Story.16 きざはしの歌 -1/2の景色-
声の方を向くと、ハールが金槌を差し出していた。フェスタは鉄と木でできたその工具と彼を交互に見比べる。
「私が? ……ああ、元々私の練習で、貴男はそれに付き合う形ですものね。さすがに任せきりでは――」
「いやそうじゃなくて。単にやったことないだろうから、やってみないかってだけ」
完全に自分の頭の外にあった言葉に、瞬きを数度。
「オレこういうの別に嫌いじゃないし、案外楽しかったりするかもしれないだろ?」
特別なことを言っているわけではない。変わっているとも思わない。それでもけして自分では至れなかった思考だった。“初めて”がなかった暮らしには――いや、“初めて”が起こるとしたら、それは十中八九面倒事で。何というか、大袈裟に言ってしまえば衝撃だったのだ。――新しいことが、楽しいかもしれない。そんな、思考が。吸い寄せられるように、差し出されたそれを受け取る。
「ええと、」
意外と重い。あばら屋に住んでいたころにこういった道具があれば少しは雨漏りや隙間風が緩和できたのだろうが、手に入れる機会はなかった。ある程度の値がする商品は店も屋外に並べない。さすがに逃げ道のない店内で盗みを働こうとは思えず、どうにか買えなくもなかったのかもしれないが、それよりその日のパンの方が重要だった。とにかく生きるだけで精一杯で、快適な生活など端から諦めていた。そんな自分が他人の家の穴を直そうというのだから、人生は何が起こるか分からない。
「今まで見てたから何となくやり方は分かると思うけど――いや、やり方ってほどでもないよな」
「か、簡単そうに見えることほど難しいものです」
「緊張しすぎ。ほら、押さえててやるから」
鎚と堅い面持ちでそれを見つめる少女という奇妙な組み合わせに笑みを漏らすハール。フェスタは頬を膨らませるが反論はせず、穴の上に板を置くと釘を添えた。
「このまま打ってよろしいのですか?」
「んー……まあ大丈夫か、とりあえずやってみ。斜めにならないようにな。指気を付けろよ」
恐る恐るといった風に釘の頭に鎚を軽く打ち付けると、小さな反動が手に伝わる。
「……あ」
思っていたよりはあっさり刺さったものの、それと同時に周りにヒビが入ってしまった。仮の補修とはいえ、頼まれ事なので気にならないといえば嘘になる。フェスタがどうしたものかと悩んでいると、後ろから覗き込むハール。
「少し端すぎたか。割れを防ぐには先に穴を空けておくといいんだけど、そういうのできるやつは入れてくれなかったからな……ああ、確かにこれは端じゃないと打つ場所ないか。それ、少しいい?」
フェスタは手にしていた道具を一旦ハールへと戻す。彼は先端だけ刺さった釘を抜き、尖った部分に金槌を当てるとそのまま先を軽く叩いて潰した。
「こうすると木が割れにくい」
「お詳しいんですのね」
「そうでもないけどな。前に寄った先でこういうこと手伝ったとき、居合わせた人に教えてもらっただけ」
立ち寄った先で見ず知らずの誰かを助ける彼は容易に目に浮かんだが、ふらりと現れたハールにものを教える者もまた、簡単に想像できた。彼は愛想がいいとも会話上手とも言えない。それでも、好ましく思われるに足りる――いや、むしろ積極的に好かれる質ではないかと感じる。不器用ではあるが表情や感情が薄いわけではないし、何より――誠実だ。
「もう一回これで試してみ」
先端が少し潰された釘と鎚を受け取り、フェスタはそれらを再び板に添えた。夕方の陽に照らされ、細く長い影が伸びる。先程と同じように打ち付けたが、周囲にヒビは入らない。安心したように息をつくと、残るもう半分も軽く叩き板に沈める。
「――……っ」
最後に、真っ直ぐに入ったのがよくわかる気持ちのよい音が屋根の上に響いた。顔を上げるフェスタ。正面で目が合ったハールはやや驚いた表情を見せる。その面持ちから彼女は自分がどんな顔をしていたのかを想像し、恥ずかしげに俯いた。
