Story.15 きざはしの歌 -暁との邂逅-
「意味がない、ということですの?」
「まあそうなんだけど……でも本当に無意味ってわけじゃなくて、それをすること自体に意味があることかな」
「無意味に意味がある……というのは、難しい話ですわね」
「もっと気楽に考えていいと思うよ? 大仰な信念ーっ! とか、使命ーっ! って感じのものより、案外そういうもので人ってできてるのかもねぇ」
フェスタの髪を梳きながら自分も寛いだ気分になっているのだろうか、いつもよりやや落ち着いた声色で続けるフレイア。
「なーんてね、参考になりましたか?」
パーティで最年少だと聞いていたがそのようにはまったく感じられない。迷いのない話ぶりから、自分で考え自分で得た答えなのだろうと内心で舌を巻く。旅をして様々な人や出来事に触れれば自然とこうなるものなのだろうか。それとも、その前からそうだったのか。
「ええ……そう、ですわね」
唇に指先を添え、考え――ようとし、かさついた感触に辟易する。雨風しのげる屋根すら持たぬ旅人の彼女たちですら身なりに気を遣っているのに、自分ときたら。まあ、それに気付けるようになるほどの余裕ができたということにしておこう。その余裕がなかった昨日までのことを改めて思い返す。食事と眠りを得るのに必要なこと以外の何かを進んでしていただろうか。暇を持て余したときや酒場が開くのを待つ間、自分は何をしていただろうか。
「……そういえば、海によく行っていました」
「あっ、私も海降りたよ! あんなにサラサラな砂もいっぱいの水も初めて見たからびっくりしちゃった! それにすっごく綺麗! 波の間に光が跳ねてて、池とか川とかとはまた全然違って、一日に何回も色が変わって……!」
「楽しめたのであれば何よりですが……そんなに驚かれることに驚きますわね」
振り返らずとも、金の目を更に輝かせているのが弾む声で窺えた。毎日押し寄せてくる観光客や巡礼者も彼女と同じ感想を持つのだろう。しかしそこにあるのが当たり前で、親の顔より見てきたそれに特に感慨があるわけでもない。
「アタシも結構感動しちゃったけどなー、まあ住んでたらそんなものかぁ。海行って何してたの?」
「人気のない場所で歌を――……」
言いかけて、小さく息を呑む。音楽の知識を盾として身を守ることもあったが、実際に歌う必要はなかった。それも一人で、誰の耳にも届かせることなく。今日生きるか死ぬかのなかで、生死に関わらないのに続けていたこと。母の形見とも言えるものだから歌う。彼といたときのままでいようと誓ったから歌う。それだけだと思っていたが、それは、もしかして、自覚していたよりずっと――
「フレイアさんが仰ったことに沿って考えるなら、歌が好き……なのかも、しれません」
自分には何もないと思っていた。あるとすれば、それは彼への想いだけで。自分があるから想いがあるのか、想いがあるから自分があるのかの境界すら曖昧になっていた。
「本当にそうなのかは……理解りませんが」
そんな自分にも――“自分”というものが、あったのだろうか。自分は彼をただ待つだけに生きている。それしか要らないし、それしか無いと決めつけていたのは――
「……フェスタ?」
フレイアの声で我に帰る。急に黙り込んでしまったためか、やや不安げな声に少々申し訳なく思う。
「あ、いえ……すみません、つい心地よくてぼうっとしてしまいました」
「良かった、マズイこと訊いちゃったかと思った!」
今まで出会ってきた者のなかにはいなかった明るさを持つ人間。自分に向けられる好意的な笑顔と言うものは、悪い気はしないがどうにも慣れない。
「そのうち聴かせてね」
歌ってよ、とくるかと思ったが。明るい人間は、何と言うか――“押し付けがましい社交性”を持っているものだと思っていたのだが、偏見だったと少し反省する。
「フレイアさんって……見た目と喋った印象が少し違いますわね。その、悪い意味ではなくて」
「んー……みんなそんなものかもよ。リセだってぽやーっとしてるようで相当責任感強いし、ハール君も普通に見えて結構ズレてるとこあるし、イズム君は真面目に見えてあんな感じだし」
「ぽやー!?」
「印象なんて変わるもんですよー」
慣れた手つきで櫛を動かすフレイア。毛の根元、中間、毛先と分けて丁寧にゆっくりと梳かす。
「フェスタもね。可愛い」
嘘ではないことは感じ取れたが、どう反応していいかは分からず黙る。恐らく、彼女なら黙っても気分を害すことはないだろう。そのまま目を閉じ、柔らかな手先に身を任せる。ふと、脳裏に過る赤髪の少女。
「……ッ、触らないで!」
自分だって、大切なものを好ましくない輩に触れられるのは我慢できない。その心情はたとえ違う種族だろうと、自分を蔑んでくる者だろうと理解る。
