Story.13 アリエタの夜



「――あ、そうだ、大家さんからパン貰ったからフェスタにも。すごく硬くなってるけど、お湯に塩入れて浸せば食べられた」
「ありがとうございます、私も今日は戦利品がありますの。私だけでは食べきれないで腐らせてしまいそうですし、交換にしましょう」
 暫くするとフェスタも落ち着き、どちらともなくいつものように他愛のない会話を始めた。いや、それなりに生活がかかっているので『他愛のない』かどうかは微妙なところかもしれないが。
「うわ、よくこれだけ見つけたね」
 麻袋いっぱいに詰め込まれたオレンジと葡萄に彼は目を丸くする。やや痛んでいる部分もあるが十分食べられるものだ。
「教えていただいた場所以外にも新規開拓いたしました! 今日は屋根の隙間に挟まっていたのも頂いて参りました。どうせそのまま放置されるでしょうし、こう、塀の上に乗って……」
「落ちたりしないでよ。治癒魔法って何でも治せるわけじゃないんでしょ?」
「大丈夫ですわ!」
「そう言われると心配なんだよなぁ」
「むぅ……大丈夫ですわ」
 『心配』という単語へ拗ねる素振りを見せると同時に、その響きに僅かに頬を染めるフェスタ。そんな彼女に彼は微笑む。出逢って間もない頃は表情が硬く口調にも何処か拒絶を含んでいた彼女だが、共にいる時間を重ねるごとにそれは薄れていった。彼と彼の姉以外に対しての刺々しさは、やはりなくなりはしないが。彼女の纏う荊は生活環境による後天的なものであり、今目の前で頬を少しだけ紅くした少女が素の顔なのだろう。いつかは誰にでも素の彼女で接することができるような状況になればいいと思う半面、心のどこかでは警戒心の強い猫のような彼女が自分にそんな姿を見せてくれることが嬉しい。いつも気を張っている彼女が自分がいることで笑顔になれるなら、傍にいたいと思う。自分にしかできない役割と言っては、自惚れだろうが。生きるためとはいえ、自分に今まで課せられた仕事や役目はいくらでも代わりが利くものだった。寧ろ、代わりが利くから獣人である自分がやっているのだと思う。今の宿屋での雑用もそうだ。誰にも見られないように、存在を感じ取られないように毎日同じことを繰り返す。
 だが、彼女が彼女でいられる時間を作れるのは自分しかないのだ。彼女が隣で笑ってくれるなら嬉しいし、そうさせたのが自分なら、尚の事。そして、もし願うことが許されるなら、これからも――
「……フェスタは逞しいなぁ。初めて逢った時も転んで擦り傷作ってたっけ」
 彼はオレンジに目を遣ると懐かしむように言った。あの時からそれほど経ったわけではないにもかかわらず遠い昔のことのように感じる。あれから今に至るまでの時間が充実していたからだろうが、それが互いのお陰であることは言うまでもない。その時不意にフェスタの表情が曇った。当時の情景を思い浮かべると同時に盗みを彼に窘められたことも脳裏を過ぎる。やや気まずい面持ちの彼女と原因に彼は気付いたようで、少々の思考の後に言葉を重ねた。
「……まだああいうことしてるのは知ってるし、全肯定はできないけど……」
 さらに考えながら、伝えたいことをゆっくりと紡いでいく。静まり返る部屋。沈黙は彼の心臓が五回脈を打つ間。
 六回目、まるでそれが合図だったかのようにその顔を上げた。
「それでも、いつも必死で一生懸命なところが――……」
 七回、八回、九回、十回。再び訪れる静寂。確かに鳴っているはずなのに、二人の耳には聞こえぬ透明な音。

「――――……」

 暫し待っても続かぬ言葉に、フェスタは不思議そうに目を瞬かせた。すると彼は目線を斜め下に逸らし、口を開いた。何かを諦めたかのようにも、安心したかのようにも取れる溜め息をつく。
「すごいなって……思ってる」
「褒められたものではありませんわ。私からすれば今まで潔白を通してきた貴男の方がすごいですわ」
 彼の微妙な面持ちとこの内容を言うために時間をかけたことは腑に落ちない様子であったが、フェスタは素直に返答する。
 場に残ったのは、未だ暴れた余韻を感じさせる心臓とどこか不思議そうなフェスタ。彼は一つ小さく息を吐くとその場の空気を流そうとするように話題を変えた。
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