Story.4 小さな盗人(前編)



「高いところから見てみるのはどうでしょう!」

 ――高らかな声とともに吹き抜ける風。カテリナが木製の窓の戸を両手で開け放つと、眼下には先程歩き回っていた町が広がっていた。
「ここなら町が一望できます! そのような髪ならきらきらと目立ってすぐ見つかるはずです」
「成る程なー」
 ――連れてこられたのは町の中央に位置する石造りの鐘楼だった。二人がいるのは、その長い階段を登った先にある小部屋である。
「……お前目いいのか?」
「いえあまり!」
「ここから見ると結構小さいけど」
 ハールの人差し指が地上へと向けられる。真下付近を歩く者達であればまだしも、少し離れれば途端に小さくなる。個人の判別となると、なかなかに厳しい。
「…………あ」
 眼鏡で矯正しなければならないような視力では、なおさら。
「ハールさんは、目……」
「お前よりはな」
 “いい”という言葉を省き、ハールは石造りの窓枠から僅かに身を乗り出すと、豆粒並みに小さな人々に視線を走らせる。
「…………んー」
「……すみません、上手くいくと思ったのですが……」
 ハールの何とも微妙な嘆息に肩を落とし、カテリナは浅く頭を下げた。
「それに、この距離なら見つけてもそこに行くまでに見失ってしまいますよね」
 いくら優秀とはいえ、発想はやはり子供のそれである。しかし年齢にかかわらず、間違ってはいないのだが上手くいかないことというのはよくあることだ。
「何事も、色んな方法考えてやってみるっつーのは大事なことだよな」
 しょんぼりとするカテリナの頭に、不意に心地好い重み。
「頭で考えるだけじゃなくてやってみなきゃ解んねぇし、実際にやろうってなる奴は案外いないからな」
 そして、温かさ。カテリナが顔を上げようとすると、軽く乗せられた手のひらはすぐに下ろされた。
「そういや、これ全部読んだのか?」
 言いながらハールは周囲に視線を走らせる。その先には壁一面に置かれた本棚と、所狭しと詰め込まれた文献があった。植物図鑑や建築関係、数学に歴史書と内容は幅広く、入門書からアカデミーで使うような専門的なものまで様々である。
「いえいえまさか! まだ読んでないのもありますよ! 数冊」
 ……成る程、それは目も悪くなるかもしれない。
「管理人さんのご厚意で家に置ききれない本を置かせてもらっているんです」
 自宅の本棚といったら収納できる容量など高が知れているが、それでもまたこれ以上に所持しているのかと思うと驚きを隠せない。その静かな感嘆に様々な意味が含まれていることを察すると、カテリナは慌てて付け加える。
「貸本屋さんと父が友人で、もうボロボロになったものを安く譲って頂いているんですよ」
 確かに、綴じ糸がかなり解れていたり、背表紙が剥がれて何の本か分からないものもあった。だがそれでも年端もいかぬ少女に与えた上に場所まで提供されているとは、町ぐるみで期待されているのであろうことが伺える。しかし、それを重荷に感じることなく楽しめるということ――これこそが彼女の才能なのかもしれない。そんなこと思いながらハールは何気なく机に積み上がっている本に目をやる。
「『魔導構造式学』……ブランツォーリも読むのか」
「ご存知ですか!」
 カテリナの目が輝く。よく見てみれば、本棚から出され机に置かれている本は魔法に関するものばかりであった。
「魔導学好きなのか?」
 こくこくと頷くカテリナ。
「じゃあベルトロットの『魔導可逆理論』も面白いと思う。結局間違いだったってことが分かってるけど、理屈的には合ってるし視点は面白いと思う。機会があったら読んでみ」
 大人ですら楽しんで読める者は限られているだろうが、恐らく彼女なら心配ないだろう。ハールはそれを手に取り、別段読むわけでもなくパラパラとページを捲る。
「魔導学……お詳しいんですか?」
「んー……、一時期その類の文献読み漁ってただけ。別に誰かに師事してたわけじゃないし」
「そうなんですか」
 手にしていたそれを閉じると、自分達を囲む背表紙の海に視線を走らせる。それは何気ない動作でもあり、まるで何かを捜しているようでもあり――――ふと、ハールは眼差しを感じそちらに目をやる。そうは言っても、眼差しを向けてくる者などここには一人しかいないのだが。
「ん?」
「いえ、ここに私以外の人がいて、何だか色々……不思議な感じで。ちょっと、嬉しいなって」
 小さな指先が柔らかく眼鏡の端をいじる。そして、くすぐったそうに微笑んだ。

「お兄ちゃんができたみたいで」

 開け放たれた窓から緩く風が吹き、彼女の前髪で遊んでいった。差し込む午後の日差し。静かな小部屋に、僅かに見開かれた碧の瞳がふたつ。穏やかに細まった黒の瞳がふたつ。――不意に、彼女はその温かな無彩色の目を驚いたように開くと口を押さえた。
「あっ、あああーっ、すみません変なこといって! 私黙ります! 貝になります!」
 ハールの反応――というよりは自分の発言に慌てふためくと手で口を覆うカテリナ。口を押さえながら言ったら押さえている意味がないだろう、というツッコミをハールは苦笑に変えた。
「そろそろ捜しに戻るか。大事な場所に連れてきてくれてありがとな」
 言うと、ハールはこの小部屋からの風景を記憶の隅に留めておこうとしているかのように窓の外に目やる。
「……おい、あれ――」
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