Story.4 小さな盗人(前編)
彼は穏やかな午後の陽のなか、雰囲気の良い小路で何やらこそこそやっていた。物陰に隠れ、家にして二、三軒先を歩くどこかぽやぽやした少女を凝視している。そして少し距離が出来ては陰から出て、相手に気付かれないように小走りで路を行き、また隠れるということを繰り返していた。
「お?」
ふと横を見ると、硝子のように薄く透明な淡い紫色の翅を広げて、ひらひらと優雅に舞う蝶が数匹。
幼い少年心からその美しい姿を捕まえたくて、思わずそっと手を伸ばした――その瞬間。
「動かないで!」
「えっ?」
タンッ!
――目の前で宙を舞っていた蝶が、民家の壁に留められていた。
「そのまま! ソレ触らないで!」
「え、えぇ!?」
タンッ!
もう一匹、硝子の蝶が標本になった。しかし、蝶の自由を奪うのは、針ではない。
「まだだからね!」
「な……なんだ!?」
タンッ!
針などとは比べ物にならない程に長い――――矢、だった。
「はい終わりっと! もういーよっ」
若い、女性の声。彼は慌てて声の主がいるであろう方向を振り返った。そこにいたのは――――
「フレイア・シャルロット参上っ! 大丈夫? そこの――……」
蒼い瞳に金の髪。弓を手に、矢を背に、ゆっくりと建物の陰から現れる姿。
「悪戯っ子さん?」
「――――っ!」
「かくれんぼは、終わりだね?」
それとも鬼ごっこかな?、などといいながら、少年に近付くフレイア。彼は予想だにしていなかった事態に、固まって動けない。
「さぁて、魔物も片付いたコトだし? 帽子、返してもらおっかなっ」
『帽子』という言葉に反応し、ようやく我に帰る少年。
「ま、魔物?」
「そ。さっきの蝶、魔物だったから。魔物が獣型ばかりと思っちゃダメですよ? 確かにあの種類はすっごい綺麗なんだよね。だけど、触ったら手が腐っちゃうよっ」
そして、町中にまでいるなんて世の中物騒だねぇ、と続ける。……笑顔で『腐る』と言うのは、如何なものか。
少年がたじろいでいる間に弓矢をしまうと、笑みを浮かべて再度問う。
「帽子、さぁ返してみようっ」
「うっ……」
狼狽える少年。しかし、その手にしっかりと握られた白い帽子は弁明のしようがない。数秒、拗ねたように口籠もる。
「……わ、わかったよ!」
『突っ返す』という表現がぴったりくるような動作。フレイアはそれを受け取ると、少年の頭をよしよしと撫でた。
「はい、いーこいーこっ」
ぶすっと不貞腐れつつも、撫でられる行為に顔を赤らめる少年。
「なんで……」
「みつけたのかって?」
「うん……おれ、ずっと気づかれないようにしてたのに……」
「そんなの簡単だよー」
フレイアは人指し指を立てて笑った。
「キミがリセの帽子を盗ったのは、明らかに悪戯目的……アタシだったら」
少しだけ、意地の悪い笑みを浮かべて。
「その後盗られて困ってる持ち主を観察して楽しむのも一興……ってね」
「……!」
「だから、もしかしたらリセの後をつけてるんじゃないかって」
少年は唖然、というより、もはや尊敬の念すら微かに込めてフレイアを見上げた。
「すごいな……」
「ふふん、お子サマの心理を読むなんてカンタンさぁーっ」
最後に軽く弾いた指先をその額にお見舞いすると、さて、二人と合流するかっ、とウインクをした。
しかし少年はすぐに頷こうとせず、何かを言うことを躊躇しているようだった。そして数秒の後、意を決したという風な表情で口を開く。