Story.16 きざはしの歌 -1/2の景色-
「当たり前だがラウレッタは除外だ、大人しく寝ておけ。アデーラ、ハンス、お前らは課題考えておけよ! ほら、出てった出てった!」
当然ラウレッタは反論しようとするが、さすがに長く起き上がっていたせいかふらつき倒れそうになる。アデーラとハンスは彼女を支えると、フェスタとハールに軽く会釈をし部屋を出ていった。途端に広くなる部屋。広いというより、部屋に対して想定以上の人数が詰めかけていただけであるが。先程までのことが嘘だったかのように静まり返るなか、腰に手を当て一つ息をつくマレク。彼は三人が出ていったドアを、少しの間見つめていた。
「……あの、マレクさん。本当にあのやり方でよかったんですか?」
「おう、気に入らなかったら気に入らないって俺はきちんと言うぞ。あいつらもな」
何気ない言葉の端にも仲間への信頼と理解が滲んでいる。ハールはそこに一切の嘘はないと感じ、それ以上の追及はやめた。接していて気持ちのよい人間だ。アリエタでは真逆といえるような者たちと一悶着あったため、余計にそう感じる。
「明日以降の付き添いはそっちに任せる。誰が教えるかは……そうさなぁ、出てくるまでのお楽しみってことにすっか! とりあえず今日はお前さんとフェスタと俺だな」
マレクはハールの隣に椅子を持ってくるとフェスタをそこに座らせ、自らはベッドに座る。
「さーてどう練習していくか……。ラウレッタはああ言ってるが、どうせ気楽な身の上だ。楽しくやれりゃあいいんだよ、なんせそのために旅芸人になったんだからな! そんでどうせなら歌も楽しいものがいい。大衆歌でできるのは?」
フェスタは首を少しだけ傾げ、考える仕草をする。
「言われて初めて気付きましたが……思い浮かばないです」
「なかなか詳しいと思っていたが珍しい知識の偏り方だな……じゃあ故郷の歌は?」
「故郷はアリエタ……ですが、その……」
「アリエタ出身か! いいじゃねぇかいいじゃねぇか、あの綺麗な海を毎日見てたなんて羨ましいぜ。海の歌はどうだ。そういうのあるだろ?」
気まずそうに口ごもるフェスタ。その様子から、マレクは地元の民謡の類いも知らないらしいと察する。彼はやや目を見開くが、単に驚きからであって、気を悪くはしていないようだった。
「成る程なぁ……じゃあ『その舞踏は赤き星々とともに』なら知ってるだろ?」
「『ロミルダの婚約』の一幕。主人公のロミルダが婚約者と初めて対面する前日の夕方に、楽しみにするあまり波打ち際で踊り出す場面の曲ですわね」
「普通はこっちを知らないもんだぜ?」
苦笑するマレクに笑みを返すが、それがぎこちないものになっていたことくらいは分かる。あの掃き溜めで音楽の知識をすり合わせる相手などいるはずもなく、自らの知る範囲がどういったものなのかをまるで把握していなかった。情報元とその置かれていた環境を考えれば苦もなく至る解だと今ならば思うが、そもそも考える機会すらなかったのだ。しかし、その機会が唐突にやってきた。教養のない破落戸から身を守るには適当で、一人で歌うには十分だったけれど。それはあくまで、そのなかでの話で。自分は、とても大雑把に言えば――道端で楽しく、子供から老人まで、誰も彼もが聞くような“歌”を、知らなかった。
昨晩の興行を思い出す。
響く歌は伸び伸びと大らかに。
空に舞ったその声と戯れるが如き自由な両手。
春の小鳥や子猫のように弾む音。
奏でる方から、聴く方から、零れる笑顔。
自然と湧き上がる手拍子。
あれはただ、歌っているだけではなかった。奏でているだけではなかった。
「できそうか?」
旅団が“創り出したもの”を理解し、その熱量を鮮明に思い出すほど血の気が引いていく。
「ええと、知ってはいますが実際に歌ったのはもういつだったか……譜面を見せていただけますか」
まったく同じ水準を求められているわけではないと分かっていても、冷や汗が流れてきそうだった。
ああ、何を少し安堵していたのか。音が合っているなんて、始まってもいない地点のことではないか。あくまでそれは礎だ。そこから“あれ”を築かなくてはならないのだ。
