Story.14 約束

 振り上げられた右手の五本の爪を躱す。降ろした勢いを殺さず左手からの斬撃。フェスタは身体を捻ってそれを避けると逆手で持ったナイフを薙いだ。彼は半身を引いてギリギリのところでそれを回避しナイフを強く弾き飛ばす。澄んだ金属音が空高く響いた。花の雨に混じり空中を舞うナイフ。フェスタは左手に挟んだナイフを間隔を空けて数本投擲し、彼がそれを避けている間にポーチから取り出し逆手に持ち直した。
「……ッ」
 これでは埒が明かない。体力的には彼より劣るであろうゆえ、ハール達が戻ってくるまで保つかは不明だ。もし捕らえられ自分が人質にでもされたらたまったものではない。そんな事態になったらリセがどんな行動をとるかなど容易に予想がつく。最初から助力を当てにした戦い方をするべきではない。彼らが来るまでにカタをつけるくらいの気持ちでいなければならないだろう。その気力を持続させることができれば――彼らの援助まで、持ち堪えられるかもしれない。
 彼の武器は運が悪いことにクローだ。しっかりと両手に固定されているがゆえ、ハールがイーヴォ達にしたように手から落とすことはできない。それこそ、手を落とさなければ無理である。ならば――
(強引にでも押さえ込む……!)
 組み敷いてしまうのが確実だろう。足を払うなり当て身をするなりすればその隙ができるはずだ。一瞬でもいい、攻撃を避けながらどうやって彼の動きを乱すか思考を巡らせる。
「しつこい方ですわね……ッ!」
「オレも、長引かせたいワケではありません」
 フェスタのナイフに、彼の鉄爪に、花の色が燈っては金属音に消えていく。呼吸をすれば入ってしまいそうなほどに辺りを満たす薄桃色。息苦しいほどに際限なく生まれ、零れ散る雫。優しい光のなかで響くその音は、酷く不似合いだった。幾度も花弁と刃が交差し、彼が口を開く。
「……貴女に交渉材料になっていただくのがいいかもしれません」
 その時、ナイフへかかる重みが急激に増した。
「……そうすれば、誰にも危害を加えずに済みます」
 彼が呟く。冷たく聞こえる声。だがその奥に感じさせる強さと僅かな熱に、本気だと知れた。
「……ッ」
 ――最悪の展開だ。
 やはりそうなるか、と唇を噛む。先程自分も思いついたようなことだ。彼が思い至らないわけはないだろう。半ば力任せに薙いで爪を押し返す。腕がびりびりと痺れた。体勢を立て直そうと大きく後ろへ下がった瞬間、結び紐の切られた外套がうざったくはためきそちらに意識がいく。酒場では脚に絡む邪魔さに苛ついて放り投げただけだったのだが、予想外にもそれが目隠しの効果になったことを思い出した。
「――――ッ!」
 一か八か。フェスタは自身の外套を掴むと彼の視界を覆うように放った。二人の間に広がる茶色。同時に彼女の顔を隠していたフードが無くなり、フェスタの視界も広がる。海色の髪が空に流れ、高く上げた腕から朱色の長い袂が花風に翻った。瞬間、すかさず彼の懐に入る。微かに息を呑んだ音がフェスタの耳に届く。既に彼の視界を邪魔する外套は地に落ちているというのに、それでも彼は動かなかった。獣人だということに驚いたのだろうか。何にせよ、好都合だ。姿勢を低くし素早く足を払う。彼の身体は抵抗することもなくバランスを失い傾いた。空気を含んで膨らんだフードがその背に落ちる。今まで影になっており見えなかった顔が千年樹の淡い光に照らされた。見開かれる互いの瞳。フェスタの紫と彼のそれが交差した。彼の――――

 翡翠色が。

「――……」

 その交差に、辺りを舞う幾千の花びらですら静止する。
 呼吸を忘れ、視線が絡まり、動けない。

 時が、止まる。

 止まる?

 否。

 ――止まっていた時の針が、音を立てる。

 フェスタの唇から、掠れた声が漏れた。
「――――、さん…………?」
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