だから、責める気は、起きなかった。
「まあそうなんだけど……でも本当に無意味ってわけじゃなくて、それをすること自体に意味があることかな」
「無意味に意味がある……というのは、難しい話ですわね」
「もっと気楽に考えていいと思うよ? 大仰な信念ーっ! とか、使命ーっ! って感じのものより、案外そういうもので人ってできてるのかもねぇ」
フェスタの髪を梳きながら自分も寛いだ気分になっているのだろうか、いつもよりやや落ち着いた声色で続けるフレイア。
「なーんてね、参考になりましたか?」
パーティで最年少だと聞いていたがそのようにはまったく感じられない。迷いのない話ぶりから、自分で考え自分で得た答えなのだろうと内心で舌を巻く。旅をして様々な人や出来事に触れれば自然とこうなるものなのだろうか。それとも、その前からそうだったのか。
「ええ……そう、ですわね」
唇に指先を添え、考え――ようとし、かさついた感触に辟易する。雨風しのげる屋根すら持たぬ旅人の彼女たちですら身なりに気を遣っているのに、自分ときたら。まあ、それに気付けるようになるほどの余裕ができたということにしておこう。その余裕がなかった昨日までのことを改めて思い返す。食事と眠りを得るのに必要なこと以外の何かを進んでしていただろうか。暇を持て余したときや酒場が開くのを待つ間、自分は何をしていただろうか。
「……そういえば、海によく行っていました」
「あっ、私も海降りたよ! あんなにサラサラな砂もいっぱいの水も初めて見たからびっくりしちゃった! それにすっごく綺麗! 波の間に光が跳ねてて、池とか川とかとはまた全然違って、一日に何回も色が変わって……!」
「楽しめたのであれば何よりですが……そんなに驚かれることに驚きますわね」
振り返らずとも、金の目を更に輝かせているのが弾む声で窺えた。毎日押し寄せてくる観光客や巡礼者も彼女と同じ感想を持つのだろう。しかしそこにあるのが当たり前で、親の顔より見てきたそれに特に感慨があるわけでもない。
「アタシも結構感動しちゃったけどなー、まあ住んでたらそんなものかぁ。海行って何してたの?」
「人気のない場所で歌を――……」
言いかけて、小さく息を呑む。音楽の知識を盾として身を守ることもあったが、実際に歌う必要はなかった。それも一人で、誰の耳にも届かせることなく。今日生きるか死ぬかのなかで、生死に関わらないのに続けていたこと。母の形見とも言えるものだから歌う。彼といたときのままでいようと誓ったから歌う。それだけだと思っていたが、それは、もしかして、自覚していたよりずっと――
「フレイアさんが仰ったことに沿って考えるなら、歌が好き……なのかも、しれません」
自分には何もないと思っていた。あるとすれば、それは彼への想いだけで。自分があるから想いがあるのか、想いがあるから自分があるのかの境界すら曖昧になっていた。
「本当にそうなのかは……理解りませんが」
そんな自分にも――“自分”というものが、あったのだろうか。自分は彼をただ待つだけに生きている。それしか要らないし、それしか無いと決めつけていたのは――
「……フェスタ?」
フレイアの声で我に帰る。急に黙り込んでしまったためか、やや不安げな声に少々申し訳なく思う。
「あ、いえ……すみません、つい心地よくてぼうっとしてしまいました」
「良かった、マズイこと訊いちゃったかと思った!」
今まで出会ってきた者のなかにはいなかった明るさを持つ人間。自分に向けられる好意的な笑顔と言うものは、悪い気はしないがどうにも慣れない。
「そのうち聴かせてね」
歌ってよ、とくるかと思ったが。明るい人間は、何と言うか――“押し付けがましい社交性”を持っているものだと思っていたのだが、偏見だったと少し反省する。
「フレイアさんって……見た目と喋った印象が少し違いますわね。その、悪い意味ではなくて」
「んー……みんなそんなものかもよ。リセだってぽやーっとしてるようで相当責任感強いし、ハール君も普通に見えて結構ズレてるとこあるし、イズム君は真面目に見えてあんな感じだし」
「ぽやー!?」
「印象なんて変わるもんですよー」
慣れた手つきで櫛を動かすフレイア。毛の根元、中間、毛先と分けて丁寧にゆっくりと梳かす。
「フェスタもね。可愛い」
嘘ではないことは感じ取れたが、どう反応していいかは分からず黙る。恐らく、彼女なら黙っても気分を害すことはないだろう。そのまま目を閉じ、柔らかな手先に身を任せる。ふと、脳裏に過る赤髪の少女。
「……ッ、触らないで!」
自分だって、大切なものを好ましくない輩に触れられるのは我慢できない。その心情はたとえ違う種族だろうと、自分を蔑んでくる者だろうと理解る。
だから、責める気は、起きなかった。