●●
当然ラウレッタは反論しようとするが、さすがに長く起き上がっていたせいかふらつき倒れそうになる。アデーラとハンスは彼女を支えると、フェスタとハールに軽く会釈をし部屋を出ていった。途端に広くなる部屋。広いというより、部屋に対して想定以上の人数が詰めかけていただけであるが。先程までのことが嘘だったかのように静まり返るなか、腰に手を当て一つ息をつくマレク。彼は三人が出ていったドアを、少しの間見つめていた。
「……あの、マレクさん。本当にあのやり方でよかったんですか?」
「おう、気に入らなかったら気に入らないって俺はきちんと言うぞ。あいつらもな」
何気ない言葉の端にも仲間への信頼と理解が滲んでいる。ハールはそこに一切の嘘はないと感じ、それ以上の追及はやめた。接していて気持ちのよい人間だ。アリエタでは真逆といえるような者たちと一悶着あったため、余計にそう感じる。
「明日以降の付き添いはそっちに任せる。誰が教えるかは……そうさなぁ、出てくるまでのお楽しみってことにすっか! とりあえず今日はお前さんとフェスタと俺だな」
マレクはハールの隣に椅子を持ってくるとフェスタをそこに座らせ、自らはベッドに座る。
「さーてどう練習していくか……。ラウレッタはああ言ってるが、どうせ気楽な身の上だ。楽しくやれりゃあいいんだよ、なんせそのために旅芸人になったんだからな! そんでどうせなら歌も楽しいものがいい。大衆歌でできるのは?」
フェスタは首を少しだけ傾げ、考える仕草をする。
「言われて初めて気付きましたが……思い浮かばないです」
「なかなか詳しいと思っていたが珍しい知識の偏り方だな……じゃあ故郷の歌は?」
「故郷はアリエタ……ですが、その……」
「アリエタ出身か! いいじゃねぇかいいじゃねぇか、あの綺麗な海を毎日見てたなんて羨ましいぜ。海の歌はどうだ。そういうのあるだろ?」
気まずそうに口ごもるフェスタ。その様子から、マレクは地元の民謡の類いも知らないらしいと察する。彼はやや目を見開くが、単に驚きからであって、気を悪くはしていないようだった。
「成る程なぁ……じゃあ『その舞踏は赤き星々とともに』なら知ってるだろ?」
「『ロミルダの婚約』の一幕。主人公のロミルダが婚約者と初めて対面する前日の夕方に、楽しみにするあまり波打ち際で踊り出す場面の曲ですわね」
「普通はこっちを知らないもんだぜ?」
苦笑するマレクに笑みを返すが、それがぎこちないものになっていたことくらいは分かる。あの掃き溜めで音楽の知識をすり合わせる相手などいるはずもなく、自らの知る範囲がどういったものなのかをまるで把握していなかった。情報元とその置かれていた環境を考えれば苦もなく至る解だと今ならば思うが、そもそも考える機会すらなかったのだ。しかし、その機会が唐突にやってきた。教養のない破落戸から身を守るには適当で、一人で歌うには十分だったけれど。それはあくまで、そのなかでの話で。自分は、とても大雑把に言えば――道端で楽しく、子供から老人まで、誰も彼もが聞くような“歌”を、知らなかった。
昨晩の興行を思い出す。
響く歌は伸び伸びと大らかに。
空に舞ったその声と戯れるが如き自由な両手。
春の小鳥や子猫のように弾む音。
奏でる方から、聴く方から、零れる笑顔。
自然と湧き上がる手拍子。
あれはただ、歌っているだけではなかった。奏でているだけではなかった。
「できそうか?」
旅団が“創り出したもの”を理解し、その熱量を鮮明に思い出すほど血の気が引いていく。
「ええと、知ってはいますが実際に歌ったのはもういつだったか……譜面を見せていただけますか」
まったく同じ水準を求められているわけではないと分かっていても、冷や汗が流れてきそうだった。
ああ、何を少し安堵していたのか。音が合っているなんて、始まってもいない地点のことではないか。あくまでそれは礎だ。そこから“あれ”を築かなくてはならないのだ。
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