Story.3 WHITE NOISE


 ――翌日の正午、三人は姉妹と家の前にいた。本来ならば夜明けとともに出立する予定であったのだが、昨夜の一件での疲労と、雨で濡れた衣服を乾かさなければならなかったため結局この時間になってしまったのである。
「えと、色々ありがとう……心配かけて、ごめんなさい」
「もういいわよ。それについてはもう散々謝ったでしょう?」
 ココレットは苦笑する。二人とともに帰宅したのち、施術直後で心身ともに安定していないときに目を離したことも謝罪されたが、それ以上に叱られた。武器を持たない人間が夜中に外へ、しかも無断で出るなど危険すぎると。静かに諭すように怒るココレットも涙目で怒るレイシェルも、表現の仕方は違えど心の底から自分を心配していたのが十二分に伝わってきた。
「それより、手掛かりになりそうなものが見つかってよかったわね」
 その後事情を話しペンダントを用いての施術も行ったが、リセに反応はなかった。しかし感覚で自分の物だと分かったということは、記憶を失う以前に余程思い入れがあったか大切にしていたに違いないというのがフィール姉妹の見解である。
「大事にしてね。もしかしたら、それが切っ掛けで錠の一部分が外れることもあるかもしれないから」
 リセは首にかけたペンダントを握り、静かに頷いた。昨夜ハールとした約束を守るためにも大切にしなくてはならない。この細く繊細な銀鎖は、『リセ・シルヴィア』という人物と自分を繋ぐ唯一の絆なのだ。
「まぁ何はともあれ、晴れて良かったわねー」
 言うとレイシェルは空を仰いだ。夜の雨が嘘のような雲一つ無い快晴である。
「そうね。夜中の雨は酷かったけど……鉢、家に入れて正解だったわ」
 庭の草花が、硝子のような雨粒に濡れてきらきらと煌めいていた。
「……あ」
「どうしたの?」    
 出し抜けに発されたハールの声に、ココレットが訊く。
「……治療費」
「え?」
「治療の代金……忘れてた」
 いくら友人とはいえ『記憶師』を職業とし、生計を立てている姉妹である。術を施してもらったのだから彼女たちが受け取るべきものは発生するはずだ。しかし、ココレットは「そんなのいいわよー」と笑った。
「……ツケとくから」
「……あ、はい」
 世の中は、やはり甘くないらしい。
「……だから」

 そう、微笑んで、

「絶対、帰ってきて」

 一瞬、不敵な笑みをみせて。

 思わず苦笑するハールだった。きっと、何があっても、自分は彼女に敵わないのだろうと。





「――お二人さん、そろそろ行きます?」
 頃合いを見てフレイアが切り出す。既に太陽は空高く昇っているため、出発をこれ以上遅らせるのは得策ではない。暗い道を歩くのは危険であるし、夜に近くなればなるほど魔物は活発になるゆえ、日が落ちるまでには森の出口付近まで辿り着きたいところだ。
「ハール、昨日の夜言ったこと忘れないでよね」
 レイシェルが釘をさす。昨晩の出来事を鮮明に思い出して、少し顔が熱くなるのを感じた。
「……できるだけ」
 曖昧な返事をすることしかできない自分に嫌気が差したが、彼女にはそれだけで十分だったようで笑みを浮かべた。
「それじゃあ気を付けて。魔物とか……前にも言ったけど、旅人狩も増えてるみたいだから。まぁ、ハールとフレイアがいれば大丈夫かしらね」
「リセ、……早く記憶が戻るといいわね」
 ――リセが昨夜の話をどこからどこまでを聞かれていたのかは、彼女自身以外に知る者はいない。リセは何を聴き、何を感じたのかはレイシェルには分からない。しかし、記憶を取り戻すためにあんな無茶までしでかしたのだ。周りがどう思おうと何を言おうと、その『想いを止める権利』には誰にもない。また、それを『助けようとする者を止める権利』もないことだけは、彼女もわかっていた。
「……ありがとう」
 レイシェルのありふれた、しかし様々な意味を込めたその言葉はリセにとって餞別になりえるものだったようで、リセは控えめに、だが嬉しそうに微笑んだ。
「じゃあねー!」
「行ってきます!」
 歩き出しながら手を振るフレイア。リセもそれに倣って身を翻した。プラチナの髪が陽光を映して軽やかに靡く。
「……じゃあな」
 そのとき不意にココレットが彼の腕を引いた。そしてその耳に唇を寄せると、甘やかな秘密を打ち明けるように小さく動かす。
 腕を離すとココレットはにこりと笑い、背中を押した。
 ハールは少しの間面食らったような顔をしていたが、すぐに微笑を返し、背を向けた。
「……お姉ちゃん、さっきハールに何て言ったの?」
「んー?」
 小さくなっていく三人の背を見送りながらレイシェルが訊く。ココレットは穏やかな笑みを浮かべると、唇に人差し指を当てて言った。
「……秘密」
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