Story.16 きざはしの歌 -1/2の景色-




 ――その夜。
「そ、れは…………」
「……と、まぁ、そういうコトにしておいてください」
 震える唇は、彼の“その表情”を目にした瞬間閉ざされた。無音の間。フェスタがイズムに何も言えないでいると、彼は普段通りの微笑を浮かべる。
「それではそろそろ失礼しますね。フェスタさんも練習、お疲れ様でした」
 そして背を向け自身の部屋へと向かい――足を止めた。
「……今日、ハールも一緒だったんですよね」
「は、はい」
「ハール、フェスタさんに結構なついているみたいなので……仲良くしてやってください。あの人、好かれやすいし逆もまた然り、なくせに友達少ないので」
「えっ、あの、その……」
 予想外の話題と声色に思考がついていかず、意味のない音が唇から漏れる。そんなフェスタの動揺を察してか、振り返るイズム。
「アリエタでひと暴れしたって聞いたんですけど、ハールが実力を出せるように一緒に戦うって結構人を選ぶんですよ」
 瞬きをするフェスタに、イズムはもう一度微笑を零す。
「では、おやすみなさい」
「おやすみ、なさいませ……」
 今度こそ扉の向こうへと消えるイズム。人当たりはいいがどうにも掴めない人間だ。言葉の意味もすべては解らなかったが――ただひとつ。彼がハールのよい友人であるということだけは、そういった関係性に疎くとも理解できた。彼が視界から消え、無意識に溜め息が出る。だいぶ緊張していたらしい。自分も部屋へ戻ろうと扉の取っ手に手を伸ばす。
「……あ、フェスタ! アタシがちょっと部屋から出てる間にどこ行ってたの? 夜風にでも当たりに?」
 その時、後ろから明るい声がかかる。そちらを向けば、水差しと三つのカップをトレーに乗せたフレイアが立っていた。
「え……? え、ええ」
 明らかに戦闘をしているリセとイズムを窓から見つけると、ちょうど彼女が席を外していたのをいいことに黙って部屋を飛び出してきてしまったのだった。一刻を争う事態の可能性もあったとはいえ、無用な心配をさせてしまっただろうかとやや申し訳ない気持ちでぼかした返答をする。フレイアも言葉をわざと曖昧にしているとすぐ気付いたらしいが、浮かべた表情は疑念ではなく柔らかいものであった。
「まあ、生まれてからずっと住んでた町だものね。外から見るのは初めてなんでしょ? 一人でゆっくり眺めてみたくもなるか」
 今の今まで気付かなかったが、そうだ。遠くから景色として故郷を眺めたことはなかった。予想外の解釈をされてしまったが、そう考える彼女の感性は、芸のない表現ではあるが素敵だと思った。――いつか、自分にもそんな思考ができる日がくるのだろうか。
「……フェスタ?」
「え、ああ、申し訳ありません。少し……疲れているようで」
「そうだよねー、一日中練習していたんでしょ? 早く部屋に戻ろ」
 不自然な間を作ってしまったが追及はされなかったので、そのままフレイアが持っていた鍵でドアを開け部屋に入る。
「あ、リセ帰ってきてるー! ……あれ、力尽きてる? って言うか寝てる? そろそろお風呂行こうと思ってたんだけど」
 床に膝をつき上半身をベッドに預ける白い少女。一応抗った形跡はあるが、中途半端にシーツの誘惑に負けている。
「外でイズムさんと魔法の練習をしていたようで……その、模擬戦闘を」
「うっわー、イズム君容赦ないなぁ」
 歩み寄り苦笑するフレイア。その会話が聞こえていたのかベッドに突っ伏していたリセが身じろぎ、うっすらと瞼を開いた。
「リセさん、お疲れだとは思いますが……お風呂へ参りましょうか?」
「あ、そうそう! フェスタ、お風呂で今日の練習の話、聞かせてね!」
「ふあ、ふお……あれ? そうだ、まだ入ってな、い……」
 言いながら再び目を閉じ、シーツとリセの頬が仲良しになる。その様子に、あと少しだけ寝かせてやろうと二人は顔を見合わせた。
「……あの、リセさん」
「んぅー……?」
「その……変なことを今更、申し上げるようですが、私も……」
 銀の睫毛が縁どる閉じられた瞼。その柔らかな寝顔に囁く。

「……海、とても綺麗だと思いました」

 今日が死んで、明日が来る。

 絡んだ荊は罪のまま。刺さる視線は棘のまま。忘却は許されず、消えもしない。それでも、もう、今日の繰り返しが終わったのは紛れもない真実。
「ふへへ。そうだよね……」
 そして、“それ”を感じることを咎められる者はどこにもいない。

 例えそれが――自分自身であったとしても。

 眩惑の炎が再び灯されたとて、もうあんな影を生み出したりはしない。
「いろんな、色で……きれー……」
 向けられるその気の抜けた笑みは、昨日とは少し違う今日が訪れた証。きっとこの夜の向こうもまた、知らない世界が待っている。
「ふお……はやくフェスタの、話……ききた……い」
「ふふ。ええ……是非。お話ししたいことが、沢山ありますの」
 けれど。今夜はまだ終わらせない。まだ――“楽しい”時間が残っているのだから。
「……少しだけ、おやすみなさい」
 ――その前に。今はただ、穏やかな微睡に微笑をひとしずく落として。


To the next story…

UP:2021.5.4
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