Story.13 アリエタの夜

「あれだけの事を起こしたのですから、もうあの酒場には出入りできないでしょうね……いいカモの集まりだったのですけど。暫くはこの辺りにも近付けませんわね」
 話題を変え、溜め息をついて顎に手を添える。しかしそれは形だけで、心の底からの悲壮感は感じられなかった。だが逆に考えれば、それはこのくらいのことでは動じないような生活を送っている、もしくはそれ以上の悪状況を経験しているということだ。ああいった目に遭いそうになっても気丈に振る舞っていられるのかと思うと、その強さもどこか痛々しかった。
「明日からどこで稼ぎましょう」
「とりあえず、今夜はオレ達の泊まってる宿来れば」
「……え」
「あんな事あったばっかりじゃ……さすがに放っておけないだろ」
 数秒の空白を経てなお反応がなかったため、フェスタの顔を見遣る。その瞳には、困惑がありありと窺えた。ハールの視線に気付くと、彼女はそちらを向く。
「……何なんですの貴男は。あんなに突き放したのに、待っているし、助けるし、その上……」
 戸惑いと、それに混ざる様々な感情に揺れる声。何かを言いかけるが口を噤み、困ったように首を横に振る。
「ああもう、違うん、です……」
 微かに口を開くが、また閉じる。そして唇に手を添えると口篭り、ハールから目線を外した。
「……私は、貴男に何と言えばよいのでしょう」
 小さく震えた、硝子細工のような声。やや刺々しい強さを纏っていた彼女の初めて見せる少女らしさに驚きで――いや、事実少女なのだが――次の言葉が喉に支える。
「え、いや…………その、勝手にすればいいんじゃねぇの?」
 彼女の気持ちに重く伸し掛からない言い回しを考えた結果、結局口から出てきたのは先程店で出てきたのと同じものだった。
 しかしあの時とは状況も心情も違う。それが適切であった自信はなく、若干不安になりながらフェスタを横目で窺った。

「……ありがとう、ございました」

 この薄汚い通りに見合わぬ言葉が、一雫。
 彼女もまた、フードの下からハールの反応を窺っていた。まるで、怯えて毛布に潜り込み、隙間から顔を恐る恐る覗かせる子猫のようである。
「……いや、さっき店入る前に話したとき、オレなりに、何か、お前のお陰で解ったことがあったっつーか……だから、まあ、これで貸し借り無しってことで」
「……貴男と私は無関係なのですから、元々貸し借りも何もありませんわ」
 言葉とは裏腹にその声は穏やかで、頬には柔らかな笑みを乗せていた。フェスタの表情に微かな驚きと安心を覚え、ハールにも微笑が浮かぶ。もうすぐで通りの終わりに差し掛かろうとしたとき、夜の温い風が吹き抜けた。その風に、彼女の微笑みは花が緩やかに散るように消えていった。
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