Story.15 きざはしの歌 -暁との邂逅-
「フェスタ、随分丁寧に髪梳くねー」
風呂上がり。解いた金の髪を揺らし、フレイアはベッドに腰掛けて櫛を持つフェスタに言う。彼女は人目を避けなければならない為、他に入浴者がいそうな時間帯は浴場に行くことができない。月が高く昇ってから向かおうとしたものの、宿内とはいえ深夜に一人で出歩かせるのも不安だったので、リセとフレイアも時間を合わせたのだった。
「……大切な方に褒めていただいたものなので」
「そかそか」
フレイアは深く追求せず、ごそごそと小物を入れた皮袋の中を探り始める。
「あったー、フェスタつける?」
「あっ、アリエタで「可愛いは必要経費です」が通って予算が降りたやつ!」
フレイアが手にしていたのはとろりとした金色の液体が入った小瓶だった。布でわしゃわしゃと髪の水分を飛ばしていたリセも寄ってくる。
「そうでーす! アリエタで買ってきたちょっといいオリーブ油ー! イズム君曰く「僕が料理に使いたいくらい」のやつー! お店の人が言ってたんだけどね、つけると髪が綺麗になるんだって!」
きゃっきゃとはしゃぎながらランプの光で透かしたり揺らしてみたりするリセとフレイア。
「いえ、でも、それは貴方達が……」
まだ出会って間もなく、一ガイル無しで転がり込んできたような身の上だ。パーティの一員として彼女達に何か貢献できているとはまだ言えない。そんな中でこれ以上良くしてもらうとは、相当図太く生きてきたつもりではあるが流石に気が引ける。
「フェスタが大切にしているものなら、私達も大切にするよ」
今までの雰囲気にそぐわぬ真剣な声色に、顔を上げるフェスタ。
「……って、私が、言えたことじゃないよね」
――ごめんなさい。
その言葉を飲み込んだのが解った。間接的にとはいえ、リセが原因でその髪を切ることになってしまったのだ。短くなっていたことに今まで誰も触れなかった――あえて触れないようにしていたのだろうが。切り口が明らかに刃物であるゆえ、大方察したのだろう。自発的に同行することになったとはいえ、フェスタは巻き込まれた側だとも言える。
「フェスタが良ければ……だけど、みんなで使おう?」
そう言って、少しだけ無理をして。柔らかく、ぎこちなく、笑って。
「どうかな……?」
自分が切られたわけでもないだろうに、そんな顔をされては――
「……それでは、お言葉に甘えて」
フェスタは小さな吐息とともに微笑むと、小瓶を受け取ろうとした。
「もしよかったらアタシ後ろやってあげようか、触っても大丈夫?」
「あっ、私も手伝っていい……!? そっちの耳も塗っていいのかな、毛並み良くなる……?」
「お任せ致しますわ」
どうやらそこまでやってくれるらしい。拒否する気は不思議なほどに起きなかった。ベッドに乗った二人に背を向けて腰掛ける。
「失礼しまーす……」
傷の消えた白い手から伝い落ちる、金色の雫。
友愛、大切にするという言葉。
期待、贖罪。
艶やかに溶け合って、
――アリエタの蒼海に落ちる。
「リセつけ過ぎてない? 多いとべったべたになるよ?」
「ふおっ! だ、大丈夫! たぶん!」
「お嬢様、御髪を整えさせていただきますー」
「わーフレイア本当のメイドさんみたい! 見たことないけど!」
思わず笑みが零れる。なんと、穏やかな時間だろう。こんな気持ちになったのはーー彼といた時以来だ。
「ねぇねぇ、フェスタは趣味とか好きなことないの?」
フレイアが髪を梳きながら尋ねてくる。
――“好きなこと”。
彼が好きだ。獣人でありながら、アリエタの影に身を浸すことなく生きていた彼。幸運によるところが大きいのは承知しているが、それでも、その運を引き寄せたのは彼の人柄と努力によるものでもあると思っている。そして獣人でもそんな生き方が出来るのだと、荒んだ心でも信じることができた。こんな自分でも、誰かを信じることができたのだ。獣人だって汚れずに生きていける、自分はまだ人を信じられる心を持っている――そう示してくれる希望だった。そう、自分にとって彼は紛れもなく希望だったのだ。だが、今訊かれている“好きなこと”とはきっと違う。よく投げナイフの練習をしていた。しかしそれは稼ぐ為であって好きなことではない。
「好き……って、何なんでしょう」
「ふお、何か急に難しい話になった!?」
「んー……そうだねぇ、定義なんてそれこそ一人一人違うと思うけど……フェスタだったら、やる必要がないのにやる……利益が無くてもやりたいこと、とか?」