Story.14 約束
潮風が三人の間を抜けた。舞い上がって視界を桃色に染めていた花弁はゆっくりと地に落ち始め、花吹雪の向こうに居た者の姿が徐々に見て取れるようになってきた。身長はあまり高いとは言えず、小柄なフェスタよりはあるだろうという程度に見えた。身に纏うのは指先より下まで覆い隠す長外套。ふと、その深く被ったフードから覗く口元が微かに動いた。
「初めまして」
少年の声。やや無機質に発されたのは、至極真っ当な挨拶であった。
「は……初めまして」
リセは僅かに動揺する素振りを見せるが、常識的に考えれば返すべきであろう同じ言葉を口にした。
「こんな怪しげな方に何を律儀に挨拶返してますの」
「えっ、でも挨拶はされたらちゃんと返さなきゃ……!」
――今“常識”が当て嵌まる状況か否かは、まだ判断できかねるが。フェスタは彼を警戒しつつもリセに突っ込みを入れる。確かに彼女の対応はある意味で正しくはあるのだが……問答を続けたところで意味はないと解っているため、それ以上は何も言わなかった。一方、彼は二人の会話には我関せずといった様子で事務的に続ける。
「ある方からお願いを言付かって来ました」
「えと、ある……方?」
身に覚えのない事柄に首を傾げる。数少ない知り合いを思い浮かべるが、人を寄越してまで何かを頼むような者は思い当たらなかった。
「それって誰――――」
「そのペンダントを、渡して頂けませんか」
息を呑むリセ。質問に答えることのない淡々とした声に彼女は一歩身を引き、両手で胸元に下がるそれを包んだ。
「ダ、ダメ……です」
「どうしても、ですか」
「これは、とっても大切なものだから……例え何を貰っても、何と交換でも……誰のお願いでも、人には渡せない、の」
適切な、自分の気持ちに合う言葉をゆっくりと選びながら、声に出していく。
「……額にかかわらず、金銭的な解決もできないと?」
リセは金の目に一匙の不信と微かな怯えを燻らせたが、たじろぐことなくしっかりと彼を見つめ返し頷いた。ついさっきまでこの場で皆と穏やかな時間を過ごしていたのが嘘のようだった。同じ景色の全く違う場所に来てしまったかのように、空気が違う。
「どうしても」
ほぼ抑揚の無かった声にほんの僅かな強さが加わる。硬い動作で首を縦に振るリセ。
「それを渡さないことで、貴女に危害が及ぶとしても」
――ざわり、と胸の奥で冷たく何かが蠢く。
「――下がって」
リセの動揺を感じ取るや否や、フェスタは彼女を片手で制し下がらせると早口の小声で言った。
「残念です」
言いながら、彼はリセ達に向けて一歩だけ進む。それは残念がっているようには聞こえず、形式上の言葉であることは明白だった。
「……詳しい事情は存じませんが、逃げてください。貴女達には借りがあります」
「でも……ッ」
小声であったゆえ彼は話の内容を聞き取れなかったであろうが、二人の様子からそれを汲み取ることは容易だったに違いない。今まで無感動的であった彼の声に明らかな感情が混じる。
「突然、無理を言っているのは解っています。すみません……こちらとしても、手荒なことをしたいわけではないんです」
聞きながらフェスタは気づかれぬよう外套に手を滑り込ませた。そして腰に巻いたポーチのなかに忍ばせたものを、指に挟む。
「……威しで済むようにしていただけると、ありがたいです」
言い終えた瞬間、彼が踏み込み靡く外套。その裾の下の手の影に一瞬金属の光が閃いた。
(やっぱり……!)
舌打ち。全体は見て取れなかったがやはり武器を持っていた。外套から手を引き抜き左指に挟んだナイフを彼の足元に投擲する。が、避けられた。瞬く間に詰められる間合い。
振り上げられる手。攻撃がくるのを察し身構えるフェスタ。そして、彼の捲れた長い袖口から五本の銀が空へと伸びた。
(クロー……!)
振り下ろされたそれを右手に持ったナイフで受け止め弾く。予想より衝撃が軽く大きく跳ね返せたことにフェスタは目を見開くが、加減されているのだと瞬時に悟る。形式的なものではあったが、最後の言葉は本心だったのが分かった。本気で傷つけるのは避けたいらしい。リセを背後に庇い、金属音を響かせながら相手を観察する。皮の手袋から伸びる五本の銀の爪。そして平均より小さい身体、それを隠す長い外套。
(……獣人?)
