Story.14 約束
夜闇に満たされた廊下を、ヒスイはリェスの後に着いて歩いて行く。リェスの手にある燭台の明かりが二人の周りだけを丸く照らし、その光の円は彼女が歩を進める度に揺らいだ。どのくらいそうしていたのか正確な時間は分からない。屋敷とはいっても大きなものではないゆえ、実際は十分もかかっていないのかもしれないが、それでもその静寂は彼にとっては長いものに感じられた。
「……さすがに無条件で「はいどうぞ」ってことはないと思うから、とりあえず言い値でいいって言っておいて」
歩みを止めず、振り返ることもなく言うリェス。
「それでもダメだったら――……ね?」
その言葉に、ヒスイは固く唇を結んだ。
角を曲がると、今までとは違って窓のない廊下が伸びていた。月明かりの差さぬその廊下はメノウには案内されなかったとヒスイは気づく。少し進むとリェスは足を止め、彼もそれに倣った。顔を上げれば、飾り気のない鉄の留め具に閉ざされた木の扉。他の部屋の扉とは違って縦長の板を幾つか張り合わせて作られたそれは、使われている木材も質の良いものには見えなかった。リェスが閂を外して引くと軋む音が辺りに大きく響く。同時にひんやりとした空気が流れ出てきたのを感じた。
「暗いから足元気をつけてね」
その先は暗闇で塗り潰されていたが、リェスが燭台を翳すと蝋燭の明かりのなかに下へと延びる石造りの螺旋階段が浮かび上がった。彼女はもう片方の手でドレスを軽く持ち上げると、階段をゆっくりと降りていく。ヒスイも石造り独特の冷えた空気がより濃くなっていくのを感じながら続いた。しばらくして底へと到着すると、そこには入口と同じ古ぼけた木の扉があった。しかし違うところは、閂ではなく鍵穴があるということ。リェスは鍵を取り出すと、そこに差し込んだ。開錠を示す音が、場に見合わぬ軽やかさでヒスイの耳に届く。
「どうぞ」
扉を開け、リェスはヒスイを招き入れた。彼女が持つ燭台の明かりは真っ暗な部屋の一部のみを照らす。けして広くはなく、小部屋と呼ぶのが相応しいそこには木製のテーブルが一つ置かれている。小さな明かりの範囲で視認できるのはそれだけだった。そんななか、リェスが燭台を頭上まで掲げる。
――その瞬間、壁だと思っていた場所に幾つもの炎が一斉に灯った。
「――……!?」
しかし“本物の”炎程の明るさははなく、鈍く揺らぐ光。――その光は、蝋燭の火を“反射したもの”であった。
ヒスイの目に飛び込んできたのは、一面の硝子瓶。そこは壁ではなく棚であり、けして高くはないが天井まで届くそれには隙間無く硝子瓶が並べられていたのだった。
リェスはテーブルの上の蝋燭に炎を移して明かりを増やすと手にしていた燭台を置く。今まで気付かなかったが、テーブルにはリィースメィル大陸の地図が広げられていた。
周囲がより鮮明に見えるようになると、ヒスイは辺りを見回す。閉鎖されたこの空間で一体何をしようというのか。あるのは、地図が広げられたテーブルと四方を囲む何百という硝子瓶。そして中に入っていたのは――
「これは……土?」
「正解っ」
リェスはにこりと笑うと地図に目を落とし、細い人差し指をその上に滑らせる。
「この地図に、細かく番号が書いてあるでしょ? えっとー、多分あの景色は『アリエタ』かなー、そう書いてあるお店の看板も見えたし」
その名を聞いた瞬間、心臓が大きく脈打ち血を全身へと勢い良く吐き出したのを感じた。
(アリエタ……)
酷く懐かしく、痛みを伴う記憶。ヒスイは地図から目を逸らすが、リェスは下を向いているせいでそれに気付くことはなかった。そして彼女の指先はリィースメィル大陸の南部に辿り着き、地名の横に書かれた番号をなぞる。すると今度は彼に背を向け、棚に並べられた硝子瓶を指差しながら確認していった。