「綺麗にできたな」
「はい……お陰さまで」
「私が? ……ああ、元々私の練習で、貴男はそれに付き合う形ですものね。さすがに任せきりでは――」
「いやそうじゃなくて。単にやったことないだろうから、やってみないかってだけ」
完全に自分の頭の外にあった言葉に、瞬きを数度。
「オレこういうの別に嫌いじゃないし、案外楽しかったりするかもしれないだろ?」
特別なことを言っているわけではない。変わっているとも思わない。それでもけして自分では至れなかった思考だった。“初めて”がなかった暮らしには――いや、“初めて”が起こるとしたら、それは十中八九面倒事で。何というか、大袈裟に言ってしまえば衝撃だったのだ。――新しいことが、楽しいかもしれない。そんな、思考が。吸い寄せられるように、差し出されたそれを受け取る。
「ええと、」
意外と重い。あばら屋に住んでいたころにこういった道具があれば少しは雨漏りや隙間風が緩和できたのだろうが、手に入れる機会はなかった。ある程度の値がする商品は店も屋外に並べない。さすがに逃げ道のない店内で盗みを働こうとは思えず、どうにか買えなくもなかったのかもしれないが、それよりその日のパンの方が重要だった。とにかく生きるだけで精一杯で、快適な生活など端から諦めていた。そんな自分が他人の家の穴を直そうというのだから、人生は何が起こるか分からない。
「今まで見てたから何となくやり方は分かると思うけど――いや、やり方ってほどでもないよな」
「か、簡単そうに見えることほど難しいものです」
「緊張しすぎ。ほら、押さえててやるから」
鎚と堅い面持ちでそれを見つめる少女という奇妙な組み合わせに笑みを漏らすハール。フェスタは頬を膨らませるが反論はせず、穴の上に板を置くと釘を添えた。
「このまま打ってよろしいのですか?」
「んー……まあ大丈夫か、とりあえずやってみ。斜めにならないようにな。指気を付けろよ」
恐る恐るといった風に釘の頭に鎚を軽く打ち付けると、小さな反動が手に伝わる。
「……あ」
思っていたよりはあっさり刺さったものの、それと同時に周りにヒビが入ってしまった。仮の補修とはいえ、頼まれ事なので気にならないといえば嘘になる。フェスタがどうしたものかと悩んでいると、後ろから覗き込むハール。
「少し端すぎたか。割れを防ぐには先に穴を空けておくといいんだけど、そういうのできるやつは入れてくれなかったからな……ああ、確かにこれは端じゃないと打つ場所ないか。それ、少しいい?」
フェスタは手にしていた道具を一旦ハールへと戻す。彼は先端だけ刺さった釘を抜き、尖った部分に金槌を当てるとそのまま先を軽く叩いて潰した。
「こうすると木が割れにくい」
「お詳しいんですのね」
「そうでもないけどな。前に寄った先でこういうこと手伝ったとき、居合わせた人に教えてもらっただけ」
立ち寄った先で見ず知らずの誰かを助ける彼は容易に目に浮かんだが、ふらりと現れたハールにものを教える者もまた、簡単に想像できた。彼は愛想がいいとも会話上手とも言えない。それでも、好ましく思われるに足りる――いや、むしろ積極的に好かれる質ではないかと感じる。不器用ではあるが表情や感情が薄いわけではないし、何より――誠実だ。
「もう一回これで試してみ」
先端が少し潰された釘と鎚を受け取り、フェスタはそれらを再び板に添えた。夕方の陽に照らされ、細く長い影が伸びる。先程と同じように打ち付けたが、周囲にヒビは入らない。安心したように息をつくと、残るもう半分も軽く叩き板に沈める。
「――……っ」
最後に、真っ直ぐに入ったのがよくわかる気持ちのよい音が屋根の上に響いた。顔を上げるフェスタ。正面で目が合ったハールはやや驚いた表情を見せる。その面持ちから彼女は自分がどんな顔をしていたのかを想像し、恥ずかしげに俯いた。
「綺麗にできたな」
「はい……お陰さまで」