Story.4 小さな盗人(前編)

 青々とした草原を風が吹き抜ける。無事に森を抜けた三人は、先日のように夜雨に降られることもなく快適――とは言い難いが夜を明かし、もうすぐ町の市壁が見えてくるであろうというところまで来ていた。太陽は傾き始めてきたが、街の門が閉まる前には辿り着けるだろう。
「して、ハール君。これからグレムアラウドまで行くとなると、大橋がある港町の『アリエタ』に行くんでしょ? そこに行くまでの道筋は考えてる?」
 フレイアは地図をハールに出させ、それに三人は視線を落とす。
「とりあえず、もうすぐ着く『シリス』を通って、次にアリエタに近い『リディアス』を通るって経路を考えてたな」
「……うん、妥当だね」
 最も距離が短く安全な道筋を提示したハールに、フレイアは笑いかける。
「もし町で賞金掛かってる魔物がいるなら、適当に探してやっていっちゃおう」
「そうだな」
 これからの方向性を淡々と決めていく二人。一方、リセは旅に関しては素人なので、口を挟む余地がない。それに、魔物と戦うとなると――
(私、は……)
 ハールのように剣を扱うことも、フレイアのように弓を射ることも、出来ない。ただ、邪魔にならないようにするだけ。それは先日の一件でも嫌と言うほど思い知らされた。あの時自分は、ハールの後ろに隠れ、フレイアに守られることしかできなかった。
(私、も…………)
 何か、欲しい。せめて、自分を守れるくらいの力が。二人の荷物にはなりたくない。そうは思っても、剣を会得するには何年にも渡る修練を必要とするし、弓も一朝一夕で使えるようになる代物ではない。
(……私、は)
 地図を畳む音を聞きながら、その想いをどう伝えていいかも分からず、ただ白い手を握ることしか出来なかった。
「ところでさぁ、その帽子と服に付いてる玉ってー」
「……えっ、な、何?」
 不意に振り返ったフレイアに慌てて返事をする。彼女の指が示す先には、リセの帽子があった。
「あ、いや、それもしかして……全部携帯水晶かなぁって」
「えと、これ?」
 リセは頭からそれを手に取ると、紅玉の一つを指でなぞる。一方、ハールはその発言に目を見開いた。
「……それ、飾りじゃなかったのか?」
「飾りなの? 携帯水晶に見えるんだけど……」
 携帯水晶は紅い硝子玉に酷似しているため見た目だけでの判別は付きにくいのだが、どうも彼女にはそう見えるらしい。
「じゃ、試してみようか」
 言うと、フレイアは自らのゴーグルを外して帽子の紅玉に触れる。
「あっ」
 目の前の光景に驚きで声を上げるリセ。ゴーグルは紅い光を纏うと玉のなかに吸い込まれるようにして消えたのだった。フレイアはすぐに手をかざしてそれを取り出し、残りの二つでも試してみる。――全て、携帯水晶だった。
「……スゴイねー、いいトコの出だったするんじゃない?」
「な、なんで私がそんな……」
「使ってみた感じ、全部容量大きめのだったよ? 結構……する」
 「何が」とは言わなかったが、勿論金額のことである。今までただの飾りだと思っていた物は、全て良質の携帯水晶だったのだ。
 二人の会話を聞きつつ、フレイアの言葉はあながち間違いではなのではないかとハールは思う。ありふれた田舎の村でごく普通に暮らしていた少女がこんな状況になるかといえば、可能性が無いわけではないものの、それは限りなく零に近い。しかし、例えば貴族周辺の出であればどうだろう。遺産やら何やらの争いに巻き込まれての現状なのかもしれない。例えば次期当主が彼女で、それを快く思わない輩が記憶喪失にさせて森に捨てた――とか。全く有り得ない線ではないが、だとしたら記憶を“消す”のではなくわざわざ“鍵を掛ける”理由もないし、殺してしまった方が手っ取り早い気がする。本当に貴族の出であれば案外身元は早く判明するかもしれないが、彼らという“人種”は裏で非道な事を易々としでかすゆえ、身元が分かったところ引き渡したいかと言えば――
(……そもそも“身内が”ってこともあるしな)
 ともあれ、どれだけ推測をしたところで意味は無い。とにかく携帯水晶が多ければ、旅も楽になる。フレイアが確認して中身は無いことが分かった。何か自身についての手掛りになるような物が入っていれば良かったのだが。
「えっと……とりあえず、帽子にはいっぱいものが入るってことでいいんだよね」
「そうそう」
「荷物が増えたり大きいものを運びたいときは……これって役に立つ?」
「立つ立つ!」
 首を傾げてフレイアを見遣れば、向けられる明るい笑顔。
 ――こんな自分でも役に立てる?
「……っじゃあ――」
「まあ、とりあえず今は何も入ってないにしても、携帯水晶を持っているなら旅人狩に気をつけなきゃね」
「えと、旅人……?」
 別れ際のココレットの口からも出た単語であったが、改めてその意味を訊く機会も無かった。復唱しようとするリセにフレイアは一瞬目を僅かに開いたが、すぐに説明しようと口を開く。
「……あー、そっか。旅人狩っていうのはね――」
 触れないでいてくれる優しさが針となり、ちくりと胸を刺す。世間では常識の魔物という存在すら自分は知らなかったのだ。彼女の反応からして旅人狩りも一般的な知識の範疇なのであろう。知らぬのであればこれから知ればよいのではあろうが、技術もない上に知識もないという突き付けられた事実は胸の針穴をきりきりと広げ、痛みを深めてゆく。
(……今は、フレイアの話を聞かなきゃ)
リセは心のなかで首を振り思考を打ち消すと、フレイアの声に耳を傾けた。
 ――旅人を襲ったり騙したりして金目の物を奪っていく旅人専門のシーフ。主に単独で行動する者が多数を占め、単独行動な上に神出鬼没で足がつきにくく、捕まえるのは困難でるゆえ厄介である。その手口は様々で、巧妙化が進んでいるらしい。つまるところ――
「泥棒……?」
「……まー、そうなるね」
 金色の瞳に映る光が微かに揺れた。ざわりと風が草原を鳴かせ、空の奥まで広がる緑が波打つ。ハールはリセの背を見つめながら、彼女に聞こえないよう、出来るだけ小さな声でもう一人の少女に話しかけた。
「……フレイア」
「んー?」
 フレイアは彼に目を向ける。
「……どうしてかな」
 リセの呟きは誰の耳に届くこともなく、銀の髪を揺らす風に攫われていった。
「――リセ。そういえば、さっきお前何か言いかけてなかったか?」
 ――自分には、戦うための武器も無い。旅の知識も無く、地図すら読めない。それどころか、一般常識も心もとない部分がある。
「……え? あ……」
 そもそも、それくらいのことで役に立つのだろうか。寧ろ、“それくらいのこと”ですら全うできるのか怪しい。こんな自分が何かしたいなどと言い出したら、逆に迷惑なのではないだろうか。

『私も、何かができるようになりたい。二人の役に立ちたい』

「……ううん、何も、言ってないよ」
 その言葉は、喉の奥に消えた。
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