Story.3 WHITE NOISE

「どうして……」
「それはリセが訊かれる側じゃない? 水、わざわざ川まで飲みにきたの?」
 閉口するしかなかった。彼女には下の階に水を貰いに行くといったまま、何も言わずに出て行ってしまったのだから。彼女に――、いや、正しくは『誰にも、何も言わずに』、だが。
「迂闊に水辺に近づくなんて危ないよ? 水を飲みに来た魔物や動物を、餌にする奴らが待ち伏せしてることもあるんだから」
 フレイアは夜空の真上まで昇った月を見上げる。しかしいつの間にか雲が出てきたようで全体は隠れ、厚い灰色の隙間から光が淡く滲んでいた。
「家から出ていくの見えたよ。多分ハール君たちも捜してる。……こんな夜中にどうしたの?」
 つまり、早い段階から跡をつけられていたのだ。彼女なりに理由があると考えてしばらく自由にしてもらえたのだろう。
 うまい言い訳など思いつくはずもなく、今更ごまかすわけにもいかなかった。それに、彼女に嘘をつきたくない。リセは、先刻起こった事を包み隠さず――ただしハールとレイシェルの会話の内容については若干暈しながら――話した。
「……なるほど。自分が現れたせいで周り――って言うかハール君の『今まで』を壊したくないわけだ」
「ハールだけじゃ……」
 レイシェルからは想い人を引き離してしまうし、ココレットも彼とはしばらく会えなくなる。フレイアだって苦労を顧みず同行してくれると言うのだ。
「リセはいい子だね」
 優しげな声。しかし、それとは裏腹にすっと青の瞳が据わった。形の良い唇が、緩く曲線を描く。
「でもさぁ、それって……」

――ガサリ。

 渇いた音が刃物のように会話を断ち切った。互いに目で合図をすると、息を潜める。足音は徐々に近づき、やがて湿り気を帯びた獣の荒い息遣いが聞こえるまでになった。
 影から顔を出さぬよう気を付けながら、フレイアは相手の様子を確認する。
「……悪シュミ」
 双蛾を顰めるフレイア。目に飛び込んできたのは、銀狼だった。多少土で汚れてはいたものの、その立派な毛並は柔らかな金属のように月光を照り返す。美しい――――ただ、頭部が二つあること、目がそれぞれ額にひとつずつしかないことを考慮に入れなければの話だが。
 片頭の目は先ほどの矢で潰れていた。そこから血を流しながらふらふらと揺れており、正常な一方の足手まといになっているようである。
 ふいに、盲目となった頭が痛みで錯乱しているのか敵だと間違えたのか、もう一方に噛み付いた。牙が銀の首筋にうずまり血が噴き出す。躰を共有しているとはいえ危害を加えてきたことには変わりなく、双頭は互いに争い噛み付き合い始めた。
「……リセ、見ない方がいい」
 突然の激しい唸り声に、草叢から覗こうとしたリセを制すフレイア。
「……このままやり過ごして、逃げよう」
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