Story.16 きざはしの歌 -1/2の景色-
「はっ、あ……」
限界を感じ、膝に両手をついて呼吸を整える。どんなに進んでも景色がまったく変わらず、どのくらい走ったのかも分からない。あの日自分が住んでいた通りはこんなにも長くはなかったはずだ。そういえば、炎のなかでこれだけ息をしたというのに肺が焼けた気配はない。それどころか、熱さも感じてはいなかった。ここは、どこだ? いや――“何”だ?
「早く、戻らなくては……」
自身を叱咤するために言葉を絞り出す。その時、焼け爛れた世界に似合わぬ軽薄な口笛が流れた。
「おいおい戻るって何処へだよ? 戻る場所はテメェが自分で捨ててきたばかりだろうが」
身体が凍りつく。手を膝についたまま声がした方へぎこちなく目を遣る。男が、瓦礫に座っているのが見えた。
「よォ、お嬢様」
言うと立ち上がり、大袈裟な手振りで話しながらこちらへと歩んでくる。
「掃き溜めを出て気分はどうだ? まさかあのガキ共といればお前も同じになれるとでも思ってんじゃねぇだろうな?」
彼が目の前まで迫り、ようやく一歩引く。
「貴男、は……」
か細く震える声。奴らの前では死んでも出すものかと決めていた――が、今は、そんな考えをする余裕すらない。
「あいつら人間だろ? 生まれた時から違うんだよ。どうせ奴らもテメェを見下してるさ。それか、同情して仲良しごっこでもしてるのかもなぁ」
彼はフェスタが下がった一歩を埋めるように踏み出す。
「戻る? 随分とお高くとまったもんだ」
嘲笑。この奇妙な空間のせいなのか先程の男たちのせいなのか、いつもなら瞬時に出てくるはずの皮肉がまったく浮かばない。それどころか、“言葉がそのまま入ってくる”。彼はフェスタのもう一つの耳をフードの上から乱暴に掴み、強く引くと口を寄せた。
「テメェは誰からも必要とされてなんかいねぇ」
止まる呼吸。
「あのまま俺たちに犯られてバラされてりゃ幸せだったのになぁ? 穴と金になれば役に立つしよ」
絡まる、絡みつく。
刺さる、痛む。
「生き汚い獣人風情が。テメェは何も変わっちゃいねぇし変われねぇよ」
何処へも行けない、何にも成れない。
「永遠にな」
――そうだ。彼らの言うとおりだ。確かに一夜にして世界は変わった。ただ待つのではない、会いにいく自分。それを受け入れてくれるひとたち。だが、アリエタを出たところで犯した罪は消えないし、罪を犯すよう追い詰めてくる瞳はこの先も向けられる。絡んだ荊は罪のまま。刺さる視線は棘のまま。
「――……っ」
――いや、それでいい。それでも、いい。
泥だらけでもいい、汚れていてもいい。彼が、夢見続けた“希望”が綺麗でいてくれさえすれば、それで構わない。自分には、彼が、彼しか――――
無骨な手を振り払う力もなく、ただ目を逸らす。その先に、少年の影があった。――獣人だ。息を呑む。にわかに心臓が暴れだす。後ろ姿だけでも、“あれが誰なのか”すぐに分かった。彼に気をとられていたが、よく見るとその足元には白い少女が倒れていた。クローをつけた彼の手には少女のペンダントが握られている。銀鎖に下がる赤い宝玉が、それより赤い炎を映して揺れる。次の瞬間、その鋭利な爪が、白い背中に突き立てられ――――
「やめ――……っ!」
限界を感じ、膝に両手をついて呼吸を整える。どんなに進んでも景色がまったく変わらず、どのくらい走ったのかも分からない。あの日自分が住んでいた通りはこんなにも長くはなかったはずだ。そういえば、炎のなかでこれだけ息をしたというのに肺が焼けた気配はない。それどころか、熱さも感じてはいなかった。ここは、どこだ? いや――“何”だ?
「早く、戻らなくては……」
自身を叱咤するために言葉を絞り出す。その時、焼け爛れた世界に似合わぬ軽薄な口笛が流れた。
「おいおい戻るって何処へだよ? 戻る場所はテメェが自分で捨ててきたばかりだろうが」
身体が凍りつく。手を膝についたまま声がした方へぎこちなく目を遣る。男が、瓦礫に座っているのが見えた。
「よォ、お嬢様」
言うと立ち上がり、大袈裟な手振りで話しながらこちらへと歩んでくる。
「掃き溜めを出て気分はどうだ? まさかあのガキ共といればお前も同じになれるとでも思ってんじゃねぇだろうな?」
彼が目の前まで迫り、ようやく一歩引く。
「貴男、は……」
か細く震える声。奴らの前では死んでも出すものかと決めていた――が、今は、そんな考えをする余裕すらない。
「あいつら人間だろ? 生まれた時から違うんだよ。どうせ奴らもテメェを見下してるさ。それか、同情して仲良しごっこでもしてるのかもなぁ」
彼はフェスタが下がった一歩を埋めるように踏み出す。
「戻る? 随分とお高くとまったもんだ」
嘲笑。この奇妙な空間のせいなのか先程の男たちのせいなのか、いつもなら瞬時に出てくるはずの皮肉がまったく浮かばない。それどころか、“言葉がそのまま入ってくる”。彼はフェスタのもう一つの耳をフードの上から乱暴に掴み、強く引くと口を寄せた。
「テメェは誰からも必要とされてなんかいねぇ」
止まる呼吸。
「あのまま俺たちに犯られてバラされてりゃ幸せだったのになぁ? 穴と金になれば役に立つしよ」
絡まる、絡みつく。
刺さる、痛む。
「生き汚い獣人風情が。テメェは何も変わっちゃいねぇし変われねぇよ」
何処へも行けない、何にも成れない。
「永遠にな」
――そうだ。彼らの言うとおりだ。確かに一夜にして世界は変わった。ただ待つのではない、会いにいく自分。それを受け入れてくれるひとたち。だが、アリエタを出たところで犯した罪は消えないし、罪を犯すよう追い詰めてくる瞳はこの先も向けられる。絡んだ荊は罪のまま。刺さる視線は棘のまま。
「――……っ」
――いや、それでいい。それでも、いい。
泥だらけでもいい、汚れていてもいい。彼が、夢見続けた“希望”が綺麗でいてくれさえすれば、それで構わない。自分には、彼が、彼しか――――
無骨な手を振り払う力もなく、ただ目を逸らす。その先に、少年の影があった。――獣人だ。息を呑む。にわかに心臓が暴れだす。後ろ姿だけでも、“あれが誰なのか”すぐに分かった。彼に気をとられていたが、よく見るとその足元には白い少女が倒れていた。クローをつけた彼の手には少女のペンダントが握られている。銀鎖に下がる赤い宝玉が、それより赤い炎を映して揺れる。次の瞬間、その鋭利な爪が、白い背中に突き立てられ――――
「やめ――……っ!」