Story.2 優しさの代償




「悪いな、夕食まで……」
 ハールは食器を洗っている後ろ姿に声をかけた。彼女は仕事着から着替えており、その背に半透明のヴェールは流れていない。人より少しばかりお洒落に気を遣っていそうな、ごく一般的な娘の服装である。
「え、何? お皿洗ってる姿も家庭的で魅力的?」
「それは幻聴。……つーかさぁ、何でお前そんなに――」
 事実ではあるのだが、気恥ずかしくそれ以降の言葉が発せられることはなかった。
 水の音が止まる。厚手の布で手を拭きながらレイシェルが振り返った。
「うーん、……何となく」
 その答えに若干面食らう。
「別にハールがつれなくたって、ぜーんぜん男には困ってないしー」
 好意を示しておきながらそんなことを言われても、どう反応していいか分からない。
「でも、何かいいよね」
 にこりと笑う。
「……お前、本当にココと双子?」
 顔を逸らすハール。ついでに話題も逸らす。とは言っても、これは率直な感想である。ココレットと比べると、レイシェルは感情を包み隠さない。
「ね! あたしも時々それ思うー。目の色は同じだし顔もちょっと似てるとは思うんだけど、性格が全然似てないの! むしろ反対?」
 恐らくこの姉妹と面識を持つ者ならほぼ全員が抱く感想であろうが、それは当の片割れも思っていたようである。
「あたしはよく街に遊びに行くんだけどさ、お姉ちゃんがそういうことしてるのもあんまり見ないなぁ。休日はずっと花とハーブにつきっきり」
 ハールは黒く染まった窓の外に目を向ける。ココレットが植えたであろう花が夜風に揺れていた。レイシェルはその視線の先に歩み寄ると窓枠に肘をつく。
「……フィールって『記憶師』が代々の家業じゃない? 家も相当厳しかったんだよね。せっかく少しは自由になったのに、よくもまぁあんなに真面目でいられるよねぇ。……適度に息抜かないとやってらんない」
 彼女の口から家や仕事の話が出るのは珍しく、少しばかり驚くハール。レイシェルに限らずココレットとの会話も他愛のない日常に関することが主であったゆえに、彼女達自身から『記憶師』に関する事柄を聞く機会は殆どなかった。
 そもそも姉妹との出会いは魔物に遭遇したココレットを助けたことが起因であり、切っ掛けは職業ではない。記憶師であると知ったのはその後である。
「まぁ、あたしは今日出番なかったけどさ。記憶の復元はできるけど、お姉ちゃんの方が得意だから基本的には任せてるんだよね」
 その話ならば少しだけ聞いたことがある。有能ではあるものの一人立ちするには若い故、姉妹で互いを補い合うよう家から言われていると。
「あたしは、まぁ……疲れちゃったり辛くなって……その、ちょっと変わっちゃった人からね、原因の記憶を消してあげたりすることが多いんだけど」
 記憶の消去。リセのように自分に関する事柄のみを選り分け、鍵をかけるという複雑なことではない。
 ハールは昼間にレイシェルが見せた表情と『慣れない』という言葉を思い出す。
 ある部分のみの完全なる『消去』。それは即ち、その時点で生きていた、その時間を生きていた人間を――――殺すということ。
 それを改めて思えば、慣れなくていいなどという返答は甘かった。どんなに慣れようとしたって、慣れるはずなどないのだ。
「そういう人って、昔は魔族に呪われたとかどうとかって思われてたんだって。それを記憶師が“浄化”する……で、単に消すだけだと歪みができるから仮の記憶を入れるなり別の記憶を想起させて膨らませるなりして安定させる。つまり“そういう”見方からしたら、記憶師は魔を祓う神聖な職業。今は魔法学も昔よりは発展してるしそんな風に考えてる人も限られてるだろうけど。だからまぁ、いつも着てる服とヴェールは神様に仕える者の衣装の名残ってワケ」
 そして明るい声で「あの服ってなんか古臭い感じだし、ダサくて着てらんない」と言う。しかし夜に色付いた窓は、昼間見せたものと同じ表情をうっすらと映していた。
「……レイ?」
「別に、『記憶師』はそんなに綺麗なモノじゃない」
 小さく、無感動な呟き。
「そうそう、ごく稀にだけど、自分で頼みにくる人もいるなぁ…………消してくださいって」
 彼女は振り向いたが、いつもなら波打つはずのヴェールがない。その姿は、ごく普通の少女だった。
「あたしにはあのヴェールが、少し重く感じるときがあるんだ」
 顔の横で抓む仕草をすると、苦い笑みを浮かべる。しかしそれはすぐに消え、ハールに問いかけた。
「あの子の記憶も、同じくらい――――いや、もしかしたらそれよりずっと重いかもしれない。それでも、思い出させたい?」
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