Story.14 約束

 両手で目的の瓶を取り上げると、一旦テーブルの上に置く。そして再び棚に戻り一番下から他より大きめの瓶を取り出すと、やや重そうな様子で持ち上げ先程の瓶の隣に置いた。その瓶に詰められていたのは土ではなく、中が空洞になった小さな硝子玉。人差し指と親指で円を作った程度の大きさで、ぼんやりとした光を纏っている。その光が示すものは――――魔力。
(魔法具……?)
 リェスはそのうちの一つを摘むと両手で捻る仕種を見せる。元々開くように作られていたらしく、それは割れることなく二つに分かれた。
「――それで、土を転移水晶かっこ仮のなかに入れます」
 ヒスイが疑問を口にする前に、片割れに瓶の土を零さぬよう注ぐリェス。そして指先に彼女自身の紅い魔力を燈すと、一雫そのなかに零した。すると土は跡形もなく紅い光へと溶け消える。リェスは硝子玉の分かれたもう片方を手にとると合わせて閉め、それらを再び一つの球体へと戻した。
「はい、即席転移水晶のできあがりー」
 そうは言うものの、笑みを浮かべた彼女の指先にある紅く光る硝子玉は本来の転移水晶の姿である小さな黄色い玉とは似ても似つかない。
「これでもう『アリエタ』への転移水晶と同じだよ」
「転移、水晶……?」
 ヒスイは驚きでほぼ無意識に彼女の言葉を復唱する。転移水晶は、魔力を以ってある場所の“記録”を行うことで転移水晶となる。しかしそれにはそれ相応の力量を持つ魔導士が必要であり、容易に手に入るものではない。が、土はその土地の“記憶”でありその地しか持ち得ない“記録“だ。土を直接使うことで魔力による記録の手順を省略し、かつ場所を指定して転移水晶として機能するようにしたということだろうか。所詮は素人考えであるゆえそれが正しいかどうかは分からないが。
(……いや)
 しかし、仕組みに関しての正誤は今どうでもいい。まさかここにある瓶の中身は大陸全域から採取されたものだとでもいうのか。大陸中の転移水晶を造ることと比べればまだ可能と言えるかもしれないが、それでもとてつもない労力であり、常識で考えれば現実的とは言い難い。そして理論上では可能なのかもしれないが、実際に複雑な魔法式を組み、それを物に落とし込める技術を持つ者は少ないだろう。このような魔法具を実現させたというのは信じ難く、非現実さではあの水鏡の比ではない。
 すべてがあまりに現実離れしている。
 彼女を取り巻く物も事も人も、そして、彼女自身も。
「……何者ですか、貴女は」
 ぽつりと落ちる言葉。しかしヒスイはそれが口から零れたことに目を見開く。
「……っ、いえ、何でもないです」
 たとえ現実離れしていようと現実なのだ。そして彼女が何者であるかなど知る必要はない。自分は、やり遂げなければならないことがある。ただそれだけ。その為に彼女と手を結んだのだ。不可侵の領域はあるはずだ。――――互いに。
「これ、便利だよねー。でも昔危ないことに使われちゃったせいで、今こういうモノが残ってるのは秘密なんだー」
 リェスはヒスイの発言を気にした風もなく流すと、人差し指を唇に当てる。“残っている”ということは、最近作られた魔法具というわけではないのか――そんな考えが過ぎる。が、リェスに手を取られた瞬間それは消え去った。小さな手が柔らかく彼の右手を包み、転移水晶を握らせる。そのほのかな温度に戸惑えば、彼女は微笑み見上げてきた。
「はい、光ってるうちに早く早く。魔力反応が起こってるうちじゃないと使えないから……」
 そして、不意に何かに気付いたようで彼女は小さく声を上げた。広がった袖を少し捲って左手首を出すと、そこにかかっていた“一般的な転移水晶”を外しヒスイの左手にかける。
「忘れてたよー、はいこれ。うちの庭への転移水晶。ずっと持ってて、失くさないようにね」
 続けて「危ない危ない、帰ってこられなくなっちゃうとこだった」と笑った。わりと……いや、かなり洒落にならない内容だった気がするが。本気なのか冗談なのか。だが、やや硬くなっていた空気が緩んだのは事実だった。解ってやっているのか、いないのか。
「割れた衝撃で発動するから、床に落として」
 リェスは“転移水晶”を持たせた彼の手を開かせると、斜めに傾ける。ヒスイがその繊手に抵抗することない。彼は手の平の上を球体が転がっていくのを感じつつ、やはり掴めない人だと思った。思うと同時に、耳元に寄せられる唇。
「あの人達は今『アリエタ』の――」
 その後に続いた町の象徴を指す単語を聞いた瞬間、息を呑む。
「……にいるみたいです。行ってらっしゃい、気をつけてね」
 手の平の小さな重みが消え、硝子が割れる音。足元から弾けた紅い光の向こうには、微笑を湛えた少女が手を振っていた。
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