Story.16 きざはしの歌 -1/2の景色-

 声とほぼ同時、咄嗟に手放しかけたナイフの柄に指を絡めて身を引いた。フェスタの唇から舌打ちが漏れる。せっかくの時機を逃した。が、火の雨の中を縫って投げるなどさすがに無理である。再び金属音が重なって響く。
(……この方、当然のようになさっていますけど……普通の狩人がこんな芸当、できるものでしょうか)
 一際大きく弾かれた高い音にはっと息を呑む。今、戦闘以外に思考を割く余裕があるとは言い難い。どうにかやり過ごすと、鳥は跳ね除けることしかできない二人を嘲う――どころか、まるで興味がないといった様子で炎を二、三滴落とす。そして翼を羽ばたかせ、再び旋回し始めた。――それから二度、同じ状況を繰り返した。背後も横も狙えるような瞬間はなく、正面が空いたと思えばすかさず嘴が開く。正面を狙うと口で言うのは簡単だが、ずっと同じ動きをしているのだから機会などそうそうこない。早く何処か、何処かに隙を見付けなければ――
(ハールさんだって、そう何度も防ぐのは……)
 素人目にも相当な技術を必要としているのは明らかだった。そんなことを長時間させられない。だからといって諦めて屋根を壊されるわけにもいかず、ましてや自分たちが逃げて人がいる場所にまで連れてきてしまったら取り返しがつかない。それに今は加減されているとはいえ、いつ向こうが本気で攻撃を仕掛けてくるかは分からないし、転がった欠片から剥き出しの木製の骨組みに引火しないとも限らないのだ。焦りが募る。焦りが集中力を削ぐ。観察力を磨り減らす。いつもならできる思考すらままならない気がしてくる。
「……オレの方は思ったより余裕あるから落ち着け」
「え?」
「何か、焦ってる気がしたから」
 顔に出ていたのだろうか。それとも武器を扱う者は人が纏う空気に敏感なのか。
「とは言っても、あれを防ぐのはいけるってだけで隙を見つけるのまでは難しい。から、それは任せた」
「……はい」
 そもそも戦闘を提案したのは自分で彼は乗り気でなかったはずなのに、今の会話だとまるで逆のようではないか。経験の差だろうか。とにかく、彼のその言葉で幾分か心持ちが楽になったのは事実だった。いつの間にか早くなっていた鼓動が落ち着きを取り戻し、思考が明瞭になっていくのが分かる。とはいえ、これ以上時間はかけたくない。火喰鳥は“餌場を荒らす外敵”へと向き直り、再び炎石を降り注がせる。見舞われる火の雨を剣で弾きやり過ごす。ある程度吐き出すと鳥は一呼吸置き、火の麟粉を散らしながら円を描くように飛ぶ。その様子を見ていたフェスタの目がわずかに据わった。旋回していた火喰鳥がこちらを向く。嘴を開け、その奥にぼんやりとした光が灯ると青空に似合わぬ火の欠片が勢いよく降り注いだ。刃と火石がぶつかり弾かれる音が響く。刀身に炎が映り小さな火花が次々と咲いていった。
 ――“ずっと同じ動き”。
 余裕のなさで狭まっていた視界。今、突然見えたものがあった。
 そう、今までの動きを見ている限り、あと、五、四、三、二――――
「フェスタ!?」
 火の雨が終わる――その一秒前、踏み込む。
「……ッ!」
 ハールの声と同時、閃く銀が一直線に空を切った。最後の炎石が銀線とすれ違い、フェスタの頬と小指の先程度の隙間を残して通過する。思い返せば先程からあの魔獣には一定の行動様式があった。屋根を一周飛び、火の破片を吐く。そしてその直後に半拍の空白があった。炎の雨が完全に止むのを待っていれば届かなかったごくわずかな隙。彼の言葉で余裕を取り戻したその時、ふと思い至ったのだ。“炎石が完全に止むまで待たなければいいのだ”と。少しくらい落ちてきたって構わない。ナイフさえ無事に届けばそれでいいのだ。火雨の中を縫って投げるのは無理だが、残りの一つや二つ三つ、避けて投げることは可能だった。
(まあ私に当たるかどうかは完全に賭けでしたので――あとで、怒られるでしょうか)
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