「で、この番号が書いてある瓶を捜して――……あ、あったあった」
「……さすがに無条件で「はいどうぞ」ってことはないと思うから、とりあえず言い値でいいって言っておいて」
歩みを止めず、振り返ることもなく言うリェス。
「それでもダメだったら――……ね?」
その言葉に、ヒスイは固く唇を結んだ。
角を曲がると、今までとは違って窓のない廊下が伸びていた。月明かりの差さぬその廊下はメノウには案内されなかったとヒスイは気づく。少し進むとリェスは足を止め、彼もそれに倣った。顔を上げれば、飾り気のない鉄の留め具に閉ざされた木の扉。他の部屋の扉とは違って縦長の板を幾つか張り合わせて作られたそれは、使われている木材も質の良いものには見えなかった。リェスが閂を外して引くと軋む音が辺りに大きく響く。同時にひんやりとした空気が流れ出てきたのを感じた。
「暗いから足元気をつけてね」
その先は暗闇で塗り潰されていたが、リェスが燭台を翳すと蝋燭の明かりのなかに下へと延びる石造りの螺旋階段が浮かび上がった。彼女はもう片方の手でドレスを軽く持ち上げると、階段をゆっくりと降りていく。ヒスイも石造り独特の冷えた空気がより濃くなっていくのを感じながら続いた。しばらくして底へと到着すると、そこには入口と同じ古ぼけた木の扉があった。しかし違うところは、閂ではなく鍵穴があるということ。リェスは鍵を取り出すと、そこに差し込んだ。開錠を示す音が、場に見合わぬ軽やかさでヒスイの耳に届く。
「どうぞ」
扉を開け、リェスはヒスイを招き入れた。彼女が持つ燭台の明かりは真っ暗な部屋の一部のみを照らす。けして広くはなく、小部屋と呼ぶのが相応しいそこには木製のテーブルが一つ置かれている。小さな明かりの範囲で視認できるのはそれだけだった。そんななか、リェスが燭台を頭上まで掲げる。
――その瞬間、壁だと思っていた場所に幾つもの炎が一斉に灯った。
「――……!?」
しかし“本物の”炎程の明るさははなく、鈍く揺らぐ光。――その光は、蝋燭の火を“反射したもの”であった。
ヒスイの目に飛び込んできたのは、一面の硝子瓶。そこは壁ではなく棚であり、けして高くはないが天井まで届くそれには隙間無く硝子瓶が並べられていたのだった。
リェスはテーブルの上の蝋燭に炎を移して明かりを増やすと手にしていた燭台を置く。今まで気付かなかったが、テーブルにはリィースメィル大陸の地図が広げられていた。
周囲がより鮮明に見えるようになると、ヒスイは辺りを見回す。閉鎖されたこの空間で一体何をしようというのか。あるのは、地図が広げられたテーブルと四方を囲む何百という硝子瓶。そして中に入っていたのは――
「これは……土?」
「正解っ」
リェスはにこりと笑うと地図に目を落とし、細い人差し指をその上に滑らせる。
「この地図に、細かく番号が書いてあるでしょ? えっとー、多分あの景色は『アリエタ』かなー、そう書いてあるお店の看板も見えたし」
その名を聞いた瞬間、心臓が大きく脈打ち血を全身へと勢い良く吐き出したのを感じた。
(アリエタ……)
酷く懐かしく、痛みを伴う記憶。ヒスイは地図から目を逸らすが、リェスは下を向いているせいでそれに気付くことはなかった。そして彼女の指先はリィースメィル大陸の南部に辿り着き、地名の横に書かれた番号をなぞる。すると今度は彼に背を向け、棚に並べられた硝子瓶を指差しながら確認していった。
「で、この番号が書いてある瓶を捜して――……あ、あったあった」