Story.1 白の狂気

「別に怪しい者じゃないんで……そんなに警戒しないでくれると、嬉しい」
 そして少女の手元に置いておいた帽子を手に取り、彼女に差し出した。
「えーと……君の?」
 “君”などという二人称を生まれて十七年、使ったことがあっただろうか。自分の口から出る言葉として違和感がありすぎる。しかしこんな状況は初めてだが、それでもこの場合の正解が“お前”ではないのはさすがに解る――彼のそんな思考をよそに、彼女はそれを見つめる。暫くののち、小さく紡がれた言葉。
「……わからない」
 細い指先を口元に寄せ、考え込む仕草をする。
「それは――……違うって、こと?」
 彼はその言動を、自分の物ではないという意味として受け取った。が。

「わからない……!」

 先程よりも大きな声に、彼は目を見開く。

「全部、わからない……!」

 声から滲むのは、焦燥と混乱。そして彼を見据える目は、今は怯えに染まったものではなかった。それは、助けを求めてすがるような潤んだ瞳。やがて濡れた月からは感情が溢れ、頬を伝い落ちた。止めどなく流れる月の雫は彼女の握った手の甲に次々と弾けてゆく。
「ふぇ……っ」
(なっ泣き!?)
「わかんな……っ」
(っていうか……)
 漏れる嗚咽。そしてそれは、すぐに明確な泣き声へと変わったのだった。
(オレが泣かせたコト確定――ッ!?)
 いよいよ本格的に泣き始めた少女。その姿は幼い迷子を彷彿とさせる。
「え、ええー……」
 正直どうしていいかまったく分からない。言葉をかけようにも、動揺している状態で気の利いた台詞など思いつくはずもなく――いや、平常心だったとしても微妙なところだが――いやいや今はそんなことどうでもいい、というより泣かせた元凶である自分が何か言ったところで寧ろ逆効果なのでは――何の役にも立たない思考が浮かんでは消え、浮かんでは消え。焦っている間も、彼女は泣き続ける。
「わ、わかったから」
 とりあえず泣き止んでもらおうと、曖昧な言葉をかける。このままでは、色んな意味で大変困る。
「分かったから、とにかく泣き止め? そして落ち着こう、な!?」
「うえー……っ」
「何かよく分かんないんだけどよく分かんないんだなっ?」
 もはや意味不明。
「えっ……く……」
 彼女が泣き止む気配は一向にない。……というか、

(泣きたいのはこっちだ――っ!)

 一際空高く響く泣き声。弾かれるようにして、鳥が羽音を立てて飛んでいった。
「わかったからーッ!」
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