Story.13 アリエタの夜

「……解りました、もういいですわ」
 先に静黙を破ったのは、ひとひらの呆れを覗かせた、フェスタの声だった。
「……貴男、少しおかしいって言われません?」
「え?」
「平々凡々と見せかけて、微妙にずれている面倒な類ですわね」
「面倒とかお前に言われたくねぇんだけど」
 フェスタは僅かに笑むと、また数歩だけ歩いて振り返る。
「問い質すような真似をして申し訳ありませんでしたわ。少々、興味がありましたの……誰かを救える人というのは、どのようなことを考えていらっしゃるのか」
 振り返る彼女のフードから流れる髪。緩く風に靡いたその青が、暗闇のなかで唯一鮮やかに見えた。
「そんな方、貴男が二人目、だったものですから」
 笑みに一滴の寂寥を落とす。しかし、それはハールが何を言おうか迷っている間に溶け消えてしまった。そして彼女は思い出したように声を上げる。
「そういえば、怪我をされていたでしょう。手をお出しくださいな」
「あ、ああ……」
 ハールは彼女のようにすぐ静寂から空気を換えることができず、言われるがまま左手を差し出す。水色の癒しが傷口に注がれ、血の跡だけを残して痛みは消えた。続けて、フェスタは彼の顔に視線を向ける。
「それと、少し屈んでくださいませ。頬も切れています」
「え? このくらいなら別に――」
「黙ってください」
 ハールの服の胸元を引っ張り強引に屈ませると、彼女の手が顔に伸びてくる。触れるか触れないかの位置でその手は止まり、頬を包むように添えられた。間近で見る紫の目。暗いせいか瞳孔が大きく開いていた。人間の目も同じような反応をするが、それよりも変化が分かりやすい。距離の近さゆえどこに目を遣ろうか迷っているうちに、フェスタの手は頬から離れていった。それと同時に掴まれていた服も離される。先程の脅迫的治癒行為といい、妙なところで頑固である。ふと、そういえばリセもそんなところがあるなぁと思い出した。
「かなり浅かったので、ほんの数分で塞がるはずですわ」
 礼を言うと先程垣間見せた素直な表情はどこへやら、そっぽを向いてしまった。
「……お前、実は結構優し――――」
「くないです!」
 ハールの言葉を遮り、振り切るようにして再度歩き出す。もうすぐこの通りも終わり、行きに通った大通りへと入る。時間が時間ではあるが、この街ならまだたくさんの明かりが灯っているのだろう。その前にふと、ハールが呟く。
「……オレが片刃の剣使ってる理由」
「え?」
「峰で打つ選択肢を残しておきたかったから。人と戦うなら、斬らずに、戦いたかったから」
 突然の言葉に、目を丸くするフェスタ。
「お前にとって大切なこと話してくれただろ。だから」
「――……」
 恐らくそれは、『彼』の話を指すのだろう。今度は、フェスタの方が言葉に迷う番であった。
「これで本当に貸し借りなしな」
 仄暗い通りを抜けて、華やかな大通りに入る。そしてもう少し歩けば、月と花弁が照らすあの海岸通りだ。この大きな港町では、それぞれの場所で、今も何かが交差し、何かが起こっているのだろう。それは関わっている者も、内容も、一つとして同じものはない。しかしそのどれもまた、『アリエタの夜』であることには変わりないのだ。
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