Story.5 小さな盗人(後編)

(――魔法!)
 急いで屋根の下へ目を遣ると遅れてやってきたのであろう、もう一人痩せぎすの男が増えていた。手には糸と同色の光球が浮かんでおり、そこから解けるようにして糸が少年の足へと伸びている。
「しまった、魔導士……!」
 先刻フレイアの矢を受けた男が口の端を吊り上げにやりと笑う。
「“旅人狩は単独行動って考えも捨てた方が身のため”っ……てな」
「……ッ」
 彼の言葉が指していたのは少年のことではなかったのだ。油断した、と唇を噛む。しかし黙ってやられる訳にはいかない。矢を番え弓を引く、が。下から伸びてきた光の糸がまるで生き物のように両腕に絡んだ。
「痛っ……!」
 危うく弓矢を取り落としそうになる。不気味に光る糸は強く肌に食い込み、腕を動かすことができない。
 ――そして少年共々、容赦なく糸が引っ張られた。必死の抵抗も意味をなさず、屋根の端まで引きずられる。
「きゃ……!?」
「うわっ!」
 そして身体を支える一切のものが消失し、空に投げ出された。夕影と共に浮遊感が全身を包む。背筋から冷たさが一瞬にして広がった。
「――……イア!」
 落下しながら、誰かに名前を呼ばれたような気がした。柔らかなその声を、必死に張り上げて――――
「フレイアー!」
 気のせいではない。耳元でもう一度呼ばれた瞬間、男の息の詰まるような声。そしてそれとほぼ同時に身体に衝撃が走った。しかし、激しい痛みはない。
「――……?」
 煉瓦の冷たさに身を横たえたまま遅る遅る目を開ける、と。
「あいたた……ふお! フレイア大丈夫!?」
 金の瞳と視線が合った。
「リセ!?」
「あぁ、間に合ってよかった……」
 どうやら落下したところを抱き留めようとしてくれたらしい。さすがに少女の腕力でそれは叶わず二人とも地面に倒れこんでしまったが、互いに大きな怪我はないようである。息切れしている辺り、彼女が走ってきたらしいことが窺えた。
「あ! 怪しい人はどーんってしたからね!」
 その言葉に、フレイアは旅人狩と戦っていた最中であったことを思い出し慌てて周囲を見回す。
「……わあ、伸びてる」
「全力でぶつかった!」
 胸元でぐっと拳を握るリセ。魔道士の男はリセに突き飛ばされた際に態勢を崩し、地面に頭を打ったらしかった。何とも間抜けなやられ方で……いや、助かったからよいのだが。
「武器がなくても……助けられたよ」
 フレイアの腕に纏わりついていた光糸もいつの間にか消えていた。術者の意識がないのだから当然である。そしてその倒れた魔道士の向こうでは――
「ぐ……ッ」
「怪我してる時に戦るとか阿呆か。……それともオレ、そんなに弱そうに見えた?」
 ハールは足元で片膝をつく男の喉に剣先を突き付けながら言う。彼の剣を蹴って手が届かないところにまで滑らせると、自らも刃をしまった。
「あいつ、容赦なくやったみたいだから自警団にでも手当てしてもらえよ。その首も」
 最初にフレイアと一戦交えた男は憎々しげな眼差しを返す。こちらも片付いたようである。そして、もう一人――――
「そうだ、あの男の子は!?」
 少年は三つ編みに眼鏡の少女に抱き留められていた。腕の中で目を閉じているその姿に一瞬肝が冷えたが、怪我もなく単に落ちた際の恐怖で気絶しただけのようで、ほっと胸を撫で下ろす。
「ハール君、あの子は……って言うか、そもそも何でここに?」
「姉弟なんだと。偶然会って途中から一緒に捜してた。何でここにっていうのは――――」

 先刻花屋の女性から聞いた話は「男の子は不思議な銀髪の女の子の後を、こそこそついていった」――というものだった。ゆえに理由は不明であったが、以降はその言葉に従い少年ではなくリセを捜そうと試みた。少年にそうしていることを察されぬよう、そしてリセ自身にも気づかれぬよう。彼女と接触をしたり、ましてや待ち合わせなどすれば警戒され離れられてしまうのは目に見えている。さて、どうするべきかと考えていたところ、その手段としてカテリナから挙がったのが『鐘楼から見渡す』という方法だった。小さな少年が対象では困難なため除外していた手であったが、一際目立つ外見の者であれば成功すると踏んだそれは、見事に功を奏したのであった。ただ予想外だったのは、見つけたのはリセと少年――でなく、リセと、やや離れた位置にいるフレイアと少年、しかも見知らぬ男達と対峙し、その上交戦中だったということ。次の瞬間には既に階段を駆け降り始めていたのは言うまでもない。
 旅人狩があのタイミングで現れたことを考えると、最初からではないかもしれないが、少年を見張っていたのではと思う。失敗したら失敗したで言いがかりをつけ、別の形で自分たちの都合のいいように転がすつもりだったのだろう。
「そっか……。助かったよ、ありがとー」
「とにかく怪我がなくて良かった。……旅人狩って初めて遭ったけど、随分とタチ悪い奴らだな」
「……そう、だね」
 ハールの言葉にフレイアは硬い声で返すと、二人の旅人狩を横目で見遣る。その視線は、酷く冷めていた。
「フレイア……?」
 リセは彼女の様子に不安げな目を向ける。
「あっ、何でもないよ! さっさと自警団につきだしちゃお?」
 しかし彼女の瞳はすぐに温度を取り戻し、すくりと立ち上がった。
「あ、待って……」
 が、リセの制止の声がかかった。何かとその眼差しの先に目を遣れば、姉に抱かれ意識を失っていた少年の瞼が微かに動いたのが見て取れた。
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