Story.4 小さな盗人(前編)

「――そうだ、お嬢ちゃんは、魔法が扱える程度の魔力はあるのかね?」
 老人はリセの頭から手を下ろすと、ふいに質問を口にした。
「え? いえ……わからないです」
「そうかい。儂は魔導士ではないから、人の魔力がどのくらいなのかはわからないがね。もし魔力をある程度もっているなら、魔導士になって魔法を武器にするのも手だね」
「魔法……」
 魔法――。周りが物理的な武器を持つ人間だけだったので、魔法には思考が至らなかった。
「そう。魔法は、想いと直結した武器だ……お嬢ちゃんに、合うかもしれない」
「そうですか?」
「そうともさ。まあ、まだまだ若いんだ。先は長い。悩め、若者」
 老人は、またはっは、と笑った。リセもつられて、小さく笑う。
 ――そうだよね。先は、長いんだ。
 悔しさに後から気付いた上、今更焦って、フレイアに……『嫉妬』なんてしていた自分が恥ずかしい。
 何だか少し、心に白く深くかかった霧が晴れた気がする。
「……そろそろ、行きます」
「はいよ」
 一ガイルにもならないのに、嫌な顔一つせずに親身になって話を聞いてくれ、助言さえくれた老人が、リセは好きになった。人によってはお節介と取るのかもしれない。でも、彼女は好きだった。世界にこんな人が多ければ、きっと戦争なんて起こらなかっただろうに、そう思った。
「……ありがとうございました」
 リセは扉に手をかける。開けた瞬間、再び頭上でベルが鳴った。少しばかり、澄んで聞こえるのは気のせいか。
「達者でな」
「はい。……あの、私」

 ――約束を、したから。

『……だから、お前は記憶が戻るように自分のできることやってみろ』

 記憶を戻すためだけじゃない。それだけじゃ、足りない。自分にできることは、すべてする。――たとえそれが、『リセ・シルヴィア』を取り戻すという目的から、逸れていたとしても。
 記憶を取り戻すことは大切だし、それが旅の目的であることは疑う余地もない。しかし、『リセ・シルヴィア』へと戻るためだけに日々を生きていくのは、何かが違う気がするのだ。それだけでは、『私』が置き去りになる。そして、それを取り巻く世界や――人々でさえも。それは、嫌だ。
 ここにいる、『私』が、できることをする。『リセ・シルヴィア』のためだけではない。
 『私』と、そしていつかは、彼らのために。

「――――強く、なります」

 外の光が、白く柔らかく店内に差し込む。一歩リセは踏み出して、一度だけ、振り返った。
「……ありがとうっ、お爺ちゃん!」

「……!」

 古い扉の軋む音と、最後のベルがちりんと鳴った。再び静寂に包まれた店内に、残された老人が一人。先程少女がいたのが嘘だったかのように、煤けた天井も、静かに光る剣の刃も、黙ってそれらに同化する自分も、何もかもがいつも通りだった。
「『お爺ちゃん』か……」
 今度は例の笑い声は上げずに、ゆっくりと頬を緩めた。
 まだまだこの世も捨てたもんじゃない。まだ、あんなにいいモノ、持っている若者がいる。
 目を合わせても逸らさない瞳と、優しく清い意志。
 ――もう少しばかり、生きてみるかな。
 老人はカウンターに戻り椅子に座ると、横のボードに乱雑に張られていた小さな羊皮紙を剥がし、くしゃくしゃに丸めて捨てた。
 お別れするつもりだったが――まだまだ頼むよ。愛すべき、我がボロ店。
 そして、微かに入り込む春の斜陽に誘われて、うとうとし始める。

 ――あぁ、今日は、良い夢がみられそうだ。

 頬杖をついて、薄く開けた目で窓の外をぼんやりと眺めると、小さな少年が走っているのが見えた。
その手に持った白い帽子は、さっきのお嬢ちゃんに似合うだろうな、そう、思った。

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