Story.13 アリエタの夜

「――そういえばさ、フェスタは連続放火の話って聞いた?」
「放火?」
 不穏な単語に、無意識か猫の耳がぴくりと動く。
「犯人は獣人だって噂になってる。家が燃やされる前に、獣の耳が生えた奴を見たって話が広がってて……」
「……恐らく、獣人ではありませんわね」
 彼は無言で首肯する。獣人であるならその耳を隠すため、フェスタ達のように外套を着込んでいるだろう。犯人が本当に獣人だとすれば、その証言は「獣の耳が生えた奴」ではなく「外套を着てフードを被った者」になるはずである。しかしその信憑性にかかわらず、零し流れた水が元に戻らないように、広まってしまった噂も戻らない。自然と消え去るか、真実が明らかにされるのを待つしかない。
 この件に限ったことではなく、獣人というだけで罪人であるかのような目で見られるのだ。そしてその眼差しに追い詰められ、事実そうなっていく。この悪循環は百年戦争以来止まらない。獣人でいるということに心が折れてしまい自ら命を経った者も少なからずいるのだろう。恐らく自分達が生きている短い間でそれが変わることはない。だが、それでも、生きていくのだ。
「獣人への目が普段より厳しくなってるから、フェスタも気を付けて」
 誰の記憶にも残らず消え去り、いつか必ず終わる生と解っていながらも――
「……ええ」
 心を熱くし、手を伸ばしたいものがあるから。
 フェスタの瞳の紫には彼の翠が映り、彼の翠には紫が映り込む。互いの存在を確認するように見つめ合うと、どちらともなく小さく頷いた。
「……暫くの間、出歩くのは最低限にしておくのが無難ですわね。濡れ衣なんてごめんですわ」
 静かに、苦々しい口調。彼女も頭に入れておいた方が良い情報ではあったものの、空気を変えるには些か重い話題だった。彼はもう一度話題を、今度こそ場を明るくする内容にしようと口を開く。
「それはそうと、姉さんが住み込みで新しく仕事が見つかったかもー、とか言ってたんだ。この前も雇い主さんと事前に話すことがあるとかで、会ってたみたいだし」
「まあ、リリィさんが?」
 名を呼ぶと嬉しそうに手を合わせるフェスタ。
「二人とも仕事に慣れちゃったせいで、一人でも事足りるというか……空いてる時間が多くなっちゃってさ。最近あんまりいい顔されなくて」
 人間を雇うより安くすむとはいえ、獣人が働いていることがばれれば対外的には好ましくない。当然一人より二人の方が見られるリスクが高いため、手が足りているなら抱える獣人は少ない方が良いのだろう。それはともかく、真っ当な職に就けるのは喜ばしいことだ。それが獣人であれば尚更である。その困難さを痛いほど知っているがゆえ、まるで自分のことのように喜びが胸に広がった。
「上手くいくといいですわね。何かお祝いでもしたいところですが……」
 これで少しでも、たとえ数人であったとしても獣人に対する目が変わる切っ掛けになれば……というようなことを微塵も考えないこともないが、それよりも、実の妹のように優しく接してくれる者への吉報というのが素直に嬉しい。祝う気持ちを何かで表したいが、あげられるようなものはない。在り来たりではあるが花でも摘んで花束にしようかと考えていると彼が口を開いた。
「じゃあ、歌は? フェスタがお母さんから教えてもらったのって、音楽の知識だけじゃなくて――」
「それはそうですけど、お聴かせできるほどのものではありませんわ」
 彼の提案に戸惑い却下する。確かに母から教えて貰ったのは言葉遣いや所作だけに止まらず、音楽の知識やそれに関する実践的なものも含まれていた。だが、好きではあるもののそれを人前でするというのはまた別の話である。
「でも、前に少し聴かせてもらったの、すごく綺麗だった」
 そんなフェスタに彼は柔らかな微笑みを向ける。彼にその話を初めてしたときのことを思い出し、微かに頬を染めるフェスタ。
「母様以外の前で歌ったの初めてだったんです……もう、思い出させないでくださいな」
 ひび割れた窓硝子を透けて、穏やかに午後の日差しが差し込む。頬が温かい気がするのは陽光のせいか、それ以外の理由か。
 一人で歌うことはよくあっても、人前では母親と彼以外は未だない。自分は生業にしているわけでもないし、人に聴かせたいという気持ちも特にない。緊張しない程度の少人数の前でならしてみたい、ということもない。大勢の前で歌うなどということは、なおさら。勿論、一生ないのだろうけど。機会の有無という点でも、何より自分が獣人であるという点においても。
 だが、人前であってもそれが彼の前であるならば、いいかもしれないと思う。近いうちに、いつか。
「……また聴かせてよ」

 ――そんな矢先だった。
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