Story.4 小さな盗人(前編)




「そうなんですか……旅をしていらしたんですか」
 あの少年の姉だという少女――『カテリナ』は言った。理由はどうあれ、『少年』を捜すという目的が一致したので、一緒に彼を捜し歩くことにしたのだった。
 あれから、彼女が教えてくれた少年の行きつけの場所や店を当たっているのだが、それでもなかなか彼を見つけられないでいる。
「足止めをさせてしまったんですね、申し訳ないです……まったく、もうすぐ初等学校に入るというのに……困った弟です。最近、黙って外出したまま夜まで帰ってこないことも多くて」
 カテリナは片手を頬に当てて溜め息をつく。
「……まったく、これでは心配で家から離れられません」
「家を出るのか?」
 彼女程度の歳であれば、どこかへ働きに出るのも珍しいことではない。大きな町の中等教育機関に行くということも考えられるが、一部の富裕層以外は初等学校で学習期間を終えてしまうことが殆どである。身なりからして彼女はいわゆる庶民であろうし、その可能性は低いだろう。この大陸で教育機関へ通うことは絶対的な義務ではないが、最低でも初等教育までの勉強内容は、親でも家庭教師でも、とにかく誰かが教えるというのが不文律である。学校に行く子供とそれ以外が半々と言ったところか。
「あ、はい……そう、したいんですけど」
 そう言って、カテリナはどこかほろ苦い笑みを浮かべる。
「……実はこの春から、首都の全寮制の学校に招致して頂きまして」
 その言葉に、ハールは一瞬自分の耳を疑った。そして聞き間違いではないことを理解し、自らが知る範囲内で『首都の全寮制学校』がどのようなものであったかを再確認する。
「首都の全寮制……って、あの生徒のほとんどが貴族出で、卒業できればほぼ自動的にアカデミーまで進学できるって、アレか?」
「はい。視察の方に目をつけて頂きまして」
 このような田舎町の学校にまで目を配るとは、アカデミーの研究機関も有能な人材育成に奔走しているということだろう。首都のある西部から離れた南東部まで視察が来たということにも驚いたが、それ以上に “招致”という 言葉に驚いた。それはつまり、“特待生”ということに他ならない。
「すげぇな……勉強、好きなんだな」
「好き、は、好きです。新しいことを知るのは楽しいですし、そこから自分で色々と考えるのも……でも、沢山勉強してた理由は、いい成績をとれば学費が安くなるじゃないですか。それです」
 不純な動機ですみません、と苦笑するカテリナ。
「親孝行だな」
 学費の為に勉強していたら目をつけて頂きました、などと世間話のように言ったものの、招致先が招致先である。正直尋常ではない。一体どれだけの成績を修めたのだろうか。元よりその方面に関しての才を持っていたのであろうが、金銭的理由や単に好きというだけでは本来起こるはずのない事態だ。
「……そういう訳じゃ、ないです」
 少しだけ下を向き、眼鏡を掛け直すカテリナ。
「私の家は貧乏というわけではないのですが、中等学校の学費となるとやっぱり家計がきつくって……このままだと、弟は学校に行けなかったんです。もちろん親が勉強を教えるつもりでしたが、長女で学校に行かせてもらった私としては学校の楽しさを知っていますし、学校でしか学べなかったこともたくさん知っています。弟にも、それを同じように知ってほしかったんです。ずるいでしょう? 私だけ、知っていたら」
 そう言って、カテリナはどこかほろ苦い笑みを浮かべる。
「……だから私が頑張って勉強すれば学費は安くなって、その分は弟の学費に回せます。私が中等学校へ行かずに、今度は弟が初等学校に行くという手もあったのですが……どうも親は私の方に学校へ行ってほしかったらしくて。これしかなかったんです。……ただ、まさか首都まで行けるとは思ってませんでしたが」
 弟の為に学費を削減しようと勉学に励んだ結果、予定外ではあったもののカテリナは良い進学先が決まった。招致である故それなりの援助もあるだろう。そして弟も学校へ通える。話を聞く限りはすべてが上手くいっているように思えた。
「でも、本当に行っていいものか……」
 しかし、カテリナは俯き小さく呟く。彼女は何か考えているのか、それきり黙り込んでしまった。
「……カテリナ?」
「……あ! すみません、私だけぺらぺらしゃべって鬱陶しかったですよね!」
「いや、そんなことは……」
 今までとは明らかに違う様子にハールが名前を呼ぶと、彼女の表情に落ちた翳は何かに弾かれたようにしてすぐに掻き消えた。
「いえいえすみません! 私もう口閉じます、貝になります!」
 口に両手を当て自身が喋れないようにするカテリナ。その様子はやはりまだ幼さを感じさせた。しかし、中央から声がかかるほど優秀な人材であることは間違いない。
 そんな彼女の心配の種とは、一体何なのだろうか。
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