。
「あと少し!」
 普段より音量を上げて話さなければ、言葉は水が地面を叩く音に紛れて不明瞭になってしまう。そんな雨中での会話だが、リセはしっかりと返事をした。
「ん! だって、フレイ……」
 自分の後方にいるフレイアにも、その旨が聞こえたかと確認をとろうとした。
――――が。
「……って、あぁーっ!?」
「何だ!?」
 振り向かずに問う。まさか、この状況で可愛いい服が飾り窓にあった――なんて足を止める訳ではないだろう。シリスの(ハールとっては)悪夢でもあるまいし……。だが。
「……フレイアがいない!」
「――はぁ!?」
 リセが声を上げた理由は、そんなに平和的なものではなかった。
 さすがにこの発言にはハールも立ち止まり、振り返って辺りを見回す。が、あの目を引く金髪は見当たらなかった。リセも困ったように周りに視線走らせているが、その瞳に彼女が映ることはなかった。
「何でわざわざこんな時に……!」
 こんな時でこんな状況だからこそだとは分かっていたが。ハールの呟きは、雨滴と共に地に落ちて、消えた。
1/19ページ
スキ