Story.16 きざはしの歌 -1/2の景色-
とても長い一瞬だった。その回顧は、時間にすればほんの数秒であった。追想が途切れた途端に風景は宿の一室へ変わり、慌てて意識を発声へと引き戻す。記憶に被っていた埃を少しだけ指でなぞれば、降り積もった年月に埋もれていたものが鮮明になる。在りし日の母親と繋いだ手を握りしめる。
音に、声が、重なる。
瞬間、ラウレッタの目がほんのわずかに見開いた。それは、令嬢がドレスを翻さぬようゆっくり、確実に、しなやかに、重厚なる白亜の階段を上るが如き足取り。音を一段、また一段と上る。滑らかに、伸びやかに。艶やかな天鵞絨の絨毯の上を歩くに見合うように。――そして気付けば、弦から弾かれた最上段には、浜辺の漣の如き上質なレースを施された裾が確かに揺れていたのだった。
「……おお、おお! さっきより全然いいじゃねぇか! そうそうそれだよ、気持ちよく合ってた! いや楽しくなってきたぞ。なあラウレッタ!」
ヴァロ=ヴ=オーグの音が消えたと同時、マレクの弾んだ声が場に響く。フェスタはまるで全力疾走したあとであるかのように息を吸っては吐く。動悸が激しい。そんなに緊張したのだろうか。それとも途中で意識を過去へ飛ばしてしまった修復をせねばという焦りの皺寄せが今きたのか。ただ、嫌な気分ではない。理由は自分では分からなかったが、何もかもが初めてのなか落ち着いてできる方がおかしいと納得することにした。母との会話はあのあとも続いていた気がするが、どうにも思い出せない。いずれにせよ、錆び付いていた礎が光を取り戻したのは幸先がよい。
『……音はまあまあとれてる。けど姿勢が悪い。声の出し始めで顔が前に出てる。音域狭くなる。直して』
突きつけられた紙を見、数度瞬きをするフェスタ。その仕草からラウレッタは本人には自覚が微塵もなかったがゆえ理解に達するのに時間を要しているのだと瞬時に読み取ると、不機嫌そうに追記する。
『それに下向いて背が丸まってる。それじゃ息が入らないわ。まったく……普段からそんなんだから歌っている時もそうなるの』
そして腕を組むとマレクへ睨むように視線を投げた。ただでさえ攻撃的なそれであるが、熱のせいで鋭さ倍増である。
『親方、教えることはないんじゃなかったの? こんなの人前に出す気?』
「“新しく”って言ったろ? ラウレッタも感じただろうが教わった当初はやれていたんだろうさ。それに、お前の実力が十とするならフェスタは……そうさなぁ、四はできてる。そこに今我らの歌姫が指摘した姿勢の改善で五に上方修正。当日までにはまあ……七にもっていくさ。突貫にしちゃ上々だろう」
彼が例えた数字は妥当だった。ラウレッタもそれに関しては異論がないのであろう黙り込む。
「とりあえず今できる範囲でできる歌を演ろうじゃねぇか。満遍なく伸ばしていくよりその精度を上げていく方がいいだろう。さて、どう練習していくかねぇ……お仲間さん的にはどう思う?」
「は――――、え?」