Story.3 WHITE NOISE

 雨空を切り裂くような、魔物の鳴き声。
 恐る恐る目を開けると、そこには――――

「――ハール!」

 鮮やかな赤が絡み伝う銀の刃。そしてそれを左手に持った少年。双頭の狼は片方の首から血を撒き散らし、絶命したかのように思えた。が、もう一方が生きていた。
「フレイア!」
 ハールが叫ぶ。
「リセ避けろ!」
 考える間もなくリセは反射的に身を引いた。間髪入れずに風撃が走ったかと思うと矢がもう一方の首に突き刺さる。そして、重いものが崩れる音。

 ――――静寂。
 
「……大丈夫か?」
 何が起こったのか訳が分からず言葉が出ないリセ。
「ったく何やってんだか……遠吠えが聞こえたから急いで来てみれば、案の定これだよ」
 様子からして昨夜のような豹変は起こらなかったようである。もし変化の条件が魔物や戦闘であるなら今も条件に当て嵌まるからして危険だとハールは思っていたのだが、それは違ったらしい。
「夜中に一人で森に入るなんて大した度胸だな。どういう了見だ?」
 言葉に詰まるリセ。その表情からやはりあの会話が原因だと知れ、ハールは溜め息を一つ落とす。
「……レイとの話、聞いたんだろ?」
「ごっ、ごめんなさい! 盗み聞きするつもりじゃ……」
「分かってる。……オレが少し居なくなったくらいでどうにかなるほど、あいつは弱くない」
 不安げな顔で見上げてくるリセ。
「オレが、行こうと思ったから行く。だから――」
 気にするな。そう言おうとした。が、ふいにココレットの言葉が脳裏を過ぎった。

 ――――『優しくされた方の気持ちも考えてよ』

 優しいつもりなどない。だが、もし相手にそう受け取られていたとしたら。
「……いや、オレはグレムアラウドまでお前を送り届ける。……だから、お前は記憶が戻るように自分のできることやってみろ。な」
 目を丸くするリセ。
「今夜みたいなのは、少しやりすぎだけどな。……あんまり無茶すんなよ」
 驚きの表情は、まるで氷が解けていくように柔らかな感謝のそれへと変化していった。
「うん……うん」
 何度もこくこくと頷く。そしてハールの目を見据えると、意を決したように息を吸い込む。
「……あのね、ハール」
 その刹那。傷を無視し無理矢理動かしたらしい不自然な動作で魔物が飛び掛かってきた。
「ハールッ!」
 リセは両手で力の限りハールを押した。彼の左手から剣が抜け落ち、二人はそのまま後ろへ雪崩れるように倒れ込む。
「ハール大丈夫っ!?」
 銀狼はそのまま二人に牙を突き立てることなく虚しく弧を描くと小川に落ちた。激しい水音がして細かい飛沫が辺りに飛び散る。そしてそれきり音はしなくなった。
「あ、あぁ……」
 そう答えたが、彼女が今何をしたかを把握した瞬間に血の気が引く。
「って、何してんだよ危ねぇだろ!? 今は相手が弱ってたからどうにかなったけどな、普通だったらお前――」
 ――――が。
「よかった……」
 目の前の少女は、泣きそうな顔で微笑んだ。銀の睫毛に縁どられた金の瞳が穏やかな三日月になる。その頬を伝う雨滴は、涙にも見えた。
「無茶するなって、言ったばっかりだろ……」
 そんな顔をされたら、これ以上咎める気もおきない。彼女に怪我が無いことが分かると、安堵と脱力感、そして少々の呆れに染まった声が喉から上がる。
「……助かった。ありがとな」
 雲が流れ、月明かりが再び注ぎ始めた。銀の髪が淡く光を纏い、闇に柔らかく浮かぶ。
「あのね、ハール…………ありがとう」
「何でお前が言うんだよ」
 ハールは苦笑すると手を伸ばし、二色の光が揺れる髪を撫でた。歳はほとんど変わらないはずなのに、どうにも接し方が子供に対するそれと似てしまう。
「……わーお、リセってばダイタン」
「フレイア!」
 突然かけられた聞き覚えのある声に、リセは慌ててハールの上から退くと彼も立ち上がった。
「あの後また仲間割れし始めてさー、しばらくしたら自滅してくれた」
 先ほどの彼の呼びかけに応じたということは、その後すぐに川へ戻ろうとしたのだろう。既にその手からは弓が消えていた。
「お前なぁ、助かったけど弓の狙いオレに近すぎだろ……さっきのは死ぬかと思ったぞマジで」
 声は聞こえたものの、やはり一撃で仕留めるには遠すぎたらしい。致命傷にはなりえなかったが故の事態であった。視界か狭まる夜間、咄嗟に反応し命中しただけでも大したものなのだが。
「マジでー? 大丈夫だよー、フレイアちゃんの弓は一級品だから!」
「自分で言うなよ……」
「ハール君だってアタシが結構遠くにいるの分かってて援護催促したでしょー。お蔭で当てるのが精一杯だったよ」
 芝居がかった動作で肩を竦めると、大きく溜め息をつく。
「信用しすぎだよ」
 しかし言葉とは裏腹に、彼女は明るい笑みを見せた。
「……いや、助かったよ。フレイアもありがとうな」
「どういたしましてー」
 雨が上がった夜空を見上げると、フレイアは穏やかに呟く。
「……帰ろうか」
 そして影が三つ、月明かりが照らす帰路に揺れた。
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