Story.13 アリエタの夜
彼は頷くと手短に話し出す。矢継ぎ早ではあったが内容を把握するには十分だった。
今朝、たまたま下宿先の宿から出るのを近隣の住民に見られて騒がれたこと。隠していたことを宿主と二人は客や近所から問い詰められたこと。最近起きた例の放火事件の場所が丁度宿に近かったこと。犯人ではないかと疑われ――否、実際に疑ってなどいなくとも、彼らの存在そのものを糾弾するのには十分な材料であったこと。それを口実に追い出されたこと。そして今夜、運悪くこのタイミングで放火が起き、疑惑の矛先は完全に二人――主に、彼に向いたということ。起こり得る限りの最悪が重なり続けた結果が――今、目の前で息も絶え絶えに説明をする彼だということ。
「オレじゃ、ない」
「当たり前ですわ!」
声を上げた瞬間、近くの燃える荒ばら屋から大きな破裂するような音が響いた。驚きで二人は思わずそちらを振り返る。先刻より明らかに火の手が迫っていた。もうすぐフェスタの家とて例外ではなくなる。炎は火の粉を吐き散らしながら、自ら意思を持っているかのように燃え上がる。夜を焼き尽くし星を舐めとろうとしているかのごとく、炎の舌は高く空へと伸びていた。
「姉さんの雇い主になる人が手引きしてくれるって言うから、しばらくは二人でアリエタを離れる」
それを伝えに来た、と続ける彼。犯人だと疑われているならば、見つかる可能性が高い現場に近づくのは自ら危険に飛び込むようなものだ。そこまでして、急いで来るとは――
「何処へ……?」
「……分からない」
不安と怖れと焦燥が混じった表情でフェスタは問うが、彼もまた似た面持ちで視線を地面へ落とした。話を聞けば、姉の雇い主になる男が助力してくれるらしく、荷馬車で逃がしてくれるらしい。一分一秒を争う状況で、アリエタを発つその前にどうしてもフェスタには伝えたいと時間を取ってもらったそうだ。
「けど、絶対戻ってくる、必ず帰ってくる」
再び、爆ぜる音と瓦解音が大きく周囲に響く。そろそろこの辺りも危なくなってきた。視認はしていないが、フェスタの家にも火が回り始めたかもしれない。立ち込める煙には火の色が映り、橙色となって熱と共に二人を呑み込む。残りの時間が僅かであることを理解し、彼はフェスタの手を強く握った。
「また会えるから……!」
赤と橙に支配された空間で、彼の翡翠のような瞳だけが唯一、鮮やかな翠。たった一つの道標であり、光のように思えた。その瞬間、ただ、これからもこの生は彼と共にあるのだと――彼の為にあるのだと、そう、本能より深い部分で感じた。
「……はい、必ず」
――たとえ、離れていたとしても。
フェスタも彼のそれを握り返す。痛いほど、まるで祈りを捧げるように二人強く指を絡めた。
「約束ですわよ」
「うん、約束」
「約束」
――それは人知れず、彼女達以外誰も知らない誓い。大仰な言葉も契約書も立会人も居ない。そこに在ったのは、二人の想いだけ。だがそれは、強く、ひたすらに強く。
「――ッ、千年樹の下で、待ってますから……!」
浮かんだのは、微笑み合う二人のためだけに花雨が降り注いだ、優しいあの朝の日。
また、あの薄桃色の光のなかで。必ず。
とある少女と少年が交わした『約束』が、アリエタの夜には、確かにあった。
今朝、たまたま下宿先の宿から出るのを近隣の住民に見られて騒がれたこと。隠していたことを宿主と二人は客や近所から問い詰められたこと。最近起きた例の放火事件の場所が丁度宿に近かったこと。犯人ではないかと疑われ――否、実際に疑ってなどいなくとも、彼らの存在そのものを糾弾するのには十分な材料であったこと。それを口実に追い出されたこと。そして今夜、運悪くこのタイミングで放火が起き、疑惑の矛先は完全に二人――主に、彼に向いたということ。起こり得る限りの最悪が重なり続けた結果が――今、目の前で息も絶え絶えに説明をする彼だということ。
「オレじゃ、ない」
「当たり前ですわ!」
声を上げた瞬間、近くの燃える荒ばら屋から大きな破裂するような音が響いた。驚きで二人は思わずそちらを振り返る。先刻より明らかに火の手が迫っていた。もうすぐフェスタの家とて例外ではなくなる。炎は火の粉を吐き散らしながら、自ら意思を持っているかのように燃え上がる。夜を焼き尽くし星を舐めとろうとしているかのごとく、炎の舌は高く空へと伸びていた。
「姉さんの雇い主になる人が手引きしてくれるって言うから、しばらくは二人でアリエタを離れる」
それを伝えに来た、と続ける彼。犯人だと疑われているならば、見つかる可能性が高い現場に近づくのは自ら危険に飛び込むようなものだ。そこまでして、急いで来るとは――
「何処へ……?」
「……分からない」
不安と怖れと焦燥が混じった表情でフェスタは問うが、彼もまた似た面持ちで視線を地面へ落とした。話を聞けば、姉の雇い主になる男が助力してくれるらしく、荷馬車で逃がしてくれるらしい。一分一秒を争う状況で、アリエタを発つその前にどうしてもフェスタには伝えたいと時間を取ってもらったそうだ。
「けど、絶対戻ってくる、必ず帰ってくる」
再び、爆ぜる音と瓦解音が大きく周囲に響く。そろそろこの辺りも危なくなってきた。視認はしていないが、フェスタの家にも火が回り始めたかもしれない。立ち込める煙には火の色が映り、橙色となって熱と共に二人を呑み込む。残りの時間が僅かであることを理解し、彼はフェスタの手を強く握った。
「また会えるから……!」
赤と橙に支配された空間で、彼の翡翠のような瞳だけが唯一、鮮やかな翠。たった一つの道標であり、光のように思えた。その瞬間、ただ、これからもこの生は彼と共にあるのだと――彼の為にあるのだと、そう、本能より深い部分で感じた。
「……はい、必ず」
――たとえ、離れていたとしても。
フェスタも彼のそれを握り返す。痛いほど、まるで祈りを捧げるように二人強く指を絡めた。
「約束ですわよ」
「うん、約束」
「約束」
――それは人知れず、彼女達以外誰も知らない誓い。大仰な言葉も契約書も立会人も居ない。そこに在ったのは、二人の想いだけ。だがそれは、強く、ひたすらに強く。
「――ッ、千年樹の下で、待ってますから……!」
浮かんだのは、微笑み合う二人のためだけに花雨が降り注いだ、優しいあの朝の日。
また、あの薄桃色の光のなかで。必ず。
とある少女と少年が交わした『約束』が、アリエタの夜には、確かにあった。