Story.16 きざはしの歌 -1/2の景色-
「おー、お疲れさん! 入れ入れ」
宿の主に事の顛末を報告し、マレクの部屋へと戻る。彼はハールとフェスタに椅子を勧め、自身はベッドへと腰かけた。
「……で、“無事夕方まで”時間をかけたようだったが――どうだった?」
片方の口角を吊り上げるマレク。その表情は自信に満ちており、彼女に何をやらせたかったのか、そしてそれがどういった結果になったのか――聞きたいというよりは、確認をしているような口ぶりであった。フェスタはその様子から、魔獣との遭遇や焔の眩惑に巻かれる事態までは当然想定していなかったとしても、最初からすべて彼の手のひらの上だったのだと苦笑する。そして、穏やかに一つ息をついた。
「……私は、こうして誰かと話した経験があまりありません。上手く言葉にできないかもしれませんが、聞いていただけますか」
「ああ、人に話すと自分も理解が深まるからな。ゆっくり話してくれや」
「……そういう、ものですか」
彼女の言う“こうして”には 単純に会話をする機会がなかったという以外の意味も含まれていることを察しているのであろうが、マレクは口調に特別な色は付けずにそう答える。
「……屋根の上での出来事は、すべて課題だったのですね。生まれた町についてすらよく知らないような獣人である私の生い立ちを想像して、経験がないであろう――そして、何かを表現する者であれば、心動かされる事象を目の前に用意して……試した。私は何かを表現するには持っているものが少なすぎますし、感性も……乏しくて、歌を歌う者としては、きっと不十分で」
無意識に胸の前で右手を握る。
「今日の昼、歌を途中で止められたのは……あまりに技術が未熟だったからなのだと思いました。でも先程マレクさんが用意してくださった“課題”を見たときに、思ったのです」
恐らく自分は――歌が、好きなのだと思う。いや、フレイアに問われるまで意識すらしなかったが、好きなのだ。母から受け継いだものだから。彼とともにあった時のままの自分でいられるものだから。歌っているあいだは大切な者への想いだけで満たされ、有象無象は心に掠る余地もない。その時間に何物にも代えがたい価値があったのは事実だ。
――それなのに、なぜあの問いに迷わずそう答えられなかったのだろうか。
(……気付いていなかったというのも、あるのでしょうが)
いや、それ以上に引っ掛かるものがあって言えなかったのだ。きっと、自分は――どこか呆れたような、しかし穏やかな微笑が唇にかかる。
「……本当の意味で、“私から”歌ったことはなかったのかもしれません」
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