Story.16 きざはしの歌 -1/2の景色-
勢いよく吸う息。吐く息。薄らと汗ばむほどに身体が――心が熱を持つ。楽譜を持つ手が、微かに震えていた。そんなフェスタを眺めながら、マレクは目を細める。
「……お前さん、物心ついた時にはもう手の中に“歌”があったんだろ。自分から求めなくても与えられていた。幸福だったと思う。それは絶対に否定しない。だがな、だからこそ自分から……心の底から歌いたいって感じたことがないんじゃねぇかと思ってな。こんなモノを歌ってみたいと強く思うような何かを、見せてやりてぇと思ったんだ。道楽旅芸人のお節介ではあるんだが、まあ、今は指導するって立場だからな。許してくれや」
「……いえ、仰る通りでした。臨時とはいえ、自分から歌ったことがないような者を楽団に据えるなどできるはずもなく――」
「うーん、まあ、そうとも言えるんだが……八割合ってるって言ったろ? だからここからは残り二割の話だ。いやいや、そんなに固くなるなよ」
弾かれたようにもう一つの耳をピンと立てるフェスタに苦笑するマレク。緊張しているのが一目瞭然だ。その様子を見つつ、ハールはいつも彼女が外套を被っているのは人外の耳と尻尾を隠すためだとばかり思っていたが、それが表す感情も隠していたのだと気付く。どこまで無意識なのかは分からないが、あれではポーカーフェイスも何もあったものではない。“普通”の生活をしているのであれば不便は有れど生きてはいけるが、フェスタの送っていた日常を思えば、それは十分に命取りになり得た。彼女にとって感情を表すという行為は、生死に直結していたのだ。――昨日までは。
「さっきの『何かを表現する者であれば、心動かされるであろう事象を目の前に用意して試した』って言うのはちぃとばかし違うかもな。いや、間違ってはいないんだが、そんな試すだとか大袈裟なモンじゃなくてだな。お前さんアリエタ出身だっていうのに全然アリエタを楽しんだことがなさそうだったからさ。アリエタはいいとこだ、俺は好きだぜ。それを知らないなんて寂しいじゃねぇか! だからせめて景色だけでも見せてやりたかっただけさ。一仕事して疲れた身体に涼しい潮風と最高の景色! そうすりゃ気付くだろってな。いいもんだったろ。絶景な上に飯も酒も美味い、お前さんの故郷は最高の町なんだぜ! 機会があったら民謡も聴いてみるといい。ああいう町だからこそ沢山の歌が生まれたんだろうなぁ」
呆気にとられるフェスタ。マレクの言葉を飲み込むのに時間が必要なようで、目を瞬かせる。――最高の町。アリエタが、最高の町? よく言ったものだ。彼はきっとあの掃き溜めを、獣人を蹴り殺す町人を見たことがない。自分はそんなに素晴らしいアリエタなど知らない――
(――いえ、私、も……?)
そうだ、自分だって、知らない。マレクは、アリエタの暗がりを知らず、自分はアリエタの光を知らない――否、見ようとしてこなかった。見られる余裕などなかった。今まで何とも思ってこなかった街並み、海景を胸の内に描き――ふと、思い出すものがあった。
『フェスタ、音楽に真摯であろうとするのなら、音以外のところにこそ目を向けてくださいな』
遥か昔にもこんな不思議な心持ちで、理解しようとした言葉があった。
『ふふ、そうですわね。でもフェスタは、先程私と手を繋いだら今まで出せなかった音まで届きました。それは何故だと思いますか?』
●●
「……お前さん、物心ついた時にはもう手の中に“歌”があったんだろ。自分から求めなくても与えられていた。幸福だったと思う。それは絶対に否定しない。だがな、だからこそ自分から……心の底から歌いたいって感じたことがないんじゃねぇかと思ってな。こんなモノを歌ってみたいと強く思うような何かを、見せてやりてぇと思ったんだ。道楽旅芸人のお節介ではあるんだが、まあ、今は指導するって立場だからな。許してくれや」
「……いえ、仰る通りでした。臨時とはいえ、自分から歌ったことがないような者を楽団に据えるなどできるはずもなく――」
「うーん、まあ、そうとも言えるんだが……八割合ってるって言ったろ? だからここからは残り二割の話だ。いやいや、そんなに固くなるなよ」
弾かれたようにもう一つの耳をピンと立てるフェスタに苦笑するマレク。緊張しているのが一目瞭然だ。その様子を見つつ、ハールはいつも彼女が外套を被っているのは人外の耳と尻尾を隠すためだとばかり思っていたが、それが表す感情も隠していたのだと気付く。どこまで無意識なのかは分からないが、あれではポーカーフェイスも何もあったものではない。“普通”の生活をしているのであれば不便は有れど生きてはいけるが、フェスタの送っていた日常を思えば、それは十分に命取りになり得た。彼女にとって感情を表すという行為は、生死に直結していたのだ。――昨日までは。
「さっきの『何かを表現する者であれば、心動かされるであろう事象を目の前に用意して試した』って言うのはちぃとばかし違うかもな。いや、間違ってはいないんだが、そんな試すだとか大袈裟なモンじゃなくてだな。お前さんアリエタ出身だっていうのに全然アリエタを楽しんだことがなさそうだったからさ。アリエタはいいとこだ、俺は好きだぜ。それを知らないなんて寂しいじゃねぇか! だからせめて景色だけでも見せてやりたかっただけさ。一仕事して疲れた身体に涼しい潮風と最高の景色! そうすりゃ気付くだろってな。いいもんだったろ。絶景な上に飯も酒も美味い、お前さんの故郷は最高の町なんだぜ! 機会があったら民謡も聴いてみるといい。ああいう町だからこそ沢山の歌が生まれたんだろうなぁ」
呆気にとられるフェスタ。マレクの言葉を飲み込むのに時間が必要なようで、目を瞬かせる。――最高の町。アリエタが、最高の町? よく言ったものだ。彼はきっとあの掃き溜めを、獣人を蹴り殺す町人を見たことがない。自分はそんなに素晴らしいアリエタなど知らない――
(――いえ、私、も……?)
そうだ、自分だって、知らない。マレクは、アリエタの暗がりを知らず、自分はアリエタの光を知らない――否、見ようとしてこなかった。見られる余裕などなかった。今まで何とも思ってこなかった街並み、海景を胸の内に描き――ふと、思い出すものがあった。
『フェスタ、音楽に真摯であろうとするのなら、音以外のところにこそ目を向けてくださいな』
遥か昔にもこんな不思議な心持ちで、理解しようとした言葉があった。
『ふふ、そうですわね。でもフェスタは、先程私と手を繋いだら今まで出せなかった音まで届きました。それは何故だと思いますか?』
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