身のこなしからして自分より遥かに戦闘慣れをしている。だが、彼からはイーヴォ達が住む世界の匂いはしない。ということは、狩人としての経験からきている動きだろうか。いずれにせよ、“人の命をどうこうする”ことを生業にしてはいないだろう。威しの意味が強く本気で攻撃を仕掛けて来ないということからもそれは窺える。威しでどうにかなると思っている辺り――
(また逆も然り……でしょうか)
フェスタは攻撃を受け止めつつ、後ろにいるリセへ叫ぶ。
「その服装、貴女魔導士でしょう! 魔法は!?」
「初めまして」
少年の声。やや無機質に発されたのは、至極真っ当な挨拶であった。
「は……初めまして」
リセは僅かに動揺する素振りを見せるが、常識的に考えれば返すべきであろう同じ言葉を口にした。
「こんな怪しげな方に何を律儀に挨拶返してますの」
「えっ、でも挨拶はされたらちゃんと返さなきゃ……!」
――今“常識”が当て嵌まる状況か否かは、まだ判断できかねるが。フェスタは彼を警戒しつつもリセに突っ込みを入れる。確かに彼女の対応はある意味で正しくはあるのだが……問答を続けたところで意味はないと解っているため、それ以上は何も言わなかった。一方、彼は二人の会話には我関せずといった様子で事務的に続ける。
「ある方からお願いを言付かって来ました」
「えと、ある……方?」
身に覚えのない事柄に首を傾げる。数少ない知り合いを思い浮かべるが、人を寄越してまで何かを頼むような者は思い当たらなかった。
「それって誰――――」
「そのペンダントを、渡して頂けませんか」
息を呑むリセ。質問に答えることのない淡々とした声に彼女は一歩身を引き、両手で胸元に下がるそれを包んだ。
「ダ、ダメ……です」
「どうしても、ですか」
「これは、とっても大切なものだから……例え何を貰っても、何と交換でも……誰のお願いでも、人には渡せない、の」
適切な、自分の気持ちに合う言葉をゆっくりと選びながら、声に出していく。
「……額にかかわらず、金銭的な解決もできないと?」
リセは金の目に一匙の不信と微かな怯えを燻らせたが、たじろぐことなくしっかりと彼を見つめ返し頷いた。ついさっきまでこの場で皆と穏やかな時間を過ごしていたのが嘘のようだった。同じ景色の全く違う場所に来てしまったかのように、空気が違う。
「どうしても」
ほぼ抑揚の無かった声にほんの僅かな強さが加わる。硬い動作で首を縦に振るリセ。
「それを渡さないことで、貴女に危害が及ぶとしても」
――ざわり、と胸の奥で冷たく何かが蠢く。
「――下がって」
リセの動揺を感じ取るや否や、フェスタは彼女を片手で制し下がらせると早口の小声で言った。
「残念です」
言いながら、彼はリセ達に向けて一歩だけ進む。それは残念がっているようには聞こえず、形式上の言葉であることは明白だった。
「……詳しい事情は存じませんが、逃げてください。貴女達には借りがあります」
「でも……ッ」
小声であったゆえ彼は話の内容を聞き取れなかったであろうが、二人の様子からそれを汲み取ることは容易だったに違いない。今まで無感動的であった彼の声に明らかな感情が混じる。
「突然、無理を言っているのは解っています。すみません……こちらとしても、手荒なことをしたいわけではないんです」
聞きながらフェスタは気づかれぬよう外套に手を滑り込ませた。そして腰に巻いたポーチのなかに忍ばせたものを、指に挟む。
「……威しで済むようにしていただけると、ありがたいです」
言い終えた瞬間、彼が踏み込み靡く外套。その裾の下の手の影に一瞬金属の光が閃いた。
(やっぱり……!)
舌打ち。全体は見て取れなかったがやはり武器を持っていた。外套から手を引き抜き左指に挟んだナイフを彼の足元に投擲する。が、避けられた。瞬く間に詰められる間合い。
振り上げられる手。攻撃がくるのを察し身構えるフェスタ。そして、彼の捲れた長い袖口から五本の銀が空へと伸びた。
(クロー……!)
振り下ろされたそれを右手に持ったナイフで受け止め弾く。予想より衝撃が軽く大きく跳ね返せたことにフェスタは目を見開くが、加減されているのだと瞬時に悟る。形式的なものではあったが、最後の言葉は本心だったのが分かった。本気で傷つけるのは避けたいらしい。リセを背後に庇い、金属音を響かせながら相手を観察する。皮の手袋から伸びる五本の銀の爪。そして平均より小さい身体、それを隠す長い外套。
(……獣人?)
身のこなしからして自分より遥かに戦闘慣れをしている。だが、彼からはイーヴォ達が住む世界の匂いはしない。ということは、狩人としての経験からきている動きだろうか。いずれにせよ、“人の命をどうこうする”ことを生業にしてはいないだろう。威しの意味が強く本気で攻撃を仕掛けて来ないということからもそれは窺える。威しでどうにかなると思っている辺り――
(また逆も然り……でしょうか)
フェスタは攻撃を受け止めつつ、後ろにいるリセへ叫ぶ。
「その服装、貴女魔導士でしょう! 魔法は!?」