Story.4 小さな盗人(前編)
「――で、リセが寝たら来いって……どういうお誘い?」
その日の夜、一日かけて辿り着いた街『シリス』の安宿の廊下。フレイアは古ぼけた壁に背を預け、今しがた自室の扉から現れたハールへにっこりと笑みを向ける。この町に着く少し前、リセには聞こえないようこっそりと伝えられた事柄はそれだった。
「馬鹿。……お前さ、本当にグレムアラウドまで行くのか?」
「今更どうしたの」
「あの国に住んでる種族が何なのかは知ってるよな」
はっきり口にこそしなかったものの、問うていることは大方把握できた。はっきり言うとすれば、つまりは――――気味が悪くないのか、と。
「……ハール君はそういう人?」
「いや、オレは別に……。ただ、普通の人間ならそういうのが当たり前だろ」
「ハール君考え方古いよー」
最終確認のつもりだったのだが、あっさりと終わってしまった。しかしかの国とその住人に関して知らなかったはずはないゆえ、彼女としてはグレムアラウドまで付いて行くと申し出た時点でそれを含めて了承済みであるということだったのだろう。
「……それで、だ」
ここからが“本題”である。これから長期に渡って行動を共にするのであれば、もう一つ告げなくてはならないことがある。
「――――リセが、そんなコトを……?」
ハールは、フレイアにリセの身に起こったこと――そして、リセが“起こしたこと”を包み隠さず伝えた。これにはさすがのフレイアも驚きを隠せず、信じられないという目でハールを見上げる。
「何、それ……二重人格ってヤツなの、かな」
「それは分かんねぇけど、とにかくその状態になると敵味方関係無くなっちまうみたいで……オレも、あの時は相当ヤバかった」
とりあえず、リセにはそういう部分があるから覚えておいてくれ、と言う。そんな簡単な言葉で納得できるはずはないであろうが、こう言うしかないのだ。自分とて未だに信じ難い。フレイアは無言で頷くと、なぜそれをリセに告げないのかと問うた。
「まだ目を覚ましてから日が浅いし、ただでさえ記憶がないのにそんなことまで背負うなんて……重すぎるだろ」
ハールは視線を落とし、その惨状を思い出しながら言葉を紡ぐ。
ただ破壊することのみに享楽を見出し、何の躊躇いもなく実行する。薄朱の唇は歪んだ三日月を象り、金の瞳に狂気を躍らせるあの姿は、普段の彼女からは想像もつかない。
「それにオレも危なかったなんて知ったら、あいつきっと……」
そしてその衝動は対象を選ばず、勿論、自分も――――
「……やさしーじゃん」
「違う、オレがそういうの嫌なだけ」
「んー? じゃあお人好しとでも言っておこうか」
「だから違……っ」
「おやすみー」
フレイアは再度返ってくる反論にからかうようにして笑うと、彼にさっさと背を向け、片手を軽く振りながら部屋に戻ってしまった。
「……またそれかよ」
その言葉は、今までココレットいやレイシェル、それに唯一の親友と呼べるであろう人物から何度も向けられたものである。
「――――お人好し」
その後に決まってつけられるのは、
「だからいつも苦労する」
そして、恐らく、きっと、多分、親友であろう者からはその続きがあり――
「そのうち死にますよ」
一人深夜の廊下に残されたハールは、暗くもなく、重くもない溜め息をついた。